落語「米朝艶笑噺」の舞台を行く 桂米朝の噺、「米朝艶笑噺」其の一。(べいちょう えんしょうばなし その一)より
■蓬莱・島台(ほうらい しまだい);蓬莱台、蓬莱山をかたどって作った山形の台。その上に、松竹梅・鶴亀・翁 (おきな) と嫗 (おうな) などを取り合わせて飾り、祝儀に用いるもの。蓬莱山。
■鶴亀(つる かめ);鶴は千年、亀は万年の長寿が有るという目出度い動物。
■尉と姥(じょうと うば);「お前ハクまで、わしゃ九十九マデ」。能の衣装をつけた老夫婦が、熊手とほうきで松の落ち葉をかき寄せる姿。 人形・絵画・彫刻などにされ、婚礼・ひな祭りなどの祝いに用いられる。謡曲の「高砂(たかさご)」に登場する老翁老嫗(う)。
「仰せの如く古今の序に、高砂住の江の松も相生のやうに覚えてあり、さりながら、此の尉は津の国住吉のもの、是なる姥こそ当所の人なれ、知ることあらば申させ給へ、「ふしぎや見れば老人の夫婦一所にありながら、遠き住の江高砂の浦山国をへだてゝ住むと、いふのはいかなる事やあらん」 (謡曲高砂)
■松竹梅(しょうちくばい);松と竹と梅。冬の寒さに耐えて松・竹は緑を保ち、梅は花を咲かせるので、古来「歳寒の三友」と称し、めでたいもののしるしとして、画題や祝い事の飾り、立花などに用いられる。
松竹梅を中国では歳寒三友と呼ぶ。中国の北宋後半の文人官僚文同とその従弟の蘇軾(そしよく)らにより文人たちのあいだで墨戯としての墨竹の流行が始まった。その後、墨戯はモティーフを、梅、蘭、菊、松等に広げ、冬期に色を変えぬ松竹や花を開く梅を君子の節操の象徴としてとりあげる機会も多くなり、これを歳寒三友と呼んだ。この主題は日本にもとり入れられたが、吉祥のシンボル的性格がより強調されている。
■十日戎(とおかえびす);大阪は福の神さんは今宮の戎(えべっ)さんが賑わいます。近畿以西で1月10日に行われる行事。 えびす(戎・夷・恵比須)は本来漁業神であるが、東日本などでは農業神とも考えられ、旧暦10月20日と1月20日にえびす講がある。 京都建仁(けんにん)寺や福岡市の恵比須(えびす)神社にも十日戎がある。
主として西日本で行なわれ、なかでも兵庫県西宮市の西宮神社の「十日えびす」、大阪府大阪市浪速区の今宮戎神社の「十日戎」、福岡県福岡市博多区の十日恵比須神社の、「正月大祭」はよく知られている。1月8日または
9日の宵えびすから始まり11日の残りえびすで終わるが、特に9日と10日に、一年の商売繁盛を祈願し、小判や米俵などを束ねた吉兆と呼ばれる吉祥物をつけた福笹をいただこうとする多くの参拝者でにぎわう。今宮戎神社では、一般から募集した福娘と呼ばれる若い女性たちが福笹を授与する。西宮神社の「十日えびす」では、宵えびすの深夜12時に神社のすべての門を閉じて神職がお籠りする居籠りが始まり、翌10日早朝4時に十日えびす大祭を行なったあと、午前6時に表大門の開門となる。この際、開門を待ちわびていた参拝者が競走して230m先の本殿に「走り参り」をし、早く本殿前に着いた上位3人が、一番福、二番福、三番福と呼ばれるその年の福男に認定される。博多の十日恵比須神社では、かつてこの祭りで「えびす銭」と称して商売の元銭を貸し出し、商売がうまく行けば翌年の祭りに倍にして返すならわしがあったことにちなみ、一文銭の授与が行なわれている。 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
■お酉さん(おとりさん);酉の市は、例年11月の酉の日に行われ、鷲(おおとり)神社、酉の寺、大鳥神社など鷲や鳥にちなむ寺社の年中行事として知られ、関東地方を中心とする祭りである。多くの露店で、威勢よく手締めして「縁起熊手」(かっこみ)を売る祭の賑わいは、年末の風物詩である。
鷲神社は、日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀り、武運長久、開運、商売繁盛の神として信仰される。江戸時代には、武蔵国南足立郡花又村(現・東京都足立区花畑)にある大鷲神社(鷲大明神)が栄え、「本酉」と言われた。この花又鷲大明神を産土神とする近在住民の収穫祭が、江戸酉の市の発祥とされる。現在の同社の祭神は日本武尊で、東征からの帰還の際、同地で戦勝を祝したとされる。江戸時代には、花又の鷲大明神(本地)は鷲の背に乗った釈迦とされた。この神社の酉の市は、15世紀初めの応永年間に始まるとされ、参詣人は、鶏を献納して開運を祈り、祭が終了した後浅草観音堂前(浅草寺)に献納した鶏を放った。
左、月岡芳年 「東京自慢十二ヶ月」 十一月酉のまち。 右、お酉さまの熊手。
■戎・大黒(えびす だいこく);大黒さまといえば、左肩に大きな袋を背負い、右手に打出小槌をもち、米俵をふむ、いかにも福々しい姿をおもいうかべるにちがいない。しかし、 このような姿が定着するまでには長い道のりがあった。そのルーツをたどると、大黒さまはインドの神さまだった。サンスクリット語でマハーカーラと呼ばれ、この音を漢字にすると摩訶迦羅となる。 マハーは大、カーラは黒色を意味する。そこから大黒天と呼ばれる。
エビスは釣竿を持ちタイを抱えた福々しい姿の福神で、関西では「えべっさん」の愛称で親しまれている。エビスには夷・戎・恵比寿・恵美須などの字があてられ、その語源は、異邦人や辺境に住む人々を意味するエミシ・エビスの語に由来するとされている。おそらく、生活空間の外部にある異郷から福をもたらす神としてイメージされていたらしい。その姿があらわすように、もともとエビスは漁民のあいだで信仰されはじめたと考えられる。漁村では、大漁をもたらす神として、海岸や岬の祠に祀られることが多く、毎年漁の初めに、船主や村の若者が目隠しをして海底に入り、拾ってきた石を御神体として祀る例もある。また、鯨・鮫・イルカや海中から拾い上げた石、海岸に流れついたものまでエビスと呼んで祀る例もある。
■氏子代表(うじこだいひょう);氏子総代.。
氏子の間から選ばれた代表世話人。神職と協力して、神社の維持にあたる。氏子=産土神 (うぶすながみ) の鎮守する土地に住んでいて、その守護を受け、それを祭る人々。
■忍び三重(しにび さんじゅう); 歌舞伎下座音楽の一。三味線のみで演奏する効果音楽で、暗やみでの静かな探り合いの場面などに用いる。ひぐらし三重。
■火消しの嬶(ひけしのかか);町火消(まちびけし)=江戸町人のための本格的な消防組織は、1718年(享保3年)に南町奉行大岡忠相がつくった「町火消」です。時代劇で有名な「いろは48組」のほかに本所・深川の16組があり、江戸には64組の町火消ができました。
■猪飼野(いかいの);旧東成郡鶴橋町の大字のひとつで、現行住居表示の実施(1973年)前には猪飼野大通・猪飼野西・猪飼野中・猪飼野東の町名があった。現在の東成区玉津・大今里西の各一部、生野区中川西の全域および鶴橋・桃谷・勝山北・勝山南・舎利寺・中川・田島の各一部に当たる。
■番所(ばんしょ);江戸において「(御)番所」は町奉行所を指していたが、この他にも江戸城の城門に設置された御門番所、武家地の警備のために辻などに置いた辻番所、両国橋などの主要な橋のたもとに置かれた橋番所、町人地の木戸に設けられた木戸番屋、その他町内に配された自身番屋などがあった。
また、諸藩の中でも宿場町などの領内の重要地点や他領や天領との境界に番所(口留番所・境目番所)を設置して通行人や荷物の取り締まりを行い、領民や物資の領外への流出を阻止したり徴税を行ったりした。なお、武家諸法度には大名が私に関所を設置することを禁止する規定があり、実際には番所の設置が関所の代替の役目を果たしていた。
■琉球節(りゅきゅうぶし);明治30年(1897)ごろの流行歌の一つ。鹿児島から琉球に輸入された二上がり調子のもの。
■助六(すけろく);歌舞伎の演目の一つの通称。本外題は主役の助六を務める役者によって変わる。
江戸の古典歌舞伎を代表する演目のひとつ。「粋」を具現化した洗練された江戸文化の極致として後々まで日本文化に決定的な影響を与えた。歌舞伎宗家市川團十郎家のお家芸である歌舞伎十八番の一つで、その中でも特に上演回数が多く、また上演すれば必ず大入りになるという人気演目である。
『助六所縁江戸櫻』 天保3年3月(1832年4月)江戸市村座の「八代目市川團十郎襲名披露興行」における『助六所縁江戸櫻』(すけろくゆかりのえどざくら)。中央に七代目市川團十郎改メ五代目市川海老蔵の花川戸助六、左は五代目岩井半四郎の三浦屋揚巻、右は五代目松本幸四郎の髭の意休。江戸東京博物館蔵。
あらすじ
■東横堀(ひがしよこぼり);東横堀川。土佐堀川の上流部で南へ分かれて、中央区の船場・島之内の東縁を流れる。全長約3km。西へ向きを変えてから下流は道頓堀川となる。
