落語「雷の褌」の舞台を行く
   

 

 (初)桂枝太郎の噺、「雷の褌」(かみなりのふんどし)より


 

 沖天(ちゅ~てん)に雷橋といぅところがございまして、ここに雷をば営業にしておられる五郎八さんと言う雷仲間の取締がおられます。

 「ただいま、いま戻った」、「お帰りやす。お疲れさん」、「坊主が見えんが、どっか行ったんか?」、「表で遊んでますわ」、「お父っつぁん、お帰り」、「『お帰り』やないがな、こんな時間まで外出てるやつがあるか。家(うち)にいてんかい」、「ボンな学校から帰って来て、本読んで宿題もぜぇ~んぶ済まして、ちょっと表へ遊びにやってもろたん」、「字ぃ書いたり本読んだりするばっかりが勉強やないわい。いずれお前もわしの跡を継いで雷にならん、太鼓を稽古せんかい」、「お父っつぁん、そう言ぅたかて、家に太鼓あらへんさかい稽古でけへん」、「ちゃんと誂えといたんが今日届いたぁる。そこにあるのがボンの太鼓じゃ」、「これボンの太鼓か? お父っつぁんが使こてんのん十六ついたぁるなぁ、ボンのん八つしかあれへん」、「お前は体が小さいよって、まだまだ十六太鼓は背負えやせんわい。八つ太鼓で結構じゃ。体に合うか合わんか背負わしたるさかい、裸になってこっち来い。さぁ、両の手ぇ通して、紐を前で結んだろ・・・。嬶(かか)どや? 今度の太鼓屋は仕事がうまいなぁ、太鼓が体にきちんと合ぉたぁるわい」。
 「さ、稽古したる。わしの太鼓こっち持って来い。今日は稽古始めじゃ、わしの太鼓よぉ見てぇよ・・・、これが陰陽の桴(ばち)じゃ、右のほぉから出るぞ。ハッ、ゴロッ、ゴロゴロゴロゴロ・・・、次は左のほぉ、コンッ、コロコロコロコロ・・・、両の手で、バリッ、バリバリバリ・・・、さぁ、やってみぃ」、「お父っつぁん、こぉか・・・、ゴロン、ゴロン、ゴロ、ゴロン、ンゴロ、ロゴン、ロゴン、ンゴロ・・・」、「太鼓が訛ってるやないか、手を堅とぉするさかいいかんねや。柔こぉ、こぉいぅ具合に回してみ・・・、ゴロッ、ゴロゴロゴロッ」、「そない言ぅたかて、ボンら初めて稽古するねんさかい、具合よぉ行けへん」、「明日から、一生懸命稽古するねんぞ」、「うんッ」。

 明くる日になりますと、学校から帰って来るとすぐ稽古しよる。間ぁが有ると稽古しよる。子供といぅもんは、もの覚えるのが早よぉございます。ものの半季もせんうちに、親っさんよりずっと上手に打つよぉになりよった。
 「なぁ、お父っつぁん」、「何や」、「ボン、この頃だいぶ太鼓打てるよぉになってきたやろ」、「そやなぁ、だいぶましになった」、「ほなな、今度夕立があったら、お父っつぁんの代りに雲の上走らしてんか」、「おぉ、えぇとこに気が付いたなぁ。たしかに太鼓打つばっかりが稽古やないわい、雲の上走って足腰を鍛えとかんとな。今度夕立があったら、いっぺん走ってみぃ」、「うんッ」。
 親子のもんが話しておりますと、表に来ましたんが沖天の市役所の小使。「へ、五郎八師匠。本日午後三時、夕立でおます。おこしらえ願います」、「お父っつぁん、市役所から『夕立のこしらえせぇ』言ぅてきたで」、「そらちょ~どえぇ、さっそく仕度せぇ・・・。嬶、今日はよそ行きの褌を出してやれ、太鼓背負ぉてバチ持って・・・、さッ、用意はでけた。時間がくるまで待ってぇ」。

 午後三時になりますと、ピカッ! 車軸を流すよぉな雨がザザ~ッ!「お父っつぁん行ってくるで」、「気ぃつけて行けよ」、「うんッ!  ゴロッ、ゴロゴロゴロ・・・、コロッ、コロコロコロ・・・、バリッ、バリバリバリ・・・」。
 走りよる走りよる、子供ちゅうのは身が軽いもんでっさかい、あっちへツツ~ッ、こっちへツツ~ッ走りよった走りよった。ところが、なんせ初めてのことでっさかい、雲に厚いとこと薄いとこがあるんに気ぃ付きません。ひょ~しの悪い、雲の薄なってるとっからスコン! 落ちよったんです。落ちた所が日本ではございません。清国、山奥の薮ん中に落ちよった。
 薮ん中でトラが昼寝しとりましたんですけど、その枕元へドス~~ン! トラやんのびっくりしょまいことか、頭持ち上げよって大きな口開けて、グゥワォ~~ッ!
 「お、お父っつぁん怖い~ッ・・・! 褌が噛みよる」。

 



