落語「狸茶屋」の舞台を行く
   

 

 六代目笑福亭松鶴の噺、「狸茶屋」(たぬきじゃや)より 別名「金玉茶屋」


 

 騙すのを看板に銭儲けしてる小山(おやま)があるもんですが、近頃でもあるらしぃんですけどね、キタの新地行っても、またミナミ行っても。しかし、こらもぉ騙すてな看板揚げたはらしまへん。ところが昔はこれ、公然と騙すといぅ看板を揚げて商売してたところぉがございまして、まぁえぇとこでは新町、悪いところでは松島に飛田(とびた)。こぉいぅとこへ行きますと、まぁ我々分相応で一番面白かったんですなぁ。

  「ちょっと、お二人さん、寄っていきなはれな。えぇ子揃ろてまんねんし、ちょっと寄っていきなはれな」、「おい、あない言ぅて呼んどるさかい、ここの店ちょっと覗こか?」、「やめとき、やめとき」、「え?」、「『えぇ子が揃ろてる』ちゅうとるやろ。この時間にえぇ子が揃ろてるわけがないやないか。えぇ子やったらもぉとぉに仕舞(しも)とぉるのに違いないで。ろくな女ご居(い)えへん」、「そぉかてお前、オバハンあないいぅて言ぅてくれてんねや。ちょっと入ってみよや。どっちみちお前、銭出して遊ぶわけやなし、顔だけ見て楽しんだらえぇがな」、「なるほどなぁ、しかしな、何で俺があの女ごがえぇちゅうたらな、さっきから俺の顔ジ~ッと流し目で見よる、あの目つきの情のあること見てみぃ。あら、ちょっとわいに気があんねんで」、「アホなこと言え、それやったらさっきから俺の顔ジ~ッと流し目に見とぉんがな。あら、俺に気があるねん」、「そんなことあるかいな、見てみぃなわいのほぉ見てるやろ」、「アホなこと言え、俺の顔のほぉ見てるやないか」、「そんなこと・・・、あホンになるほど、あの右の目ぇでは俺のほぉ見てるけど、左の目ぇでお前のほぉ見とぉるなぁ」、「そんな器用な見方できるかい。あら、藪睨みやがな」、「あ、そぉか」、「察するところ、この女ごの親っちゅうのはよっぽど筍(たけのこ)で損しよったとみえるで」、「そんなこと分かるか?」、「おぉ、分からいでか」、「何でやねん?」、「筍で損したさかいお前、あないして藪睨んどぉんねや」、「あぁなるほどなぁ・・・、ほな、つまり何かい、親が筍で損したさかい、ほで、娘が松茸(まったけ)で儲けてる」、「よぉそんなアホなこと言ぅわ」。
 こら、今申します「照らし」の小山(おやま)はんの遊びで、もぉこないなったらはっきり言ぃますけど(顔面を手でゆがめる)。これがミナミやとか新町行きますと「送り」の娼妓さんちゅうのがございまして、向こぉ行て「不見転(みずてん)」で買いまんねんなぁ。そぉでっさかい、お茶屋の女将さんがよ~っぽどしっかりしてなあきまへんので。

 「姐貴、いてるか?」、「まぁまぁ、タァさんやおまへんかいな、長いこと顔見せてやなかったこと。またあっちこっちで浮気してなはんねやろ? 知ってまっせ、いぃえぇな、皆あんたのこと『箒さん、ホォキさん』ちゅうてまんねんで。よぉそんだけ、あっちこっちで変わった女ごはん買いはりまんなぁ、ちょっとは一人に決めはったらどないでんねん」、「いやいや、そらなぁ、姐貴お前が言ぅとぉり、わいかてな、一人の女ごに決めたいねんけどな、一人の女ごでは具合が悪いねん。済まんけど姐貴、今日も変わった子ぉ頼むわ」。
 「何を言ぅてなはんねんな、この前呼んだ子、あの子えぇ子でしたやろ。あんたかて、えらい気に入ってましたやないか。あの子にしはったらどないでんねん? あの子も『今度また、あのお客さん来はったら、お母ちゃん知らしとくなはれや』ちゅうて約束して帰ったんでっせ。あの子にしときなはれ」、「姐貴の言ぅとぉりえぇねんけどな、わいはもぉ二度とおんなし女ごはあかんねん」、「またそらいったい、どぉいぅわけでんねん?」、「いや『どぉいぅわけ』てね~、こんなことは人に言(ゆ)えんこっちゃねん、恥ずかしぃこっちゃさかい」、「何が人に言(ゆ)えまへんねん?」、「いやいやあのな、せやさかいわいがな、遊ぶ度(たんび)に相手変えるっちゅうのはな・・・、まぁ姐貴やさかい言ぅけどな、実はわい、子どもの時分から脱腸(だっちょ)やねん。どぉしてもな、そぉいぅわけで皆お前、来た女ごが見て笑いよんねん。何ぼえぇ女ごでもお前、笑われてみぃなあの時に、そらもぉアホらしぃてやってられんでおい。せやさかいな、もぉその知ってるやつ呼んでみぃな、もぉ来るなり顔見て笑いよんのに決まったぁるさかいな、すまんけど変わったんにしてんか」。
 「まぁさよか、それやったらそぉとはじめに言ぅてくらはったらよろしぃのに。ほんならな、変わった子ぉ呼びまっさかい」、「あッ、言ぅとくけど、えぇのん頼むで」、「分かってますわいな、あんた面食いやさかい。へぇ、なるべくえぇ子にしまっさかい、いつものとぉり、部屋はいつもの部屋でっさかい、先上がって待ってとくれやす。いぃえぇ、もぉちゃんと用意してまっさかい、どぉぞお二階で待ってとくれやす」、「ほんなら、二階で待ってるさかい、早いとこ頼むで」。

 二階へ上がりますと、ちゃ~んともぉ用意がでけてます。と、用意ができてるさかいちゅうて、まぁ『どんな女ごはんが来るかいなぁ?』ちゅうのが、これまた楽しみでして、『どんな女ごに今晩当たるかいなぁ?』といぅて、難しぃ顔して待ってんのもおかしなし、といぅて寝てるわけにもいかんし、『あの人、行たらもぉすぐにお布団に入ったはったわ、まぁせからしぃ人』てなこと思われんのも嫌。といぅて、起きてたらアホみたいに思われるし。いっそのこと寝たふりしてたれ、ちゅうので、お布団の中へ入って、空鼾(そらイビキ)かいて寝てますと、下で・・・、「お母ちゃん、おおきに・・・、え、何でんのん? 初めてのお客さんでっか、えぇ分かってま。よぉ心得てまっさかい、あんじょ~いたします。またあののちほど、ほな先、お客さんとこ行ってきまっさ」。
 トントン・トントント~ン、と二階へ上がって来た。この足音聞ぃたらなおさら、大ぉ~きな高鼾かいて寝たふりしてますと、大抵この、こぉいぅとこの女ごはんちゅうは躾がえぇちゅうのか、行儀がよろしぃなぁ、上がって来て立ったまま襖開ける人おまへん。誰が見てらんでも、いっぺん襖の外で座って襖をばソ~ッと開けて、入ったらまたちゃんと座りまして、元通り閉めますと、入ったとこで、「こんばんわ、おおけに・・・」絶対にこの、お客さんのほぉ正面向いて頭下げんもんで、斜交い(はすかい)にこぉ顔見せるよぉにして、「お客さん、おおけに。こんばんわ」。
  何で斜交いに頭下げんのんかっちぃますと、こらちゃんと作戦があるんです。斜交いにこぉ相手に顔見せると、鼻が高こぉに見えるそぉですなぁ少々低くかっても。これ、横っから見て見えなんだらもぉ皆目無いんです。少々低い鼻でも、斜交いに、「おおけに」ちぃますと、鼻が高こぉに見える。

 「お客さん・・・、まぁ、よぉ寝たはること。えらい鼾かいて・・・、お母ちゃん、お客さんよっぽど早よぉから来たはりまんのん? えッ、今来はったとこ? よぉ寝たはんねんわ、おかしぃわ・・・。ちょっと、お客さん、まぁ、ホンマによぉ寝たはるわ。よっぽどお疲れ筋とみえまんなぁ。ちょっとお客さん、お客さんっちゅうのに・・・、まぁ、笑ろたはるわ。おかしぃお方、夢でも見たはんねやろかしら?お客さんッ」、「(イビキで)グ~」、「お客さん、お客さん」、「グ~グ~」、「やだわ、イビキで返事しているわ。お客さん分かりましたよ、タヌキ(寝入り)でしょ」、「あッ、わいの大ぉきいのん、誰に聞ぃてん?」。

 



ことば

■遊郭などがなくなってしまったので、言葉、単語がいちいちわからず、演る人もいなくなってしまいました。特に関西の廓言葉は非常に難解で解読に時間を要してしまいました。
今回の救世主は、『大阪ことば事典』 牧村史陽編から解説の大部分を引用しています。

新町(しんまち);大阪市西区の中央部に位置。北は立売堀(いたちぼり)、南は長堀通を挟んで北堀江、西は木津川を挟んで本田及び千代崎、東は阪神高速1号環状線を挟んで中央区博労町及び南船場にそれぞれ接する。 地内東部に大坂随一の花街だった江戸幕府公認の新町遊廓が存在したことで知られる。寛永年間(1624~1644)の新地で、公許遊郭が置かれ、京の島原、江戸の吉原とともに知られた。
 江戸時代を通じて「新町」は新町遊廓そのものを指す名称で、「新町」という町名はなかった。
 1869年(明治2年)に松島遊廓が誕生して以降、新町遊廓は衰退の一途を辿ることになる。
 1890年(明治23年)9月5日の大火(新町焼)によって新町遊廓の大半が焼失して以降、「新町」は完全に地域名称となった。1978年(昭和53年)に現行行政地名を実施し、「新町」は町名となった。

 桃山時代の天正・慶長の頃から大坂の街が次第に開発されるとともに、市中の各所に遊女屋が出来て、次第に風紀を乱し始めたので、豊臣氏が滅びて政権が徳川氏に移ると共に、江戸幕府では、これらの私娼を一カ所に集めて公娼制度を設けようとした。大坂においては新町、江戸では吉原がその指定地となった。
 新町の地はそれまでは海辺に近いアシの生い茂ったさみしい沼地であったのを、伏見町なる傾城町に住んでいた木村又次郎が戦後の荒廃した人心を慰安するという名目で、新遊廓の設立方を申請したのが、大坂落城翌年の元和2年であった。それがちょうど幕府の政策と一致した点もあって、寛政のはじめに至って四町四方の区域、五ヶ町を限って許可が下りた。寛永2年には長堀川が開かれ、翌年には立売堀が掘られて、それらの土が盛られ、同4年、天満で傾城屋をやっていた佐渡島与兵衛(佐渡島勘右衛門とも)の望みによって土地の干拓がはじめられたが、同6年に至って工事が完成した。そこで権利者である木村又次郎がまず見世を建て、伏見町の傾城屋をひきいて引っ越してきたのが今の新町通一、二丁目の辺。これが新町遊廓の始まりで、『浪花青楼志』(宝暦)によると「新たに造立市街なれば俗に新町と号す」と見える。
 このように江戸時代における新町は大坂唯一の公認の遊所であって、その他の北・南・堀江・馬場先などというところ全て非公認で有り、これを『島』と称した。江戸で言う岡場所のことで、そこに勤める遊女をも白人(はくじん)といった。その島に対して、新町を廓中・西廓などといい、廓の字を用いたのは新町だけであった。新町の遊女は、太夫(松)・天神(転進・天職・梅)・鹿子位(かこい。鹿恋、略して鹿・姫)・端女郎(はしじょろう・潮・影・月の三級があった)とはっきり階級が別れて、それによって揚げ代も異なっていた。
 大阪ことば事典・牧村史陽編

  

