落語「白井左近」の舞台を行く 三遊亭円生の噺、「白井左近」(しらいさこん)より
■神田川(かんだがわ);東京都を流れる一級河川。東京都三鷹市井の頭恩賜公園内にある井の頭池に源を発し東へ流れ、台東区、中央区の境界にある両国橋脇で隅田川に合流する。流路延長24.6km、流域面積105.0km2、東京都内における中小河川としては最大規模で、都心を流れているにも拘らず全区間にわたり開渠であることは極めて稀です。
神田山を掘削して神田川を通した、御茶ノ水駅あたり。前方に聖橋が見えます。
江戸市中への上水が引かれてからは上流を神田上水、下流を江戸川と呼び、さらに開削された神田山(水道橋-昌平橋)から下流は神田川と呼ばれるようになった。明治になり神田上水が廃止されてからは上流も神田川と呼ばれるようになり、昭和の河川法改正によって全て神田川の呼称で統一された。
■船宿(ふなやど);上記神田川の最下流、柳橋が架かる川面に船宿が両岸に並んでいます。落語「船徳」等にもよく出てくる船宿です。
■新造の船(しんぞうのふね);新しく作られた船。車で言えば、新車。
■辻易者(つじうらない);自宅や専用占い所を持たず、街に出て通行人を相手に占う易者。
■白井左近(しらい さこん);人情噺「ちきり伊勢屋」に出てくる易者で、実在の人物ではありません。縁談の相談に来た若旦那・伝次郎の死相を見とがめ、死ぬ日を予言する。人生を見切った伝次郎は翌日から江戸の町に出て困窮する者に手当たり次第に金を与えて回った。
全財産を消尽した伝次郎だったが、期日が来ても死なない。左近に文句を言うと、善行により吉相に変わって長生きをするという。左近の予言に従って品川へ行くと、助けた母娘と再会してその店に婿入りした。店は大繁盛して「積善の家に余慶あり」という。
■辰巳(たつみ);江東区深川地区。都心から見て辰巳(東南)の方向にあるから。門前仲町を中心に岡場所が盛んになり、芸者、飲み屋、遊廓が栄えた。隅田川の船運が便利で、羽織芸者と言われる芸者の気っぷが良くて、海の幸が楽しめた、歓楽街であった。
辰巳の中心地、富岡八幡宮の夏祭りの時。 2008年8月撮影。落語「名月八幡祭」より写真引用。
「羽織芸者」の心意気
歌麿の雪月花のうち、「深川の雪」。18世紀末
■洲崎(すさき);明治20年、東西500m、南北400mの埋め立てが完了した時点では、ここは出島で四方を海に囲まれた城郭、いえ遊廓だったのです。現在は手前(北)の運河は洲崎川と呼ばれ、昭和50年埋め立てられて公園となり中央はサイクリングロードになっています。西側と南側は運河が残り、橋によって街が隣と繋がっています。東側は一段高い、洲崎から見れば丘のようになっていて、堀跡はありません。
明治21年から遊廓として栄え、島全体が遊廓でしたが戦後洲崎パラダイスと名を変えて、入口から見て左(東)側が遊廓として残りました。反対側の西側は戦後一般住宅地になりました。
洲崎の奥から北側の洲崎の町並を見る。2010年3月22日撮影。
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