ことば

初代 桂枝太郎(かつら えだたろう);落語の名跡である。(1866年2月 - 1927年2月6日)本名: 岩本 宗太郎。享年62。
 京都生まれ。幼少の頃に父を亡くしたため、二代目桂猫丸(初代桂文之助の門下)が養父となる。 初め6歳で桂慶治に入門し扇太郎?を名乗る。1875年ころに二代目月亭文都の門下で春之助を名乗るが、文都と養父の意見が合わず、明治10年代初めに二世曽呂利新左衛門の門下で笑福亭梅幸の名で旅巡業に出る。その後春之助に戻り、1885年、養父の死によって京都へ戻り、三代目笑福亭松鶴の門下で五代目笑福亭吾鶴を名乗り(あるいは三代目桂文吾の門下で吾鶴を名乗るとも)、幾世亭に出演。1886年、上京し関東地方を巡業。1887年、二代目桂文枝の門下に移り、初代枝太郎を名乗り、主に京都の寄席で真打を張った。後に「京桂派」を主催し、若手育成にも尽力した。 住所から俗に「先斗町」と呼ばれる。歯切れ良く、線の太い芸風で、名人と称された。十八番は『堀川』『紙屑屋』『莨の火』などで、特に『大丸屋騒動』は、あまりに素晴らしい出来であったため、この演目のやり手が他になくなったと言われる。なお、SPレコードに『雷の褌』という小噺を吹き込んでおり、その芸風の一端を偲ぶことができる。また、舞踊は山村流の名手で、初代橘ノ圓と並び称された。
 ウイキペディア

かみなり(雷鳴り); 雲の上にいて、雷を起こすという神。鬼の姿をしていて、虎の皮の褌(ふんどし)を締め、太鼓を背負って、これを打ち鳴らし、また、人間のへそを好むとされる。雷神。はたた神。かみなりさま。

 鳴雷(なるかみ)、雷神、雷公(らいこう)などともいう。江戸時代にはガミガミ怒鳴りつける人も「雷」と呼ぶようになった。尚、虎の皮の褌は、鬼がはくもので牛の角と虎の皮で丑寅(北東=鬼門)をデザインしたもの。俵屋宗達の風神雷神図でも同じみ、太鼓が連鼓というのも定番。菅原道真が天神(雷)になったとされ、領地である桑原と唱えると落ちないという。蚊帳に逃げ込むのはなぜか、定かではない。説明されているのは、雷が壁を伝うので隅より真ん中にいろという教えだとか・・・。近代的な説明が多い。
  以前雷が臍を狙うのに、ベルトのバックルに落ちるという話を聞いたが、それ自体が疑問。今の研究では金属ではなく棒状のものに落ちるとされている。だから木の下で雨宿りするなというのだ。人間の場合、立っていて雷を通しやすい棒状になっていたという原因が多いらしい。

雷はどうして起こるの
 雲の中には大小様々(さまざま)な氷のかけらがある。かけら同士が激(はげ)しくぶつかり合うと、電気ができる。この電気は少しずつ雲の中に溜(た)まっていくんだ。でも、抱(かか)えきれなくなると地面に向かっていきなり電気が一気に流れていっちゃう。これが雷の正体なんだよ。 ではどうしてピカッと光ったりゴロゴロと音がするのだろう? 地面に向かって電気が流れた瞬間(しゅんかん)、1万℃(度)以上の高温になった空気の分子が激(はげ)しく運動する。それが光や、激しい音の原因(げんいん)になるんだ。普通(ふつう)、空気は電気を通さない物なんだけど、雷の時は電気を流そうとする力がおよそ1億ボルトにもなるから、無理やり空気の中をかき分けて進んでいく。だからまっすぐ進めずにギザギザに見えるんだって。
 パナソニック

 

 2021年8/30、21時前後の北方向の空です。気象予報では雷注意報が栃木、茨城に濃く出ていましたが、その雷が東京でも花火大会の夜空のように空を走り回っていました。頭の上で雷の直撃を受けている皆さんは大変だったでしょう。東京では音も聞こえず稲妻の乱舞でした。スーパーセルという非常に珍しい現象で、私も初めての体験でした。 

 

 風神雷神図左翼 俵屋宗達の屏風画 国宝。2曲1双、紙本金地着色。建仁寺蔵(京都国立博物館に寄託)

 

  

 浅草寺雷門に建つ「雷神」。

半季(はんき);① 各季節の半分。
  ② 一年の半分。半年。半期。この噺では、半年。
  ③ 江戸時代、奉公人の雇用期間を三月五日と九月五日からの向こう半年間と区切って奉公すること。また、その期限。半季勤。半季奉公。

よそ行きの褌(よそいきの ふんどし);普段履き慣れた物では無く、外に出ても恥ずかしくない物(ハレの物)。正月、誕生日、記念日などのハレの日に特別に着飾るもの。そのハレの日に鬼だから着ける虎柄の褌。
 :邪気を象徴する鬼は、方角で言うと鬼門の丑寅(うしとら=北東)
の方向になります。で、牛は頭に角があり、虎は虎革の褌を着けているのが鬼です。

車軸を流すような雨(しゃじくをながす);大量の雨が激しく降るさまを形容する言葉。「車軸を流す大雨の中を、やっとここまでたどり着いた」。 〔語源〕車の心棒のような太い雨が降る意から。
 イミダス・集英社
 現代では、バケツをひっくり返したような、土砂降りです。
 「車軸を流すような」は大雨の比喩にしか使わない。 「カラスの濡れ羽色」と言えば髪の比喩にしか使わない。



                                                            2022年2月記

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