落語「ぬの字鼠」の舞台を行く 桂米朝の噺、「ぬの字鼠」(ぬのじねずみ)より
■稲荷さんのキツネ;「稲荷大神様」のお使い(眷族=けんぞく)はきつねとされています。但し野山に居る狐ではなく、眷属様も大神様同様に我々の目には見えません。そのため白(透明)狐=“びゃっこさん”といってあがめます。
勿論「稲荷大神様」はきつねではありません。
民間伝承においては、稲荷と狐はしばしば同一視されており、例えば『百家説林』(ひゃっかせつりん・ひゃっかぜいりん)に「稲荷といふも狐なり 狐といふも稲荷なり」という女童の歌が記されている。また、稲荷神が貴狐天皇(ダキニ天)、ミケツ(三狐・御食津)、野狐、狐、飯綱と呼ばれる場合もある。 日本では弥生時代以来、蛇への信仰が根強く、稲荷山も古くは蛇神信仰の中心地であったが、平安時代になってから狐を神使とする信仰が広まった。稲荷神と習合した宇迦之御魂神の別名に御饌津神(みけつのかみ)があるが、狐の古名は「けつ」で、そこから「みけつのかみ」に「三狐神」と当て字したのが発端と考えられ、やがて狐は稲荷神の使い、あるいは眷属に収まった。なお、「三狐神」は「サグジ」とも読む。かつて「シャグジ(石神)」または「三狐神(シャグジ)」であった岩屋(神)が、後に稲荷神・ウカノミタマを祀る神社となった事例もある。時代が下ると、稲荷狐には朝廷に出入りすることができる「命婦」の格が授けられたことから、これが命婦神(みょうぶがみ)と呼ばれて上下社に祀られるようにもなった。
右写真、明治座のお稲荷さん。使い姫の狐が両脇に鎮座しています。
■弁天さんのヘビ;弁天は、古代インドにおける川の神(水神)だったことから、川 の流れのイメージ゛に起因して、
インド古来の蛇・龍信仰とも相まって、神使は「蛇」や「龍」だとされた。
さらに、日本に入って、弁天信仰が龍神信仰とも習合したことから海(龍宮)のイメージも加わって、「亀」も神使とされた。
右写真、墨田区千歳・江島杉山神社の頭が人間でとぐろを巻くヘビ。手前の白い物は小さな白蛇が多数。
■毘沙門天のムカデ;軍神と財宝の神である、毘沙門天のお使いがなぜ「ムカデ」なのかは不明です。百足は、「毘沙門天の教え」だともいわれます。「たくさんの足(百足)のうち、たった一足の歩調や歩く方向が違っても前に進むのに支障がでる。困難や問題に向かうには皆が心を一つにして当るようにとの教えである」とのことです。
右写真、「谷中天王寺富興行」部分 東都歳時記より
ムカデ類の体は縦長く、頭部と奇数対の歩脚が並んだ胴部からなる。胴部の前端は捕食用に特殊化した顎肢がある。体長は微小な4mmから大型な30cmまであり、多くが1~10cmに当たる。その口には毒が有ります。
■大黒さんのネズミ;寺社(仏教)では「大黒天」を、神社(神道)では「大国主命」を祀る。
近世では、「だいこくさま」は、福徳や豊穣、財宝を人々に与える福神として七福神にも仲間入りしている。
さらに、「大黒天」・「大国主命」の神使は共に「鼠」とされている。
しかし、「鼠」が神使とされた由縁は両者で異なり、それぞれに諸説あるが、一般的には、「大黒天」は北方の神とされる(「大黒」の黒は陰陽五行で北を意味する)。
北は、十二支では子(ネ)に相当するので大黒天の神使は鼠(=子(ネ)とされた。
右写真、神田明神の米俵の上に座る大黒さん。
古事記=素妻鳴尊が大国主命の能力を試そうとして、大国主命に広い野原に行かせて野原の草に火を放った。火はたちまち燃え広がり、大国主命は逃げ場を失ってとまどった。この時一匹の鼠が現われて、大国主命に「この下に穴がある」と教えた。これを聞いた大国主命は、穴の底に身を伏せて火がおさまるまで待って助かったという。大黒天の使者の鼠が大国主命を助けた鼠に結びついて、日本で米俵の上に立つ大黒様のまわりで遊ぶ鼠が描かれるようになった。
