落語「五光」の舞台を行く
   

 

 桂米朝の噺、「五光」(ごこう)より


 

 怖い噺かなぁ、と思てるとあと、アホみたいなことんなるといぅのが、この上方の落語の特徴でございまして・・・。

  油屋の屋根に夜な夜な化け猫が出る、といぅ噂が立った。近所の連中がそれをいろんなこと言ぃますので、油屋の主人が気にしまして、夜中に起き出して自分とこの屋根を見ますといぅと、真夜中に大屋根の天辺へすごいこの猫がギラギラッと目を光らしながら、鬼瓦にこぉ手をかけて、「ギャァ~ッ」と鳴いておる。「こいつかい・・・。こら、お前のお陰でお化け油屋とかいろんなこと言われんねや。何で家に出やがんねん。この猫ッ」石をつかんで、油屋の主人がパァ~ッと投げ付けると、猫がヒョッと体かわして「油屋(危ない)のぉ」。

  鴨がこぉ川泳いでたんですなぁ。ほな、鴨の泳いでる後ろからネギがこぉ流れて来て、で、後ろへポ~ンと当たった。鴨がヒョッと振り向いて「おぉ怖わッ」。
  こいで終いでございます。こんなアホみたいな噺がたくさんあるんでございます。なんか凄いよぉに見えて、あとしょ~もないといぅよぉなね、もぉ今ちょっと分からんよぉな噺もございますなぁ・・・。

  夜中にね、便所行く癖がある。あれ癖になるもんですなぁ。晩のトイレちゅ~のは・・・。昔の便所は怖かったですなぁ。やっぱり古い人はマジナイを教えてくれる。「お前なぁ、今夜夜中に便所行たらなぁ、向こぉ行て下を向いて、『明晩からよぉ参じまへん』と、こない言ぅねん。ほたら明日から来(こ)んよぉなるさかい・・・」。「あ、さよか」。
 丁稚も一生懸命でっさかい、夜中に眠たい目ぇをこぉ、用足したあと下のほぉ向いて、「明晩からよぉ参じまへん」、「そぉ言わんとまたおいで」、「ぎゃ~ッ・・・」、気ぃ失うのは当り前ですわ、大騒ぎになってね。「どないしたんや?」、「下から声が聞こえた」、「そんなアホなことがあるかい、そらお前が寝とぼけてんねや」、「そんなことないッ」。
 次の日、また行て、「明晩からよぉ参じまへん」、「そぉ言わんとまたおいで」。今度は番頭やなんかが聞ぃてたんで、「こら、えらいこっちゃ。うちの便所になんか、怪異が起こった」ちゅうわけで、いろいろとご祈祷やとかマジナイやとか、ボンサンにお経上げてもろたりしても、これが止みまへんねやなぁ、必ず返事がしよる。
 親類にひとりぐらい何でもよぉ知ってるちゅなオッサンおりまんねん。これ、どこの親類でも昔はこんな便利な人がおったんだ。「わしが見てやろぉ」ちゅうわけで便所にやって来て・・・。「何も怪しぃもんは無さそぉやないか」、横を見ると落とし紙、それが証文の古いのんやとか帳簿類の古なったやつを適当な大きさに切って積んである。 「これがいかんねや」、「さよか」、「書いたもんが、もの言ぅた」。
 今ねぇ、「書いたもんがものを言ぅ」てなことはあんまり言わんよぉになりましたんでね、こぉいぅ噺もピンと来んよぉになったんですが、まぁいろんな噺がございますなぁ・・・。古い噺がございます。

  男に騙されて恨んで死んだ女が、あの世へ行って閻魔はんの前で、「わたしは男に騙されて、それが悔しぃて死にました。幽霊になって恨みを言ぃに、もぉいっぺん娑婆へ戻りたいので、お願いいたします」と。
 閻魔大王がふッと見ると、これが捨てられんのも無理は無いといぅ、なんとも言えんオモロイ顔してる。「あのなぁ、昔から幽霊といぅのはもっと美人、美女がなるもんや。お前みたいな顔でそんなことできるもんか、ワァッはっはっはっ」。
 閻魔はんが笑う、女は泣く。鬼が気の毒がって、「おいお前、化けもんを願え、化けもんを願え・・・」。
 こぉいぅ噺、教訓的な噺でございます。段々思い出してくるよって面白い。

  真夜中、丑満刻にあの墓の後ろから夜な夜な幽霊が出るといぅことを聞ぃて、また元気のえぇ若い連中が、「そんなことあるかい、ホンマに出るんやったらオモロイやないかい、いっぺん幽霊ちゅな見てみたいさかい」、てなもんで、夜中にその墓場の隅でこぉ様子を伺ごぉてると、なるほど丑満刻、ズゥ~ッと幽霊が現われまして、どっかへ行てしもた。
 「確かにこの辺から出たんやで」、みな寄って調べてみるっちゅうと、穴が開いてまんねやなぁ。「この穴から出たんやで。おい、これ埋めてしもたらどないなるやろなぁ?」、「オモロイなぁ、やったれやったれ」。石やなんか詰め込んで、キッチリその穴を埋めてしもた。
 明け方前になると幽霊が戻って来て、ドロドロドロ・・・、にえ込もぉとしたが入れまへんねやなぁ。何べんやっても入られへん。段々だんだん東が白んでくる。「あぁ、わしの命も今日限りじゃ」。

  いろんな噺がございます。化けもんやら幽霊やらが集まって忘年会やったちゅう噺。酒が程よぉ回って、「みな、芸、なんか出せや」ちゅうて、こぉ傘小僧、唐傘の化けもんが曲芸をやってみたり、一つ目小僧なんか踊りを踊る。大入道が力わざを見せる。いろんなことをやってる中に、カッパが何もせんと呑んどる。「お前もなんかやれ」、「わしゃ何にも芸ないねん」、「なんかやらんかい、お前かて呑んでんねやないかい」、「しゃ~ないなぁ・・・、どっかに麦ワラないか?」。
 麦ワラを持って来さしてグッと尻の穴へ突っ込んで、「誰か、これ吹いたり吸ぅたりしてくれ」すぅ、はぁ、すぅ、はぁ・・・、やると、頭の皿が「ポッペン、ポッペン、ポッペン」。

                                   (ここまでがマクラ、これからが本題)
                                     

 旅人、ちょっと近道しょ~てなことで、「こぉ、この辺でよかろぉ」とポンと脇に入ると、段々だんだん道は登りになってくる、こっちは崖が迫ってくる、こっちは谷。「えらいことになったなぁ・・・」、もぉそぉなるとお天道さんが頼りでございます。太陽があのへんにあると今の時刻・・・、方角は間違ごぉてないさかい、ま、ここ行きゃどっかに出られるやろぉ。ず~っと入って行くうちに道が無いよぉなってくる、道無き道ちゅな言葉がありますが・・・。
 と、下りになる「あぁ下りになってきた。山一つ越えたらしぃわい、ほなどっかに出られるやろぉ」。
 そのうちに、日が段々西へ傾きだした、「こらえらいこっちゃ、こんなとこで夜中んなったりしたら命にかかわる。早いことどこぞへ」、トット、トットと一生懸命行くうちに、人がこぉ踏んだらしぃ道が出てきた。「はぁ~、もぉ下り、里が近いわい」。ハッキリ道らしぃ。「あぁ、やれやれ助かった。しかしもぉ日は間もなく暮れるが、どっか泊まる所はないか知らん」と二、三町下ってまいりますと、辻堂のよぉなものがありますなぁ。ひょっと見るとその辻堂、荒れ果てておりますが濡れ縁があって、そこへ座ってるひとりの男。バサバサに髪の毛が伸びてる、髭ボォボォ、ボロボロになったネズミ色の衣、上に汚ぁ~い輪袈裟かけて、手に数珠を持ってるので、「あぁ、こら坊(ぼん)さんやなぁ」ちゅうことが分かる。それがなかったらもぉ何じゃ分からん。ただガァ~ッと前の松の木を睨んでます。
 「ちょっとお尋ねしますがな、ご出家。旅人で道に迷ぉたもんでおます。どっちのほぉ行ったら村に出られるか教えていただけまへんやろかなぁ・・・。もしご出家・・・、坊さん! 聞こえへんのかいな・・・。もぉ~し」、そばまで行て声かけるのに、座禅を組んだよぉな形で座って、前に生えてる松の木、その幹をグ~ッと睨んだきり、すごい顔をしてます。
 「坊さんには無言の行とかいぅ行があるんやそぉななぁ、それやってるときやったらなんぼ話しかけても返事してくれへんわい・・・。すんまへん、もし無言の行でございましたらな、堪忍しとくなはれや。どっちのほぉ行ったら里がある、ちょっと指でも、目ぇでも、顎でもなんでもえぇ、ちょっと教えてもらえまへんやろかなぁ? なぁ、ご出家!」、ジ~ッと松の木睨んでる・・・。
 「もぉしッ」、ジロッとひと目こっちを見る。チラッとこぉ目をやってくれたんですが、その目元の怖いこと。ギロッと睨むとまた前の松の木をガ~ッと見ております。「気色の悪い坊主やなぁ、ホンマに。もぉ、あんなんほっとこ、とにかくこっちのほぉ行ってみよ」。
 またそれから、一里足らずの道を辿ってくると、今はもぉ栽培されてはおらんのですが、畑みたいなものがある。前、ここは耕して作ってたんやなぁと思われるよぉな所がある。「おぉおぉ、だんだん人里が近づいてきた」、真っ暗になった時分に、ポツリポツリと家が見えだした。泊めてもらうんやったらもぉちょっと大きぃ家探さな・・・。「おぉ、灯がともってる、ありがたいここへ・・・」。
 「え~っ、ちょっとお頼い申します・・・、お頼い申します」、「どなたじゃな?」、「へ、旅のもんでございますがな、道を取り違えましてひと山越えてやっとこの村へ辿り着いたよぉなわけで。恐れ入りますがなぁ、泊めていただくといぅわけにはまいりまへんやろかなぁ?」、「そら気の毒じゃがなぁ、家にはちょっと取り込みがあるで、どっか他の家頼みなされ」、「そんなことおっしゃらんと、なぁ・・・、もぉ雨露さえしのがして もらいましたら結構で・・・」、「何のおもてなしもでけんが、雨露しのぐだけならできるじゃろ。掛け金も何も掛かったない、こっち入んなはれ」、「えらいすんまへん、えらいご無理を願いまして」、「いやぁ、なんにも構うことはでけんが・・・」、「もぉ、畳の上で寝さしていただくだけで結構でございます」、「部屋はぎょ~さんあるで、気に入ったとこ開けて、押し入れに何かあるやろ、それかぶって寝るだけ寝なされ。とりあえずな、裏に井戸がある、足洗ぉて、手や顔も洗ぉてきなはれ」、「おっきありがとぉ・・・」。

 「囲炉裏に鍋があるじゃろ、米もいくらか入ってる、麦やとか粟(あわ)やとか豆やとかな、雑穀類放り込んだ雑炊じゃ、チョッとまぁ腹の足しにしなはれ」、「お取り込みといぃますと?」、「病人がいてますのじゃがなぁ」、「あれがご病人・・・? お若い女御さんのよぉで?」、「うちの娘じゃ」、「お娘御。えらい失礼なこと言ぃますけど、別嬪さんでんなぁ・・・、こんな綺麗なお方がまたどんな病気で?」、「それが、何じゃ分からん。医者に見せても分からんので死ぬのを待ってな、しょ~がないといぅよぉなこってなぁ」、「ほぉ~、お気の毒なこってんなぁ。しかしまた、こんな大きなお家に・・・」、「この村も以前はそこそこ人も住んでたんじゃがな。この前大きな水飢饉、二年ほど不作が続いて食べるもんも何も無いよぉなって、みんなこの村捨てて山を下って行ったんじゃ。三里ほど離れたとこに家はあるのじゃがな、この娘も連れて行こぉと思たら、この家を出そぉとすると、そらまぁ激しぃ苦しみよぉをするので動かすことがでけん・・・」、「お気の毒なこってんなぁ・・・ 」、「どこの部屋へでも行て休みなはれ」、「やっぱり明かりが無いと・・・」、「あぁ えぇよぉにしなはれ」。なかなか寝付けまへん。クタクタにくたびれてるはずやのに寝られん。寝返りばぁ~っかり打ってる。
 「ん~ん、ん~ん、ん~~ん」うめき声が聞こえる。ふッと目を覚ますと親父は寝てます。行灯はもぉ灯心を引ぃて、ちょっと灯ってるだけ。隣の娘の枕元も有明といぅよぉな小さ~い灯になってる。娘が唸ってる。「う~~ん、ん~~ん・・・」、「えらい苦しみよぉじゃなぁ」と覗き込んで見ますと、部屋の隅のほぉがポ~ッと明るい。「何やしらん?」と見るといぅと、バサバサに伸びた頭、ヒゲ面の男がひとり、部屋の隅で娘をジィ~ッと睨み付けてる・・・。「何じゃあら・・・? 見たことが・・・、昼間のあの坊主やッ、いつの間にここへ来やがったんやろ?」。身がすくんで動けまへん。「あぁ~・・・」布団をかぶって小そぅなってる、夜明けが近づきますと娘も唸らんよぉになる。そぉ~っと覗いて見ると、もぉ坊主の姿も見えん。

  「お、お早よぉございます」、「夜中のをご覧じたか」、「怖いの何の、なんでんねんあら?」、「分からん。なんの因果であんな魔物が家の娘に取り憑いたんか分からん。加持祈祷しょ~が、お札を張ろぉが、どぉしてもあれが離れてくれんのじゃ」、「ちょっとわたし思い付いたことがございますで、いや、うまいこといくかどぉか分からんが、ひょっとうまいこといたら、お娘御の病気を助けることができるかも分かりまへん。ちょっとお待ちを・・・」。

 パ~ッと飛び出しますといぅと、「まだあの坊主おるかしらん」っちゅうわけで、ドンドンドンドン走って辻堂の所までまいりますと、やはり縁側へ座って前の松の木をジィ~ッと睨んでる・・・。「いてけつかった。こら坊主! 悪い坊主やなぁ、おんどれ。何の恨みがあって、お前あんな娘を執念深こぅ付け狙うねん。お前の一念でな、とぉと~娘は今朝方、死んでしもたぞ」、「えっ!死にましたかッ」。言ぅたと思たら、体がガタガタガタッと崩れた。縁側から、睨んでおりました松の根方へガラガラガラ・・・、息は絶えてる。「嵩(かさ)半分になってもたで。骨と皮、骸骨が皮被ってるよぉなもんや。はぁ~ッ、この坊主あの娘に惚れてよったんやな、一念だけで生きとぉったんや、いや恐ろしぃことがあるもんじゃなぁ・・・」。
 見てますと、サァ~ッと秋の時雨といぅやつです、雨がザァ~ッと降ってきた。「こらかなわん」といぅので、お堂の軒下へ雨宿りしょ~と思てズッと入るといぅと、ガタガタのお堂でございます、隙間がいっぱい開(あ)いとります。そっからカ~ッと光が漏れる。 外はまぁ夜ではございませんねやが、それでももぉ、まばゆいよぉな後光が射してカ~ッ・・・。「何じゃこら?」怖いけれども思い切ってサァ~ッと扉を開きますといぅと。正面の祭壇の上に欄間の彫刻、桐に鳳凰の立派な彫刻がしてある。両側の襖が満開の桜。おぉ~ッ、一面光が満ち満ちてる。ひょっと表を見ると松に、坊主に、雨が・・・。
 後光(五光)が射すのは当り前でございます。

  



ことば

■この噺はどっかで聞いたような・・・、とご記憶のある方は落語通です。この噺の東京版では「いが栗」と言って桂歌丸がやっていました。その「いが栗」の上方版が、この「五光」です。細部では異なりますが、全体としては同じ噺です。落語「いが栗」もご覧になって比較してみて下さい。この「いが栗」の原型「五光」を江戸に持ち込んだのが、大阪出身の三代目三遊亭圓馬がサゲも変えて演じ、以降途絶えていたのを桂歌丸が復活させています。
 落語は下地が分かって噺をよく理解した人が噺に手を加えると、噺に肉や骨ついて、その中に血が通い始めます。生き生きと動き出して完成された噺になるのです。演者の優劣では無く、噺そのものの優劣です。この「五光」は「いが栗」の素材でしか無いのがよく分かります。
 三代目三遊亭圓馬(左写真)は大阪出身ながら東京で古典落語を中心としながら上方落語を東京に合うように改変して持ち込んで好評を得ました。大阪弁、京都弁、江戸弁を巧みに使いこなしたといいます。  黒門町 八代目桂文楽を育てたことでも知られ、文楽は「舐めろと言われれば、師匠のゲロでも舐めたでしょう」と心酔していました。また、文楽が大阪で仕事があった際には必ず天下茶屋に在った圓馬宅に立ち寄り、差し向かいで稽古を付けて貰っていたという。