 「坂府新名所の内 新町鉄橋」 二代目長谷川貞信画 神戸市立博物館蔵。

ミナミ・キタ;ミナミは難波周辺の繁華街、キタは梅田周辺の繁華街。方角の南・北と区別が必要。

松島(まつしま)新地;大阪市西区本田(ほんでん)。1867(慶応4)年、川口居留地(外国人居住地)が開設され、その繁栄策として1870(明治3)年暮れに遊郭を設置。目的は大阪市中に散在していた非公認の郭を集中させることにあった。

飛田(とびた)新地;大阪市西成区山王(さんのう)1~3丁目。難波新地乙部遊郭が1910年に全焼したのを受けて、1916年に飛田遊郭が生まれた。料亭「鯛よし百番」は遊郭を当時そのままに使って営業している。

茶屋(ちゃや);大阪で、単に茶屋と言えば、色茶屋のこと。水茶屋は、掛け茶屋、または茶屋。茶を売る店は、葉茶屋という。非公認の遊女のいた妓楼は「泊茶屋(とまりちゃや)」と呼ばれた。
 大阪ことば事典・牧村史陽編

照らし(てらし);花街用語。松島遊廓、新町遊廓や、新町堀の側・難波新地・堺栄橋あたりの見世はみな往来に面して太い格子があり、娼妓達はその格子の中で正面を向いて並んでいた。遊客は、格子の外から覗き込んでその品定めをしたもの、照らし、とは遊女が衆客の前に顔を照らす意であろう。普通「居嫁」(てらし)の字を用いた。東京で張り見世と称したのがこれにあたる。明治24、5年から、この照らしが風紀上良くないと言うことで、法によって禁止され、それからは道路上から見えない見世の中へ娼妓を置き換えたが、大正5年10月31日限り禁令となり、以後はこれに変わり娼妓の写真が飾られるようになり、遊廓廃止まで続いた。
  大阪ことば事典・牧村史陽編 文と挿絵

送り(おくり);花街用語「送り込み」。娼妓を抱えて見世を張っているのではなく、抱え主の家から芸者または娼妓を呼ぶことが出来る。つまり娼妓が送り込まれてくるシステムになっている見世。「照らし」よりは、自分で選ぶのでは無く見世に依頼するので、多少高級視されていた。道頓堀の芝居裏などに多かった。また、この方式だと相手を自分で選ばず見世に任せることから、「不見転(みずてん)で買う」と言いました。
 大阪ことば事典・牧村史陽編

小山(おやま);京阪地方で言う女郎、遊女の称。人形遣いの小山次郎三郎の男人形も女人形も素晴らしい使い手であったので、特に女人形の使い手では名人と言われ、そこから女郎のことを小山というようになった。
 『物類呼称』の人偏の部に、「遊女、うかれめ、畿内にて、おやま、また傾城という。江戸にては女郎という。」とあるように、京坂でおやまと言えば女郎、江戸でおやまと言えば、芝居の女形であった。
 大阪ことば事典・牧村史陽編

箒さん(ほうきさん);あっちこっちで変わった女を買う遊客。

脱腸(だっちょう);鼠径部と呼ばれる左右の脚のつけ根の部分から、腸や卵巣、内臓脂肪などがおなかの中から皮膚のすぐ裏側まで飛び出してしまう病気。一般的には「脱腸」と呼ばれている。鼠径ヘルニアには、外(がい)鼠径ヘルニア、内(ない)鼠径ヘルニア、大腿(だいたい)ヘルニアの3種類があり、それぞれ内臓や組織の飛び出し方に違いがある。外鼠径ヘルニアは、内鼠径輪と呼ばれる穴を通り鼠径管の中に腸などが入り込むことで起こり、もっとも多く見られる。乳幼児期の男児や壮年期以降の男性に多い。また内鼠径ヘルニアは、内鼠径輪よりも内側の鼠径管後壁が弱くなって内臓が飛び出ることによって起こる。中年以降の男性、特に肥満気味の人がなりやすいとされる。そして大腿ヘルニアは、内臓が大腿管という管を通って出てきてしまうもので、女性に多く見られる。

鼠経ヘルニア
 オリンパス株式会社の解説図による

せからしい;せかせかと忙しい。セカンタラシイとも言う。 大阪ことば事典・牧村史陽編



                                                            2021年5月記

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