落語「泳ぎの医者」の舞台を行く 六代目三遊亭圓窓の噺、「泳ぎの医者」(およぎのいしゃ)、別名「畳水練」より
■別名「畳水練」、と題名にありますが、「圓朝全集」にこの様な題名で載っています。師匠の 二代目三遊亭圓生がやったのを圓朝が聞いて書き記したと書いてあります。原典は中国の明代に書かれた笑話本、『笑府』第四巻・方術部の「学游水」。「方術部」は、藪医者やエセ易者などを徹底的にやっつけた小咄を集めたもので、毒が効いていて、なかなか笑えるものが多いのですが、「学游水」は、文字通り「泳ぎのけいこ」の意味。
■江戸の医者;江戸時代には身分制度が厳しかったために自由に職業選択はできませんでしたが、医者に限っては誰でもなることが許されていました。
それだけ、医術が尊重されていたのでしょう。腕のいい医者に患者が集まり、腕の悪い医者には患者が集まらない。医術の心得がない医者は患者が集まらず、廃業するのが関の山だった。
上図、黄表紙より剃髪している町医者と左奥の薬箪笥。
■薮医者(やぶいしゃ);適切な診療能力や治療能力を持たない医師や歯科医師を指す俗称・蔑称である。同義語に庸医(ようい)がある。古くは1422年に「藪医師」、1283年に「藪薬師」の記録がある。
■甘井羊羹(あまい ようかん);典型的な落語の中のヤブ医者名です。他に上記の藪井竹庵、山井養仙、等の迷医がいます。江戸の小咄でも医者を風刺したものはそれこそ掃いて捨てるほどあります。医者は信用ならない職業だったようです。
■白羽の矢(しらはのや);白い矢羽を持つ矢のこと。 日本古来の風習あるいは伝承によれば、生贄(いけにえ)を求める神は、求める対象とする少女の家の屋根に、白羽の矢を目印として立てたという。 このことから転じて、「白羽の矢が立つ」の形式で、「多くのものの中から犠牲者として選び出される」という意味として使われる。
■下男(げなん);雇われて雑用をする男。下僕。
■薬籠(やくろう);草根木皮などを薬研(やげん)で細かい粉にした薬や、煎(せん)じ薬を入れた薬箱。堆朱(ついしゅ)製の豪華なものから、簡単な引き出し箱にしたもの、あるいは重ね箱にした塗り箱などがある。いずれも漢方医が病人の家へ診察に行くとき従僕に持参させた。箱の中には数十種の薬を入れておくものとされていた。
■煎じ薬(せんじぐすり);生薬を水で数十分煮出して作る、液状の飲み薬のことである。薬液を作るための生薬も「煎じ薬」と呼ぶことがある。漢方薬の世界では特に湯液(とうえき)とも呼ばれている。
■劇薬(げきやく);作用が激しく、使い方を誤ると生命にかかわる非常に危険な薬品。
■傷寒論(しょうかんろん);張仲景(ちょう ちゅうけい 150-219)は、名は機、仲景は字(あざな)です。長沙(湖南省)の太守(長官)であり、中国医学における医方の祖、医聖とされています。
古くからの医書を参照し、自らの治療経験を加えて『傷寒雑病論』を著し、後に、傷寒に関する部分を再編した『傷寒論』と、雑病部の『金匱要略方論』の2種類の書に分かれました。
傷寒とは、高熱を伴う疾患のことです。腸チフス、風邪などが、時間の経過とともに変化していく病態を、大局的に把握、分類し、分類別に治療法や処方、治療の原則が記されていて、疾病そのものに対する見方や診断方法を確立した医学書であり、後世に大きな影響を与えました。小青竜湯(しょうせいりゅうとう)、五苓散(ごれいさん)、葛根湯(かっこんとう)などが漢方処方として収載されています。
■葛根湯(かっこんとう);傷寒論にも出てくる薬で、これぐらいで済ませておけば良かったものを・・・。落語の中にもヤブ医者はこれで患者を治していた。
2021年6月記 前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ |