落語「近眼の煮売屋」の舞台を行く
   

 

 桂米朝の噺、「近眼の煮売屋」(ちかめの にうりや)より


 

 続いて聞ぃていただきますが、これがまたごくごく古いケッタイな噺でございます。今日はもぉケッタイな噺ばっかり並べとることになってまんねや。  

  昔はどこの町内にも煮売屋がありまして、ちょ~ど今の、「ほかほか弁当」やとかいぅてね、やっぱりズボラな奥さんなんかあれ買ぉて全部間に合わしたりいたします。昔も家で煮炊きするのは結構、まぁ夫婦二人ぐらいなら高こつくんですな。で、煮売屋で好みのものを買ぉて帰るといぅ、これは大阪やとか江戸やとかいぅ都会ではずっと昔からあったよぉでございます。

 「おッ、何じゃい! 昼間っから呑んでんのんかい」、「まぁこっち上がれ」、「ぎょ~さんご馳走(ごっつぉ)並べて、昼間っから一杯呑んでるてな、えぇ贅(ぜ)やなぁ」、「(クゥ、クゥ・・・)プハァ~ッ」、「それ、冷やでやってるんか」、「灘の酒蔵になぁ、友達がおんねん。で、そこで蔵出しの上等、『こいつはそこらに売ってる酒と違うで』ちゅうやつを一升くれたんや。で、五合(ごんごぉ)片付けたんやけどな、もぉ楽しみにして取っといたやつをな、今日は暇やし、もぉ昼間から仕事も何もあらへんさかい、こぉやって楽しんで呑んでんねんや」、「ほぉ~、やっぱり旨いか」、「あぁ、違うなぁ味が。ホンマはわしゃ燗のした酒が好きやけどな、燗はこぉ見えてもうるさい(クゥ、クゥ・・・)。こんなえぇ酒お前、おかしな燗つけてしもたんではもったいないやろ、せやからいっそ冷やのほぉがえぇ思てな(クゥ、クゥ・・・)冷やで呑んでんねん」。
 「それ、鯖の生鮨(きずし)か」、「そぉや、こぉいぅもんで呑んでるとな、何ぼでも呑めるわ(クゥ、クゥ・・・)」、「そら何や」、「こらお前、海鼠腸(このわた)や。わしゃまたコノワタ好きでなぁ(ジュ、ジュル・・・)。ん~ん、この磯の香りっちゅうのかなぁ、このフ~ッと残ってるところへ、灘の酒をお前(クゥ、クゥ・・・)旨いで」、「このカマボコ、えらい大きぃなぁ」、「紀州のカマボコや大きぃ、ひと味違うで」、「これは何や」、「鰆(さわら)の照焼きやないかい」、「これは」、「焼き豆腐やっちゅうねん。いちいち指差すなアホ。焼き豆腐ぐらい、見て分からんのかい」。
 「その猪口(ちょこ)ちょっと変わってるなぁ」、「えぇやろ、見てみ」、「おっきありがと」、「九谷や。古道具屋で見付けたらな、安いさかい買ぉてきたんや。こらまぁぐい呑みちゅうやつやなぁ、普通の猪口の三倍ぐらい入るで」、「あぁなるほど」、「こっちかし」、「・・・?」、「(クゥ、クゥ・・・)プハァ~。コノワタもこれでしまいやなぁ(ジュル)ん~ん、結構や(クゥ、クゥ、クゥ・・・)」、「こらッ、あんまり殺生な真似すな」、「何怒ってんねん」、「お前、わしが前に座ってんねやないか、『おい、一杯いこか』ぐらい言ぅたらどやねん」、「何をぬかしてけつかんねん。わしが呑んでるところへ、お前が入って来て、『ひとついこ、付き合え』と言わなんだことがあったか? 今日らお前、『誰ぞ相手が欲しいなぁ』思てたとこやがな。