落語「禍は下」の舞台を行く 桂米朝の噺、「禍は下」(わざわいはしも)より
■江戸落語「権助魚」の上方版です。落語「権助魚」はここに、
■禍は下から;米朝の噺から。「『禍は下から』て何のこってんねん?」、「つまり、何か秘密のことはやなぁ、下々の者のほぉから現れるといぅのじゃ。お前ら口が軽い、子どもなんかことにそぉじゃ、うっかりしたことをちょっと言ぅたり、しょもないことしたために、大事なことがバレてしまう。これ『禍は下から』じゃ」、「わたいら。大丈夫でやす」、「そやない、そやない。芝居でもお家の大事やとか、そんなん知ったやつは、『下郎は口のさがなき者ぉ~』ズバ~ッと斬られたりするねん。せやさかい下々の軽い者のほぉが気を付けてくれないかん」。
■袴(はかま);俗に窮屈袋。日本で下半身に着用する伝統的な衣類の一つ。
左、袴を着けて出歩く時。 右、たたんだ時の紐の位置。
■網打ち(あみうち);投網。 円錐形の袋状の網のすそにおもりを付けたものを、魚のいる水面に投げ広げ、かぶせて引き上げる漁法。また、その網。川など浅い所で行われる。うちあみ。なげあみ。唐網(とうあみ)。「投網を打つ」。
■天満橋(てんまばし);夏の暑い時は夕涼みに川端に出たりして、自然の風に当たるのが一番の涼み方です。大坂では芸者太鼓持ちを連れて、淀川に船を出すのが大店の旦那衆の定番です。
■加賀伊(かがのい);加賀国から出て来た伊助が大阪北浜に「加賀伊」を開いたのが初めで、明治8年大阪会議がここで開催され成功を祝って「花外楼」と名前を変えて、現在でも営業を続けています。
初代の北浜に開店した加賀伊(花外楼)の店舗。
■阿み彦(あみひこ);大阪市中央区北浜2-1-5 B1。今をさかのぼる約350余年前寛永年間創業の老舗。備長炭で香ばしく焼き上げられた鰻を中心に会席料理を提供。
創業から受け継がれてきた秘伝のタレが素材の旨みを引き立てる。
ふっくら柔らかに仕上げる、こだわりの関西風うなぎ丼をはじめ、会席料理 鍋料理など、数々の鰻料理をご用意致します。
■本釣鐘(ほんつりがね);本物の釣鐘(小型)を撞木で打ち,写実的な効果音,あるいは凄みのある場面や見得をするときなどの効果音として用いる囃子。またその楽器をいう。
■丁稚(でっち);商家に年季奉公する幼少の者を指す言葉。丁稚として働く (奉公する) ことを丁稚奉公といった。職人のもとでは徒弟、弟子、子弟とも呼ばれる。江戸時代に特に多かった。明治時代以後はいわゆる近代的な商業使用人となっていく。上方ことばの丁稚に対して江戸言葉では「小僧」という。
■提灯(ちょうちん);現在と違って街灯がなく、夜は真っ暗闇で歩行は難渋した。その為、夜間外出時は手元の照明が必需品で、現在は懐中電灯がありますが、当時は提灯を持っての歩行であった。
■松喜(まつき);仕出し屋?。現在の営業状態は不明。
■カラスミ;(唐墨、鰡子、鱲子)は、ボラなどの卵巣を塩漬けし、塩抜き後、天日干しで乾燥させたもの。名前の由来は形状が中国伝来の墨「唐墨」に似ていたため。
■赤貝の酢のもん(あかがいの すのもん);むき身の赤貝を酢で締めて、キュウリやわかめで和えたもの。
■お寿司と茶碗蒸(おすし ちゃわんむし);定吉がお多佳はんの所で食べた料理。寿司=上方で江戸寿司と断りがなければ寿司は押し寿司です。茶碗蒸し= 茶碗に具と汁を入れて蒸す料理。特に、茶碗に魚、貝、鶏肉、かまぼこ、ぎんなん、椎茸などを入れ、出し汁や出し汁でのばした卵汁をそそいでそのまま蒸した料理。茶碗焼き。
左、ばってら。 右、茶碗蒸しの一例。
■目刺し(めざし);1匹では買えなかった、これ目刺しっちゅうてな、仲のえぇ魚でな、ずら~と竹串くわえてこぉ並んで泳いどりまんねん。
■縮緬雑魚(ちりめんじゃこ);これ塊ってこぉ泳いどりまんねん。そこ旦さんがパッと網を・・・.
左、干し網上のちりめんじゃこ。 右、生のちりめんじゃこ(生しらす)。
■蒲鉾(かまぼこ);これ不細工な魚だんねん、この蒲鉾言ぅのんなぁ。魚のくせによぉ泳ぎまへんねん、板に乗って泳いでまんねんで。
俗に言う「かまとと(カマトト)」または「かまとと振り」とは、「蒲鉾のことを『これは魚(とと)か』と聞く」ということから、無知・世間知らずを装ってかわいらしく見せる人(特に女性)を指す。江戸時代に遊女が世間知らずを装うため、蒲鉾を指して、「これが魚なのか」と問うたことに由来するとされる。
ウイキペディア
板かまぼこ2種。
●網取り魚の矛盾をうまく言い逃れたのに、羽織と袴の畳み方で分かってしまうなんて。でも袴の畳方って折り鶴を折るよりむずかしんです。料理屋さんの仲居さんが畳んだと言えば良かったのに・・・。
2022年1月記 前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ |