落語「徳利妻」の舞台を行く 「徳利妻」(とっくりづま) 別名「活々坊」、「徳利の女房」より
■笠家旧室 (かさや-きゅうしつ);活井旧室。
1693-1764 江戸時代中期の俳人。
元禄(げんろく)6年生まれ。江戸の人。笠家逸志にまなび、享保(きょうほう)20年(1735)宗匠となる。笠家左簾(されん)(初代)とともに江戸談林派中興に尽力。奇行で知られ、逸話が谷素外の「誹諧天狗(はいかいてんぐ)話」にのる。門人に小菅蒼狐(こすげ-そうこ)ら。明和元年11月28日死去。72歳。姓はのち活井。別号に活々坊、天狗坊、岳雨など。
活井旧室(1693~1764)、江戸の俳人。笠家逸志に学び、笠家旧室を名乗るが、独立後は活井を名乗った(年代は諸説あり)。芭蕉より後だが、芭蕉も学んだ談林派の宗匠となる。奇行が多く、谷素外が書いた『俳諧天狗話』に逸話が収録されている。しかし、徳利が女房になる話はない。
■オチのオット;徳利で酒を注ぐ時に「オットット」と注ぐことと、夫とを掛けたオチ。もっと分かりやすい粋なオチが付けば、やり手もあるでしょう。
■居酒屋(いざかや);酒類とそれに伴う料理を提供する飲食店で、日本式の飲み屋である。バーやパブなどは洋風の店舗で洋酒を中心に提供しているのに対し、居酒屋は和風でビールやチューハイ・日本酒などを提供する店が多く、バーやパブに比べると料理の種類や量も多い。
江戸東京たてもの園に移築された下谷坂元町に有った居酒屋・鍵屋。居酒屋の典型的な店内。
■1升5合(1しょう5ごう);1升=1.8リットル。数字で言われたって、分からなくなります。上の写真で壁に並べられているのが1升ビンで10合入ります。簡単に言えば1.5升飲んだことになります。そこのご主人から5合、石屋のご主人から1升、この日合わせて3升飲んだことになります。凄い酒飲みです。
■たたかれた後で花咲くなづなかな;旧室の句。なづな(右写真)=春の七草の一つ。実が三味線のばちに似ることから「ぺんぺん草」ともいう。七種粥(ナナクサガユ)を作る時、まないたに7種の菜を載せ、囃詞(ハヤシコトバ)を唱えながら打ちたたく。花は摘まれた後に咲き、三角形の実は当然花の後に着く。
■通い徳利(かよい どっくり);口が小さく胴がふくらんだ容器で、酒・醤油・酢などの液体の貯蔵や運搬にはガラスビンが普及する前は陶磁製徳利が使われました。 中でも、酒屋が小売り用容器として屋号の入った貸し出し用の陶磁製のものを通い徳利といい、江戸時代中期から一般的になりました。
左、岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原 関ケ原町歴史民俗学習館蔵。
■お歯黒壺(おはぐろつぼ);越前焼のお歯黒壺、越前焼きの小さな壺の総称である。江戸時代以前、結婚した女性はその印として歯を黒く染めた(公家は男性でも染めた)。小壷に古釘などを入れ、お茶を入れて反応させた。黒く酸化した鉄の液は四酸化鉄だったのかもしれない。その小壷をお歯黒壺と呼んでいた。どの家庭でも、 必需品だったお歯黒壺が越前焼の物が多く見られるのは頑丈だった証拠でしょう。
お歯黒;昔、日本に来た南方民族は移住後も檳榔樹 (びんろうじゅ) の実を噛む習慣を続けたが、その樹は日本の風土に生育が適せず、ためにその実は貴重品となり、高価なために貴人でないとこれを使用できず、それにかわる物として染料が考案され、、鉄漿 (かね) となったといわれている。
■鳥目(ちょうもく);(中に孔があって、その形が鳥の目に似ていることから)
銭(ゼニ)の異称。
■墨壺の竹の墨刺(すみつぼの たけのすみさし);竹を箆(ヘラ)のように作り、その先を細かく割り、墨壺に添えて、木材や石材に印(シルシ)を引き字を書くのに用いる具(下写真)。石屋さんだったため墨刺しは手の届くところに有ったのでしょう。
■酒徳利かけてさびしや枇杷の花;ビワの花も薬効があり、体調を整えたり、治したりしますが口の欠けた酒徳利ではビワの花でも治せない寂しさがある。(吟醸)
左、ビワの花。 右、ビワの実。
■二の腕(にのうで);肩と肘(ヒジ)との間。上膊(ジヨウハク)。
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