落語「鏡」の舞台を行く
   

 

 三笑亭夢丸の噺、「」(かがみ)より


 

 大店(おおだな)の娘が年頃だが、縁談の話がうまくいかない。

 出入りの職人に顔の広いのを見込んで結婚相手を探してくれるように言うと、「お嬢さんは気立てが良くて、本当に親切で優しい、素晴らしい気持ちの持ち主ですが、あの通り、お多福、しこめ、ブスというか、顔が無ければいいんですがねェ」と、本人を前に平気で悪く言うから困る。
 思い付いたのは自分の店で働く新吉。働き者で、腕もいいし、いい男。30歳になるのに独身というのは、15年ほど前に母親が火事で顔に火傷をして、鏡を見ると、「中に化け物がいる」と言って鏡を封印、いつも布団をかぶって寝ていて、人が来ると自分の顔を見に来たのではないかと、恐ろしい顔でにらみ付ける・・・、だから息子に結婚相手もいない。お嬢さんがお多福なら、あの母親は般若だと言う。
 まさかそんなところへ娘をやれないと父親は断るが、娘の方では、「お父つぁんが火傷をしたら私はそばで介抱します。結婚した相手の母親なら、私にも母親です」と言い切って、結婚が決まってしまった。
 ​​ さあ、この母親、誰かが来たってんで布団から恐ろしい顔でにらみ付けると・・・、娘の顔を見て、思わず吹き出してしまった。15年振りに笑ったというので、夫の新吉も喜ぶ。

  さて、娘の方も鏡は見ないと封印して数ヶ月、甲斐甲斐しく働き、母親も心を開くようになった。
 娘はこれまで朝起きたらおやつを食べて朝食、ゴロゴロしておやつを食べて昼食、昼寝、ゴロゴロ、おやつ、夕食、ゴロゴロ、夜食を食べて就寝という毎日だったのが、結婚してからは朝から夜まで働き通し。肉がそげて、愛らしい顔になっちゃった。

  ある日、母親は嫁に髪を結ってくれと頼み、自分で紅をつけると、にっこり笑って亡くなった。四十九日が終わると、亭主は封印していた鏡を取り出した。
  「中を見てごらん」、「ダメです。化け物がいるんですから」、「いいからご覧」、と言われて恐々のぞいたが、あわてて伏せた。「やはり、化け物がいました。綺麗な女に化けて、あなたを誘惑しようとしています」、「何だ、俺のことが心配なのか」、「もちろんです。あなたの妻ですもの」、「う~ん、やはりお前は女房のかがみ(鑑)だ」。

 



ことば

夢丸新江戸噺しの平成18(2006)年(第6回)入選作、渡辺敏郎作。同年10月14日、もちろん三笑亭夢丸によって初演された。2010年11月には、クラシック演奏とのコラボで演じられた。​

三笑亭 夢丸 (さんしょうてい ゆめまる、 1983年 5月19日 - );新潟県 新発田市 出身の。 本名は前田(まえだ) 就(しゅう)。 出囃子は『 万才くずし 』。 落語芸術協会 会員。 平成14年(2002年)1月初代三笑亭夢丸に入門。 前座名「 春夢 」。平成18年(2006年)5月 第11回 岡本マキ賞 受賞。二ツ目に昇進。 夢吉 に改名。 2015年 5月∶ 春風亭小柳 、 三笑亭小夢 、二代目三笑亭夢丸とともに真打昇進。 師匠の名跡「 三笑亭夢丸 」を襲名。父親は学校の校長を務め、母親も教員。 新発田市立本丸中学校を経て、新発田中央高等学校を卒業する。 趣味は銭湯巡り。平成29年(2017年)3月 平成28年度花形演芸大賞 銀賞受賞。

日本のガラス鏡の歴史
 歴史上、最も古い鏡としては、最初は水鏡だったと考えられています。古代の人々は水面を鏡として利用したようです。その後、金属を磨いて鏡を作り、祭事などに使用していたことが遺跡発掘などの研究から分かっています。西暦前4・5世紀以降、中国にて銅鏡がずいぶん作られ、日本に銅鏡が伝わったのは紀元前後で中国より持ち込まれたと言われております。日本製の鏡が作られ始めたのは3~4世紀の頃からで、最初は中国の真似でしたが、奈良時代になると、中国製(唐鏡)に負けないような鏡が作られるようになりました。
 日本にガラス鏡が初めて伝わったのは、スペイン人宣教師フランシスコ・ザビエルにより、天文18年(1549年)に持ち込まれたとされています。日本で最初にガラス鏡が一般に製造され始めたのは、1740年代より1800年代の間に泉州堺で「びん鏡」と呼ばれる鏡が一般に製造されたことが始まりでした。「びん」というのは、顔の両側にある「毛」のことで、髪の毛の乱れを直す程度の小さな鏡という意味です。江戸末期に、岸和田藩(現大阪府泉佐野市)の事業として、多くのびん鏡が作られました。これが鏡の大衆化に繋がったのです。
 その後、明治16年頃よりは銀引済み舶来鏡が輸入され始めました。一方では、輸入板ガラスによるガラス鏡が、水銀を使わない銀引き法で作られるようになりました。現在では、フロート板ガラスが鏡の素板として使用され、我が国の三大ミラーメーカーによる、完全自動生産により、大寸法の鏡が大量に製造されるようになりました。
 GLASS TOWN

