落語「猪の酒」の舞台を行く
   

 

 原作:小佐田定雄

 桂枝雀の噺、「猪の酒」(いのししのさけ)より


 

 山の中の茶屋で、旨い酒を造っている蔵元を婆さんに訪ねると、村への道でなく山の中への道を教えてくれた。しかし、宿も見つからず、一軒の民家に宿を頼んで、泊めて貰うことが出来た。

 「まぁこっち寄りなさい。寒(さぶ)いときはねぇ、こら火がご馳走ですけぇ。お前さん酒探して日本中~こんな山ん中まで?」、「そぉいぅこっちゃねん。温泉宿が何軒かあるらしぃねんけど、そこへ行くつもりでいててんけどね。茶店でお婆さんが、『こっちの道通って行きゃ、珍しぃ酒呑ましてくれるとこがあるけ』ちゅうて、教えてもぉて来た」、「滅多にね、人来ませんで。さぁさぁ、お前さんのよぉな人がね、来てくれると嬉しぃのじゃ。鍋、でけましたで、どぉぞ食べとくれや」、「ハホッ、フホッ、う~ん・・・、こら結構やねぇ、何の鍋やい?」、「はいはい、それは猪(イ)ですね」、「えッ、なんですか?」、「イですね」、「胃ぃですかい?」、「いやいや、胃ぃじゃないねん。こぉ牙生えて、毛が生えとるやつですけど」、「何や、猪(いのしし)みたいななぁ」。
 「イノシシじゃありゃせん、ありゃイですね。イノシシちゅうことはイの肉(にく)ちゅうことですけ。鹿の肉ですとカノシシとこぉ言ぃますしね、太り肉(ふとりしし)といぅ言葉があるでしょ~がね。あんたにこんなこと言ぅて、釈迦に説法のよぉですけれどね、あれは太った肉付きのよい人のことを「太り肉」ちぃますけぇ「シシ」ちゅうのは「肉」ちゅうことです。分っかりますか?」、「ほな、あれはだいたいが「イノシシ」やのぉて「イ」ほんで「シシ」かいな、あぁそぉかいな。いわゆる我々で言ぅ猪の肉でイノシシかいな。で、鹿の肉でカノシシ、ほなまぁ、熊の肉ならクマシシ、ほぉ~、狸の肉ならタヌキシシてなもんやねぇ」、「いや、どぉでもえぇですけど、まぁ食べてください」、「ハホッ、フホッ、う~ん、たまらんねぇ。だいたい我々で言ぅ猪(いのしし)ちゅうと、たいてぇ味噌味で食ぅねんけど、これ、味噌やのぉても結構旨いねぇ」、「古くなりますとね、血の臭い消すために味噌使うことありますけど、新しぃのはもぉ塩味で十分です」。
 「ここらやっぱり猪やみなもぉ走り回っとるよってに、そら新しぃのん何ぼでも獲れるやろなぁ?」、「いやいや、山行って獲りますと、山からここまで運んで来ますけねぇ、それどぉしても古くなります、血が回りますけぇ、そんなのは獲りませんです。鉄砲で撃ちゃ毛皮に傷が付きますけ、そんなのは獲らないですね」、「ほぉ~、あッそぉ」、「来るのを待っとるですね」、「家の辺りでも走り回りよんねんね」、「家の周り走るだけじゃありゃせん、ヒョコヒョコ入って来ることもありますですよ、ハイ」、「ほなこのへん」、「そぉです、今、お前さん食べとられるのはね、ちょ~どお前さんが今そこ座っとられますですね、そこの座布団の上へチョコンと座っとったやつです、ハイ。そこに木槌があるでしょ、それでね、この目と目のあいだをコンッといくんですよ。すっと、コロンと、はい。もぉ痛みもなにも、苦しみもなくね、めでとぉなりますで、そいで、そこからここへ入れたよぉなもんですけど、これより新しぃのありませんですよ」、「へぇ~ッ、えらいもんやねぇ、それでこれが新しぃ。そら、シャレてるやないか。ハホッ、フホッ、たまらん・・・、新しぃいぅたら、これより新しぃもんあれへんがな。いや、このね、よばれるのん結構やけど、最前の話やけど、ちょっとこんな、酒ないかいなぁ?」。
 「その今飲んでる酒はお気に召しませんか?」、「結構はけっこぉやけど、こんなところにはもぉちょっと味のどないぞしたもんが、恐らくあると思うねん」、「もぉおんなじよぉなもんです」、「恐らく何かあると思うねんけどなぁ、隠してんのと違うか」、「そんなことしやしませんけど・・・ 」。