で、わしがお前が来たさかい、『おぉ、まぁそこへ座れ、ひとついこ』と言ぅ前に、お前どないしたんや。嬉っそぉな顔して、『こら、えぇとこ来たなぁ』ドカッと座って、『ごっつぉはん』とこない言ぅた。親しき中にも礼儀ありちゅうことがあるぞ、『ひとついこか』と言ぅてから、『ごっつぉはん」ちゅうたらどやねん・・・ 。お前、よだれの垂れそぉな口元しやがって、『これは何やぁ、これは何や』いちいち焼き豆腐まで指差して聞ぃてけつかんねん。そんなお前、意地の汚い真似しやがったら、こっちゃ意地でも、『呑め』とは言わんねやさかいな、まぁ、そこへ座って見てぇ」、「なるほど、ホンにわしが行儀悪かった・・・、謝る。謝るさかい一杯呑ましてくれ」、「なっさけ無いやっちゃなぁ、お前は。おら怒ってんねんで、わしはおい。お前根性あったら・・・」、「根性も小遣いもないねや、もぉこの頃、何にもあらへんねん。一杯呑ましてぇな、お前そんな旨そぉに呑み食いしてんのん見てたら・・・」、「何をぬかしてんねん、お前かて取り付けの酒屋があるやろがな。銭無かったかてお前、『ちょっと一升持ってこい』ぐらい言えるやろ」、「さぁ、言えるけど、灘の蔵出しちゅなえぇ酒あらへんがな」、「呑んで酔ぉてしもたら何でも一緒や」、「そんなこと言ぅけどお前、このところ暇で暇で、もぉ小遣いにも不自由してんねや」、「お前とわしとは同業やで、お前が暇ならわしも暇やがな、こっちかて仕事あれへんがな」、「こないごっつぉぎょ~さん前へ並べて、旨そぉに酒呑んでるやないかい、えらい違いや」。
 「何を言ぅてんねや、こらみなタダや」、「タダ? 誰かから、もろたんかい」、「もらえへん、煮売屋から取ってきたんや」、「煮売屋、タダでくれるんかい」、「誰がタダでくれるかいそんなもん、盗ってきたんや」、「どないすんねん?」、「この町内の煮売屋はあかんで、もぉ顔も知ってるやろ、なじみや。隣の町内へ行け隣りの町内。あすこの煮売屋あるやろ」、「はぁはぁ、あの俥屋の帳場の近所」、「そぉ、三軒ほど向こぉにあるやろがな。あのオッサン、えらい近眼(ちかめ)やであれ、もぉ道で会ぉてもな、こっちから声かけてネキまで顔持ってきて、『おぉあんただすか』ちゅな人や、目がものすごぉ近眼やねん」、「で、向こぉでな、『あれを、これを』ちゅうて注文して、ダ~ッと包まして荷造りさしといて、銭払うよぉな格好して、紙切れでも何でもえぇがな、こぉ渡しかけてパッと落とすねん、『あッ、オッサン、そこへ札が落ちた』、『どこに?』近眼やさかいな、グ~ッ顔持ってかなんだら分かれへんやろ、ズ~ッと頭下げたところ、上からギュッと押えて、ベタッと尻餅ついてるそのあいだにダ~ッと持って帰ってくんねん」、「あんまり堂々でもないで、これは」、「おらぁそぉやって盗ってきて呑んでんねやないかい。呑んだり食たリ、お前もやりたかったらやってこい」。
 「行てきたろ」、「待てアホ、冗談やがな、嘘やがな。もぉそんなこと本気にするやつがあるかい。アホなこと言わんとまぁまぁ怒るだけ怒ったら一杯呑ます」、「何かしてけつかんねん。そんだけボロクソに言われて、気兼ねして一杯や二杯の酒よばれるより、俺が行てきたらえぇねんさかい・・・」、「こらッ、ちょっと待ちっちゅうねん・・・」。

 「なるほど、あのオッサンならうまいこといくや分からんぞ、近眼やさかいなぁ・・・、え~、ここやここや。ごめん」、「へッ、お越し」、「コノワタはあるかい」、「今朝えぇナマコが手回ったんでな、塩してちょ~ど今が食べごろでっせ」、「そのコノワタ、おくれ」、「へぇへぇ、この曲げもんにな、入れさしてもらいまっさかいな・・・」、「それからな、生鮨(きずし)、生鮨あるやろ、それちょっと一人前おくれ」、「へぇへぇ」、「それから、カマボコあるか、あぁそれでもえぇわ、それも包んどいて・・・、サワラの照り焼きあるか」、「へぇへぇ」、「焼き豆腐、それをちょっとひとまとめにしてもらいたい」、「へぇへぇ・・・」、「で、何ぼんなる」、「えぇ~ッと・・・」、「あぁそぉか、ほなちょっと釣をおくれ釣を、あ~ッ、オッサンえらいことした」、「どないしなはった」、「いや、そこへ札落としたんや、そこへ」、「へッ? どこでやす」。上からギュ~ッ。「な、何をすんねんッ!」、ダァ~ッ・・・。

 「行てきたった~ッ! 行てきたった」、「うかつになぶれんやっちゃなぁ、こいつは・・・、ホンマにやってきたんかお前」、「お前の言ぅとおり、うまいこといったで、紙落としたら、『どこにぃ?』言ぅて顔下へ持っていきよったさかい、上からギュ~ッ、『ギャッ』ちゅうてヘタバリよったさかいダ~ッと・・・」、「ホンマに、何ちゅうことすんねんな、お前・・・、で、品もんは?」、「あッ、忘れてきた」。

 



ことば

煮売り屋(にうりや);今の惣菜屋。 以下、米朝のマクラより。昔。こいつはその、大体ずっと昔さかのぼると二(ふた)種類あったよぉで、いろんなお惣菜、おかず類を煮炊きして売ってたよぉな煮売屋、これはまぁ割と近頃まであったんですが。この落語に「煮売屋」といぅ「東の旅」の噺がございます、ここはこの、ちょっとこぉ一杯呑むんですなぁ。でこの、例の「紙治(かみじ)」てなお芝居にも、「今、向こぉの煮売屋で・・・」なんて台詞がある。あぁいぅところではやっぱりこぉ一杯呑んでた。そぉいぅ、ちょっとした居酒屋に毛の生えたよぉなところも煮売屋。おかずなんか売ってたところも煮売屋でございます。もっとも、もぉ近頃ではそんなものあれしませんが、ずっと荷ぃ担いだり車引ぃたりして売ってた煮売屋もございます。
 この頃はもっぱらデパートの地下あたりが煮売屋になってるよぉで、立派な紳士がですな、英国製の背広かなんかを着て、コロッケ三つ買ぉて帰ったりしてまんねん。あんまりあれ、えぇ風景でもないんですが、まぁまぁ男女同権や言ぅたら、まぁそんなもんかも分からんですが。わたしらあぁいぅものをどぉも、なんか前へ立ちますといぅと、ちょっとつまみとなりまんねん。買ぉて帰ろぉといぅよぉな殊勝な気はないんですが、そこでちょっとこれ味みてみたい、といぅ誘惑に毎度駆られておりますんです。面白いもんですなぁ、あぁいぅとこブラブラ回ってるといぅと。 

ほかほか弁当(ほかほかべんとう);株式会社ほっかほっか亭総本部、大阪本社 大阪市北区鶴野町3番10号、設立 2021年5月、会社分割前 2021年3月期 株式会社ハークスレイ実績 163億円。チェーン展開する「ほっかほっか亭」など、持ち帰り弁当を販売する店の俗称。ほっかほか弁、ほっか弁、ほか弁とも。

灘の酒蔵(なだの さかぐら);灘五郷発展の諸要因、 灘酒造業が江戸向けの銘醸地として発展したのは、亨保期以降、つまり18世紀以降でした。その要因となったのは、高度な酒造技術や西宮の一角から湧き出る良質な水=宮水が挙げられますが、次の要因も欠かすことはできません。ひとつは、六甲山系の急流を利用した水車の存在です。これまでの足踏み精米に比べ、水車によって精白度を高めたとともに、精米量の飛躍的な増大により量産化の道を大きく開いたのでした。良質な原料米が集まる兵庫津や大阪に近いという恵まれた立地条件も功を奏しました。 さらに、灘地域は船積みの便に恵まれていた上に、西宮に樽廻船問屋ができたため、その発着点になるなど、輸送体制が着実に強化されたことも発展の大きな要因です。江戸へ輸送する際には海路を使った樽廻船で運ぶことができ、陸地からの輸送よりも早く大量に出荷することができました。また、その際に樽の杉香が清酒に移り、熟成されることにより酒質も向上。「灘の酒」は江戸での人気を得て、江戸後期には江戸の酒の需要の8割を供給したと言われています。
 平成7年に発生した阪神・淡路大震災では、白壁土蔵造りの酒蔵や赤煉瓦の酒蔵などが崩壊し、伝統的な景観が大いに損なわれました。その痛手からいくつかの中小蔵元が止む無く廃業に追い込まれ、灘五郷酒造組合員数は51社から42社へと減ってしまったのです。
 灘五郷酒造組合

