落語「一日公方」の舞台を行く 三代目三遊亭金馬の噺、「一日公方」(いちにちくぼう)より
■サゲの意味;「気が知れねえ」には諸説ある。
地名を使った言い回しには、「恐れ入谷の鬼子母神」、「大あり(尾張)名古屋の金の鯱」などが有名。これは洒落としてすぐ分かるが「麻布で気が知れない」 という言い回しは耳にしてもピンと来ない。
■麻布六本木(ろっぽんぎ);東京都港区の地名、繁華街・ビジネス街。現行行政地名は六本木一丁目から六本木七丁目。
現在、平日は昼夜を問わずサラリーマンやOLの姿が目立ちオフィス街としてのイメージも強くなった。八丁目には高層ビルの六本木ヒルズ、交差点の北側、赤坂九丁目の防衛省跡地に建った東京ミッドタウン、七丁目の国立新美術館他、六本木一丁目にはスペイン大使館、スウェーデン大使館などの外国公館や、六本木七丁目の在日米軍施設(ヘリポート、星条旗新聞社ほか)などもあり外国人の姿も目立つ。
週末の金曜日・土曜日の夜になるとバーやクラブ、キャバクラなどが林立する繁華街の様相を呈する。クラブ目当ての若者や外国人のほか、キャバクラ嬢や外国人の客引きが街頭に出ている姿が見られる。
■麻布十番(あざぶじゅうばん);新堀川(古川)の一ノ橋の北に馬場があった。仙台馬の市が立った所で、十番馬場といった。この馬場内に、享保17年(1732)町屋が許されて十番馬場町と称えたのが町名の始まり。
■麻布と落語;落語にも取り上げられている地名です。「おかめ団子」、「井戸の茶碗」、「黄金餅」、「小言幸兵衛」、等があります。
■将軍の頓知;盲目で鍼灸師の杉山和一(すぎやま わいち)の献身的な施術に感心した徳川綱吉から「和一の欲しい物は何か」と問われた時、「一つでよいから目が欲しい」と答え、その答え通り墨田区本所一つ目を拝領した。綱吉のお付きの者のウイットに富んだ対応が見事。落語「按摩の炬燵」より孫引き。
上、明治東京名所図会より「一つ目弁天」。現在も江島杉山神社とその中に鍼灸施術所があります。
■公方(くぼう);室町時代以後、征夷大将軍の称。鎌倉府の長などを指すこともある。
■お成りの時(おなりのとき);皇族・摂家・将軍などの外出・来着の尊敬語。
■お天道様へ石をぶつける;太陽に向かって石を投げても適わないこと。
■町奉行(まちぶぎょう);江戸の町々を支配した幕府の役職。 他都市の町奉行の場合には都市名を冠したが(大坂町奉行、伏見(ふしみ)町奉行など)、江戸の場合のみ単に町奉行と称した。 寺社・勘定両奉行とともに三奉行という。
■リャンコ;数字の2の意味。噺で言えば、2両かも知れないが、20両だったかも知れない。相手が200両と言ったのでそこで収まったので、非常に危うい言い方です。
■煎餅布団(せんべい ぶとん);堅い薄っぺらな貧乏布団。
■一町四方(1ちょう しほう);1町(丁)とは、60間。 すなわち360尺にあたり、約109m。60間X60間の広さの土地。ざっくと100m四方で、約競技場のトラックと芝生の広さ。
■麻布市兵衛町(あざぶ いちべいちょう);現在港区六本木三丁目。麻布地区北部の台地上にあった市兵衛町は、慶長(けいちょう)(1596~1615)のころは今井村(いまいむら)の内であり、その畑地のなかに今井台町という町ができました。今井台町は今井村の台上の意味の町名でしたが、元禄(げんろく)8年(1695)に名主の名をとって市兵衛町と改名しました。港区。
江戸切り絵図より、今井谷六本木赤坂絵図。市兵衛町の北側は現在首都高速の谷町インター、その南側に日本IBMや六本木プリンスホテルが有ります。市兵衛町の跡地には高層マンション六本木グランドタワーレジデンスが有ります。
現在の市兵衛町跡の町並。東側を見ています。グーグルマップより。
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