 「今戻りましたけのぉ」、「婆(ば)さんかい、遅かったじゃないかい。おめぇに教(おせ)ぇてもろたちゅうて、客人が来ておられますけ、挨拶しなさい」、「あららッ、さっきのお方じゃねぇけぇ、うまいでしょ「イ」の「シシ」」、「お婆さんお前さんのほぉからも言ぅてぇな、言ぅてたがな、『えぇ酒がある』ちゅうて」、「酒ですかい? まだ出しとりませんのですかい? あれ出したらどぉです?」、「酒(これ)あるねやろ? 頼むわ」、「この人が、『えぇ』ちゅうけぇ仕方ありゃせんわい。じゃ~、呑みますかい? 」、「これが恐らく幻の酒やと思うで、ほら、白ぉ濁ったぁる濁り酒や、やっぱりこれや、ここらでないとないねやろ」、「(クゥクゥ~・・・)たまらんねぇ、これやねぇやっぱり。何でこれを先出さんね? これ、何ちゅう酒や?」、「わしらのほぉではのぉ「イのシシ酒」と、まぁ仮に言ぅとりますけど」、「この酒呑んでも体ホコホコ温もるんやろ、この酒呑んだら」、「いや、その酒でのぉても、どんな酒でもホコホコと温もりますでねぇ」、「とにかく、こんなえぇ酒よばれたん、生まれて初めてや。はははぁ~ッ、おい、体温まるどころやあれへん、熱ぅ~なってきたで、何や毛皮でも着てるよぉなで。これ何や? かららじゅ~毛ららけやで、こんなとこに毛ぇ要らんねん、もっと上のほぉへ毛ぇ欲しぃ、何考えとんねん。(場内枝雀の頭を見て大笑い)。これ何やこれ? これ、牙生えてんのと違う? ちょっと待てよ、ちょっと待ちなさいよ。イのシシ酒ちゅうのんは、ヒョッとしたら、この酒呑んだら・・・」、「婆(ば)さん、木槌持って来なさい・・・(コ~ンッ) 」。

 「遠慮のぉ食べてつかわせえよ」、「いやぁ~、こんな新しぃ肉、これイのシシの肉ですかい? ハホッ、フホッ、う~ん、獲りたてのよぉに新しぃですねぇ?」、「はい、新しぃことは新しぃんです。はい、あのねぇ、このイのシシですけどね、ちょ~ど今、あ~たが座っとりますところね、座布団の上にきのう座っとりましたもんですわい、新しぃことは新しぃんです。そっからここへ入れましたでねぇ」、「そらえぇけど、珍しぃ酒があるけど、お前さん呑みませんか? 」。

 



ことば

桂枝雀が演じている。毎年正月に放送される「米朝一門顔見世大興行」のための干支シリーズで、1995年の亥年に因んで作られたもので前年の暮れに初演されたもの。
 猪の肉は牡丹という。唐獅子牡丹とあるように、獅子に牡丹という付け合わせがあり、その獅子を猪にとりなしたものというのが一般的な説。肉が牡丹の花を連想させるからという説もあるが、一番あてにならないのは花札からとったというもの。

小佐田定雄(おさだ さだお);(1952年2月26日 - )2021年現在69歳、日本の演芸研究家、演芸作家、落語作家、狂言作家。関西演芸作家協会会員。本名、中平定雄。大阪府大阪市生まれ。1974年に関西学院大学法学部卒業。妻は、弟子のくまざわあかね。1988年に上方お笑い大賞秋田実賞。1989年度咲くやこの花賞文芸その他部門受賞。1995年に第1回大阪舞台芸術賞奨励賞受賞。2021年第42回松尾芸能賞優秀賞。

