落語「指南書」の舞台を行く 初代森乃福郎の噺、「指南書」(しなんしょ)より
■もともと法話だったものを落語に仕立て直した作品。江戸にも輸出されたらしいが、音源は残されていない。
■初代 森乃福郎(もりの ふくろう);(1935年9月3日
- 1998年12月27日 本名:仲川なかがわ 吉治よしはる)。
■指南書(しなんしょ);(指南車が方向を示して導くことから)
教え示すこと。教え導くこと。また、その人。教授。「人生指南書」。指南をまとめた書籍。
■スズメ百まで踊り忘れず;雀は死ぬまで飛びはねる癖が抜けないように、若い時に身についた習性や若い時に覚えた道楽は、年をとっても変わらない。ことわざ大辞典。
■檀那寺(だんなでら);自分のお寺のことを檀那寺と呼ぶ。この“檀那”も梵語の音訳で、布施を意味します。ですから、檀那寺とは自分の布施で成り立っているお寺のことをいいます。その布施する家のことを檀家といいます。つまり、法を説いたり、先祖の供養をする(これを法施といいます)一方、お寺の経済的基盤を檀家の財施に依っているお寺です。すなわち双方が、法施、財施の布施をしあっているのです。
■仏作って眼を入れず;物事をほとんど仕上げながら、肝心な最後の仕上げが抜け落ちていることのたとえ。「仏作って魂入れず」。
■草津(くさつ);滋賀県草津市。近江国栗太郡にあった東海道五十三次の52番目の宿場で、中山道が合流する。現在は滋賀県草津市市街。本陣が現存し、国の史跡に指定されている。
「右東海道いせみち 左中仙道美のぢ」と刻まれた道標が建つこの地は、東海道と中山道のまさに分岐・合流地点。
かつて草津宿の追分見付と呼ばれていたこの地に、街道を往来する諸国定飛脚の宰領中から寄進された火袋付きの常夜灯が今に残されています。
東海道五十三次の内、「草津」 広重。 バックの店はうばがもちやです。
矢橋港跡=
近江八景の一つ「矢橋の帰帆」(やばせのきはん)として知られる矢橋は、古代から近世を通じ琵琶湖の代表的な渡船または渡しとして栄えた名所。現在は遺跡公園として復元され、脇にたたずむ弘化3(1846)年建立の常夜灯とともに在りし日の面影を今に伝えています。
■三条通(さんじょうどおり);三条通(さんじょうどおり)は京都府京都市の主要な東西の通りの一つ。 平安京の三条大路に相当する。 また、鴨川に架かる三条大橋が東海道五十三次の終点だった。
■山科街道(やましなかいどう);京都山科を旧東海道が通るので、その俗称として使われた名称。
京都の出入り口に当たる粟田口に鎮座する粟田神社。
■護摩の灰(ごまのはい);江戸時代、道中荒し、枕さがしなどを働いた小盗賊。「胡麻の蠅」は俗称。その語源は元禄年間 (1688~1704) 高野聖と偽称し、弘法大師の「護摩の灰」と称するものを街道筋で売歩き、巧みに町家に取入って宿泊しては物品を盗み、娘をかどわかした者があったことによるといわれる。護摩化 (ごまか) す、あるいは胡麻にたかった蠅のように、良悪見分けにくいところからこう呼ばれたとの説もある。悪雲助とともに、道中で最も警戒すべきものの一つで、幕府は道中奉行に取締らせたが、根絶はできなかった。
■旅は道連れ 世は情け;旅では、胡麻の灰以外、道連れのあることが心強く、同じように世を渡るには互いに情けをかけることが大切である。
■浜大津(はまおおつ);浜大津は滋賀県大津市の中心市街地にある町名。大津市の中央に位置し、北部は琵琶湖疎水、北東部には大津港がある琵琶湖に面した大津港を擁し、江戸時代、矢橋船の発着港として古くから交通の拠点として栄えた。びわ湖浜大津駅が最寄り。現行行政地名は浜大津一丁目から浜大津五丁目。
■矢橋船(やばせぶね);噺では男が船に誘われるのは、大津から草津へ渡す矢橋船。
矢橋(やばせ)=矢橋は大津の対岸、琵琶湖東側、草津市にあります。東海道を草津から大津まで行くと瀬田の唐橋を通って約12km。草津から矢橋まで約4kmを歩き、あとは大津まで船旅で行くと楽をすることができたところから、たいへんな賑わいだったようです。今の新しく出来た近江大橋に並行して北側を船で渡ります。
■急がば回れ(いそがばまわれ);名所図会などにも描かれている「うばがもち」を商う茶屋(うばがもち屋)があった。この角が「矢橋道(やばせみち)」との分岐点である。矢橋から大津へ向かう琵琶湖の渡し船(矢橋渡し)は、瀬田の唐橋へ回るよりも速く、距離が短くすむことから人気があった。勢多の唐橋経由の陸路にくらべて、矢橋港から湖上(50町)で大津への航路は、「勢多へ廻れば三里の回りござれ矢橋の舟にのろ」と詠まれ、水運の安全が確保されたためか、多くの旅人に東海道の早道(脇道)として利用された。「武士のやはせのふねははやくともいそかはまはれせたのなかはし」と詠まれ、「急がば回れ」のことわざの語源になっている。
■野路の里(のみちの さと);滋賀県甲賀市。山伏の里 野路と言われます。甲賀忍者の里と言われています。草津市を東に旧東海道を下ると山深い中に甲賀忍者の里が有ります。そこで村雨に出会って雨宿りを予期せざる中、立ち往生をしていたのでしょう。
■急がずば濡れざらましを旅人のあとより晴るる野路の村雨 ;室町時代の武将太田道灌の作とされる歌は、短慮への戒めとして伝わっている。もしも急がなければ、濡れなかったであろうに。 旅人が通った後から晴れていく野の道に降った にわか雨である。 皮肉にも晴れていく村雨の景は「急(せ)いては 事を仕損じる」の教訓として詠まれています。
■比叡颪(ひえい おろし);滋賀県の比良山地東麓に吹く局地風。特に毎年3月26日に行われる天台宗の行事「比良八講」の前後に吹くものを比良八講・荒れじまいまたは比良八荒(ひらはっこう)と呼び、本格的な春の訪れを告げる風とされている。
■なる堪忍は誰もする ならぬ堪忍するが堪忍;とても堪忍できないようなことを堪忍するのが本当の堪忍である。だれでもがまんすることはがまんのうちに入らず、とてもがまんできないところを辛抱することがたいせつである。
忠臣蔵でもありました、
■七度尋ねて人を疑え(ななたびたずねて-);物を紛失したときは、つい人を疑いたくなるものだが、自分で何度も探したうえで疑っても遅くはないことをいう。軽率に人を疑うことを戒める句である。
■土産の羊羹(みやげの ようかん);土産に買うのは草津名物の「姥が餅」で、女房と寝ていたのは義兄でなく義母というのが、東京と異なるところです。清吉の土産は元々は草津名物の『姥が餅』。初代福郎がNHKの放送で演じた際、この部分が宣伝に当たるとして羊羹に置き換えて語った。
姥が餅(うばがもち)=四百余年の昔から変わらぬ素朴な美味しさ。滋賀・草津を代表する郷土菓子です。 草津市商業観光係。右写真。
■うまいものは宵の内食え;美味な物は、一晩たつと味が落ちるから今夜のうちに早く始末せよ。 よい話はそのままにしておかないで、さっさと進めて利益をあげるのがよいというたとえ。
■似た話、ロシア民話「よい言葉」の、あらすじ。
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