 大関株式会社 代表銘柄:大関。  日本盛株式会社 代表銘柄:日本盛。  白鷹株式会社 代表銘柄:白鷹。
辰馬本家酒造株式会社 代表銘柄:白鹿。 宝酒造株式会社 松竹梅 白壁蔵 代表銘柄:松竹梅。
株式会社小山本家酒造 灘浜福鶴蔵 代表銘柄:空蔵。  白鶴酒造株式会社 代表銘柄:白鶴。
菊正宗酒造株式会社 代表銘柄:菊正宗。  剣菱酒造株式会社 代表銘柄:剣菱。  泉酒造株式会社 代表銘柄:仙介・琥泉。  株式会社神戸酒心館 代表銘柄:福寿。 等々酒蔵が灘には有ります。

燗酒と冷や酒(かんざけと ひやざけ);日本酒において「冷や」とは、「常温の状態のお酒」を意味します。 冷蔵庫のない時代、日本酒はお燗で飲むか、温めず常温のまま飲むかの二択でした。 そのため、お燗よりも温度が低い常温のお酒を「冷や」と呼んでいたのです。 一方の「冷酒」は、冷蔵庫や氷水の中に入れて冷やした、「冷たい状態のお酒」のことです。

上燗(じょうかん);酒の燗の温度の種類の一つ。また、お燗をする人をお燗番と言います。
 またお燗の仕方でも、直接火にかける「じか火燗」、お湯につける「湯せん燗」、これには、水から暖める、熱湯につける、80度くらいの湯につける、と細かに分かれる。それぞれに味わいが変わります。

冷やの表現と温度

 雪冷え(ゆきひえ)   5℃
 花冷え(はなひえ)  10℃
 涼冷え(すずひえ)  15℃

燗の表現と温度
  日向燗(ひなたかん)   30℃近辺
  人肌燗(ひとはだかん)   35℃近辺
  ぬる燗(ぬるかん)   40℃近辺
  上燗 (じょうかん)   45℃近辺
  あつ燗(あつかん)   50℃近辺
  とびきり燗(とびきりかん)   55℃近辺

鯖の生鮨(さばの きずし);鯖を酢締めしたもの。鯖の酢締めを指すことが多いが、鰆、鯵、鯛などを用いたものもある。鯖の場合は概ね西日本では「きずし」、東日本では「しめさば」と呼ぶのが一般的である。 寿司という名前だが飯無しの切り身で食べるのが一般的。切り身はさらに切り込みを入れる場合もあり、ワサビ、生姜などを添える場合もある。飯に乗せて寿司としたものはきずしずし、鯖寿司、バッテラなどになる。 一般的な作り方は頭を落とし内臓を取って三枚おろしにした魚を塩に一晩程度浸け、そのあと塩を洗い落として酢に浸ける。浸ける時間などや塩、酢の量は各種流儀があるようである。 元々は保存食であり、日本海でとれた鯖を京都に運ぶために塩漬けにしたのが始まりとされる。

 鯖の生鮨。しめさば。

海鼠腸(このわた):ナマコの腸管で作った塩辛。酒の肴さかな。三河・志摩産のものが有名。
 寒中に製した、また腸の長いものが良品であるとされる。尾張徳川家が師崎のこのわたを徳川将軍家に献上したことで知られ、ウニ、カラスミ(ボラの卵巣)と並んで日本三大珍味の一つに数えられる。 古くから能登半島・伊勢湾・三河湾が産地として知られてきたが、今日では、瀬戸内海など各地で製造されている。
 ナマコの内臓はふつうは塩蔵品として市販されるが、生鮮品をそのまますすっても、三杯酢に浸して酢の物としても美味で、酒肴として喜ばれる。また、このわたに熱燗の酒をそそいだものは「このわた酒」と称される。

紀州のカマボコ(きしゅうの かまぼこ);田辺は城下町で弊店のある福路町は正保二年(1645年)に魚の棚に指定され魚屋が営業していた町です。 当時すでに塩魚店(干物店)は存在しており後年干物以外の魚の加工品をと考案されたのが「なんば焼」。たくさん獲れる魚を無駄にしないよう魚の身をくずしすりつぶし型に入れて焼き抜く蒲鉾としたのです。 時代は変われど江戸時代の人も今の私たちも同じ蒲鉾を食べているんだなと「時」が確かにつながっているという気持ちがします。
 和歌山県田辺市 蒲鉾 たな梅。 下写真も

鰆(さわら)の照焼き;サワラは、鰆はスズキ目・サバ科に分類され、体長40cmから1mに成長する大型の魚で、成長とともに名前が変わる出世魚として知られています。 関東では50cmくらいまでの大きさを「サゴシ」や「サコチ」と呼び、50cmを超えると「鰆」と呼ばれます。 一方の関西では50cm前後は「サゴチ」や「ヤナギ/ナギ」、70cmを超えたサイズを「鰆」と呼んでおり、関東と関西では呼び方が異なります。下図。



 鰆は春に多く収穫されることから、春を告げる祝い魚として、日本古来から重宝されてきました。 冠婚葬祭や懐石料理だったり、地域によってはおせちに使われたりと、食卓で今も昔も変わらず愛されています。2019年の日本では鰆の漁獲量1位は福井県、2位は京都府、3位は石川県、4位は福岡県、5位は長崎県と日本海で多く捕られました。鰆は5~6月にかけて、産卵のために瀬戸内海へやってきます。 関西ではこの時期に多くの鰆を捕獲できたため、旬は春と認識されています。関東では12~2月の産卵期前の、もっとも脂がのった「寒鰆」が好んで食べられており、冬が鰆の旬とされています。
 照り焼き(右写真)の他に、西京味噌につけ込んだ西京焼き。旬のサワラはマグロの中トロに匹敵し、刺身は絶品。白身の塩焼きは簡単で旨い。 

九谷(くたに);九谷焼(くたにやき)は、石川県南部の金沢市、小松市、加賀市、能美市で生産される色絵の磁器。五彩手(通称「九谷五彩」)という色鮮やかな上絵付けが特徴。
 古九谷、江戸時代、加賀藩支藩である大聖寺藩領の九谷村(現在の石川県加賀市)で良質の陶石が発見されたのを機に、藩士の後藤才次郎を有田へ技能の習得に赴かせ、帰藩後の明暦初期(1655年頃)、藩の殖産政策として始められたとされる。約50年後(18世紀初頭頃)、突然廃窯となる。
 再興期、 古九谷の廃窯から約1世紀後の文化4年(1807年)に加賀藩が京都から青木木米を招き金沢の春日山(現在の金沢市山の上町)に春日山窯を開かせたのを皮切りに、数々の窯が加賀地方一帯に立った。これらの窯の製品を「再興九谷」という。同じ頃、能美郡の花坂山(現在の小松市八幡)で新たな陶石が発見され、今日まで主要な採石場となった。

 

取り付けの酒屋(とりつけの さかや);江戸時代は町内の小売店ではツケで買い物が出来た。その為、安いからと言って隣町の店に行ってもツケは利かず、現金で買ったが町内の店からは良くは見られなかった。噺のように、金がなくても顔で品物を持ってこさせることが出来た。ただし、暮れの支払日は大変で、落語の題材にもなるように逃げ回ることになります。

俥屋(くるまや);人力車の俥屋。 車引き。特に、人力車を引く人。車夫(しゃふ)。

近眼(ちかめ);近視=平行光線が網膜の前方で像を結ぶため、遠い所がよく見えない状態。また、その目。水晶体の屈折力が強すぎるか、網膜までの距離が長すぎるために起こる。凹レンズで矯正。ちかめ。近眼。近視眼。

曲げもん(まげもん); 檜(ひのき)や杉などの薄い板を、円形・楕円(だえん)形に曲げて、接(つ)ぎ目を桜の皮などでとじ、底板をつけた容器。 桶、杓、弁当箱などがある。 ◇「曲げわっぱ」「綰(わ)げ物」ともいう。
 時代の経過とともに、これらの曲物は「桶」における「結桶」や「井筒」における「石垣」などの登場によって廃れていったが、江戸時代以降も弁当箱や膳、盆、菓子器、華器、茶道用器などに利用され、現在も少なからず生産されている。
 曲げわっぱ、単なる工芸品と捉えられがちだが、ご飯が傷みにくく、軽量で持ち運びがしやすいといった実用品としての利点がある。ヒノキや秋田杉の美しい木目と色合い、香りの良さ、普遍的なデザイン等が再認識され、老若男女問わず根強い人気がある。
 右写真、弁当箱に使っている曲げ物。

 


                                                            2022年3月記

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