 深夜ラジオの人気DJだった笑福亭仁鶴師匠のファンで、どんな顔か見てみたいと高座を聴きにいったのが落語の入り口です。落語マニアになったのは大学から。当時は「落語は古典に限る」と思ってました。漫才の台本作家は多いが、「落語作家」と称する人は数少ない。小佐田定雄さん(66)は専業落語作家の第一人者だ。1977年に桂枝雀のために新作落語を書いたのを手始めに、桂米朝一門を中心に落語の新作や改作を手掛けてきた。これまでに書き下ろした新作は250席を超える。

 題名のない「題名のない番組」、通称「題なし」は、桂米朝師匠と作家の小松左京氏によるラジオ大阪の番組。中学生の私は番組の投稿者の「常連」でした。その頃は米朝師匠が落語家とは意識せず、ラジオから自分の名前が流れてくるのを楽しみにはがきを書いていた。

 卒業後、損害保険会社の会社員になるが、25歳の時に聴いた枝雀の自作自演の新作落語が、創作を始めるきっかけになった。枝雀師匠は大阪の南御堂で毎月、新作落語を発表する勉強会を開いていて、第1回の公演の「戻り井戸」を聴いた瞬間、「ああ、こんな新作もあるんだ」と目からウロコが落ちた。ただ、回を重ねるうちに、噺の筋が飛躍しすぎて聞き手を置いてきぼりにする傾向に。

 その様子を客席で見ていて、「師匠がやりたいことって、ほんまはこんなこととちゃいますか」と原稿用紙10枚ほどの台本をご自宅に郵送すると、師匠から「台本を読んだ。ついては一度会って話がしたい」と電話がきた。次の日曜日、道頓堀の喫茶店で待ち合わせると、「こんな台本を待ってましたんや」と望外なお褒めの言葉。1カ月後、新作落語「幽霊の辻」が日の目を見ることになりました。

  

 1984年3月28日、桂枝雀師匠と歌舞伎座の楽屋で(右が小佐田氏)  

 「また書きまへんか。もっと書けますやろ」と枝雀のために新作を提供するうちに桂一門の座付き作者に。平日の昼は会社員、夜と休日は作家の二重生活だったが体力的にも限界。専業の落語作家になる背中を押したのは米朝の一言だった。

 米朝師匠に「もうやめとき」と引導を渡してもらったら、あきらめがつくと考えた。師匠は人の意見に必ず逆を言いはるんです。楽屋で「師匠、会社勤めを辞めようと思うんです」と思っている真逆のことを口にしてみた。ところが答えは「うん、それもええな」。今さら「会社を辞めるのやめます」とも言えない。今となっては、「大丈夫や、心配せんでもこっちの世界に来い」と叱ってくれたのだと思う。一生の恩人です。

 東京落語の上方化を手掛け、最近は東京落語の脚本も書く。

 東京弁をそのまま大阪弁に直すだけではあかんのです。登場人物の気持ちも大阪人にしないと。江戸の場合は誰でもない、与太郎」という愚か者をつくり、「こんなバカなやつがいますよ」と笑う。大阪人は誰かを笑っても、「こいつはアホでっしゃろ、心配しなはんな、あんたもアホですよ、私もアホです」。平気で三枚目になるし、それを喜べる。そこが大阪の強さです。

 大阪の川柳に、「えらいことできましてんと泣きもせず」という一句がある。きっと商売人が商いで大穴を開けたのでしょう。「えらいことですわ」と失敗した自分を笑っている。なんとかなるやろ、あかんかったらその時や。

 落語って思い詰めない芸能なんですね。人生なんて失敗の繰り返しみたいなもんやと、あまり不幸を突き詰めない。歌舞伎や文楽は思い詰めた男女が心中したりするけれど、落語の場合は旦那だけ川に飛び込ませて女は帰ってくる。

 落語は想像力に頼った芸。枝雀師匠はイマジネーションの芸と言ってました。作家の割合は1割、9割は演者さんの力だという話を枝雀師匠にすると、「でも、この1割はあんたでっせ。大事にしなはれ」と。これは励みになった。そこは作家の誇りみたいなもんとちゃいますか。

