落語「鯉船」の舞台を行く 桂米朝の噺、「鯉船」(こいぶね)より
■江戸落語に似た題名の「こいぶね」、いえ、違います。「汲みたて」と言う噺が有って、魚の鯉ではなく肥船、すなわち肥料にされていた人糞を運んだ船が活躍していました。しかし、鯉と肥では大違い。
■東横堀(ひがしよこぼりがわ);東横堀川。土佐堀川の上流部で南へ分かれて、中央区の船場・島之内の東縁を流れる。全長約3km。西へ向きを変えてから下流は道頓堀川となる。
阪神高速1号環状線(南行き)の経路に利用されており、川に蓋をするように高架橋が覆い被さっている。地図によっては阪神高速の表記のみで、東横堀川の表記を省略するものも見られ、川の存在感が薄れがちである。
■網打ち(あみうち);投網。
円錐形の袋状の網のすそにおもりを付けたものを、魚のいる水面に投げ広げ、かぶせて引き上げる漁法。また、その網。川など浅い所で行われる。うちあみ。なげあみ。唐網(とうあみ)。「投網を打つ」。右写真。
■遊山船(ゆさんぶね);遊山客を乗せる船。上方落語として、六代目笑福亭松鶴の噺、「遊山船」(ゆさんぶね)がが有ります。
船遊びをする遊山客。隅田川首尾の松の下で釣りを楽しむ江戸っ子。葛飾北斎画。
■屋形船(やかたぶね);主に船上で宴会や食事をして楽しむ、屋根と座敷が備えられた船のこと。
左下の屋根に船頭が乗っているのが屋形船。右中の屋根が着いた船が屋根船です。北斎画「両国橋下」。
■西横堀のほぉへ回すか、道頓堀のほぉへ回すか;西横堀なら「新町」、道頓堀なら「阪町」の花街であろう。
■お茶屋(おちゃや);今日では京都などにおいて花街で芸妓を呼んで客に飲食をさせる店のこと。東京のかつての待合に相当する業態です。
■お造りにしょ~か、これは揚げたほぉが美味しぃ;川魚は寄生虫を持っているので通常生食はしません。ですからお造り(刺身)はどんなに新しくても料理として出しません。例外的に鯉は身を薄切りにして流水で洗い、寄生虫を洗い流して、氷で締めて提供します。ですから、刺身とは言わず「洗い」と言います。熱を加えることで寄生虫の害から逃れます。焼き魚、揚げ物、鯉こく、煮魚などです。
■大川(おおかわ);かつての淀川本流であるが、淀川放水路が開削された1907年(明治40年)以降は旧川扱いとなっている。当初「新淀川」「淀川」だった呼び分けは、次第に「淀川」「旧淀川」となったが、旧淀川は上述の区間ごとの名称で呼ばれることが多い。
中之島より上流が大川、または天満川(てんまがわ)、下流が安治川と呼ばれる。中之島では南北両岸に分かれ、北が堂島川、南が土佐堀川と呼ばれる。なお、河川調書では土佐堀川は別河川扱いとなる。
都島区毛馬町で淀川(新淀川)より分岐して南流、川崎橋をくぐると西流に転じ、東からは寝屋川が合流、天神橋の直前で、中之島の北へ堂島川、南へ土佐堀川となって分岐する。
堂島川はかつて大江橋の直前で堂島の北側へ曽根崎川を分岐していた。また、1878年(明治11年)には田蓑橋の上流側から大阪駅に向けて堂島掘割(梅田入堀川)が、堂島掘割分岐のやや上流側から土佐堀川まで中之島掘割が開削された。しかし、曽根崎川は堂島掘割より上流部が1909年(明治42年)の「北の大火」(天満焼け)で生じた瓦礫の廃棄場所になって埋め立てられ、1923年(大正14年)には下流部も埋め立てられた。中之島掘割は1957年(昭和32年)に、堂島掘割は1967年(昭和42年)に全て埋め立てられ、阪神高速11号池田線やオオサカガーデンシティの一部に利用されている。
大川については落語「淀の鯉」に詳しく、また大川では鯉がたくさん捕れたのでしょう。
■十一屋(じゅういちや);七を細かく分けると、十と下横の一から成り立っています。七=質屋です。
■木津川(きずがわ);大阪府大阪市西区中北部で淀川分流の土佐堀川から分かれ、西区中央部を南へ縦断。大阪ドーム近くの大正橋で道頓堀川が東から合流、西へは岩崎運河から尻無川への流れがある。本流は大正区と浪速区、西成区との境界を成しながら南下し、千本松大橋付近から徐々に南西流、そして西流へ転じる。下流では大正区と住之江区の境界となり、木津川運河を分けて大阪港南部(大阪南港東部)へ注ぐ。
■手玉(てだま);たも網。釣り上げた魚を船の中に取り込む取っ手の付いた網。
■船縁(ふなべり);舷(げん)。船の側面のこと。船縁(ふなべり)、船端(ふなばた)とも言う。
■鯉は『大名魚』(こいは だいみょうぎょ);「まな板に乗った鯉」=相手のなすがままで、自らの運命を自分ではどうすることもできないさまのたとえ。また、死を覚悟して、どうにでもしてくれと開き直るさま。
■風誘う、花よりもなお・・・;「風誘う、花よりもなお、我はまた、春の名残を、いかにとかせん」。そうです、忠臣蔵の浅野内匠頭の辞世の句です。
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