       

左より 角鏡          南天柄鏡(江戸時代)       白銅柄鏡   
三重硝子工業(株)所蔵。 鳥取市・(財)渡辺美術館所蔵。 三重硝子工業(株)所蔵。

   落語にも鏡を扱った噺「松山鏡」、「鏡代」が有ります。

鏡の神秘性(かがみの しんぴせい);鏡に映像が「映る」という現象は、古来極めて神秘的なものとして捉えられた。そのため、単なる化粧用具としてよりも先に、祭祀の道具としての性格を帯びていた。鏡の面が、単に光線を反射する平面ではなく、世界の「こちら側」と「あちら側」を分けるレンズのようなものと捉えられ、鏡の向こうにもう一つの世界がある、という観念は通文化的に存在し、世界各地で見られる。
 水鏡と黒曜石の石板鏡と金属鏡しかなかった時代・古代の哲学などにおいては、鏡像はおぼろげなイメージに過ぎないとされた。一方、近代になり、ガラス鏡が発達すると、シュピーゲル(ドイツ語)やミラー(英語)という名を冠する新聞が登場するようになる。これは、「鏡のようにはっきりと世相を映し出す」べく付けられた名称です。
 鏡は鑑とも書き、このときは人間としての模範・規範を意味する(例として、『史記』には、「人を鑑とする者は己の吉凶を知る(人を手本とする者は自分の将来も知る)」と記される)。手本とじっくり照らし合わせることを**に鑑みる(**にかんがみる)というのも、ここから来ている。また日本語でも「鏡」と望遠鏡、拡大鏡などが同じ鏡という字を用いているし、英語のグラスもまた、ガラス、レンズだけでなく、鏡の意味も持つ。
 日本においては、鏡の持つ神秘性を、餅や酒などの供物にも込めてきた経緯があり、現代でも鏡餅や鏡開きなどの習慣にその姿を見ることが出来る。

 デイズニーの白雪姫から、『白雪姫』(1937)に登場する女王です。「鏡よ、鏡、この世で一番美しいのは誰?」と魔法の鏡に問いかけ、「美しいのは白雪姫」と鏡が答えると、自分のまま子である白雪姫を家来に殺させようと計画する恐ろしい女性です。この計画が失敗したので、女王はみにくい老婆に変身し、呪文を唱えながら毒りんごを作ります。洋の東西を問わず、鏡には霊感が宿っていると思われていたのです。

黄帝の次妃「嫫母(ぼぼ)によって中国で石板鏡が発明されたとされている。そのエピソード。
 ある女性が桑畑で農作業中に蛇に咬まれて倒れると、毒が体に回らぬように手際よく処置している容貌の優れない女性の姿があった。ちょうどその様子を見ていた黄帝は、その容貌の優れない女性「嫫母」(ぼぼ)を次妃に娶った。あるとき「嫫母」は、石板掘りの手伝いに山へ連れて行かれると、どの女性よりも勝って20枚もの石板を掘り当て、照り輝く荒削りの石板に乱れた自分の像が醜く映るのを見た。そこで、「嫫母」は、その石板を研磨するよう磨ぎ師に命じて鏡を発明した。しかし、それでも容姿の優れない鏡を見て、石板の鏡のことはしばらく忘れていたのだが、他の石板の上で肉を焼いていると、突然石板が割れてその破片が顔に刺さってしまった。彼女は、慌てて再び石板鏡を取り出し、薬を塗っていると、その光景を見た黄帝は、彼女の鏡の発明を褒め称え、彼女の叡智を重用した。

 嫫母は倭の偉大な人として記されているが、その誉れはその醜さをカバーする事ができなかった。

大店(おおだな);大きい店。店構えが大きく、手広く商い、多額の取引のある店。

お多福、しこめ、ぶす;お多福(おたふく)、おかめ。鼻が低く頬が丸く張り出した女性の顔、あるいはその仮面。平安朝の昔から、日本美人の典型とされたお多福の笑顔。そのふっくらとした表情は、現代ではどこかユーモラスにも見える面白さを醸し出しています。

   

