落語「だんじり狸」の舞台を行く
   

 

 小佐田定雄 作
 桂南光(当時べかこ)の噺、「だんじり狸」(だんじりたぬき)より


 

 隣町には次郎兵衛狸というのがいて芝居の真似をしたという言い伝えがある。

 今は亡き世話になっていた兄ィの子供から、この町には何か無いのかと聞かれた秀が、昔話ではなく、今でも雨の夜になるとだんじりを叩く「だんじり狸」というのがいるのだと答えた。その子は友達にその話をしたら、聞いた者がいなく誰も信じてくれず、嘘つき呼ばわりされてしまった。
 そんな狸がいる訳もなく、仕方なく友達の米と勝に頼んで、雨になると三人で叩きに出かけた。
 たまに雨が降るのならいいが、数日続くとさすがに辛くなり、米と勝が都合をつけてサボるようになった。仕方なく一人で出かけた秀は、大雨の中でだんじりをやって風邪をひいて寝込んでしまった。秀は二人にやってくれるよう頼むが、二人とも断って逃げてしまった。

 その夜、また雨になり、米が飲み屋に行くと、遠くからだんじりが聞こえる。
 「ああ二人でやっとるなぁ。勝の奴が行ってやったんだな。わしも行ってやりゃあよかったかな。まあ、ええわ。明日謝ったらしまいや」。

 賭博場にいる勝もこの音を耳にして、
「何や、秀と米や。米も気いきかんやっちゃな。秀は病気やないか。俺に一緒に行こうと言ってくれれば行かんでもないのに」。
 布団の中の秀が目を覚まして、
「あ、だんじりや・・・わしの前では嫌やと言うてたが、二人で行ってくれたんやな。友達はありがたいなぁ。うまいもんや、本当に狸が叩いているようやないか」。 

 



ことば

■社会人落語家連で寄席囃子をやっている、千一夜社中の三味線を担当している中心人物のブログから、
 「だんじり狸」は、落語作家の小佐田貞夫さんが、昭和50年代の終わりに作られた噺です。 僕は豆ちゃん(関大亭豆蔵、社会人落語日本一決定戦で優勝し、第十二代名人)の「だんじり狸」しか聞いたことがありませんが、彼の「だんじり狸」は本当に良い話で、毎回涙腺が緩みます。
 この噺、最後の幻想的な場面展開の間、バックにずっと大阪の「だんじり囃子」が流れます。 大阪以外の方には馴染がないと思いますし、かく言う僕も本物の「だんじり囃子」は何度か聞いたことがある程度なのですが、太鼓と鉦で演奏され、「チキチン、チキチン、チキチン、コンコン」というリズムがベースになります。(「だんじり囃子」はYouTube等に沢山アップされています)。
  一方、実際の「だんじり囃子」は、忙しな感じさえする、かなり早いリズムなのですが、豆ちゃんの「だんじり狸」に入る「だんじり囃子」は少しユッタリとしたリズムになっています。 豆ちゃんがこれを最初に演じる時、ハメモノを担当した鉦の小遊さんと太鼓の舞歌姐と色々と相談し、少しユッタリしたリズムとしたそうで、今回もそれを踏襲しましたが、確かにユッタリ淡々と演奏した方がこの話にはマッチする様に思います。

 以前、高輪教会さんで開催させて頂いた寄席で豆ちゃんにこの「だんじり狸」をお願いしたのですが、最後方二階席からの小遊さんの鉦と舞歌姐の太鼓の音が、まさに「遠く雲の隙間から聞こえる様な『だんじり囃子』」に聞こえたことを思い出します。
 https://ameblo.jp/1001ya-shachu/entry-12404087635.html 

「私アホです」言える強さ 落語作家 小佐田定雄さん

 

 深夜ラジオの人気DJだった笑福亭仁鶴師匠のファンで、どんな顔か見てみたいと高座を聴きにいったのが落語の入り口です。落語マニアになったのは大学から。当時は「落語は古典に限る」と思ってました。漫才の台本作家は多いが、「落語作家」と称する人は数少ない。小佐田定雄さん(66)は専業落語作家の第一人者だ。1977年に桂枝雀のために新作落語を書いたのを手始めに、桂米朝一門を中心に落語の新作や改作を手掛けてきた。これまでに書き下ろした新作は250席を超える。

 題名のない「題名のない番組」、通称「題なし」は、桂米朝師匠と作家の小松左京氏によるラジオ大阪の番組。中学生の私は番組の投稿者の「常連」でした。その頃は米朝師匠が落語家とは意識せず、ラジオから自分の名前が流れてくるのを楽しみにはがきを書いていた。

 卒業後、損害保険会社の会社員になるが、25歳の時に聴いた枝雀の自作自演の新作落語が、創作を始めるきっかけになった。枝雀師匠は大阪の南御堂で毎月、新作落語を発表する勉強会を開いていて、第1回の公演の「戻り井戸」を聴いた瞬間、「ああ、こんな新作もあるんだ」と目からウロコが落ちた。ただ、回を重ねるうちに、噺の筋が飛躍しすぎて聞き手を置いてきぼりにする傾向に。

 その様子を客席で見ていて、「師匠がやりたいことって、ほんまはこんなこととちゃいますか」と原稿用紙10枚ほどの台本をご自宅に郵送すると、師匠から「台本を読んだ。ついては一度会って話がしたい」と電話がきた。次の日曜日、道頓堀の喫茶店で待ち合わせると、「こんな台本を待ってましたんや」と望外なお褒めの言葉。1カ月後、新作落語「幽霊の辻」が日の目を見ることになりました。

  

 1984年3月28日、桂枝雀師匠と歌舞伎座の楽屋で(右が小佐田氏)  

 「また書きまへんか。もっと書けますやろ」と枝雀のために新作を提供するうちに桂一門の座付き作者に。平日の昼は会社員、夜と休日は作家の二重生活だったが体力的にも限界。専業の落語作家になる背中を押したのは米朝の一言だった。

 米朝師匠に「もうやめとき」と引導を渡してもらったら、あきらめがつくと考えた。師匠は人の意見に必ず逆を言いはるんです。楽屋で「師匠、会社勤めを辞めようと思うんです」と思っている真逆のことを口にしてみた。ところが答えは「うん、それもええな」。今さら「会社を辞めるのやめます」とも言えない。今となっては、「大丈夫や、心配せんでもこっちの世界に来い」と叱ってくれたのだと思う。一生の恩人です。

 東京落語の上方化を手掛け、最近は東京落語の脚本も書く。

 東京弁をそのまま大阪弁に直すだけではあかんのです。登場人物の気持ちも大阪人にしないと。江戸の場合は誰でもない「与太郎」という愚か者をつくり、「こんなバカなやつがいますよ」と笑う。大阪人は誰かを笑っても、「こいつはアホでっしゃろ、心配しなはんな、あんたもアホですよ、私もアホです」。平気で三枚目になるし、それを喜べる。そこが大阪の強さです。

 大阪の川柳に、「えらいことできましてんと泣きもせず」という一句がある。きっと商売人が商いで大穴を開けたのでしょう。「えらいことですわ」と失敗した自分を笑っている。なんとかなるやろ、あかんかったらその時や。

 落語って思い詰めない芸能なんですね。人生なんて失敗の繰り返しみたいなもんやと、あまり不幸を突き詰めない。歌舞伎や文楽は思い詰めた男女が心中したりするけれど、落語の場合は旦那だけ川に飛び込ませて女は帰ってくる。

 落語は想像力に頼った芸。枝雀師匠はイマジネーションの芸と言ってました。作家の割合は1割、9割は演者さんの力だという話を枝雀師匠にすると、「でも、この1割はあんたでっせ。大事にしなはれ」と。これは励みになった。そこは作家の誇りみたいなもんとちゃいますか。

(聞き手は日本経済新聞 大阪地方部 岡本憲明)。日本経済新聞より

■1984(昭和59)年10月1日、桂南光(当時べかこ)によって初演。大阪「だんじり囃子」の「チキチンチキチンチキチンコンコン」というせわしない調子を取り込んだ噺。

 90(平成2)年11月20日に大阪サンケイホールで開かれた独演会では、南光さん(当時は「べかこ」)がラストシーンで、月の中で腹鼓を打つ狸の姿をスライドで見せ、ビジュアルなサゲにして見せてくれたのを憶えています。
(小佐田貞夫:この男たちに共感した本当の狸が出てきたのだろうか。それとも、彼らの行為に共感して事情を知った他の人間が何とかしてやろうとしているのだろうか。そういう余韻を寄越した落ちである。スライドで狸を見せたらどうなるのだろう。本物の狸が出たという意味なら、余韻をぶち壊してしまう。しかし、月の中で狸という謎が残る。「だんじり狸」は雨の夜しか出ないのだから・・・月は無い。結局その演出も謎のまま残る)。
 名作落語大全集#280  越智健氏のコメントより。

だんじり;日本の祭礼に奉納される山車(だし)を指す西日本特有の呼称。「楽車」・「壇尻」・「台尻」・「段尻」・「山車」·「地車」とも表記される。 主に近畿地方・中国地方・四国地方などの祭礼で登場し、「曳きだんじり」と「担ぎだんじり」の2種類に大別される。地方によっては、太鼓台やふとん太鼓などをこう呼ぶ場合もある。
 地車を用いた岸和田だんじり祭(大阪府岸和田市)が最も代表的だが、それ以外にも神戸だんじりなど、近畿地方を中心に多く存在する。
 音源 だんじり囃子 - YouTube 地方によって、囃子によって、曲想によってそれぞれ違いがありますので、探してください。

地車(だんじり・だんぢり)は、神社の祭礼で用いられる屋台・「山車」の一種。主に関西地方で多く見られる。大小2つに分かれた独特の破風屋根を持つ曳き山で、多くの彫刻が組み込まれ、刺繍幕や金の綱、提灯やぼんぼり、旗・幟などの装飾が施されている。主に欅(ケヤキ)を用いて造られており、コマには松が用いられる。

    

 御座船地車(大阪歴史博物館)    堺市中区深井中町西の下地車

山車(だし、さんしゃ);日本で祭礼の際に引いたり担いだりする出し物の総称。花や人形などで豪華な装飾が施されていることが多い。地方によって呼称や形式が異なり、曳山(ひきやま)・祭屋台(まつりやたい、単に屋台とも)などとも称される。神幸祭などの行事では、この山車が町の中をねり歩き行列となることもある。
 厳密に言うと、山の形状を模したり、上に木を立てて山の象徴としたものを「山」、それらがない屋根の付いた曳き物が「屋台」と分類される。 ただし、実際は祭礼ごとに形状に関係なく、名称がどちらかに統一されている場合が多い。

 車輪の数としては四輪が一般的であり、外車(大八車)様式の輻車(やぐるま〔スポーク式〕)や板車と、内車様式のものがある。また外車様式のものには、車輪に漆や彫金などが施されているものがある。また補助の車輪がついているものもある。滋賀県大津市の大津祭での曳山や三重県北部の石取祭に使われる山車が三輪であり、静岡県森町から磐田市にかけての遠州中東部で引き回される二輪屋台、浜崎祇園山笠のように六輪あるもの、富山県魚津市のたてもん祭りのように車輪はなくそり状になっているものもある。また、それに伴って運行方法、運行形態も異なるものになっている。小城祇園においては、旧来は車輪がついていない山の下に丸太を次々に敷き挽いて運行するという珍しいものだったが、現在は普通に車輪のついた曳き山となっている。

三大曳山祭; 高山祭(岐阜県高山市)、秩父夜祭(埼玉県秩父市)、祇園祭(京都府京都市)。

次郎兵衛狸;創作話の狸ですから、落語「権兵衛狸」から取った噺が有りました。

 「いえいえわしは人じゃ。無礼な奴め!」と次郎兵衛が怒鳴りながらジタバタ暴れるも、怯む事なく「こっちに来い」と吉五郎は次郎兵衛の首根っこを引っ張り上げまして、焚き火に顔を近づけます。
  以前もそうでございましたように、化け狐、化け狸の類は煙に弱い。モクモクと煙を肺に入れましてむせ返りますと気が緩んで尾っぽが出てしまう。ただ、ここは流石の次郎兵衛でございました。煙を吸って、むせはしますが尾っぽを出しません。 「おらおらどうした。正体を表しやがれ」。 しかし尾っぽは出てきません 「ゴホゴホゴホゴホ」 咳はしますが、次郎兵衛は手強い。まだ尾っぽを出しませんので吉五郎は更に次郎兵衛を火に近づけます。やがて次郎兵衛の咳がおさまりまして、吉五郎が次郎兵衛を火から遠ざけますとぐったりとしておりました。
 「おい。あんた」。 返事はありません。手を離すと、次郎兵衛はそのまま地面に転げます。口元に手をかざすと息をしておりません。流石の吉五郎も顔の色を変えまして、「どうしよう。こ、殺しちまった」と慌てふためきます。そしてとうとう吉五郎が悲鳴を上げましたところ、次郎兵衛は狸に姿を変え、「ははは、それ見たことか」と笑い、逃げ出しました。
 ・・・というつもりでございましたが、足をパタパタさせるも前に進まない。 吉五郎は口で慌てておりましたがちょいと次郎兵衛の尾っぽの長い毛を掴んで次郎兵衛を持ち上げていたのです。 「ほれ、正体を表しやがったな」 「かぁーやられてしもた」次郎兵衛は悔しそうにいいます。 「てめぇ、あの狸とは別の狸だな。」 吉五郎は次郎兵衛の首根っこを噛まれないようにしっかりと掴んでおります。
 「わしはお前を化かした狸の兄じゃ。妹が世話になったと聞き、仕返ししようと参ったが返り討ちにあってしもうた。なんたる不覚」 「へへへ、この野郎。俺に仕返しなんて百万年はぇえんだ。さぁどう懲らしめてやろうか」。
 離れを改築して作った家まで連れてこられますと、吉五郎は次郎兵衛を縄で吊るします。そして、剃刀をとりだし、ニタニタ笑いながら近づいてくるものですから、次郎兵衛からしたらたまったものではありません。「あぁー、狸汁にされてしまう」と思いましたが、吉五郎は器用な手つきで次郎兵衛の頭の毛を剃り始めます。 「へっ、今日は親父の命日なんだ。殺生はよくねぇから帰ぇしてやる。ただな、これは見せしめよ」。 ジョリジョリと剃られ、気がつけば次郎兵衛の頭は綺麗な禿頭となりました。次第次第に顔がカァーッと赤くなりまして、恥ずかしくて顔を覆いたいところではございますが生憎、手足は縄に繋がれております。
 「よっし、これでお前さん、見事な禿頭だ。どうだ。また悪さしようと思ったらこの頭見て今日のことを思い出すんだな」 「ひぇえー。あぁ頭が寒い」。
 かくして次郎兵衛は解放されましたが、逃げるよりもまず綺麗に剃り上がった頭を撫でまして。その見事な剃りにツルツルとなった頭がなんと気持ちの良いことか。 「ほら、いけ。行って妹に伝えやがれ。もう俺の前に現れるなってな。酌しゃくを注ぐなら話は別だ。ただししょんべん飲ませたら今度はただじゃおかねぇぞ。けぇっ!」 スタコラと次郎兵衛は逃げてゆきます。



                                                            2021年4月記

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