落語「ぬの字鼠」の舞台を行く
   

 

 桂米朝の噺、「ぬの字鼠」(ぬのじねずみ)より


 

 昔の神さんや仏さんには、この、お遣(おつか)いといぅのがおりました。一番有名なのが、稲荷さんに対するキツネですな~。それ以外に弁天さんのヘビやとか、大黒さんのネズミやとか、毘沙門天がムカデてなこと言ぃました。
 大黒さんといぅのは、まぁネズミを使うんですが、あれ俵を踏まえてんのにネズミ手元におったらややこしぃてしゃ~ないやろと思たリいたしましたが。
 お寺の奥さんのことを「大黒さん」と言ぃますなぁ。あんまり近頃は聞かんよぉになりましたが、まだそれでもちょいちょい耳にいたします。「あすこのお大黒でんねん、あの人が」てなことをよぉ言ぅ。

 昔は僧侶にはいろいろ厳しぃ戒律がございましてな、寺社奉行なんて恐いお役人があったんですなぁ。お宗旨によっては、お上さんを持ってもかまわんといぅよぉなのが、そらございます。今はもぉ何でもかましまへんねやろが、昔はこの、一応出家たるものは肉食(にくじき)妻帯といぅものをやかましぃ言ぃました。気ぃ遣こぉたんですなぁ、ことに女煩(にょぼん)の罪てなことになると、唐傘(からかさ)一本で寺を追い払われる、といぅよぉな厳しぃ刑罰があったちゅうんですが。せやさかい、お寺はんもずいぶん気を遣こてな。

 檀家の人がスッと入って来ると、台所のほぉでプ~ンと魚を焼く臭いがした。「悪いところへ来たなぁ」と思たけど、帰るわけにもいかん、「お邪魔をいたします」声をかけますと、この部屋ん中がえらい騒動でバタバタバタバタしてる。「困ったなぁ」思てると和尚が出て来て、「さぁさぁ、どぉぞどぉぞ、えらいお待たせをいたしました。さぁ、どぉぞこっちへ。これッ、早よお茶を持ってこんかいな」、「え~、おっすぁん、わたしはもぉ長いことこちらの檀家総代をさしていただいとぉりますし、もぁあんさんとは親類のよぉに思ぉとりますのでな、ほかの檀家と違ぉてわたしにだけは気をお遣いなさらんよぉに。もぉ、内緒ごとであれ何であれ、どぉぞもぉ内輪のもんやと思てな、隠し事一切お気遣いご無用で」、「どぉも恐れ入ります」、「何でもわたしに、あっさりおっしゃったらよろしぃんや」、「さよか、恐れ入ります、面目しだいもない、ほんなら・・・、これ、お静、こちらへ出てご挨拶しなはれ」。
 檀家もそこまでやとは思わなんだんでっしゃろが、ヒョッとしたら、今度は子どもを紹介するよぉなことになるや分かりませんが。子どもがあるてなことになったら大変で、まぁその時分はお寺はんも、なかなか難儀な稼業やったんですなぁ。