鬼瓦(おにがわら);屋根の棟の両端に用いる鬼の面にかたどった瓦。また同様の所に用いるのは鬼の面がなくてもいう。右図、広辞苑。

■鴨がヒョッと振り向いて「おぉ怖わッ」;「鴨がネギ背負って」と言われるように、(鴨鍋にするのに好都合に、肉ばかりでなく葱までが同時に手に入る意) ますます以ておあつらえむきである。鴨にしたら鍋になってしまうと驚いた。

落とし紙(おとしがみ);便所で使う紙。清紙(キヨメガミ)。トイレットペーパー。江戸では再生紙の浅草紙が使われた。

書いたもんがものを言う(かいたものがものをいう);口約束はあてにならないが、紙に書いた物(書類・証文)は証拠になるということ。「証文が物をいう」ともいう。

幽霊と化けもん(ゆうれいとばけもん);幽霊とは、閻魔大王が言うには「あのなぁ、昔から幽霊といぅのはもっと美人、美女がなるもんや。お前みたいな顔でそんなことできるもんか、ワァッはっはっはっ」。幽霊以外を化け物という。

丑満刻(うしみつどき);十二支による時刻表示。子の刻は前日の23:00~当日の1:00時、丑の刻は1:00~3:00時、丑の刻が満る頃で2時半ごろ。丑三つと書いて丑の刻を四等分した三番目の頃という説もある。

にえ込む;めり込む・はまりこむ・入り込む。
 ”チンアナゴ”では有りませんが、巣穴から出た後で穴を埋められたら、困るどころか外敵からの攻撃には耐えられないでしょう。

ポッペン、ポッペン、ポッペン;ポピン、とかポッペン、ビードロと呼ばれた玩具。喜多川歌麿『ビードロを吹く娘』 右図、ポッピンを吹く娘が有名。吹き口から息を出し入れすると、先端の薄いガラス膜がポッペン、ポッペンと音が出た単純な玩具。

お天道さん(おてんどうさま);擬人化した太陽。

二、三町(二三ちょう);町(ちょう)は尺貫法での長さ。1町は、約109m。正確には1町は109.09091m、1kmは9.16667町となる。二、三町はもっと約して、2~300m。36町=1里。

辻堂(つじどう);路傍に建ててある仏堂。
 交通の要衝である辻には古来、道祖神をまつった辻社や辻堂など、種々の施設が置かれた。鎌倉時代の京都では、辻ごとに篝屋(かがりや)が置かれ、終夜篝火をたいて盗賊を防ぎ市中を守ったし、戦国時代になると、公家や町衆がみずから釘貫(くぎぬき)(門)や櫓を構築して町を自衛した。

輪袈裟(わげさ);通常の袈裟が簡略化された物です。これもサラリーマンのネクタイのように千差万別いろいろ有ります。
  種類も袈裟をたたんで首に巻いたような、折袈裟、写真の輪袈裟、下の部分が離れて、紐で結ぶ半袈裟などがあります。四国巡礼でお遍路さんがしているのが、半袈裟です。
 落語「錦の袈裟」より
 右写真、輪袈裟。

一里足らず(1りたらず);1里は、3927.3m、約4km。1里足らずと言っていますので約3km位でしょう。

取り込み;① 取り込むこと。 「洗濯物の-」
② 不意の出来事・不幸などのためにごたごたすること。混雑。 「彼は-中でお休みです」
③ だまし取ること。 → 取り込み詐欺。
④「お取り込み(中)のところ(恐れ入りますが)」などの形で、忙しく働いている相手に対して丁寧に呼びかける際の言葉として用いられる。「お-中のところ失礼します」。
⑤ 「取り込み中ですので」などの形で、今応対したくない相手に対する断りの言葉に用いられる。「ただ今-中ですので、後ほどまたご連絡ください」。

有明(ありあけ);陰暦十六夜以後、月がまだ空に残っていながら夜が明けようとする頃。また、その頃の月。
 ここでは、「ありあけあんどん」の略。座敷行灯の一種。江戸時代、寝室の枕(まくら)元において終夜ともし続けた。構造は小形立方体の手提げ行灯で、火袋または箱蓋(はこぶた)の側板が三日月形や満月形などに切り抜かれていて、書見、就寝などのとき灯火の明るさを調節できるようになっている。黒や朱で塗り上げた風雅なもの。
 右図、有明行灯。

加持祈祷(かじきとう);真言密教においては、手に印契を結び鈷を用いて、護摩をたき、真言(マントラ)を口唱して仏の加護を求める。祈祷を行う儀式である修法(しゅうほう)には大きく分けて息災・増益・敬愛・調伏の四つの体系があり、これにより除災招福などの現世利益を期待した。
 日本ではこうした加持祈祷は仏教伝来以後日本古来の呪法と結びつきながらしばしば行われ、聖徳太子が父用明天皇のために法隆寺を建立したこと、天武天皇が皇后鸕野皇女(後の持統天皇)のために薬師寺の建立を行ったことも加持祈祷の一環であったとされる。また、鎮護国家の思想とも結びついて「金光明経」や「仁王経」の読経が盛んに行われた。
 だが、加持祈祷が広く行われるようになったのは密教伝来以後の平安時代以後のことである。密教においては加持は仏の大悲大智が衆生に加わり(加)、衆生がこれを受け取ること(持)と解し、行者が手印を結び、口から真言を発し、心に本尊を観ずれば、行者の三業を清浄にして即身成仏が可能になるという「三密加持」説が唱えられ、また効験を得るために特定の陀羅尼・印契を修して念じる呪法を祈祷と捉え積極的に行った。更に陰陽道の発達によってその要素を取り込みながら日本独自の加持祈祷が成立することになる。

一念(いちねん);心に深く思うこと。一筋に思うこと。また、その心。
 ふと思い出すこと。ちょっと考えること。
 信心が確立する瞬間。

後光(ごこう);仏や菩薩の背中から放射するといわれる神秘的な光。仏像などにみられる光背は、これをかたどったもの。
 後光,御光ともいい,仏菩薩の放つ光明を象徴するもので,仏教彫刻や仏教絵画においては必ずこれが表現されるのはインド以来の伝統である。仏の光明は色光と心光とに分けられる。色光とは仏身より外に向かって発せられる光,つまり身光である。心光とは仏にそなわる智徳円満の光,すなわち智恵光である。仏は内に智徳が充満することによって,おのずから外に光輝があらわれると考えられた。仏像仏画に表現されるのは色身相としての光明である。

 国宝「広目天(四天王立像のうち)」 光背。東京国立博物館蔵。

欄間の彫刻(らんまの ちょうこく);正面の祭壇の上に欄間の彫刻、桐に鳳凰の立派な彫刻がしてある。
 【鳳凰】:(ほうおう)鳳凰は古代中国より、神獣(瑞獣、霊獣)の 一つとされ、平安を象徴する鳥とされています。
 桐:中国で桐とは、すべての鳥類の始祖、伝説の霊鳥【鳳凰】が止まる木として、神聖な植物とされてきました。

  

五光(ごこう);花札ゲームの役の一種。松に鶴、桜に幔幕、薄に月、柳に小野道風、桐に鳳凰の5枚の「光札」が揃ったもの。最高の揃いですから、これ以上の役はありません。相撲で言うと、全勝優勝。野球で言うと、満塁ホームラン。ボクシングで言えば、ノックアウト勝ち。みたいなものです。

 左から、花札の鶴、桜、坊主、雨、桐。



                                                            2021年2月記

 前の落語の舞台へ    落語のホームページへ戻る    次の落語の舞台へ

 

 

inserted by FC2 system