落語「昆布巻芝居」の舞台を行く 四代目桂文我の噺、「昆布巻芝居」(こんまきしばい)より
■四代目 桂文我(かつら ぶんが);(1960年8月15日 - )は三重県松阪市出身の落語家。本名は大東幸浩(おおひがし ゆきひろ)。
■昆布巻き;昆布はコンブともコブとも発音する。昆布・若布(わかめ)・鹿尾菜(ひじき)・水雲(もずく)〈以上褐藻(かっそう)〉、海苔(のり)・天草(てんぐさ)〈以上紅藻〉、それに緑藻などの海藻と海中の植物全てを含めて海草と言う。だからこの欄で紹介する資格は十分にある。
江戸時代後期、初代桂文治により始められ明治期の初代桂文我により完成された上方芝居噺であるが、大正から昭和期にかけ、娯楽が芝居から映画、レビュー、漫才、スポーツ、ラジオ放送など多様化するうち衰退、それに母体となる関西歌舞伎と上方落語の低迷もあって戦後はすっかり廃れていた。
わずかに東京の桂小文治や前述の花柳芳兵衛らが細々と継承していたのを桂米朝、六代目笑福亭松鶴、二代目露の五郎兵衛らの尽力で復活し、現在では「蛸芝居」・「質屋芝居」・「昆布巻芝居」・「そってん芝居」・[瓢箪場」などの上方ものはもちろん、「累草紙」などの江戸の芝居噺が移植されて演じられている。
鮒の昆布巻き
(ふなんこぐい=鮒の昆布巻き)
鹿島地方に古くから伝わる冬の保存食。
鮒を生きたまま昆布で巻き、大根と共に一昼夜煮込む。
佐賀平野には農業用水路や貯水用として堀がはり巡らされている。秋に水を抜く「堀干し」をするが、その際に獲れる鮒が使われる。
おくんちなどのハレの日に食べる。鹿島市では、毎年、二十日正月の前日、恵比寿様、大黒様にお供えするための鮒を売る「ふな市」が開催される。これは300 年以上続く伝統行事となっている。
■鰊(ニシン/鯡);
ニシン目ニシン科の海水魚。別名、春告魚(はるつげうお)。魚体は細長く、体長は30-35cmほど。背側は青黒色、腹側は銀白色。日本付近では春、産卵のために北海道沿岸に現れる。
英語で ヘリング (英、独: Herring、蘭: Haring)といえばニシンも含むが、普通はタイセイヨウニシン( C. harengus
)のことをいう。卵の塩蔵品は数の子(かずのこ)と呼ばれる。海藻に産み付けられた卵は子持ち昆布として珍重される。
■宮本武蔵(みやもとむさし);武蔵に関わる物語は江戸時代から脚色されて歌舞伎、浄瑠璃、講談などの題材にされ、吉川英治が1935(昭和10)年8月23日~1939年7月21日まで朝日新聞に連載した小説『宮本武蔵』によって最強の青年剣士武蔵のイメージが一般に広く定着した。
■宮本武蔵の芝居;『鍋蓋試合』、正式な名題は『仇討巌流島』その中で一番派手で面白い段、これは『木曽山中異人住(いじんすまい)の段』ですわ。こらよろしまっせホンマに。
後ろは山の背景、一面の銀世界ですなぁ、こら綺麗なもんでっせ。で、異人の館がありますねや。
囲炉裏がこぉ切ってありましてな、で、こぉ竹の自在鉤(じざいかぎ)には鉤鍋ちゅうてね、ちょ~どこんな鍋がかかってますわ、こんな鍋が・・・、湯ぅ沸かしてまんねんけどな、こんな鍋がかかってますねや。上手(かみて)にはこぉ寒紅梅(かんこばい)の盛(さかり)がありましてな、それで後ろには木剣(ぼっけん)が二本こぉかかってますわ。囲炉裏の前へ座って火箸で火をいじってるんが異人、笠原瑞応為之(ずいおぉためゆき)。
そして山幕、切って落とされまんねん」。 桂文我
『鍋蓋試合』、正式な名題は『仇討巌流島』その中で一番派手で面白い段、これは『木曽山中異人住(いじんすまい)の段』ですわ。
■異人(いじん);言ぃましてもね、よその国の人やおまへんねん。まぁ剣術の達人とかな、もぉ我々ではでけんよぉな技を使うよぉな人のことを「異人」と、こぉ言ぅんやそぉですねん。 桂文我
■寒紅梅(かんこばい);植物「ウメ」の園芸品種。庭園に栽培される。花は八重で紅色。はっさく梅。寒中に紅色の八重の花が咲く。右写真。
■忠臣蔵(ちゅうしんぐら);歌舞伎 通し狂言仮名手本忠臣蔵
浄瑠璃のひとつ。並木宗輔ほか合作の時代物。1748年(寛延1)竹本座初演。赤穂四十七士敵討の顛末を、時代を室町期にとり、高師直を塩谷判官の臣大星由良之助らが討つことに脚色したもの。「忠臣蔵」と略称。全11段より成る。義士劇中の代表作。後に歌舞伎化。(広辞苑より)
■一の谷;『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』:文楽および歌舞伎の演目のひとつ。五段続、宝暦元年(1751年)11月に大坂豊竹座にて初演。並木宗輔の作。三段目の切は特に『熊谷陣屋』(くまがいじんや)と通称される。ただし宗輔はこの作の三段目までを執筆して病没したので、浅田一鳥らが四段目以降を補って上演した。版行された浄瑠璃本には、作者として浅田一鳥・浪岡鯨児・並木正三・難波三蔵・豊竹甚六の連名のあとに、「故人」として並木宗輔の名が記されている。眼目は三段目の「熊谷陣屋」。
上図:「組討」 熊谷が沖へと向う敦盛を呼び戻すという場面。四代目中村歌右衛門の熊谷次郎直実、初代中村福助の無官太夫あつ盛。嘉永3年(1850)5月、大坂中の芝居。五粽亭広貞画。
「熊谷陣屋」、自らの陣に戻った熊谷は、我が子の敵を討つために訪れた敦盛の母・藤の局(ふじのつぼね)と、妻・相模(さがみ)に敦盛の最期の様子を物語ります。
義経による首実検が行われることになり、熊谷は討ち取った首とともに、義経から与えられた制札を差し出します。制札から、後白河院(ごしらかわいん)の落胤(らくいん)である敦盛の命を救うため、子を身代りにするよう示していると察した熊谷は、実子の小次郎(こじろう)を犠牲にしていました。主君への忠義のため子を失い、無常を感じた熊谷は出家するのでした。
■菅原;『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』:人形浄瑠璃のひとつ。時代物。竹田出雲・並木千柳・三好松洛・竹田小出雲合作。1746年初演。菅原道真の配流を軸に、武部源蔵の忠義、白太夫の三つ子の兄弟梅王・松王・桜丸の悲劇を配する。「車引き」「寺子屋」の段が有名。
概略:菅原伝授手習鑑(寺子屋の段)
■フラスコ(葡: Frasco、英: Flask);化学実験で使う口の小さい容器(試験管の一種)で、蒸留や攪拌に用いる。主としてガラスで出来ている。溶液を正確に計量するために用いるメスフラスコ、アルコールランプで加熱するのに適する丸底フラスコや、ナスフラスコ、机の上に固定しておくことができ、溶液の保存に便利な三角フラスコ、平底フラスコ、三ツ口フラスコ、セパラブルフラスコ、微生物培養時に通気を確保できる坂口フラスコ、バッフル付きフラスコなどがある。
透明(白色)が一般的であるが、遮光性が必要な操作の場合のためには褐色のものを用い
左から、三角フラスコ、三ツ口フラスコ、ナスフラスコ、メスフラスコ。
2022年3月記 前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ |