落語「鍋墨大根」の舞台を行く 桂米朝の噺、「鍋墨大根」(なべずみだいこん)より
■深山がくれ;落語「深山がくれ」、クリックすると噺の解説があります。
■初代 桂南天(かつら なんてん);この人から「鍋墨大根」教わったんですけど、この人はまたちょっと変わってまして、もぉ誰もやらんよぉな変な噺ばっかりやってた人なんです。とにかく、妙な噺ばっかりやってた。
■鍋墨(なべずみ);鍋・釜の底についた黒いすす。
■「おくどさん」とは「かまど」のことです。京都以外の関西圏では「へっつい」と呼ぶこともあります。山陰地方ではお料理の煮炊き設備そのもののことを「おくどさん」と呼ぶ。
■大根(だいこん);古名は「おおね」で大根の字が当てられていましたが、後に音読みの「だいこん」になりました。生のまますりおろせば、自然の辛みが味わえ、コトコト煮れば甘みが増す、和食においてなくてはならない食材です。 春の七草の一つに「すずしろ」と数えられることからも、日本の食卓との深い関わりが伺えます。通年出回っていますが、冬の時期の大根は甘みがより増してくるのが特徴。煮物やおでんなどに向いています。 大根は、かつては全国各地で固有のものが栽培され、200品種を超えるといわれていましたが、最近では青首大根が主流。甘みがあり、大きさも手ごろなことから、青果売場にならんでいます。一方、地方ごとに工夫された漬け物や切り干しなどの保存食として加工されたものも広く流通されるようになりました。
■振り売り(ぼてふり);近世までの日本で盛んに行われていた商業の一形態である。ざる、木桶、木箱、カゴを前後に取り付けた天秤棒を振り担いで商品またはサービスを売り歩く様からこう呼ばれる。棒手売(ぼてふり)におなじ。
『守貞謾稿』では、油揚げ、鮮魚・干し魚、貝の剥き身、豆腐、醤油、七味唐辛子、すし、甘酒、松茸、ぜんざい、汁粉、白玉団子、納豆、海苔、ゆで卵など食品を扱う数十種類の振売商売を紹介している。中でも「冷水売り」は“夏日、清冷の泉を汲み、白糖と寒ざらし粉の団子を加え一椀四文で売る、求めに応じて八文、十二文で売るときは糖を多く加える也、売り詞(ことば)「ひゃっこいーひゃっこい」。一椀たいがい六文、粉玉を用いず白糖のみを加え、冷や水売りと言わず砂糖水売りと言う”と紹介されている。京阪ではこれに似たものを道ばたで売っている。『守貞謾稿』や落語の題材に食品以外にもほうき、花、風鈴、銅の器、もぐさ、暦、筆墨、樽、桶、焚付け用の木くず、笊、蚊帳、草履、蓑笠、植木、小太鼓、シャボン玉など日用品や子供のおもちゃ、果ては金魚、鈴虫・松虫などの鳴き声の良い昆虫、錦鯉など愛玩動物を商う振売も紹介されており、その中には現代も残っている「さおだけ売り」や、相撲の勝負の結果を早刷りにして売る「勝負付売り」も紹介されている。
江戸幕府は、庶民の暮らしが豪華になるとそれを「身分不相応」として取り締まることが多くあり、1つ六十文もするような高級なすしを作る職人を捕らえたとある。
食品、日用品を売るほかに、生活の中で必要なサービスを売り歩くもの、ある種の物品を買い歩くものも存在した。前者は錠前直し、メガネ直し、割れ鍋直し、あんま、下駄の歯の修繕、鏡磨き、割れた陶器の修繕、たがの緩んだ樽の修繕、ねずみ取り、そろばんの修理、こたつやぐらの修繕、羽織の組紐の修繕、行灯と提灯の修繕、看板の文字書きなど。修理用の道具や材料を入れた箱などを天秤棒にぶら下げて歩く姿は普通の振売と全く変わらない。単純に食品を売るよりも、多少の職人技が求められる。
後者は紙くず、かまどの灰、古着、古傘、溶けて流れ落ちたろうそくのカスを買い歩く。江戸時代においては紙は浅草紙等など再生紙として利用しており、買い集め溶かしてすき直し、再生した。かまどの灰は畑の肥料に使い、古着は仕立て直すか布地に再生し、古傘は張り直して使い、ろうそくのカスは集めて溶かして芯を入れ直せば新しいろうそくとして売り出すことができた。
■朸(おおこ);物を担(にな)うのに用いる棒。物にさし通して両端を二人でかつぐものもあり、一人で両端に物をかけたり草や薪の束に突きさして担うものもある。天びん棒。
■口開け(くちあけ);物の口をひらくこと。特に、物事をする一番初め。商店で、その日の最初の商売。
■誤魔化す(ごまかす);都合の悪いことを隠したり、相手に分からないようにすること。
あるいは、質問などについてまともに答えないで、うやむやにすること。
■玄人(くろうと);技芸などに深く熟達した人。あるいは、一つのことを職業、専門としている人。専門家。くろと。
■駕籠屋(かごや);駕籠かきを置き、客の求めに応じて駕籠を仕立てる家。また、それを営む人。
■堀江(ほりえ);大阪府大阪市西区南東部の地域名称。一般的に北堀江及び南堀江を指す。
■一朱(いっしゅ);江戸時代の金貨の一種。 形状は一分金を中央から横に切断したような正方形で,日本の金貨のなかでも珍しい形である。 一朱金16枚で小判1両に換えられた。1両=4分=16朱、4進法です。1両を8万円として、1朱は現在の価格で約5千円。
■天保銭(てんぽうせん);天保通宝(てんぽうつうほう)は、江戸時代末期から明治にかけての日本で流通した銭貨。天保銭(てんぽうせん)ともいう。形状は小判を意識した楕円形で、中心部に正方形の穴が開けられ、表面には「天保通寳」、裏面には上部に「當百」と表記され、下部に金座後藤家の花押が鋳込まれている。素材は銅を主成分とした合金製で鉛や錫なども含んでいる。重量は5.5匁(約20.6g)。サイズは縦49mm、横32mm程度である。
上、天保銭表裏。
■千両箱三つ(せんりょうばこ みっつ);千両の銭貨を入れておく木製又は金属張りの箱。 ミカン箱を小さくした大きさ。10両盗むと首が飛ぶ時代に、100人分の首の重さがあったのでしょう (^_-) 。
千両箱というのは、25両包みの小判が40個入った木箱でした。箱のサイズ、幅約25cm、長さ約50cm、深さ約13cm。重さは、約4kg。ただ、これは箱の重さだけ。中身がキッチリ詰まった千両箱は、小判100枚(百両)はおよそ300匁、つまり1125gとされているから、千両箱の中身はその10倍で11250g(11kg強)になります。これに箱の重量を加えれば、13~14kgという重さになります。また、小判だけではなく二朱金を詰めたものもあった。小判や金貨の種類によっては20kgありました。 (造幣博物館にて)
千両箱、江戸東京博物館蔵。
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