 左、尾形光琳が描いたお多福。その目出度く有り難い作品に感銘を受けた松村景文が、忠実に描き写したとされる作品です。 右、典型的なお多福顔。

 しこめ(醜女):容貌 (ようぼう) のみにくい女。しゅうじょ。 黄泉 (よみ) の国にいたという、容貌のみにくい女の鬼。

 ぶす(ブス。附子);・「トリカブトの毒・漢方薬」の総称。「ぶし」とも読む。 落語「附子」に詳しく説明しています。
   ・狂言の演目の一つ。
   ・ブス、容姿が劣ることを指す侮蔑的な日本の俗語。主に関西では男性の形容(ブサメン)にも使われるこ
    とがあるが、一般には女性の形容に使われる。語源には諸説あるが、トリカブトを飲んだ顔を差すとも言
    う。

 本人を目の前にして言うことでは無い。娘さんは笑顔で聞いていたとしても、心の中ではグサリと刃物が刺さっているはずです。

火傷(やけど);火傷は医学専門用語では「熱傷」と呼ばれるケガで、高温の気体・液体・固体に触れることで、皮膚や粘膜が損傷を受けることを指します。程度を問わなければ、きわめて頻度の高いケガの一つ。患者の年齢として最も多いのは、10歳未満の幼少児(野口英世の例等)です。 症状は損傷を受けた範囲や深さによって異なり、軽いものであれば、少しのひりひりとした痛みはあるものの、治療を受けなくても数日で治癒。基本的には痕が残ることもありません。しかし重度のものになると、皮膚の移植手術が必要になったり、臓器障害などの二次被害を防ぐための全身管理が必要になったりすることもあります。
 低温火傷 医学専門用語では「低温熱傷」と呼ばれる火傷の一種。高温の気体・液体・固体に触れた場合は短時間で火傷(熱傷)となりますが、それよりも温度の低い刺激(40~55℃)が長時間にわたって皮膚に与えられると、低温熱傷になるのです。具体的な原因としては、湯たんぽやカイロなどを長時間同じ箇所に当て続けることなどが挙げられます。患者の年齢として特に多いのは、皮膚が薄い小さな子どもや高齢者です。また、末梢神経の知覚障害がある糖尿病患者にも多く見られます。
 凍傷 火傷が高温の気体・液体・固体にさらされて起こるのに対し、氷点下の寒冷によって皮膚組織が末梢循環障害を起こすことを凍傷といいます。 軽度の場合は、皮膚が蒼白もしくは紫色になり、知覚が鈍感になります。重度になると水疱ができたり、血管障害(血流うっ滞や血栓形成)が起きて体の末端にうまく血液が流れなくなり、壊死したりといったことも起こる可能性があります。 なお、凍傷が氷点下の寒冷にさらされて起こるのに対して、氷点以上の寒冷(気温4~5度、日較差10度以上)で引き起こされるのは凍瘡といいます。凍瘡はいわゆる「しもやけ」で、かゆみを伴う紅斑や水疱が発生。最も寒さが厳しい頃よりも、初冬や終冬に多く見られます。
 火傷の跡 真皮深層より深い部位で起こった火傷の跡は、医学専門用語では「瘢痕(はんこん)」といいます。皮膚から盛り上がる場合も陥没する場合もあり、色素沈着になることも脱色を起こすことも。このように跡の残り方はさまざまで、火傷の程度や治療法の別、患者の体質によって異なります。 これに対し、真皮浅層までの深さで起こった火傷は瘢痕にならず、色素沈着となります。
 ロート製薬

般若(はんにゃ);「嫉妬や恨みの篭る女の顔」としての鬼女の能面。
 一説には、般若坊という僧侶が作ったところから名がついたといわれている。右写真「般若」。
 あるいは、『源氏物語』の葵の上が六条御息所の嫉妬心に悩まされ、その生怨霊にとりつかれた時、般若経を読んで御修法(みずほう)を行い怨霊を退治したから、般若が面の名になったともいわれる。
 能では、葵上や道成寺、黒塚などで般若の面が用いられる。
 能面の世界では、鬼女への進化の途中で般若に成りきれていない顔つきの面を「生成」、般若が進化して蛇のような顔つきになった面を「真蛇」と称している。
 仏教用語としての般若が一般的でなくなった現代日本では、「般若」を「般若の面」の意味で、さらには、「嫉妬や恨みのこもる女性」という意味で用いたり、転じて「般若の面のような憤怒の形相」という意味で用いることもある。

四十九日(しじゅうくにち、七七日);仏教用語のひとつで、命日から数えて49日目に行う追善法要のことを指します。 なぜ49日なのかといいますと、仏教では人が亡くなるとあの世で7日毎に極楽浄土へ行けるかの裁判が行われ、その最後の判決の日が49日目となるためです。 (七七日[なななぬか・しちなのか]と言われることもあります。)
 また、四十九日は「忌明け」、つまり喪に服していた遺族が日常生活に戻る日でもあるとされています。



                                                            2021年9月記

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