(聞き手は日本経済新聞 大阪地方部 岡本憲明)。日本経済新聞より。落語「だんじり狸」より孫引き。

寒いときは火がご馳走;食事をするよりも、豪華な食事で歓待するよりも、冬の寒い時は火の側が何よりの心の御馳走です。

 観阿弥・世阿弥作と言われる能の一曲、鉢木(はちのき)のあらすじ、

 ある大雪のふる夕暮れ、佐野の里の外れにあるあばら家に、旅の僧が現れて一夜の宿を求める。住人の武士は、貧しさゆえ接待も致されぬといったん断るが、雪道に悩む僧を見かねて招き入れ、なけなしのアワ飯を出し、自分は佐野源左衛門尉常世(さのの げんざえもんのじょう つねよ)といい、以前は三十余郷の所領を持つ身分であったが、一族の横領ですべて奪われ、このように落ちぶれたと身の上を語る。噺のうちにいろりの薪が尽きて火が消えかかったが、継ぎ足す薪も無いのであった。常世は松・梅・桜のみごとな三鉢の盆栽を出してきて、栄えた昔に集めた自慢の品だが、今となっては無用のもの、これを薪にして、せめてものお持てなしに致しましょうと折って火にくべた。そして今はすべてを失った身の上だが、あのように鎧となぎなたと馬だけは残してあり、一旦鎌倉より召集があれば、馬に鞭打っていち早く鎌倉に駆け付け、命がけで戦うと決意を語る。
 年があけて春になり、突然鎌倉から緊急召集の触れが出た。常世も古鎧に身をかため、錆び薙刀を背負い、痩せ馬に乗って駆けつけるが、鎌倉につくと、常世は北条時頼(ほうじょう ときより)の御前に呼び出された。諸将の居並ぶ中、破れ鎧で平伏した常世に時頼は、「あの雪の夜の旅僧は、実はこの自分である。言葉に偽りなく、馳せ参じてきたことをうれしく思う」と語りかけた。失った領地を返した上、あの晩の鉢の木にちなむ三箇所の領地(加賀国田庄、越中国井庄、上野国井田庄の領土)を新たに恩賞として与える。常世は感謝して引きさがり、はればれと佐野荘へと帰っていった。
 上、鉢木を手折るのを時頼が見ている場面。月岡芳年作。

釈迦に説法(しゃかに せっぽう);仏教を開教した本人であるお釈迦様に、仏教の教えを説くという愚かな行為のことを示します。その道のことを知り尽くしている人に、それを教しえようとする愚かさのたとえ。

木槌(こずち);金属で出来ているのが金槌。木で出来ているのが木槌。大黒さんが持っている打ち出の小槌がこの木槌です。

濁り酒(にごりざけ);日本酒と同様にもろみをつくり、これを濾過(ろか)しないで、または目の粗い袋などで粗ごししてつくる、米粒や麹が入ったままの白く濁った酒。 未糖化の米のでん粉やでん粉が糖化しアルコール発酵しきらずに残っている糖分によって、ほんのりと甘く、口当たりがよいものが多い。しかし、保存状態が悪いと醗酵がビン内で進み、炭酸ガスが発生し味わいが変わってしまう。また、腰が抜けたような気迫が無い味わいになってしまう。

猪鍋(ししなべ/ぼたんなべ);イの肉(シシ)鍋ではなく猪の鍋です。俳人蕪村が「静々に五徳にすえにけり薬食」と詠んだぼたん鍋。肉食が禁じられた江戸時代にも「山鯨」と称され、寒さ厳しい冬の季節の栄養補給源として食べられた猪肉。 煮込めば煮込むほど柔らかく、体が温まり、牛肉と比べてもビタミンB1が多く、カルシウムは2倍以上。
 猪肉は弱火で煮込むことで、やわらかく仕上がります。赤みそと白みその量は、お好みで調整してください。 猪肉は中心まで火が通るようにしっかりと加熱してください。煮込むほどに口当たりやさしく、ほぐれる感じに柔らかくなります。

 

桜なべ; 桜なべ=馬肉鍋、モミジ鍋=鹿肉鍋、ぼたん鍋=猪肉(上写真2枚)、江戸時代まで獣肉の摂取は禁じられていたので、季節の花や紅葉になぞらえて、クスリ食いとして食べられていました。
 野生の肉を食べるジビエ料理は外国から入ってきた言葉ですが、日本では猟期でも収穫の出来不出来があって、一般向けに流通させるには難しさがあります。しっかりした調理方法で出されるジビエは美味なんですがね~。



                                                            2021年12月記

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