落語「次の御用日」の舞台を行く
   

 

 桂枝雀の噺、「次の御用日」(つぎのごようび)より


 

 丁稚の常吉は旦那に呼ばれたが、まだ食事の真っ最中。「旦さん、今日はお芋さんと根深のおかずでえらいご馳走(ごっつぉ)さんでおます」、「今さらなって礼を言ぅんか。ゴテゴテ言ぅねやないがな。いとの縫いもん屋行きの供をさせんならん、気の変わらんうちに行かせんならんよってに言ぅてんねんで」、「わたい、たった十三膳より食べられへん」、「十三膳も食べたら十分やがな、早いこと行きまひょ」、「へぇ~~い」。

 「とうやんえらいすんまへん、お待っとぉさんで。これからとぉやんのお供して、縫いもん屋はんまで行てまいります。とぉやんのお供して表出さしてもらうのん嬉しおまんねん」、「要らんこと言ぅもんやあらしまへん、黙ってお歩き」、「とぉやん、この頃ご近所の方が言ぅてはりまっせ、『堅木屋さんの三番目のとぉはん別嬪さんならはった。この界隈では一番やろなぁ』言ぅて」、「黙ってお歩き」。

 可愛ぃもんでございます、とうやんと丁稚が口喧嘩しながらやってまいりましたのが安綿橋(やすわたばし)でございます。長堀の東端に架かっていた橋です。今では埋め立てられてしまい、上には高速道路、ぐにゃぐにゃと道が曲がってて、いつも渋滞してるとこです。
 安綿橋の南側には住友さんの屋敷がありますので、この辺りを住友の浜と言ぃまして、昼日中でも人通りの少ないずいぶんと寂しぃところやったそぉです。今でこそ市内に昼間寂しぃとこなんていぅのは見当たりませんけど、昔はあちこちにあったそぉです。船場ですと本町橋の西詰めを南へ唐物町の浜、本町の曲がりと申しまして、夜はもちろん昼日中でも人通りが無いよぉなとこやったらしぃです。南では住友の浜。西では加賀の屋敷の横手、薩摩堀願教寺の裏手、江戸堀四丁目七つ裏、中之島・蛸の松・・・。ずいぶんと寂しぃところがございました。
 真夏のことです、往来の砂が日の光を受けましてキラキラ、キラキラ光っております。人通りがばたっと途絶え、川向こぉを通っております物売りの声だけがボ~ンヤリと聞こえてまいります。

 二人の者が何とのぉ恐いなぁと思ぉて歩いておりますと、向こぉからやってまいりましたのが、とぉやんのお父さん、堅木屋佐兵衛さんのところの借家に住んでおります天王寺屋藤吉といぅ男。
 あの日本橋の北詰のところぉに、安井道頓の子孫の屋敷があったんやそぉで、お稲荷さんがあったそぉでございますが、ここの纏(まとい)持ち、火消しをやっております天王寺屋藤吉といぅ男。
 真夏のこってございます、下はもぉフンドシ一本で、上から法被引っ掛けましてね、あんまり暑いもんでございますから、この法被をば引っ掛けるんやなしに頭の上高くかざねまして、日覆いにしながら歩いておりましたんです。これが遠くのほぉから見まするといぅと、背の高い大ぉきな男に見えましたんです。
 「常吉、怖い。もぉ去(い)の」、「昼日中、何怖いもんおますかいな」、「背の高い大きな人が来るやないか」、「背の高い大きな人て・・・、わ、わぁ~。怖わぁ」、「怖いやろ、もぉいの」、「今いんだら、『お前のお供のしよぉが悪い』言ぅて叱られます。とぉやん、ちょっとこっちおいなはれ」。
 あの辺りにはボロ屋さんがたくさんありましたそぉで、そのボロ屋さんの用水桶の陰へとぉやんをつくぼらせまして、自分はその上からとぉやんを隠すよぉにして、何とかこの怖いオッサンをやり過ごそぉといぅ、子ども心でも一生懸命でございます。

