落語「次の御用日」の舞台を行く 桂枝雀の噺、「次の御用日」(つぎのごようび)より
■サゲは、別の台詞で、「次の御用日(裁判日)にいたす。この裁判喉が痛くなったわい」。この方が題名の意味が通じます。
■丁稚(でっち);商家に年季奉公する幼少の者を指す言葉。丁稚として働く (奉公する) ことを丁稚奉公といった。職人のもとでは徒弟、弟子、子弟とも呼ばれる。江戸時代に特に多かった。明治時代以後はいわゆる近代的な商業使用人となっていく。上方ことばの丁稚に対して江戸言葉では「小僧」という。
■根深(ねぶか);白ネギ、根を深く下ろして白根が多いからいう。関西で単にネギと言えば「青ネギ」のこと。
■とうやん;お嬢さん。とうさん。いとはん。姉妹も多くなってくると、姉イトハン→中イトハン→小イトハンと区別する。もっぱら女児に対して言う語で、男児に対しては、ぼんといい、おおぼんちゃん→なかぼんちゃん→こぼんちゃんと使い分ける。
■安綿橋(やすわたばし);長堀(長堀川)の東端に架かっていた橋です。今では埋め立てられてしまい、上には高速道路(環状線 L1)、ぐにゃぐにゃと道が曲がってて、いつも渋滞してるとこです。安綿橋の南側には住友さんの屋敷がありますので、この辺りを住友の浜と言ぃまして、昼日中でも人通りの少ないずいぶんと寂しぃところやったそぉです。
■住友の浜;長堀川と東横堀川が交差する辺りから心斎橋あたりまでの長堀沿い一帯。住友家の銅精錬所(銅吹き所)がありました。明治9年に銅吹き所が廃止され、住友家の邸宅になった。
■昼日中でも人通りの少ない寂しいところ;船場ですと本町橋の西詰めを南へ唐物町の浜、本町の曲がりと申しまして、夜はもちろん昼日中でも人通りが無いよぉなとこやったらしぃです。南では住友の浜。西では加賀の屋敷の横手、薩摩堀願教寺の裏手、江戸堀四丁目七つ裏、中之島・蛸の松・・・。ずいぶんと寂しぃところがございました。
■安井道頓(やすい どうとん);
1533-1615 織豊-江戸時代前期の町人。 1533年(天文2年)、誕生。出自については河内国渋川郡久宝寺の安井氏と摂津国住吉郡平野郷の成安氏の2説がある。
1582年(天正10年)頃、豊臣秀吉から大坂城の外壕をくっさくした功労および猫間川河岸整備に対する賞として、城南の地を拝領した。1612年(慶長17年)、城南の開発には河川のくっさくが必要と考えた道頓は、豊臣氏の許可を受け、私財を投じて城南地域中心部の水路(後の道頓堀)のくっさくに着手した。くっさく中の1615年(元和元年)、大坂夏の陣に巻き込まれ、秀吉の遺児・豊臣秀頼に味方して入城、大坂城内で討死した。
■ボロ屋さん;ボロ選別業、ぼろを売買する職業。故繊維産業というのは様々な業者が携わっています。ボロ選別業者、故繊維貿易商社、古着販売業者、ウエス製造業、反毛製造業、反毛貿易商社、繊維屑回収業者、繊維原料商ブローカー、フエルト製造業、特殊紡績業、精紡・紡毛業、作業用手袋製造業、製綿業が、それぞれの役割を担うことで成り立っています。
■用水桶(ようすい おけ);火災などにそなえるため、用水を貯えておく桶。天水桶。
■健忘(けんぼう);記憶喪失症。過去の経験を部分的または完全に想起できなくなること。 外傷性脳損傷、変性、代謝性疾患、てんかん発作、心理的障害などによって発生する。 診断は臨床的に行うが、しばしば神経心理学的検査および脳画像検査(例、CT、MRI)も施行される。 治療は原因に対して行う。
記憶を取り戻せるかどうかは、脳の損傷の程度とその原因に応じて異なります。脳の損傷がそれほどひどくない場合や、原因が一時的なものである場合も多くみられます。そのようなケースでは、健忘は数分から数時間しか持続しない場合が多く、治療を行わなくてもほとんどの人が記憶を取り戻します。しかし、相当の損傷が生じている場合には、記憶を取り戻せないことがよくあります。
■西のご番所(にしの ごばんしょ);大阪町奉行所。本町橋の東詰を北へ、ただ今のコクサイホテルのあるところが、と言ぃたいのですが、もぉ潰れてありません。そのコクサイホテルがかつてあった場所が、番所やったそぉです。浜側がたまりと申しまして控え所になっております。枝雀
江戸幕府が大坂に設置した遠国奉行の1つ。東西の奉行所が設置され、江戸町奉行と同様に東西1ヶ月ごとの月番制を取り、東西の奉行所はそれぞれ「東の御番所」「西の御番所」と呼ばれていた。初名は大坂郡代(おさかぐんだい)。老中支配下で大坂城下(大坂三郷)及び摂津・河内の支配を目的としていた。
西町奉行所は本町橋東詰の米蔵跡(*現・中央区本町橋2番)へ火災後場所を移しての再建。
■安堂寺町(あんどうじまち);安堂寺町二丁目、堅木屋佐兵衛の住所。
■警蹕(けぇひつ);先払いのこと。元来、中国で、天子が出入するとき、先払いの者があたりに声をかけて道筋の人々を静めることをいった。出るときには「警」(気をつけよ)、入るときには「蹕」(止まれ)と声をかけて制止した。転じて、天皇や貴人が出入する際、先払いが声をかけてあたりを静めることをいう。また、供御(くご)(天皇の食物)を奉るとき、神供(神前への供物)を奉るとき、神楽(かぐら)を奏するときなどにも行われ、「おお」「しし」「おし」「おしおし」などと声をかける。
■奉行職(ぶぎょうしょく);まことに権限を持ちましたもんやそぉですなぁ。単に裁判所の長官であるにとどまりませず、ただ今の大阪で申しますといぅと大阪府知事、大阪府警本部長、それに裁判所の長官といぅ三つの大きな役職をひと手にひっ構えましたよぉなもの。まことに権限を持ちましたもんでございます。
■料簡(りょうけん); ①考えをめぐらすこと。思案。所存。毎月抄「この下にて御―候へ」。「悪い―を起す」「―が狭い」。
■拷問(ごうもん);肉体に苦痛を加えて自白を強いること。
明治大学博物館蔵。 左、デコボコの板の上に座らせ石を抱かせる。 右、動けないようにして打つ。
2021年12月記 前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ |