落語「米朝艶笑噺」の舞台を行く
   

 

 桂米朝の噺、「米朝艶笑噺」其の一。(べいちょう えんしょうばなし その一)より


 

  え~、今日はちょっと色っぽいお噺を聞ぃていただきます。

【年の始め】
 やはりはじめは「年の始め」と言う初春のお噂からです。

  お正月に、床の間に蓬莱・島台、鶴亀、尉と姥(じょ~とんば)、松竹梅、めでたいものを飾ります。鶴は千年、亀は万年、松に竹に梅、ジョ~トンバの人形。これ、お爺さんとお婆さんがホ~キとクマデ持ってます、「お前ハクまで、わしゃ九十九マデ」と言うんやそぉですが。
  その前で若夫婦が布団を延べまして寝てたんですが、やっぱり若いさかいね、寒さにもめげず始まりだした。それをジ~ッと見てたのがジョ~トンバで、「なぁ、お婆さん」、「何じゃいな」、「見てみ、若いもんと言うものは元気がえぇなぁ。この寒(さぶ)いのにあんなことやってるがな・・・。あんなん見てると、わしも何じゃおかしな気になってきたがな。もぉちょっとこっち寄りぃな」、「何をすんねやいな、嫌らしぃ」、「何言ぅてんねやいな、お前とわしと、誰にはばかることありゃせんがな、昔を思い出して・・・」、「と、ジョ~トンバがゴジャゴジャやりだす。それをジ~ッと見てた鶴と亀が」、「なぁおい、若い者は元気がえぇな~」。

【逢いびき】
 ♪十日戎の売り物は、はぜ袋に取り鉢、銭叺(ぜにがます)
 ♪小判に金箱、たて烏帽子
 ♪ゆで蓮、才槌、束ね熨斗(のし)
 ♪お笹をかたげて千鳥足・・・

  「十日戎(とおかえびす)」と言う、古い古い唄ですが、大阪は福の神さんは今宮の戎(えべっ)さんが賑わいます。東京はお酉(とり)さんですけどもな。
  で、戎・大黒と言うあの神さん、やっぱしSEXに関係あるんやそぉですなぁ。そぉ言われて見ると、あの大黒さんの頭巾の形やら、下に俵二ぁつ置いてたりね、こぉ打ち出の小槌やとかなんかの象徴みたいな気がいたしますし、戎さんの頭の烏帽子も、そぉ言われて見ると女性の象徴のよぉな気もするんですが。
  十日戎の賑わいと言うものは大変です、道なんか歩かれしまへん。あんな時に行かいでも、もっと空いてる時があるやろと思うのに。戎さんにばっかりお願いしたかて・・・、戎さんも言ぅたはりましたわ、「そないぎょ~さんのもんにやる福があんねやったら、前に賽銭箱は出しとかん」ちゅうて。これもまぁ、理屈やと思うけども。
  一月の十日、大勢と一緒にワンサワンサと行かんかて、七月の十五日ぐらいに行たらよぉ空いてまっせ。で、あの時分に行て、戎さんと差し向かいでじっくり談判したほぉが、よっぽどえぇんやないかと思たりしますけど。
 お宮さんの境内と言うものは、また閑散な時には、デートにえぇ場所です。「この頃ちょいちょい、神社の境内に怪しぃ男女の風行(ふぅぎょ~)を乱しておる」と言うよぉな噂を、氏子代表の堅いおっさんが聞ぃてお宮へ言ぃに来た。神主さんもほっとけんちゅうわけでね、夜中に見回ってみますと、なるほどそこここにアベックがおる。中には随分怪しげな振る舞いをしてるやつがおる。
 「これこれ・・・、君々」、「はぁ?」、「いや、『はぁ』やないがな、何をしてんねん」、「へッ?」、「いや、『この神社の境内で何をしてる?』ちゅうねん」、「あぁ・・・、あのぉ、氏子を増やしております」、「ん、『氏子を増やしておる?』まぁ、そらえぇが・・・。必ず紙(神)を粗末にするなよ」。

【骨董屋】
  「忍び三重(さんじゅ~)」と言うお芝居でお馴染みの三味線ですが、これはこぉ、こっそり忍んで行ったり、暗がりの探り合いであるとか、泥棒が。今日は別に泥棒の噺やおまへんねん、忍びと言ぃましても、忍び男に忍び女、忍ぶ恋路のほぉですなぁ。まぁ、『忍んで』と言うところにあれ、スリルがあってえぇんやそぉですが、自分の家の中でも忍んでる人がある。
 大きな道具屋、骨董屋のご主人、最近、自分とこへ若い女中さんが来たと言うので早速目を付けまして、で、隙を見ては口説くんです。でまぁ、はじめのあいだは受け流してたんですけれども、だんだんヒツコなってきて、『今晩お前のところへ忍んでくる』と言われて、さぁ困りましたなぁ。
  「どぉしたらえぇやろ? ご主人にそない恥をかかすわけにもいかんし」と、お上さんに打ち明けた。「まぁ、何かいな。うちの親っさんそんなこと言ぅてるのん、あの助平親爺はホンマに何と言う・・・。あぁ、よぉ言ぃなはった、かまへんかまへん。あのな、『はいはい』言ぅといて、あんた今日、わての寝床へ来て寝なはれ。ほんで、あて代わりにあんたの寝間で寝てるさかい」。
  そんなことになってるとは知りまへん。ご主人のほぉは、こぉこっそり忍んで女中さんの寝間へ。こっちは待ち設けてまっさかいに、素直に受け入れよる。「なぁ、いややっぱり女は若こないといかんわい、若い女に限るなぁ。うちの婆とはまぁえらい違いや」、と言ぅと、下から亭主の横っ面をパ~ンッ! と張り飛ばした。ビックリして、「な、何をするんやッ」、「あんた骨董屋の親爺してて、新しぃか古いかが分からんのか」。

【あとの二人】
  ”よろめき”なんて言葉が流行ってますけれども、ずいぶんとあるんやそぉですなぁ。昔でもあったんでっせ、町内のお上さん連中が集まって、 「あんなぁ・・・」、「何?」、「この町内でなぁ、ご亭主以外に男持ってる嫁はんが三人もいてまんねやてぇ」、「さよかぁ・・・、ん~、あとの二人は誰かしらん?」。

【火消しの嬶(かか)】
  酒屋で立ち飲みをしてた男が(ジャ~ン、ジャンジャン、ジャンジャンジャン)と言う半鐘の音を聞くと、残った酒をク~ッと呑み干して、 「おい、早いこと勘定して、急ぐねん。な、何ぼや?」、「えらい急ぎはりますねんなぁ」、「大急ぎやねん、いま半鐘が鳴ってるやろ」、「はぁ、ほな、あんた消防のほぉのお方で?」、「いや、わいの女ごが火消しの嬶(かか)やねん」。

 【ねごと】
  ご夫婦、誰はばかることもなしに枕を並べて寝てた。と、お上さんのほぉがほかの男と寝てる夢でも見たんですなぁ、急に大きな声で寝言を言ぃ出した。「あんた、えらいこっちゃ。うちの人が帰って来たッ!」。これ聞くなり亭主、窓の外へパ~ッと飛び出したちゅうんですが、こらまぁどっちもどっちですわなぁ。

 【猪飼野(いかいの)】
  大阪に猪飼野と言う所があります『猪を飼う野』と書くんですが、今はえらい賑やかなとこですけども、明治のはじめ頃までは一面の桑畑やったんやそぉで、こらまぁ明治以前のお噺ですけど・・・。
 「あんなぁ、猪飼野の桑畑にオモロイ女ごが毎晩のよぉに出てんねやて」、「どないオモロイねん?」、「いや、ちょっと変わっとんねやなぁ、あの桑畑の真ん中にそぉ、雑木が茂ってこんもりしたとこがあるやろがな。あん中入ってったらな、頭の上から手拭をこぉパラッと掛けただけで、ズボ~ッと立っとぉんねやて。ほで、そばへ行たらどこへでも付いて来るし、どんな言ぅことでも聞くねがな、こいつが」、「そらお前、商売女や」、「いや、金取れへんねん」、「ただか?」、「ただやがな。毎晩のよぉに出てんねやで。もぉどんな男でも相手にするし、まぁ世の中には好きな女があるもんやと思てなぁ」、「へぇ~、そらだいぶに変わってんなぁ」。
 「よし、今晩行たれ」ちゅうわけで、教えてもぉた所へ行ってみますと、なるほど手拭を引っ掛けた女が一人立ってる、「こいっちゃな」てなもんで、そばへ寄って、「おいッ、おいッ」袖を引くと黙って付いて来る。程よい所へムシロが敷(ひ)ぃてありますので、でその上で始めますと、噂が広まってお役人の耳にもこれが入ってた、「けしからんやつである」と言うので、ちゃんと手配り伏勢(ふせぜぇ)といぃますか、人数が大勢ここへこぉ忍んでた。そのど真ん中で始めたんでっさかいたまりまへん、「それッ!」と声がかかると八方からサ~ッと明かりを突きつけられた。「お、おぉ~、これは?」、「『これは』も何もない。怪しぃやつ、番所へまいれ」、「いぃえ、決してわたしはそんな怪しぃ者(もん)ではございません」、「怪しないことがあるもんか、けしからんやっちゃ。こんな所でかかることを、番所まで来い」、「これはそんな怪しぃんやないんです。これはわたしの女房、うちの女房でおまのんで」、「嘘をつけ、自分の女房とこんな所で、何でこんなことをせんならん?」、「へぇ、今照らされて、初めて分かったんや」。

【医者間男】
 この、女性と言うものは段々図々しなってくるもんで、増長と言うやつですなぁ、あるお上さんが自分のところへ始終来るお医者はんと懇(ねんご)ろの仲になってた。で、だんだん高じてきて、「いっぺん亭主の前でやってみたい」。えらいことを考えよったんですなぁ。まぁ、ご主人のほぉはちょっとボ~ッとしてる男でっさかい。「なぁ、いっぺんうちの人の前ででけへんやろか」、「何ちゅうことを言ぃだすねんな、そんなことがでけるわけがない」、「いや、せやけどなぁ、何とか目の前でいっぺんしてみたら、面白いやろと思うねや・・・。うちの人ボ~ッとしてるさかい分からへん」、「『分からへん』ちゅたかてお前、そんなことができるかいな」、「なぁ、何かあんた工夫ない?」、「そぉやなぁ~・・・」、と、よからぬ相談ができる。それから二、三日して、家でご主人と二人座ってるときに急にお腹を抱えて、「ん~ん、痛い痛い痛い、あぁ~ッ!」とのけぞった。
  びっくりした亭主が医者のところへ飛んで行って、「先生ちょっと来とくなはれ、えらいこってす」。来て、形ばかりの診察をします。「ご主人、こらえらいことができた」、「どぉなりました?」、「こら、お上さんの下腹(したはら)の奥深いところにな、たちの悪い出来物ができてる。こりゃ事によると命にかかわるで」、「命に? どぉしたらよろしぃ?」、「困ったなぁこりゃ・・・、いやあの、この出来物にな、よぉ効く薬はあるんじゃが、場所が場所だけになぁ、下腹の奥の深いところじゃ、塗り付けるのに困るんじゃ」、「ん~ん、まぁそら方法がないことはないがなぁ、困ったなぁ。いやもぉ一刻を争うねやさかい、何とかせんならんねやが・・・、これはな、あんたにやってもらうと一番えぇんじゃが、まぁあんた素人で、どのへんにどぉ言うふぅに塗り付けたらえぇのか分からんじゃろが・・・。まぁ、命にかかわることじゃで、わしがやらしてもらうがなぁ・・・、とにかくこの薬を」、お上さんをこぉ四つん這いにして、塗り付けにかかったんですなぁ、目の前で。それをジ~ッと見てた亭主、「先生(せんせ)、あんたが医者やなかったら、わしゃ疑うところや」。

【狐と馬】
  「♪琉球(りゅきゅ~)へ、おじゃるなら、ワラジ履いて、おじゃれ。琉球は、石原(いしわら)、小石原(こいしわら)・・・」。
  これは『琉球節(りゅきゅ~ぶし)」と言ぃまして、琉球(りゅうきゅう)、つまり沖縄ですなぁ。古い古い唄でございますが、歌舞伎のほぉでこいつが用いられるときは、必ず武張(ぶば)ったお侍の出ぇです。あの「助六」で、股くぐりのところへ田舎の武士が供を連れて出て来るところなんか、この唄で出て来るわけで。こいつ聴くと、こぉいかにもイカツイ感じのお侍が太身の大小を腰に挟んで、そぉ言うところを連想いたします。
  太身の大小、腰のもの『腰のものの大小』と言ぅと、こらまぁ刀の話ですが、腰のものの大小は刀ばっかりやおまへんなぁ。刀でない腰のものにも大小がある。ずいぶん大きぃのんやら小ぃさいのんやらあるよぉですが。「大きぃことは、いいことだ」と言ぅけども、必ずしも大きけりゃえぇと言うもんでもないらしぃ。中には、「小太刀使いの妙手」てな人もありまして、そぉそぉ劣等感を持たいでもえぇんですが。
  これも古いお噺で、ある人が山ん中で道に迷よぉて日が暮れた。辻堂のよぉなものがあるので、「ともかくここで一夜を明かそぉ」と言うので中へ入ると、妙齢の女が一人、なかなか別嬪です。この女もここで一夜を明かそぉとするらしぃ。でまぁ、「朝まで一緒に、ここにおらしてもらいまひょ」と言ぅたが、若い男と女が山ん中の辻堂に閉じ込められて、ここで、まぁ世界の情勢を論じたり、経済問題を話したりすることは、まぁおまへんわなぁ。どちらからどぉと言うこともなしに、だんだん心安ぅなってきて、さて濡れかかって一儀に及ぼぉとすると、これがあきまへんねん。その男もかなり大きぃほぉやったらしぃんですが、どぉ~にもならん。焦ってもあせっても、埒が明かん。何とか・・・、とするうちにフッと気が付いた、「待てよ、こんな若い別嬪が、一人でこんな山ん中の辻堂におると言うこと自体がおかしぃ。こら普通の人間やないんかも分からん・・・」。 「おい、お前狐と違うか?」、「あんた、馬と違いますか?」。

【大根船】
  大阪の東横堀。ただ今はガラッと様子が変わりましたが、昔はあすこに綺麗ぇな水が流れてたんやそぉで、冬なんか、朝もぉ一面の水蒸気がモォモォと立ち込めまして、川岸に住んでる人がこぉ顔洗ろたり、歯を磨いたりして川岸に立ってると、水面を大根を山のよぉに積んだ船が漕いでやって来る。
 「大将、お早よぉさん」、「やぁ、早いなぁ」、「大根買ぉとくなはれ」、「えぇ?」、「どぉです、えぇ大根、今掘りたてや。太い立派な大根どぉでやす、朝商いや負けときまっせ」、「何を言ぅてんねんな、そんなお前、情けない細い大根ばっかり積んできて」、「何を言ぃなはんねや、こんな一本選りのえぇ大根やがな、こんな太い」、「何が太いことがあるかいな。こんなもん、わいの道具より細いがな」、「おい、えぇ加減にしなはれ。朝商いやで、まだ口開きや、一本も売れてないねや。朝っぱらからそんなケチ付けられたら、一日験(げん)が悪いなぁ。何ちゅうこと言ぃなはんねん、おいッ」、「さッ、この大根、これとおまはんのんと比べてな、これが負けたらこの船の大根、全部あんたにあげるわ。その代わりこっちのほぉが太かったら、験直しを考えてもらいたいなぁ」、「ん~ん、そないぎょ~さん大根もろたかてしゃ~ないがな」、「取る気か、こいつ」、「ほな、見したろか・・・、さぁ、拝め」。
 「おッ、恐っそろしぃやつが世の中には・・・、負けたなこら、よっしゃ、しゃ~ない、さぁこの船の大根みなやるわ」、「おいおい、こないぎょ~さん大根もろてもしゃ~ないちゅうのに」、「いや、もぉ感心も得心もした、世の中にはえらい人があるもんや。いぃや、わしも男や、一旦言ぅた以上は大根みな置いていく。さ、えぇよぉにしてくれこれ」、「こないぎょ~さん大根要らんちゅうのにホンマに・・・、正直な男やなぁ、行てまいやがったがなあいつ」。
 「ちょっとあんた、そないぎょ~さん大根買ぉて、どないするつもりやいな」、「いや、買えへんがな、くれたんや」、「誰がいな」、「いや、あの船のな、ちょっとわいのんとこの大根と比べ合いしてな、『勝ったぁ』言ぅてな、みなこれ大根置いて・・・」、「アホなことしなやこの人は、何をすんねやいなもぉ。あんたがそんなことするさかいに、近所の人がえらい評判やがな、わてが道歩いてたら笑いよんねやがなもぉ・・・、ロクなこと考えへんねんこのオヤジ。こないぎょ~さん大根もろて、タダでそらいかんがな、向こぉお金あげなんだら気の毒な。あの船か?」。
 「ちょっと~ッ、大根屋さ~ん。お~いッ、その船ぇ~ッ」。
 「おい、船頭」、「え?」、「呼んでるがな、お前とちゃうのんか? あそこの家から」、「え?」、「向こぉの家のお上さんが呼んでるやないかいな」、「どこの家のお上さん?」、「あの家、ちょっと戻ったりぃな」、「あかんあかん、あすこへは行けんわ。今度行たら、船まで取られる」。

【かげかくれ】
 「白髪三千丈(はくはつさんぜんじょ~)」てな言葉があって、何でもこの中国と言うところは大げさな表現のあるところですが、あそこにも大きな噺がありますなぁ。
  大変巨大な持ち主が、どこにも合う相手がないので空しくこの空閨(くぅけぇ)を託(かこ)っておりますと、ある地方に非常に大きぃ女性がおるちゅうことを聞ぃて訪ねて行た。
  「あんた、大きぃそぉでんなぁ。わたいも大きおまんねん」言ぅたかどぉか知らんけれども、「どぉです、もし、合うよぉなら一緒に暮らしたいもんやと思いますが」、「そぉでんなぁ、ほなまぁ縁のもんでっさかい、いっぺんお手合わせを願いましょか」。言ぅなりその女、股座(またぐら)へサッと手を突っ込むと、そこから布団を引きずり出してきてそれへ敷(ひ)ぃて、今度は掛け布団を出してきてそこへ置いて、枕二つ取り出してきてポンポンと並べて、「さぁどぉぞ」。
  男、こらとても適(かな)わんちゅうんで自分の代物(しろもん)の影に隠れた。ちゅうんですが、えらい噺があるもんで。

【テームズ河】
  イギリスのほぉにも大きぃ噺がございます。やはり大ぉきな持ち主が、泳ぎが大の自慢で、テームズ河で競泳大会があると言うのに、この男が参加しまへんねん。「どぉして君、出ないのか?」、「まぁまぁまぁ、地中海とか、ドーバー海峡でとか言うんならともかく、テームズ河で俺ぁ出られんがな」、「何でぇな」、「川底、引きずるがな。わしゃ海でないと困んねやがな」、「ふ~ん、ほな仰向けになって、この背泳(はいえ~)をやったらどやねん」、「さぁ、テームズ河には橋がある」。

【指輪】
  次はソ連、こいつは大きぃ。ロシアの昔から(って、1992年からまたロシアに戻ってますけど)大きな国ですからなぁ全て。
  向こぉの女性と懇(ねんご)ろになった日本人が、「とにかくかなわん」と。指なんかでタッチしたんでは全然感じない。二本、三本、四本、五本・・・、しまいには握りこぶしを固めてこぉやってると、はじめて、「痛い」と言ぅ。握りこぶしで初めて「痛い」と言ぅたなぁ、「痛いから指輪を外してください」と言ぅた。指輪なんかはめてないはずやがなぁ、と見たら腕時計をしてた。

【懸け橋】
  二階の窓で向かい合わせに若い男女が住んでる。こっちの部屋に若い男、ちょ~ど向かいの窓に若い女。お互いに心は通じ合ってますけれども、その部屋へ行けまへんねん。下を通って行かんならん、と、下には両方とも親がいてまっさかいね。
  梯子か何かで窓から窓へ。と言うても、何も道具はないし・・・、この男が大変やっぱり巨大な持ち主であったので、向かいの窓へズバ~ッとこの肉の橋を掛けた、「さッ、これ渡っといで」、「嬉しぃわぁ・・・」と喜んで女が渡ろぉとしたが、「やっぱり止めとくわ」、「何でぇな?」、「帰りどぉするのん?」。 

【茶漬け間男】
 第303話「茶漬間男」として、一つの噺として米朝が演じています。

 



ことば

蓬莱・島台(ほうらい しまだい);蓬莱台、蓬莱山をかたどって作った山形の台。その上に、松竹梅・鶴亀・翁 (おきな) と嫗 (おうな) などを取り合わせて飾り、祝儀に用いるもの。蓬莱山。
 島台、島形とも州浜(すはま)形ともいい、婚礼などのときに飾る縁起物。島の形をした脚付きの台に肴(さかな)を盛り、箒(ほうき)と熊手を持った高砂(たかさご)の尉(じょう)と姥(うば)(男女の老人)や、松竹梅や岩を配した飾り台である。正月に鏡餅(かがみもち)の古形として、三方(さんぼう)に米を盛ってツルシバを飾り、餅、ミカン、昆布、エビ、干し柿(がき)、かち栗(ぐり)などをのせた、お手かけ、食積(くいつみ)、蓬莱(ほうらい)などとよばれるものと一連の飾りで、縁起を祝って婚礼の席にも使われるようになった。

鶴亀(つる かめ);鶴は千年、亀は万年の長寿が有るという目出度い動物。
  鶴と亀。いずれも寿命が長いとされるところから縁起をかついで祝儀に用い、また、長寿の象徴としても用いる。

尉と姥(じょうと うば);「お前ハクまで、わしゃ九十九マデ」。能の衣装をつけた老夫婦が、熊手とほうきで松の落ち葉をかき寄せる姿。 人形・絵画・彫刻などにされ、婚礼・ひな祭りなどの祝いに用いられる。謡曲の「高砂(たかさご)」に登場する老翁老嫗(う)。

 「仰せの如く古今の序に、高砂住の江の松も相生のやうに覚えてあり、さりながら、此の尉は津の国住吉のもの、是なる姥こそ当所の人なれ、知ることあらば申させ給へ、「ふしぎや見れば老人の夫婦一所にありながら、遠き住の江高砂の浦山国をへだてゝ住むと、いふのはいかなる事やあらん」  (謡曲高砂)
 尉と姥は松の精であり、また、イザナギ・イザナミの二神ともされています。夫婦和合の象徴として、結納・婚礼の飾りに使われることが多く、そういった和式の婚儀を経験された方なら、若い世代でも知っておられることの多い図柄です。お互いが白髪になるまで年を重ねるということで、長寿の象徴ともなり、還暦や古希など長寿のお祝いでもお馴染みです。二人の持つ箒と熊手、松、着物に描かれた鶴と亀、全て長寿を表す縁起物で、これらも「尉と姥」に付き物の小道具でしょう。下図。

  

松竹梅(しょうちくばい);松と竹と梅。冬の寒さに耐えて松・竹は緑を保ち、梅は花を咲かせるので、古来「歳寒の三友」と称し、めでたいもののしるしとして、画題や祝い事の飾り、立花などに用いられる。

 松竹梅を中国では歳寒三友と呼ぶ。中国の北宋後半の文人官僚文同とその従弟の蘇軾(そしよく)らにより文人たちのあいだで墨戯としての墨竹の流行が始まった。その後、墨戯はモティーフを、梅、蘭、菊、松等に広げ、冬期に色を変えぬ松竹や花を開く梅を君子の節操の象徴としてとりあげる機会も多くなり、これを歳寒三友と呼んだ。この主題は日本にもとり入れられたが、吉祥のシンボル的性格がより強調されている。

十日戎(とおかえびす);大阪は福の神さんは今宮の戎(えべっ)さんが賑わいます。近畿以西で1月10日に行われる行事。 えびす(戎・夷・恵比須)は本来漁業神であるが、東日本などでは農業神とも考えられ、旧暦10月20日と1月20日にえびす講がある。 京都建仁(けんにん)寺や福岡市の恵比須(えびす)神社にも十日戎がある。
 それに対して兵庫県西宮(にしのみや)市の戎社(西宮神社)の信仰圏では、市(いち)の日と結び付けたものか1月10日で、9日を宵(よい)戎、11日を残り戎という。大阪市の今宮戎神社では宝恵籠(ほえかご)といって、盛装した芸妓(げいぎ)たちがあでやかな練り込みをする。ササに種々の縁起物をつるした福笹(ふくざさ)を売る。下の写真。

 主として西日本で行なわれ、なかでも兵庫県西宮市の西宮神社の「十日えびす」、大阪府大阪市浪速区の今宮戎神社の「十日戎」、福岡県福岡市博多区の十日恵比須神社の、「正月大祭」はよく知られている。1月8日または 9日の宵えびすから始まり11日の残りえびすで終わるが、特に9日と10日に、一年の商売繁盛を祈願し、小判や米俵などを束ねた吉兆と呼ばれる吉祥物をつけた福笹をいただこうとする多くの参拝者でにぎわう。今宮戎神社では、一般から募集した福娘と呼ばれる若い女性たちが福笹を授与する。西宮神社の「十日えびす」では、宵えびすの深夜12時に神社のすべての門を閉じて神職がお籠りする居籠りが始まり、翌10日早朝4時に十日えびす大祭を行なったあと、午前6時に表大門の開門となる。この際、開門を待ちわびていた参拝者が競走して230m先の本殿に「走り参り」をし、早く本殿前に着いた上位3人が、一番福、二番福、三番福と呼ばれるその年の福男に認定される。博多の十日恵比須神社では、かつてこの祭りで「えびす銭」と称して商売の元銭を貸し出し、商売がうまく行けば翌年の祭りに倍にして返すならわしがあったことにちなみ、一文銭の授与が行なわれている。 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

お酉さん(おとりさん);酉の市は、例年11月の酉の日に行われ、鷲(おおとり)神社、酉の寺、大鳥神社など鷲や鳥にちなむ寺社の年中行事として知られ、関東地方を中心とする祭りである。多くの露店で、威勢よく手締めして「縁起熊手」(かっこみ)を売る祭の賑わいは、年末の風物詩である。 鷲神社は、日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀り、武運長久、開運、商売繁盛の神として信仰される。江戸時代には、武蔵国南足立郡花又村(現・東京都足立区花畑)にある大鷲神社(鷲大明神)が栄え、「本酉」と言われた。この花又鷲大明神を産土神とする近在住民の収穫祭が、江戸酉の市の発祥とされる。現在の同社の祭神は日本武尊で、東征からの帰還の際、同地で戦勝を祝したとされる。江戸時代には、花又の鷲大明神(本地)は鷲の背に乗った釈迦とされた。この神社の酉の市は、15世紀初めの応永年間に始まるとされ、参詣人は、鶏を献納して開運を祈り、祭が終了した後浅草観音堂前(浅草寺)に献納した鶏を放った。
 江戸時代後期から、最も著名な酉の市は、浅草の鷲神社(おおとりじんじゃ)と隣にある酉の寺 長國寺(とりのてら ちょうこくじ)境内で行われた酉の市である。江戸時代には浅草の鷲大明神(本地)は鷲の背に乗る妙見菩薩とされた。「現在の足立区花畑の大鷲神社を「上酉、本酉」、千住にある勝専寺を「中酉」、浅草の鷲神社と酉の寺 長國寺を「下酉、新酉」と称しており、江戸時代に盛大な酉の市はこの3カ所であった。幕末には巣鴨、雑司ヶ谷などの大鳥神社でも酉の市が開催されるようになる。明治時代になると千住・勝専寺の酉の市は閉鎖されたが、江戸時代から続く酉の市はいくつかあり現在も賑わっている。 浅草の鷲神社と酉の寺 長國寺の東隣には新吉原という遊郭が存在し、酉の市御例祭の日には遊郭内が開放されたといわれ、地の利も加わり最も有名な酉の市として現在に至る。規模(熊手店約150店舗・露天約750店)賑わい(毎年70万人~80万人の人出)とも日本一の酉の市である。
 ウイキペディア

  

 左、月岡芳年 「東京自慢十二ヶ月」 十一月酉のまち。 右、お酉さまの熊手。

戎・大黒(えびす だいこく);大黒さまといえば、左肩に大きな袋を背負い、右手に打出小槌をもち、米俵をふむ、いかにも福々しい姿をおもいうかべるにちがいない。しかし、 このような姿が定着するまでには長い道のりがあった。そのルーツをたどると、大黒さまはインドの神さまだった。サンスクリット語でマハーカーラと呼ばれ、この音を漢字にすると摩訶迦羅となる。 マハーは大、カーラは黒色を意味する。そこから大黒天と呼ばれる。
 大黒天の信仰が一般に広まるようになったきっかけは、大黒天と大国主命の習合によるといわれている。これは、大国主命の大国と大黒の音が通じ合うことから、 両者が同一視されるようになったことにもよるが、仏教側(特に天台宗)からの働きかけもあったと考えられる。十四世紀に書かれたとされる「三輪大明神神縁起」によると、最澄の前に大黒天に姿を変えた三輪大明神が現われたとされている。 三輪大明神は大国主命を祀っており、そこから大国主命=大黒天という図式がでてくる。このように中世には、仏教と神道を近づけるために、 「縁起」と呼ばれる神仏の由来書が多く書かれた。大黒天の信仰の普及に一役かったのが大黒舞と呼ばれるもので、大黒頭巾をかぶり、手には打出小槌をもって、大黒天に扮して舞う祝福芸である。 中世のなかごろから行われていたらしいが、「一に俵をふんまえて、二ににっこり笑うて、三に盃いただいて、四に世の中良いように~」というめでたい数え歌を歌いながら、毎年正月に各地の家々をまわり、大黒天の福をわけあたえたのである。

 

 エビスは釣竿を持ちタイを抱えた福々しい姿の福神で、関西では「えべっさん」の愛称で親しまれている。エビスには夷・戎・恵比寿・恵美須などの字があてられ、その語源は、異邦人や辺境に住む人々を意味するエミシ・エビスの語に由来するとされている。おそらく、生活空間の外部にある異郷から福をもたらす神としてイメージされていたらしい。その姿があらわすように、もともとエビスは漁民のあいだで信仰されはじめたと考えられる。漁村では、大漁をもたらす神として、海岸や岬の祠に祀られることが多く、毎年漁の初めに、船主や村の若者が目隠しをして海底に入り、拾ってきた石を御神体として祀る例もある。また、鯨・鮫・イルカや海中から拾い上げた石、海岸に流れついたものまでエビスと呼んで祀る例もある。 
 大漁の神から商業神に変身、漁業の神としてのエビスは、中世における商業の発展とともに、商業神としての性格をもちはじめる。古くは、長寛元年(1163)に奈良東大寺内に、建長五年(1253)には鎌倉鶴岡八幡宮に、 市の守護神として祀られているが、それが商業の発展とともに商人の信仰を集めるようになった。エビスの信仰が海から陸へと伝わり、商業神の性格をもつように背景としては、西宮神社(兵庫県西宮市)を本拠地とする、夷舁(えびすかき)あるいは夷まわしと呼ばれる 漂泊の芸能民が重要な役割を果たしたとされる。彼らは、人形舞を演じながら各地をまわり、エビスの御利益を宣伝するとともに、エビスの像を印刷した御札を売ってまわった。
  商売の神様としてのエビス信仰の中心は西宮神社で、その祭神は蛭児大神とされている。

氏子代表(うじこだいひょう);氏子総代.。 氏子の間から選ばれた代表世話人。神職と協力して、神社の維持にあたる。氏子=産土神 (うぶすながみ) の鎮守する土地に住んでいて、その守護を受け、それを祭る人々。

忍び三重(しにび さんじゅう); 歌舞伎下座音楽の一。三味線のみで演奏する効果音楽で、暗やみでの静かな探り合いの場面などに用いる。ひぐらし三重。

火消しの嬶(ひけしのかか);町火消(まちびけし)=江戸町人のための本格的な消防組織は、1718年(享保3年)に南町奉行大岡忠相がつくった「町火消」です。時代劇で有名な「いろは48組」のほかに本所・深川の16組があり、江戸には64組の町火消ができました。
  江戸時代の消火方法は、火がこれ以上広がらないように、まわりの家を取り壊してしまうのです。「龍吐水(りゅうどすい)」という手押しポンプもありましたが、現在の消防ホースほどには水を飛ばせるわけではありませんでした。火消たちは厚い布でできた半てんを着て、龍吐水をかぶって火の粉を防ぎ、「とび口」「大のこ」などの道具を使って家を壊しました。「まとい」は火事場に近い家の屋根で振り回して、早くついて、早くから消火にあたっていることを町の人達に知らせているものです。このような消火活動は一般の町人では難しかったため、町火消はとび職の人(土木工事や建築の職人)が中心になっていました。
 とび職の人達は、自分の仕事をしていても半鐘が鳴ると火事場に駆けつけたのです。大きな火事だとなかなか帰って来ませんが、小さな火事では鎮火とともに帰って来ます。間男とすれば時間をせくのは当たり前?(笑)。

猪飼野(いかいの);旧東成郡鶴橋町の大字のひとつで、現行住居表示の実施(1973年)前には猪飼野大通・猪飼野西・猪飼野中・猪飼野東の町名があった。現在の東成区玉津・大今里西の各一部、生野区中川西の全域および鶴橋・桃谷・勝山北・勝山南・舎利寺・中川・田島の各一部に当たる。
 近代以降もしばらくは大阪市の近郊農村地帯であったが、大大阪時代に差し掛かると市街化・工業化の波が押し寄せるようになる。農地を住宅地に転換する地主や、耕作をやめて働き勤めをする小作人も増えてきた中、1919年頃に地域内の地権者により「鶴橋耕地整理組合」が結成され、民間主導で農地の整理と下水道の整備が行われた。この時にこれまでくねくねと曲がって流れていた平野川をまっすぐに付け替える改修工事が行われた。耕地整理という名目で新平野川水路を中心に区画整理されたものの、農地として利用されることはほとんどなく、1925年の大阪市編入もあいまって急速に住宅・工場密集地帯へと変貌した。
 済州島から朝鮮民族が大量に渡航するようになると、当地は工場労働者の最大の受け皿となり、朝鮮民族(大半は済州島出身者)の人口が急増した。当地に根ざした人々によってコリアタウンが形成されていった。

番所(ばんしょ);江戸において「(御)番所」は町奉行所を指していたが、この他にも江戸城の城門に設置された御門番所、武家地の警備のために辻などに置いた辻番所、両国橋などの主要な橋のたもとに置かれた橋番所、町人地の木戸に設けられた木戸番屋、その他町内に配された自身番屋などがあった。 また、諸藩の中でも宿場町などの領内の重要地点や他領や天領との境界に番所(口留番所・境目番所)を設置して通行人や荷物の取り締まりを行い、領民や物資の領外への流出を阻止したり徴税を行ったりした。なお、武家諸法度には大名が私に関所を設置することを禁止する規定があり、実際には番所の設置が関所の代替の役目を果たしていた。

琉球節(りゅきゅうぶし);明治30年(1897)ごろの流行歌の一つ。鹿児島から琉球に輸入された二上がり調子のもの。

助六(すけろく);歌舞伎の演目の一つの通称。本外題は主役の助六を務める役者によって変わる。 江戸の古典歌舞伎を代表する演目のひとつ。「粋」を具現化した洗練された江戸文化の極致として後々まで日本文化に決定的な影響を与えた。歌舞伎宗家市川團十郎家のお家芸である歌舞伎十八番の一つで、その中でも特に上演回数が多く、また上演すれば必ず大入りになるという人気演目である。

 

 『助六所縁江戸櫻』 天保3年3月(1832年4月)江戸市村座の「八代目市川團十郎襲名披露興行」における『助六所縁江戸櫻』(すけろくゆかりのえどざくら)。中央に七代目市川團十郎改メ五代目市川海老蔵の花川戸助六、左は五代目岩井半四郎の三浦屋揚巻、右は五代目松本幸四郎の髭の意休。江戸東京博物館蔵。

あらすじ
 花川戸助六(はなかわど すけろく)という侠客に姿をやつした曾我五郎は、源氏の宝刀「友切丸」を探すため吉原に通っている。様々な男が集まる吉原で、遊客にわざと喧嘩を吹っ掛けて刀を抜かせようというのである。そこに助六を情夫にしている花魁の揚巻(あげまき)と、揚巻に言い寄る髭の意休(ひげの いきゅう)が登場。意休が友切丸を持っていると勘づいた助六は刀を抜かせようとするが、なかなかうまくいかない。そこへ白酒売に身をやつした兄の曾我十郎がやってきて弟に意見するが、助六の真意を知った十郎は自らも喧嘩を売る稽古を始める。 やがて揚巻が一人の侍を伴って再登場。助六はその侍に喧嘩を売ろうとするが、驚いたことにその侍は、兄弟を心配してやってきた母の満江であった。満江は助六に破れやすい紙子の衣を着せて、激しい喧嘩を戒めると十郎とともに帰ってゆく。 舞台には再び意休が登場。意休は実は助六が曾我五郎と見抜いており、友切丸を抜いて源氏を裏切ることをそそのかす。助六はもちろん応じず、意休(実は平家の残党・伊賀平内左衛門)を斬り、友切丸を取り返して吉原を抜け出す。

東横堀(ひがしよこぼり);東横堀川。土佐堀川の上流部で南へ分かれて、中央区の船場・島之内の東縁を流れる。全長約3km。西へ向きを変えてから下流は道頓堀川となる。 阪神高速1号環状線(南行き)の経路に利用されており、川に蓋をするように高架橋が覆い被さっている。地図によっては阪神高速の表記のみで、東横堀川の表記を省略するものも見られ、川の存在感が薄れがちである。 以前は川底にヘドロが蓄積され、ガスが発生するほど汚れていたが、地元住民や自治体の努力によって水質は改善傾向にある。2000年(平成12年)には東横堀川水門と道頓堀川水門を設置して、高潮の防御および河川水位を一定に制御することが可能になり、親水性の高い水辺再生への取り組みがなされている。
 本町橋 - 農人橋間でS字にカーブを描き、一区画分(約40間)東へ折れ曲がっている。これは開削時にあった浄国寺という寺院を避けたためと言われている。水流が急になるために水難事故が絶えなかったことから、付近の住民らで水難よけの曲り淵地蔵尊を祀った。また、この「本町の曲り」は上方落語「饅頭こわい」にも登場する。また、大阪の恐いところとして、上方落語には多々出て来ます。

白髪三千丈(はくはつさんぜんじょう);《李白「秋浦歌」から》長年の憂いが重なって白髪が非常に長くのびることを誇張していった言葉。 心に憂いや心配事が積もることのたとえ。
 白髪三千丈は一句の冒頭であり、後に「縁愁似箇長(うれいによりてかくのごとくながし)」と続き、合わせると「積もる愁いに伸びた白髪の長さは、三千丈(約9km)もあるかのように思われる」と解釈されている。 小学館刊『故事成語を知る辞典』によれば「人を驚かせる豪快な表現で知られた李白らしい、極端な誇張表現」と解説されている。ただし、同書によれば現在では極端すぎる誇張表現の例であり、特に、用法としては中国人の大げさな表現に対する暗喩として用いられる旨も説明されている。

空閨(くうけい);夫婦の片方がいないために、独りで寂しく寝る寝室。孤閨。空房。「―をかこつ」。

テームズ河;テムズ川は346kmの長さである。グロスターシャーのコッツウォルズの丘の近くのケンブルに水源がある。そしてロンドンに流れていく。ロンドン市内よりさらに上流、河口から90kmの距離まで、北海の潮汐の影響を受ける。ロンドンはローマ帝国支配下の紀元前43年に満潮時に潮が達した地点に築かれたという逸話があるが、2000年ほどの時間の間にさらに上流まで遡るようになってしまっている。ロンドン市内では、水は海水と混ざり少し黒い色をしている。
 テムズ川には無数の橋やトンネルがかかっており、タワーブリッジ(下写真)、ロンドン橋、ランベス橋、ダートフォード・クロッシングなどがある。

 

地中海(ちちゅうかい);英語ではMediterranean Sea。アフリカ北岸とヨーロッパ南岸、アジア西岸に囲まれ、ジブラルタル海峡で大西洋と通じる海洋。黒海を含め、約251万km2。平均水深1502m、最大水深5267m。中央部のイタリア半島によって東西の海盆に分けられ、イタリア半島の西方にリグリア海、ティレニア海がある。東部、南部の海岸線は比較的単調であるが、北東部のアドリア海、イオニア海、エーゲ海では複雑。コルシカ、サルデーニャ、シチリア、クレタ、キプロスなどの島がある。沿岸は地中海式気候。地中海火山帯がある。表面水温はわりに高く(平均水温13.35℃)、塩分は大西洋や黒海に比べて高い。海峡部を除き、著しい表面流、潮汐(ちょうせき)はない。透明度は高い。前3000年ころからクレタ文明(ミノス文明)、エーゲ文明が栄え、古代ギリシア、ローマ支配下では交通・貿易の舞台となり、〈地中海世界〉を形成した。7世紀に周辺地域の約2/3がイスラム教徒の支配下に入ってその統一性は失われたが、11、12世紀にはヨーロッパ内陸の生産力の増大を背景に、十字軍などを契機としてベネチア、ジェノバなどの都市が東方との貿易で繁栄。またこうした東西交流によって伝えられたイスラム文化や、イスラム経由でヨーロッパにもたらされた古代ギリシア文化がヨーロッパの革新を促した。新大陸開発後ヨーロッパにおける貿易の中心は大西洋岸諸都市に移ったが、1869年スエズ運河開通で、再びその重要性が増大した。
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ドーバー海峡(どーばーかいきょう);国際水路機関(IHO)による海域分類では、北東の北海と南西のイギリス海峡の境界付近にある。ただし、イギリス海峡を広義の大西洋の一部とし「大西洋と北海の境」、あるいは、イギリス海峡の一部と考え「イギリス海峡の最狭部」ととらえることもある。 最狭部はケント州フォーランド―パ=ド=カレー県カレーで、34km。呼称はイギリス側の都市、ドーバー市に由来する。 かつては唯一の海峡を渡る手段としてフェリーが利用されていた。1968 - 2000年は高速大型ホバークラフトによる運行が行われていた。現在はフォークトン、カレー間に英仏海峡トンネルが開通している、国際高速列車ユーロスターもアッシュフォード乗り換えで利用できる。

ロシア(ろしあ);ロシア連邦(ロシアれんぽう、通称:ロシア、Россия)は、ユーラシア大陸北部に位置する連邦共和制国家。首都はモスクワ市。 領土は旧ロシア帝国およびソビエト連邦の大半を引き継いでおり、ヨーロッパからシベリア・極東に及ぶ。面積は1709万平方キロメートル以上と世界最大である。地球上の居住地域の1/8を占める。国土が北アジア全体および東ヨーロッパの大部分に広がることに伴い、ロシアは11の標準時を有し、広範な環境および地形を包含する。
 ロシアは国際連合安全保障理事会常任理事国であり、独立国家共同体の指導国であるだけでなく、G20、欧州評議会、アジア太平洋経済協力、上海協力機構、ユーラシア経済共同体、欧州安全保障協力機構、世界貿易機関(WTO)などの加盟国である。かつてG8加盟国であったが、2014年3月にクリミア併合を強行したことでG8の参加資格を停止された。 核拡散防止条約により核兵器の保有を認められた5つの公式核保有国の1つであり、世界最大の大量破壊兵器保有国である。国防費は2010年以降増加の一途を辿っている。常備軍のロシア連邦軍は地上軍・海軍・航空宇宙軍の3軍の他、戦略ロケット軍と空挺軍の2つの独立兵科で構成されている。運用面では地理的に分割された軍管区に権限が委譲されており、それぞれに統合戦略コマンドが設置されて3軍と通常兵器部隊を指揮している(戦略核兵器部隊は指揮権外)。現役軍人は約90万人である。 政治体制は、ソビエト連邦時代の共産党一党独裁制が放棄されて多党制に基づく選挙が行われるようになったが、2003年以降は事実上ウラジーミル・プーチン大統領率いる与党統一ロシアの一党優位政党制になっている。

 


                                                            2022年4月記

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