 一方、天王寺屋藤吉のほぉ・・・、「ごそごそ、なぁ~んしとん、あれ。誰や? おっ、家主(いえぬし)とこのとぉやんと丁稚やないか。なぁ~んしとん? はッはぁ~、俺のカッコ見て怖がっとぉんねな。こらオモロイ、もぉちょっと怖がらそ」。
 しょ~もないことせぇでもえぇのに、どんどん、どんどん、近寄ってまいりますといぅと、二人が小ぃそぉなっている上へ、この掲げている法被をば覆いかぶすよぉにして、『あっ!』えらい声を出します。その声聞いてとぉやん、「うッ、う~~」バタッとひっくり返ってしもた。常吉はビックリしょまいことか、店に駆け戻り、大勢がかりでとぉやんを連れて帰りましてお医者に診せましたんです。
 幸いにして息は吹き返しましたんですが、ショックが大きかったのでございましょ~、ただ今の言葉で申します記憶喪失症、当時はこれを健忘と申しましたが、何ぁ~にも分からんよぉになってしもた。きのうまでのことが何ぁ~にも分からんよぉになってしもて、一生懸命習い覚えましたお茶、お華、縫い針、琴、三味線、何ぁ~にも分からんよぉになって、「とぉやん、向こぉ向いてなはれ」、向いたら二時間が三時間でも向こぉ向いたまんま。「とぉやん、寝てなはれ」寝たら二日が三日でも寝たまんま。といぅ、えらいことになってしまいましたんです。たった一人の娘を健忘にしられたんでは、親としてどぉしても諦める切ることはでけん。お恐れながらと西のご番所へ訴えて出ます。

 原告、被告双方に差し紙といぅものが回ります。一同打ち揃いましてやってまいりましたのが西のご番所。本町橋の東詰を北へ、ただ今のコクサイホテルのあるところが、と言ぃたいのですが、もぉ潰れてありません。そのコクサイホテルがかつてあった場所が、番所やったそぉです。浜側がたまりと申しまして控え所になっております。ここで控えておりますといぅと次々とお呼び出しになる。
 「安堂寺町二丁目、堅木屋佐兵衛。下人常吉、町役一同。出ましょ~。堅気屋佐兵衛借家人、天王寺屋藤吉、町役一同。出ましょ~」声がかかります。白州の上に目の粗ぁいムシロが敷(ひ)ぃてございます。それへ一同が控える。「シ~~ッ」警蹕(けぇひつ)の声といぅのがかかりますといぅと、正面の稲妻型の唐紙が左右にサ~ッと引かれ、ツイッとお出ましになられましたお奉行様。
 奉行職、まことに権限を持ちましたもんやそぉですなぁ。単に裁判所の長官であるにとどまりませず、ただ今の大阪で申しますといぅと大阪府知事、大阪府警本部長、それに裁判所の長官といぅ三つの大きな役職をひと手にひっ構えましたよぉなもの。まことに権限を持ちましたもんでございます。
 「差し出したる願面に、『先月十三日、娘いと、縫い物屋行き途中において、借家人天王寺屋藤吉、娘いと頭(こぉべ)の上にて『あ』と申した』とあるが、奉行何のことやら相分からん、堅木屋佐兵衛そのほぉより存知おりを申し上げ」、「下人常吉よりお聞き取り願わしゅ~存知ます」。
 「住友さんの浜まで来ましたんでんねん。とぉやんが、『怖いもんが来るからもぉ帰ろ』言ぃはりまんねん、『何言ぅてなはんねん、昼日中、何怖いもんおますかいな』言ぅたら、『向こぉから背の高い高い大きな人が来る』言ぅてね、ひょっと見たらホンに背の高い大きな人がこっち向いて歩いて来はりまんねん。その時帰ったら番頭はんに叱られると思て、『とぉやんこっちおいなはれ』言ぅて、ボロ屋の用水桶のとこへとぉやんつくぼらして、わたいが上から覆い被さるよぉにしてオッサンやり過ごそ思たら、怖いオッサンがドンドン・ドンドン近寄って来てね、ドンドン大きなってきて。わたいらが小ぃそぉなってる上へ、法被をばピュ~っと覆い被せるよぉにして、『あっ!』っと、えらい声出さはりましたんでっせ。とぉやん、『う~~ン』ちゅうて硬とぉなってチメとぉなって物言わんよぉなってしもたんです。『えらいこっちゃ』言ぅて、店の者みなで連れて帰ってお医者はんに診せたら息は吹き返したんですけど病気になってしもたんでんねん。病気でんねん。何とか言ぅ病気でんねん。忘れてしもた・・・、そや、忘れてしまう病気でんねん。きのうまでのことが何ぁ~にも分からんよぉになってしもたんです。うちの旦さんまことに片意地なお人ですよってに、『たった一人の娘、健忘にしられたんではとても諦め切ることがでけん』言ぅて、そんでオッサン(奉行)のご厄介になるよぉなことになりましたんです。わて、これよりほか何もよぉ知りまへんねん。これからお使いにまいりましたらすぐ帰ってまいりますし、御膳も早よいただきまんので、どぉぞご料簡なさっとぉくれやす」。

 「委細、分かった。こりゃ、天王寺屋藤吉、面を上げ。娘いと頭の上にて、『あっ!』と申した覚えがあるであろぉ。まっすぐに申し上げッ」、「わたくし、とぉやんの頭の上で、『あっ!』てなこと言ぅた覚えござりません」、「何? 覚えないと申すか。こりゃ常吉、『覚えない』と申しておるぞ」、「わてあの時顔上げて見ましたんです。このオッサン、怖いオッサンでっせ。わて家賃もらいに行きますよってよぉ知ってまんのです。あのね、『家賃おくなはれ』言ぅたら、『なにぃ~、家賃、雨漏りも直さんと家賃ばっかり取りに来(く)な、いんで茶瓶にそぉ言ぅとけ』。うちの旦さんのこと「茶瓶」言ぃまんねんで。うちの旦さんのこと、『茶瓶』言ぃはるのんこのオッサンだけでっせ。わたいらよぉ言ぃまへんねんで。腹に思ててもよぉ言ぃまへんねん。『酒屋の払いもあんのに、家賃ばっかり払えるか。いんで茶瓶にそぉ言ぅとけ』あのオッサン怖いおさんでっせ。体一面に絵ぇ描いて、このオッサンに違いおまへん」。
 「確たる証人があるにもかかわらず、相手が十五に足らぬ小児と侮って偽りを申すとためにならんぞ。そのほぉ、先月十三日、娘いと頭の上にて、『あっ!』と申したであろぉ。まっすぐに白状いたせ」、「わたくし、先月十三日、とぉやんの頭の上で、『あっ!』と申したもんなら、『あっ!』と申したと申しますが、『あっ!』と申さんものは、『あっ!』と申さんと申すより、いたしかたございません」、「おのれ現在、『あっ!』と申しておきながら、『あっ!』と申さぬなどとは上を蔑ろにいたす者じゃ。『あっ!』と申したものなら、『あっ!』と申したと申してしまえ」、「えぇ~、お恐れながら申し上げます。わたくし、『あっ!』と申したもんなら、『あっ!』と申したと申しますが、『あっ!』と申さんもの、『あっ!』と申さんと申すよりいたしかたございません」、「おのれぇ~現在、『あっ!』と申しておきながら、『あっ!』と申さんなどとは、この上は重き拷問を用いても、『あっ!』と申したと申さしてみせるがどぉじゃ」、「いかほど申されても、わたくし、『あっ!』と申したもんなら、『あっ!』と申したと申しますが、『あっ!』と申さんものは、『あっ!』と申さんと申すよりいたしかたございません」、「おのれぇ~、現在、『あっ!』、『あっ!』、『あっ!』、『あっ!』。一同の者、本日の裁きは無かったことにいたしてくれ」。

 



ことば

■サゲは、別の台詞で、「次の御用日(裁判日)にいたす。この裁判喉が痛くなったわい」。この方が題名の意味が通じます。

丁稚(でっち);商家に年季奉公する幼少の者を指す言葉。丁稚として働く (奉公する) ことを丁稚奉公といった。職人のもとでは徒弟、弟子、子弟とも呼ばれる。江戸時代に特に多かった。明治時代以後はいわゆる近代的な商業使用人となっていく。上方ことばの丁稚に対して江戸言葉では「小僧」という。

根深(ねぶか);白ネギ、根を深く下ろして白根が多いからいう。関西で単にネギと言えば「青ネギ」のこと。

とうやん;お嬢さん。とうさん。いとはん。姉妹も多くなってくると、姉イトハン→中イトハン→小イトハンと区別する。もっぱら女児に対して言う語で、男児に対しては、ぼんといい、おおぼんちゃん→なかぼんちゃん→こぼんちゃんと使い分ける。 