 「智円、智円・・・、ちょっとこっちおいなはれ」、「へぇ、お呼びで?」、「わしゃこのところ体がどぉも弱って、精が衰えてお経を読む声にも力がないよぉになったさかいに、鰹節を掻いてまぁ養いにしょ~と思ぉて、『鰹節を掻け』とお前に言ぅた」、「へぇ、でやっとりました」、「それをまぁ台所で、外から丸見えちゅな所でゴリゴリ小刀で削ってるさかい、檀家総代の和泉屋さんが入って来はって、見んふりをしょ~と思て・・・、お前もサッと隠しゃえぇのに、慌てたもんやさかいに、小刀のほぉ後ろへまわして鰹節を前へ突き出した、こぉやって。和泉屋さんは分かってなはるさかいに、横向いて通ろとしてなはるのに、お前わざわざその前へその鰹節突き出してやで、『これ、うちのおっすぁんがこないだ堺の菊一で買ぉてきはりました。よぉ切れる小刀だっせ』和泉屋さんも返答に困って、『あぁ、智円さん、小刀はえぇけど、後ろの鰹節で怪我しなはんなや』と、こない・・・、わしゃもぉ、どないしょ~かしらと思て、脇の下から汗が流れたがな。ほで、部屋へ入って来はったさかい、どない言ぅてえぇや分からん。ほかのことを言ぅて誤魔化してたら、お前がお茶を持って来たよってに、『台所のほぉはちゃんと片付けといたか?』ちゅうたら、『へぇ、鰹節ですか?』と、何ちゅうことを言ぅねん。駄目押しまでしやがって。常々言ぅてあるやろ、『鰹節のことは”巻き紙”と、こぉ言え』、何ぼ言ぅてもお前は忘れんねやさかい」、「えらいすんまへん、何で巻き紙て言ぃまんのん?」、 「かけば減るさかいに、鰹節のことを巻き紙、とこぉ言ぅのじゃ。お寺の符丁ぐらい覚えときなはれ」、「あぁなるほど」、「まだ言ぅことが残ったぁる。お前にな、それはそれとして改めて小言を言わないかん」。

 「門前の花屋さんへ行て、しょ~もないことをしゃべったじゃろ?」、「いえ、わたい何も言えしまへん」、「何を言ぅ、ちゃんとこっちの耳に届いたぁる、『智円、智円といぅてお寺でこき使われてるが、実は私は、あの和尚の子どもでございますねん』と、何といぅことを言ぅねん」、「花屋さんがうちへ来て、『私は、あらましの様子心得てまっさかいよろしぃが、うちであんなことを言ぅて誰が聞ぃてるもんでもないさかいに、智円さんにちょっと一言言ぅときなはるよぉに』わしゃもぉ花屋に対してまで頭が上がらんよぉなことになってしもた」、「初めてやなかろ、三べん目やで。何ぞいぅたらじきにほかの者にでも、『わたしゃ実は和尚の子ぉじゃ』と、何ちゅうことを言ぅ。そんなことがあからさまになってみぃ、わしゃ唐傘一本でこの寺を出て行かんならん。お前の母親に、誰が仕送りをしますのじゃ? 何べん言ぅても分からんやっちゃ。今日といぅ今日は料簡がでけん、仕置きをいたします」、「わて、そんなこと言えしまへん」、「う、うるさい。こっちへ来いッ」。

 小僧の手を引っ張りまして墓原のほぉへ連れて行く。乱塔婆、その辺の木ぃへ後ろ手にこいつを括りまして、ガッチリつないでしもた。「さぁ、そこでいっぺん自分がどれだけ性根の入ってない人間か、よぉ考えてみるがえぇわッ」、「おっすぁん、堪忍しとくなはれな。こんなとこ、こんな寂しぃところ、もぉ日が暮れかかってまんねやがな。なぁ、わて、そんなこと決して言ぅてぇしまへんねやさかい。もぉし、和尚さんッ。あぁ~ッ、えらいとこへ括られてもたなぁ。この辺狸が出るちゅう噂がたったぁんねや。狸が出てホベタなめても、手が動いたら逃げることできるけども、これやったらカブリつかれるや分からんがな・・・。権助さん、ちょっと謝っとくなはれな。助けとくなはれな」、「あ~~ぁ、かわいそぉになぁ、あんなとこへ括られて。しかしまぁ、智円さんも智円さんじゃわい、何べんもおんなじことばっかり言われる。謝ってやってもえぇが、しかしまぁまぁ、もぉしばらくあないしてつながれてるほぉが本人のためかいなぁ」。
 権助、陰のほぉで気をもんでおりますうちに、釣瓶落としの秋の日が暮れます。あたりが薄暗ぉなってくると、冷たい風がビュ~ッ、夜嵐といぅやつがゴォ~ッ。バラバラ、バラバラ木の葉が散る。月夜の晩には花魁(おいらん)に見えるといぅよぉな噂の立ってる大銀杏が目の前に、その辺には雑木がいっぱい立って、風が吹くたびにザワァ~ッ、ザァ~ッ・・・、智円の足元へバラバラ、バラバラと木の葉が降ってまいります。

 「あぁ~ッ、寂しぃなぁ~、ものすごい晩やで今日は。夜通しこんなん嫌やで・・・。あ~、そぉいぅと思い出したなぁ、巌鉄さんが連れて行ってくれた道頓堀の芝居、え~ッとあれは、『金閣寺』、金閣寺っちゅう芝居やったなぁ。雪姫といぅお姫さんが桜の木につながれて、花びらがバラバラ、バラバラ、えらい違いやなぁ、あれとこれとは。汚い落ち葉と、こんなくすぶったよぉな墓場やがな。あのとき、お姫さんが足で花びらを掻き集めて鼠の絵ぇ描いたら、その鼠が抜けて出て縄を食い切って、お姫さんを助けた。そや、花びらないけど、この落ち葉で鼠の絵ぇを・・・、鼠の絵ぇてな難しぃのん、よぉ描かんなぁ。せやせや、手習いしてるときに、ちりぬるの『ぬ』といぅ字ぃが鼠によぉ似てるなぁと思た。この落ち葉集めて、ぬの字で鼠描いたろ。絵ぇは不細工でも、一心が通じたら抜けて出るや分からん、・・・ぬの字描けた。これ、ぬの字の鼠よ。お前、何とか抜けて出て。わしの縄を食い切っとぉくれ・・・。一心こめて頼んだ、それが通じたもんか、ぬの字の鼠がそれへさして、ズズ~~ッ、智円を結んでおりました縄を食い切って、どっか行ってしもた、『あぁ~ッ、ありがたい、助かった、助かったッ、鼠、今度礼するで』」。
 智円も一緒にどっか行ってしもた。見ておりました権助、びっくりしょまいことか。

 「も、もぉし、おっすぁんッ」、「どぉしたんじゃ? バタバタと」、「あの墓場の智円さんが・・・」、「あぁ、口を利ぃてやってくださるな、懲らしめのためにな、わしも朝までつなぐ気ぃはないが、もぉしばらくあぁしとかんことには、本人のためにならん」、「いぃや、そやございませんねん。何じゃな、括られたままブツブツブツブツ、言ぅたはりましたんや。何やそぉ、『便所の金隠しがどぉたらこぉたら』」、「何じゃい、金隠して?」、「いや、金隠してその、『雪のお姫さんがどない』たら言ぅてな」、「『この木ぃに括られて、桜の花びらで』どやとかで・・・、その『鼠の絵ぇ描いたら、それが抜けて出て縄を食い切った。わしも、鼠の絵ぇよぉ描かんけど、あの仮名のぬぅの字が鼠に似てるさかいに、ぬの字の鼠描いて縄を食い切らそ』ちゅうて。なんや足でゴソゴソやって一生懸命頼んでましたら・・・、ぬの字がパッと鼠になって飛び出して、智円さんの縄食い切ってどこや行きました」、「えッ?智円の描いたぬの字の鼠が、飛び出して縄を切ったか。あ~ぁ、大黒の子は争われんわい」。

 



ことば

稲荷さんのキツネ;「稲荷大神様」のお使い(眷族=けんぞく)はきつねとされています。但し野山に居る狐ではなく、眷属様も大神様同様に我々の目には見えません。そのため白(透明)狐=“びゃっこさん”といってあがめます。 勿論「稲荷大神様」はきつねではありません。
 伏見稲荷神社

 民間伝承においては、稲荷と狐はしばしば同一視されており、例えば『百家説林』(ひゃっかせつりん・ひゃっかぜいりん)に「稲荷といふも狐なり 狐といふも稲荷なり」という女童の歌が記されている。また、稲荷神が貴狐天皇(ダキニ天)、ミケツ(三狐・御食津)、野狐、狐、飯綱と呼ばれる場合もある。 日本では弥生時代以来、蛇への信仰が根強く、稲荷山も古くは蛇神信仰の中心地であったが、平安時代になってから狐を神使とする信仰が広まった。稲荷神と習合した宇迦之御魂神の別名に御饌津神(みけつのかみ)があるが、狐の古名は「けつ」で、そこから「みけつのかみ」に「三狐神」と当て字したのが発端と考えられ、やがて狐は稲荷神の使い、あるいは眷属に収まった。なお、「三狐神」は「サグジ」とも読む。かつて「シャグジ(石神)」または「三狐神(シャグジ)」であった岩屋(神)が、後に稲荷神・ウカノミタマを祀る神社となった事例もある。時代が下ると、稲荷狐には朝廷に出入りすることができる「命婦」の格が授けられたことから、これが命婦神(みょうぶがみ)と呼ばれて上下社に祀られるようにもなった。
 ウイキペディア

 右写真、明治座のお稲荷さん。使い姫の狐が両脇に鎮座しています。

弁天さんのヘビ;弁天は、古代インドにおける川の神(水神)だったことから、川 の流れのイメージ゛に起因して、 インド古来の蛇・龍信仰とも相まって、神使は「蛇」や「龍」だとされた。 さらに、日本に入って、弁天信仰が龍神信仰とも習合したことから海(龍宮)のイメージも加わって、「亀」も神使とされた。

 右写真、墨田区千歳・江島杉山神社の頭が人間でとぐろを巻くヘビ。手前の白い物は小さな白蛇が多数。

毘沙門天のムカデ;軍神と財宝の神である、毘沙門天のお使いがなぜ「ムカデ」なのかは不明です。百足は、「毘沙門天の教え」だともいわれます。「たくさんの足(百足)のうち、たった一足の歩調や歩く方向が違っても前に進むのに支障がでる。困難や問題に向かうには皆が心を一つにして当るようにとの教えである」とのことです。
 奈良県生駒 信貴山真言宗  毘沙門天

 右写真、「谷中天王寺富興行」部分 東都歳時記より
提灯の絵柄が百足を描いています。落語「鶴亀」より孫引き。

 ムカデ類の体は縦長く、頭部と奇数対の歩脚が並んだ胴部からなる。胴部の前端は捕食用に特殊化した顎肢がある。体長は微小な4mmから大型な30cmまであり、多くが1~10cmに当たる。その口には毒が有ります。

大黒さんのネズミ;寺社(仏教)では「大黒天」を、神社(神道)では「大国主命」を祀る。 近世では、「だいこくさま」は、福徳や豊穣、財宝を人々に与える福神として七福神にも仲間入りしている。 さらに、「大黒天」・「大国主命」の神使は共に「鼠」とされている。 しかし、「鼠」が神使とされた由縁は両者で異なり、それぞれに諸説あるが、一般的には、「大黒天」は北方の神とされる(「大黒」の黒は陰陽五行で北を意味する)。 北は、十二支では子(ネ)に相当するので大黒天の神使は鼠(=子(ネ)とされた。
 「大国主命」は鼠に救われた…との神話(古事記など)に因んで、大国主命の神使は鼠とされた。

 右写真、神田明神の米俵の上に座る大黒さん。

 古事記=素妻鳴尊が大国主命の能力を試そうとして、大国主命に広い野原に行かせて野原の草に火を放った。火はたちまち燃え広がり、大国主命は逃げ場を失ってとまどった。この時一匹の鼠が現われて、大国主命に「この下に穴がある」と教えた。これを聞いた大国主命は、穴の底に身を伏せて火がおさまるまで待って助かったという。大黒天の使者の鼠が大国主命を助けた鼠に結びついて、日本で米俵の上に立つ大黒様のまわりで遊ぶ鼠が描かれるようになった。
 米を食い荒らす鼠が大黒さんの俵の横に居たんでは、大黒さんも落ち着けないでしょうと、米朝も語っています。

 中国寺院の食堂(庫裏)のカマドに大黒天を祭った。この食堂で大黒天の像を祭る中国の風習が、平安時代はじめに最澄(さいちょう=天台宗の開祖)によつて日本に伝えられた。 このあと大黒天信仰は、各地の寺院にじわじわと広がっていった。で、僧侶の妻の通称。梵妻(だいこく)。
 落語のオチには、大黒さんの鼠と、奥様の、大黒が使われています。

 お使い姫には、上記以外にも、天神様のウシ、 春日さんのシカ、 日吉大社のサル、八幡様のハト、 熊野三山のカラス、 伊勢神宮のニワトリ、 などなどが有ります。

寺社奉行(じしゃぶぎょう);江戸幕府の職名。1635年(寛永12)創置。これ以前の寺社方は僧録司金地院崇伝(こんちいんすうでん)の支配下にあった。定員は4人(将軍直属、大名役、諸大夫(しょだいぶ)、芙蓉間詰(ふようのまづめ))。
 町(まち)奉行・勘定(かんじょう)奉行の両奉行(旗本役)とともに三奉行と称し、1658年(万治1)以降は奏者番(そうじゃばん)(員数20~30人)のなかから兼帯した。1862年(文久2)奏者番は廃止されて本役となった。幕閣枢要の地位を占め、『明良帯録(めいりょうたいろく)』に「器量人才之仁(さいのじん)にあらざれば其(その)任に堪(たえ)ず」とあり、譜代(ふだい)大名はここを振り出しに若年寄(わかどしより)や大坂城代、京都所司代(しょしだい)あるいは老中などの重職へと上った。自邸を役所とし、月番を定めて政務をみた。
 全国の神官、僧侶(そうりょ)をはじめ、楽人(がくにん)、検校(けんぎょう)、連歌師、陰陽師(おんみょうじ)、古筆見(こひつみ)、碁将棋(ごしょうぎ)所および幕府縁故の農工商を支配し、また、関八州、五畿内(きない)、近江(おうみ)、丹波(たんば)、播磨(はりま)を除いた、その他の諸国私領の訴訟を聴断した。訴訟のうち、支配下のものは内寄合(うちよりあい)と称し、月番の邸に同役と会して裁決したが、他の支配下のものはかならず評定所(ひょうじょうしょ)において諸役と合議し決定した。
 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

肉食妻帯(にくじき さいたい);僧侶が肉を食べ、妻を持つこと。明治時代以前は、仏教では浄土真宗以外の宗派では教義によりどちらも禁止されていた。なお、獣肉については仏教が伝来したころから江戸時代末期まで、国法により食べることを禁止されていた。特に、江戸時代はキリスト教との関係で厳禁され、違反した者には厳しい罰則が加えられた。「肉食」は、「にくしょく」とも読む。

女煩(にょぼん)の罪;僧侶には女性との関わりを禁じた。その為、その禁を犯した僧侶は、唐傘(からかさ)一本で寺を追い払われた。また、遊女と遊んだことが分かると、街道筋などに晒された。

檀家総代(だんか そうだい);一定の寺院に属し、これに布施をする俗家。だんけ。檀方。その中で総代として檀信徒の中から選ばれる代表者のことで、総代は、主に宗教法人の寺院運営など「俗」面に関する部分に関わり、総代の中から責任役員・干与者が選任されることが多い。

鰹節(かつおぶし);カツオの肉を煮熟してから乾燥させた日本の保存食品。サバ科のカツオを材料とし、三枚以上におろし、「節」(ふし)と呼ばれる舟形に整形してから加工された物を指して鰹節と言う。 鰹節は節類の代表的なもので加工の工程や製品の形状の名称が共通する。三枚におろしたものを亀節、三枚から背と腹におろしたものを本節、本節の中でも背側を使ったものを雄節(または背節)、腹側を使ったものを雌節(または腹節)という。 右写真、本枯節。
 世界一堅い食品と言われるが、元は魚のカツオですから、肉食を禁じたお寺さんでは気を遣ったことでしょう。

巻き紙(まきがみ);かけば減るから・・・、寺方の隠語で鰹節。

乱塔婆(らんとうば);墓地。卒塔婆が林立したところ。
 右写真、墓石と卒塔婆。

釣瓶落とし(つるべおとし);釣瓶を井戸に落すように、まっすぐに早く落ちること。 転じて、秋の日の暮れやすいことにいう。

夜嵐(よあらし);夜吹く嵐。

大銀杏(おおいちょう);銀杏の大木。銀杏の木は火災に強く自ら立ち木で燃え上がることはないので、神社仏閣では延焼防止に境内に好んで植えられた。

ぬの字(ぬのじ);平仮名でぬの字が鼠の形に似ていると言われた。

雪舟の鼠(せっしゅうの ねずみ);室町時代、備中国赤浜(現在の総社市赤浜)に生まれた雪舟は、少年時代ここで修行を行った。幼少より絵が上手であった雪舟のエピソードとして鼠の絵の話が残されています。 絵を描くことが好きであった雪舟少年は修行もそこそこに絵ばかり描いていた。修行に身を入れさせようと禅師は雪舟を柱に縛り付けて反省を促した。夕刻、様子を見に来た禅師は逃げようとする一匹の鼠を見つけ捕まえようとしたが動かなかった。よく見るとそれは雪舟が流した涙を足の親指で描いたものであったという。それ以来、禅師は雪舟の絵を咎めなくなったといわれている。 現在この時の床板は、取り外されている。
 臨済宗東福寺派 井山宝福寺 〒719-1157 岡山県総社市井尻野1968での出来事とされています。

「金閣寺」(きんかくじ);「祇園祭礼信仰記(ぎおんさいれいしんこうき)」四段目(=金閣寺)。織田信長の一代記に取材した時代物、1757(宝暦7)年に大阪で初演されて好評を博し、翌年に京都と江戸で歌舞伎化。

祇園祭礼信仰記(金閣寺) あらすじ
 碁立
  豪華絢爛たる金閣寺。楼上に旧主足利将軍の母慶寿院(けいじゅいん)を幽閉した松永大膳は、仕官を願い出た此下東吉(木下藤吉郎)と碁を打ち勝負に負ける。怒った大膳はさらに東吉の智恵を試そうと井戸に碁笥(ごけ)を投げ込み、手をぬらさずに碁笥を取り出せと難題を吹きかける。東吉は樋(とい)に瀧から水を引き入れて、手も濡らさず碁笥を取り上げる。その奇智に感心して大膳は東吉を召し抱える。

 爪先鼠
  絵師狩野雪村(かのうせっそん)の娘雪姫と婿直信(なおのぶ)も金閣寺に囚えられている。かねて雪姫に横恋慕している大膳は、金閣の天井に龍の絵を描くか、自分になびくかと姫に迫る。しかし大膳の抜き放った宝剣から、大膳こそ父の敵と悟った姫は斬りかかるのだが、捕えられ縄で桜の木に繋がれてしまう。やがて夫直信が処刑されることに。吹雪のごとく舞い散る桜花の下で身動きできない雪姫は、祖父雪舟の奇跡の再現を念じ、足で集めた花弁(はなびら)を使い爪先で鼠を描いた。するとその鼠が動き出し姫の縄を喰い千切り、姫は夫を追っていく。
 右写真、雪姫が桜の花びらで鼠を描く。

 宝剣
  東吉は、実は慶寿院救出のため信長が派遣した。大膳が所持している倶利伽羅丸(くりからまる)はもともと狩野家の宝剣であったが大膳に奪い取られていた。朝日に映すと不動の尊体、夕日に向かえば龍の形が現れるという奇瑞を見せるという宝剣を、東吉は大膳から奪い返して雪姫に与え、直信の元へと向かわせる。さらに高楼の最上階にのぼり慶寿院を救出する。久吉は、怒りくるう大膳に戦場での再会を約束し、別れる。



                                                            2021年10月記

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