阪神高速1号環状線(南行き)の経路に利用されており、川に蓋をするように高架橋が覆い被さっている。地図によっては阪神高速の表記のみで、東横堀川の表記を省略するものも見られ、川の存在感が薄れがちである。
以前は川底にヘドロが蓄積され、ガスが発生するほど汚れていたが、地元住民や自治体の努力によって水質は改善傾向にある。2000年(平成12年)には東横堀川水門と道頓堀川水門を設置して、高潮の防御および河川水位を一定に制御することが可能になり、親水性の高い水辺再生への取り組みがなされている。
■白髪三千丈(はくはつさんぜんじょう);《李白「秋浦歌」から》長年の憂いが重なって白髪が非常に長くのびることを誇張していった言葉。 心に憂いや心配事が積もることのたとえ。
■空閨(くうけい);夫婦の片方がいないために、独りで寂しく寝る寝室。孤閨。空房。「―をかこつ」。
■テームズ河;テムズ川は346kmの長さである。グロスターシャーのコッツウォルズの丘の近くのケンブルに水源がある。そしてロンドンに流れていく。ロンドン市内よりさらに上流、河口から90kmの距離まで、北海の潮汐の影響を受ける。ロンドンはローマ帝国支配下の紀元前43年に満潮時に潮が達した地点に築かれたという逸話があるが、2000年ほどの時間の間にさらに上流まで遡るようになってしまっている。ロンドン市内では、水は海水と混ざり少し黒い色をしている。
■地中海(ちちゅうかい);英語ではMediterranean Sea。アフリカ北岸とヨーロッパ南岸、アジア西岸に囲まれ、ジブラルタル海峡で大西洋と通じる海洋。黒海を含め、約251万km2。平均水深1502m、最大水深5267m。中央部のイタリア半島によって東西の海盆に分けられ、イタリア半島の西方にリグリア海、ティレニア海がある。東部、南部の海岸線は比較的単調であるが、北東部のアドリア海、イオニア海、エーゲ海では複雑。コルシカ、サルデーニャ、シチリア、クレタ、キプロスなどの島がある。沿岸は地中海式気候。地中海火山帯がある。表面水温はわりに高く(平均水温13.35℃)、塩分は大西洋や黒海に比べて高い。海峡部を除き、著しい表面流、潮汐(ちょうせき)はない。透明度は高い。前3000年ころからクレタ文明(ミノス文明)、エーゲ文明が栄え、古代ギリシア、ローマ支配下では交通・貿易の舞台となり、〈地中海世界〉を形成した。7世紀に周辺地域の約2/3がイスラム教徒の支配下に入ってその統一性は失われたが、11、12世紀にはヨーロッパ内陸の生産力の増大を背景に、十字軍などを契機としてベネチア、ジェノバなどの都市が東方との貿易で繁栄。またこうした東西交流によって伝えられたイスラム文化や、イスラム経由でヨーロッパにもたらされた古代ギリシア文化がヨーロッパの革新を促した。新大陸開発後ヨーロッパにおける貿易の中心は大西洋岸諸都市に移ったが、1869年スエズ運河開通で、再びその重要性が増大した。
■ドーバー海峡(どーばーかいきょう);国際水路機関(IHO)による海域分類では、北東の北海と南西のイギリス海峡の境界付近にある。ただし、イギリス海峡を広義の大西洋の一部とし「大西洋と北海の境」、あるいは、イギリス海峡の一部と考え「イギリス海峡の最狭部」ととらえることもある。
最狭部はケント州フォーランド―パ=ド=カレー県カレーで、34km。呼称はイギリス側の都市、ドーバー市に由来する。
かつては唯一の海峡を渡る手段としてフェリーが利用されていた。1968 - 2000年は高速大型ホバークラフトによる運行が行われていた。現在はフォークトン、カレー間に英仏海峡トンネルが開通している、国際高速列車ユーロスターもアッシュフォード乗り換えで利用できる。
■ロシア(ろしあ);ロシア連邦(ロシアれんぽう、通称:ロシア、Россия)は、ユーラシア大陸北部に位置する連邦共和制国家。首都はモスクワ市。
領土は旧ロシア帝国およびソビエト連邦の大半を引き継いでおり、ヨーロッパからシベリア・極東に及ぶ。面積は1709万平方キロメートル以上と世界最大である。地球上の居住地域の1/8を占める。国土が北アジア全体および東ヨーロッパの大部分に広がることに伴い、ロシアは11の標準時を有し、広範な環境および地形を包含する。
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