安綿橋(やすわたばし);長堀(長堀川)の東端に架かっていた橋です。今では埋め立てられてしまい、上には高速道路(環状線 L1)、ぐにゃぐにゃと道が曲がってて、いつも渋滞してるとこです。安綿橋の南側には住友さんの屋敷がありますので、この辺りを住友の浜と言ぃまして、昼日中でも人通りの少ないずいぶんと寂しぃところやったそぉです。
 桂枝雀
 長堀川は江戸初期の元和8年に完成したと伝えられる。沿岸にはさまざまな産業が立地し、長堀川は輸送の大動脈であった。安綿橋の名は、南組の総年寄・安井九兵衛と綿屋某が協力してかけたことに由来すると言われている。この橋は、昭和39年に完了した長堀川の埋め立てとともに姿を消し、現在顕彰碑(大阪市中央区松屋町)は長堀通りの南側歩道に立っている。
 大坂府建設局道路部

住友の浜;長堀川と東横堀川が交差する辺りから心斎橋あたりまでの長堀沿い一帯。住友家の銅精錬所(銅吹き所)がありました。明治9年に銅吹き所が廃止され、住友家の邸宅になった。
 上方落語「佐々木裁き」(江戸落語では「佐々木政談」)の発端の地、西町奉行佐々木信濃守顕発の市中見回り。住友の浜で「お奉行ごっこ」をする悪童の中に利発な「奉行役」の子供を見つけます。

昼日中でも人通りの少ない寂しいところ;船場ですと本町橋の西詰めを南へ唐物町の浜、本町の曲がりと申しまして、夜はもちろん昼日中でも人通りが無いよぉなとこやったらしぃです。南では住友の浜。西では加賀の屋敷の横手、薩摩堀願教寺の裏手、江戸堀四丁目七つ裏、中之島・蛸の松・・・。ずいぶんと寂しぃところがございました。
 桂枝雀

安井道頓(やすい どうとん); 1533-1615 織豊-江戸時代前期の町人。 1533年(天文2年)、誕生。出自については河内国渋川郡久宝寺の安井氏と摂津国住吉郡平野郷の成安氏の2説がある。 1582年(天正10年)頃、豊臣秀吉から大坂城の外壕をくっさくした功労および猫間川河岸整備に対する賞として、城南の地を拝領した。1612年(慶長17年)、城南の開発には河川のくっさくが必要と考えた道頓は、豊臣氏の許可を受け、私財を投じて城南地域中心部の水路(後の道頓堀)のくっさくに着手した。くっさく中の1615年(元和元年)、大坂夏の陣に巻き込まれ、秀吉の遺児・豊臣秀頼に味方して入城、大坂城内で討死した。
 なお、水路のくっさくは、道頓の死後、松平忠明の許可を受けて道頓の従兄弟の安井九兵衛(道卜)や平野郷の坂上氏の一族の平野藤次(安藤藤次)らが跡を継ぎ、同年11月に完成させた。

ボロ屋さん;ボロ選別業、ぼろを売買する職業。故繊維産業というのは様々な業者が携わっています。ボロ選別業者、故繊維貿易商社、古着販売業者、ウエス製造業、反毛製造業、反毛貿易商社、繊維屑回収業者、繊維原料商ブローカー、フエルト製造業、特殊紡績業、精紡・紡毛業、作業用手袋製造業、製綿業が、それぞれの役割を担うことで成り立っています。
 繊維リサイクル協会

用水桶(ようすい おけ);火災などにそなえるため、用水を貯えておく桶。天水桶。
 右、天水桶。深川江戸資料館

健忘(けんぼう);記憶喪失症。過去の経験を部分的または完全に想起できなくなること。 外傷性脳損傷、変性、代謝性疾患、てんかん発作、心理的障害などによって発生する。 診断は臨床的に行うが、しばしば神経心理学的検査および脳画像検査(例、CT、MRI)も施行される。 治療は原因に対して行う。
 心理的記憶障害(解離性健忘 などでみられる)は極度の心的外傷またはストレスから生じる。急性健忘患者の一部は自然に回復する。堅木屋佐兵衛さんの娘いとさんは早晩回復が見込まれるでしょう。

 記憶を取り戻せるかどうかは、脳の損傷の程度とその原因に応じて異なります。脳の損傷がそれほどひどくない場合や、原因が一時的なものである場合も多くみられます。そのようなケースでは、健忘は数分から数時間しか持続しない場合が多く、治療を行わなくてもほとんどの人が記憶を取り戻します。しかし、相当の損傷が生じている場合には、記憶を取り戻せないことがよくあります。
 健忘は映画やテレビ番組でよく題材にされる症状で、登場人物が自分の身元や過去の記憶を一切忘れてしまう設定もよくみられます。そうした登場人物は、ゼロからの再出発をすることになりますが、ほとんどの場合、そのための心の準備ができています。しかし、映画やドラマでみられるこのような描写は、現実の健忘とはかなり異なります。
 MSD Manual

西のご番所(にしの ごばんしょ);大阪町奉行所。本町橋の東詰を北へ、ただ今のコクサイホテルのあるところが、と言ぃたいのですが、もぉ潰れてありません。そのコクサイホテルがかつてあった場所が、番所やったそぉです。浜側がたまりと申しまして控え所になっております。枝雀

 江戸幕府が大坂に設置した遠国奉行の1つ。東西の奉行所が設置され、江戸町奉行と同様に東西1ヶ月ごとの月番制を取り、東西の奉行所はそれぞれ「東の御番所」「西の御番所」と呼ばれていた。初名は大坂郡代(おさかぐんだい)。老中支配下で大坂城下(大坂三郷)及び摂津・河内の支配を目的としていた。
 時代が下るにつれて糸割符仲間や蔵屋敷などの監督など、大坂経済関連の業務や幕府領となった兵庫津・西宮の民政、摂津・河内・和泉・播磨における幕府領における年貢徴収及び公事取扱(享保7年(1722年)以後)など、その職務権限は拡大されることとなった。

 西町奉行所は本町橋東詰の米蔵跡(*現・中央区本町橋2番)へ火災後場所を移しての再建。
* 東詰に油問屋が集まり、西詰に木綿問屋・呉服・古着屋が軒を連ね、大坂で最も賑わう地域とされた。享保9年(1724年)の「妙知焼け」とよばれる大火で本町橋をはじめ、いくつもの橋が焼失している。大火後、橋の北東側に西町奉行所が移転してきた。
 町奉行所に届けられた民事訴訟を審理する日を「御用日」、特に金公事(金銭貸借に関する訴訟)を扱う日を「御金日」と呼んだ。

安堂寺町(あんどうじまち);安堂寺町二丁目、堅木屋佐兵衛の住所。
 大阪市中央区の南部に位置する。北は神崎町・十二軒町・谷町5丁目・龍造寺町、西は松屋町住吉・松屋町、東は上町筋を挟んで上町、南は長堀通を挟んで谷町6丁目及び上本町西1丁目にそれぞれ接する。東西に細長い町域を持つ。谷町を途中で分断する町でもある。

警蹕(けぇひつ);先払いのこと。元来、中国で、天子が出入するとき、先払いの者があたりに声をかけて道筋の人々を静めることをいった。出るときには「警」(気をつけよ)、入るときには「蹕」(止まれ)と声をかけて制止した。転じて、天皇や貴人が出入する際、先払いが声をかけてあたりを静めることをいう。また、供御(くご)(天皇の食物)を奉るとき、神供(神前への供物)を奉るとき、神楽(かぐら)を奏するときなどにも行われ、「おお」「しし」「おし」「おしおし」などと声をかける。

奉行職(ぶぎょうしょく);まことに権限を持ちましたもんやそぉですなぁ。単に裁判所の長官であるにとどまりませず、ただ今の大阪で申しますといぅと大阪府知事、大阪府警本部長、それに裁判所の長官といぅ三つの大きな役職をひと手にひっ構えましたよぉなもの。まことに権限を持ちましたもんでございます。
 枝雀

料簡(りょうけん); ①考えをめぐらすこと。思案。所存。毎月抄「この下にて御―候へ」。「悪い―を起す」「―が狭い」。
 ②とりはからい。処置。対策。伽、猿源氏草子「このことを語りなばいかなる―もありやせんと思ひ」。
 ③堪え忍ぶこと。こらえること。ゆるすこと。狂、鎌腹「身共さへ―すれば死ぬるには及ばぬ事ぢや」。

拷問(ごうもん);肉体に苦痛を加えて自白を強いること。

 明治大学博物館蔵。 左、デコボコの板の上に座らせ石を抱かせる。 右、動けないようにして打つ。



                                                            2021年12月記

 前の落語の舞台へ    落語のホームページへ戻る    次の落語の舞台へ

 

 

 

inserted by FC2 system