中国寺院の食堂(庫裏)のカマドに大黒天を祭った。この食堂で大黒天の像を祭る中国の風習が、平安時代はじめに最澄(さいちょう=天台宗の開祖)によつて日本に伝えられた。 このあと大黒天信仰は、各地の寺院にじわじわと広がっていった。で、僧侶の妻の通称。梵妻(だいこく)。
お使い姫には、上記以外にも、天神様のウシ、 春日さんのシカ、 日吉大社のサル、八幡様のハト、 熊野三山のカラス、 伊勢神宮のニワトリ、 などなどが有ります。
■寺社奉行(じしゃぶぎょう);江戸幕府の職名。1635年(寛永12)創置。これ以前の寺社方は僧録司金地院崇伝(こんちいんすうでん)の支配下にあった。定員は4人(将軍直属、大名役、諸大夫(しょだいぶ)、芙蓉間詰(ふようのまづめ))。
■肉食妻帯(にくじき さいたい);僧侶が肉を食べ、妻を持つこと。明治時代以前は、仏教では浄土真宗以外の宗派では教義によりどちらも禁止されていた。なお、獣肉については仏教が伝来したころから江戸時代末期まで、国法により食べることを禁止されていた。特に、江戸時代はキリスト教との関係で厳禁され、違反した者には厳しい罰則が加えられた。「肉食」は、「にくしょく」とも読む。
■女煩(にょぼん)の罪;僧侶には女性との関わりを禁じた。その為、その禁を犯した僧侶は、唐傘(からかさ)一本で寺を追い払われた。また、遊女と遊んだことが分かると、街道筋などに晒された。
■檀家総代(だんか そうだい);一定の寺院に属し、これに布施をする俗家。だんけ。檀方。その中で総代として檀信徒の中から選ばれる代表者のことで、総代は、主に宗教法人の寺院運営など「俗」面に関する部分に関わり、総代の中から責任役員・干与者が選任されることが多い。
■鰹節(かつおぶし);カツオの肉を煮熟してから乾燥させた日本の保存食品。サバ科のカツオを材料とし、三枚以上におろし、「節」(ふし)と呼ばれる舟形に整形してから加工された物を指して鰹節と言う。
鰹節は節類の代表的なもので加工の工程や製品の形状の名称が共通する。三枚におろしたものを亀節、三枚から背と腹におろしたものを本節、本節の中でも背側を使ったものを雄節(または背節)、腹側を使ったものを雌節(または腹節)という。 右写真、本枯節。
■巻き紙(まきがみ);かけば減るから・・・、寺方の隠語で鰹節。
■乱塔婆(らんとうば);墓地。卒塔婆が林立したところ。
■釣瓶落とし(つるべおとし);釣瓶を井戸に落すように、まっすぐに早く落ちること。 転じて、秋の日の暮れやすいことにいう。
■夜嵐(よあらし);夜吹く嵐。
■大銀杏(おおいちょう);銀杏の大木。銀杏の木は火災に強く自ら立ち木で燃え上がることはないので、神社仏閣では延焼防止に境内に好んで植えられた。
■ぬの字(ぬのじ);平仮名でぬの字が鼠の形に似ていると言われた。
■雪舟の鼠(せっしゅうの ねずみ);室町時代、備中国赤浜(現在の総社市赤浜)に生まれた雪舟は、少年時代ここで修行を行った。幼少より絵が上手であった雪舟のエピソードとして鼠の絵の話が残されています。
絵を描くことが好きであった雪舟少年は修行もそこそこに絵ばかり描いていた。修行に身を入れさせようと禅師は雪舟を柱に縛り付けて反省を促した。夕刻、様子を見に来た禅師は逃げようとする一匹の鼠を見つけ捕まえようとしたが動かなかった。よく見るとそれは雪舟が流した涙を足の親指で描いたものであったという。それ以来、禅師は雪舟の絵を咎めなくなったといわれている。
現在この時の床板は、取り外されている。
■「金閣寺」(きんかくじ);「祇園祭礼信仰記(ぎおんさいれいしんこうき)」四段目(=金閣寺)。織田信長の一代記に取材した時代物、1757(宝暦7)年に大阪で初演されて好評を博し、翌年に京都と江戸で歌舞伎化。
祇園祭礼信仰記(金閣寺) あらすじ
爪先鼠
宝剣
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