落語「徳兵衛炬燵」の舞台を行く
   

 

 笑福亭鶴志の噺、「徳兵衛炬燵」(とくべいこたつ)より


 

  「徳さん、もぉお帰りか」、「番頭はんでおますかいな、えらいすんまへん、歳がいて目角(めかど)が悪なりましてな、へぇ、もぉ帰(かい)らしていただきま」、「旦さんと碁ぉ三番打ちまして、旦さんが二番お勝ちになって、『碁はこれぐらいにして、ゆっくり遊んでいたらどないや?』と、こぉおっしゃったもんでっさかい、いつものよぉにしょ~もない世間話をしとぉりました。旦さん、『横になるわ』とおっしゃいましてな、わたしあの毛布掛けて湯たんぽ入れときました。ほな、帰らしていただきますで」、「どこぞほかへ回んのか?」、「いえぇ、回りはせぇしまへん。うちへ帰ったからいぅてでっせ、若い女房がいて楽しむの、可愛い子どもがいるといぅわけやなし、毎晩好きな酒を呑むだけ、これが楽しみでおまんねん」。
 「ちょっと待ちなはれ、えらいこと言ぅたなぁ、徳さん」、「何がでおます?」、「『うちへ帰って若い女房がいて楽しむわけやなし』ほな何かいな、お前とこのお上さん、一緒になったときからあんな歳か? 違うやろ。やっぱし十七、八といぅ若いときもあったんやろ。『子どもがない』そら愚痴といぅもんやで、夫婦(みょ~と)の仲の子は鎹(かすがい)と言ぅてな、ドンドンこしらえたらえぇねや、わい、手伝(てった)おか」、「ウダウダ言ぃなはれあんた、何で手伝うんだ」、「いや、これは冗談やけどな。お前さんらな、うちへ帰ったら一家の主、わたしなんか見てみぃな、ご当家では、『番頭さん、ご番頭さん』と呼ばれてる身やけども、主持ち、奉公人といぅのは辛いもんや。これ見てみなはれ、火鉢があるやろ。中に火ぃが入ってへん。いや、うちの旦さん、火の気が随分とやかましぃお方、夕方になると火の気一切あかんねん。今夜あたりこの、表に細かいもんがチラチラ降っててもな、それでも火の気はあかんねん。たまにうどんの温いのんを食べよと思たってな、世間のもんに気兼ねしながら食べんならん。こんなんに比べたらお前さん、『うちぃいんで一杯呑んで寝る』結構なこっちゃないかい」、「ほな何でございますかいな、番頭はんとこ晩になったら冷たいもんばっかし?」、「いや、冷たいもんばっかりっちゅうわけやないけどな、最前も言ぅたとおり、表にこぉして細かいもんが降ってるやろ、こぉいぅ晩でも、まぁ旦さんはお年を召してるさかいな、湯たんぽは入れてなさるけども、まぁ端のもん、若旦さん、若御寮人(ごりょん)さんも皆、炬燵(こたつ)なしや」。
 「『炬燵なし』うわぁ~ッ、聞ぃただけで寒気がしまんなぁ。ほな何ですかいな、小さなお子たちの定吉っとんまで炬燵なし? そんなこと思たら、うちらの嬶(かか)大名暮らしでおますわ。わたいね、一升呑んで寝まっしゃろ、体が温もりまんねや。今でもあんた、嬶と一つ布団で寝てまんねんで。へぇ、こないだ嬉しぃこと言ぅてくれましてな、『お父っつぁん、こないして寝てたら、あんたの炬燵のほぉが温いさかいに、下(しも)の炬燵要れへんわ』ちゅうて、わたいの炬燵ば~っかり抱いて・・・」、「よぉそんなアホなこと言ぅてるわ・・・」、「へぇ、一升でそれだけだ、一升五合も呑んでみなはれ、嬶横手で、『熱い』っちゅうて汗かいてまんがな。二升飲んだときは、『たまらん』ちゅうて扇風機出してきましてなぁ、こないだ三升呑んだときなんて、『もぉどないもしゃ~ない』ちゅうて、タライ出してきて行水・・・ 」、「そんなもんかい」、「ほなこぉしましょか、わたいも今も言ぃましたとおり、うち帰ったところで何の楽しみもおまへんねん、用事もおまへんしね、別に帰らんかて心配せぇしまへんさかい、泊まって炬燵なったげまひょか。いぃえぇ、何も要れしまへん、酒一升、燗冷(かんざ)で結構でおまっさかい。わたいがそれをグ~ッと呑みまっしゃろ、えぇ具合に酔ぉた時分にわたいがグルッと丸まって寝まんがな、で、上から布団掛けてもぉて、皆が足突っ込んでもろたら炬燵になりまんがな、人間炬燵、ヒト炬燵。やりまひょ。お松っとんが一升瓶もぉ燗してる? すんまへんなぁ、何です? 風呂へ浸けて燗してるて? こら手回しがよろしぃなぁ・・・。すんまへんけどね、オイド触らしてもらえます? いや、あんたのオイドやおまへん、一升瓶のオイド。燗の具合みますよって。えらいすんまへん、かしとくなはれ・・・、『酒は人肌に限る』言ぃまっけどな、風呂で燗するのが一番よろしおますなぁ。
 わたいねぇ、盃で呑む酒ちゅなあけしまへんねん。わて、これでガブガブッと呑まんことにわ、歳がいてまっしゃろ、炬燵がなかなか温もれしまへんさかいに。え? なに、酌してくれまんのん、定吉とん? ほな、えらいすんまへんなぁ。え? 『おかず?』、要れしまへん。あ、さよか、ほな香々(こぉこ)ふた切れだけ、それで結構でおまっさかい。(クゥ~クゥ~クゥ~・・・)えぇお酒でおますなぁ。いや、旦さんらね、お金に糸目おつけにならんさかいねぇ。しかしねぇ、人間おんなじ呑むならえぇ酒呑まな損でおますなぁ、えぇ酒呑んだらおかず好めへんさかいなぁ、ホンマにえぇお酒だ(クゥ~クゥ~クゥ~・・・)ホンマにおいしおます。あそぉそぉ、聞ぃとくのん忘れました、何時ごろお休みになります? いや、それ聞ぃとかんと炬燵の温め具合がおまっさかい。え? 『もぉ三十分ほど?』 それに合わして温めまっさかい。えらいすんまへん(クゥ~クゥ~クゥ~・・・)なに? コォコ? 頂戴します.わたいあけしまへん、いや何がてね、なんぼ頬(ほ)げたが達者でもね、わたい歳いってまっしゃろ、だいち歯性が悪いもんでっさかいね、このコォコ噛むのんにしたって、あんさん方みたいにバリバリッと噛めまへんねや。口ん中で長いことオネオネ・オネオネさしといてね、柔らこなった時分にグッとこぉ飲み込みまんねけど」、「やかましぃなぁ、黙って食べなはれ」。
 「番頭はん、月日の経つちゅうのは早いもんでおますなぁ。いえ、わたいね、ご当家へ出入りさしてもらうよぉになって、かれこれ二十三年だ。しかしねぇ、今でこそうちの嬶、あないして所帯やつれしてますけどな、昔はちょっと別嬪だしたで。わたいら友達仲間によぉ自慢したもんだ、『前らどない思てるか知らんけど、うちの嬶はあれ京で生まれたんやで、鴨川の水で産湯を使こたんやで』ちゅうたらね、友達が、『それがどないしてん・・・』さっぱりワヤや(クゥ~クゥ~クゥ~・・・)ドンドン注ぎやおい、ボッとしてたら間に合わんでホンマに。せやけどね、去年の夏の話なんかしたらね、涙出まっせ。それがあんた貧乏所帯ずっと苦労してまんねや。そら気の毒な、うちの嬶ちゅなね。わたいと所帯持ってからズ~ッと貧乏が続いてまんねけど、愚痴一つ言えしまへんで。明日お米がないっちゅうたってね、横手でゲラゲラ・ゲラゲラ笑ろてまんねん・・・」。
 「夏の話だ、わたいいつものよぉに帰ったら、嬶、湯ぅ沸かして、大きなタライに湯ぅ張ってまんねや、『何すんねん?』ちゅうたら、『二人所帯で毎日風呂行てたら、風呂賃が何ぼかかるや分からんさかい、わたしは今日、行水で辛抱しますわ』と、こない言ぃよる。『お前ばっかり、そんな苦労かけたら気の毒やさかい、わいも行水するわ』ちゅうてね、わたいが先こぉ裸になってタライに浸かってたら、嬶横手でシクシク・シクシク泣いてまんねん、『どないしてんな?』て言ぅたら、『あんた一人に入ってもらおと思て沸かした湯ぅやおまへんのに。なぜ、お前も一緒に入らないかといぅお誘いの言葉がございませんのん?』と、こぉ言ぅ。『ほな、お前も入ったらどないや』ちゅうてね、嬶も裸になって二人で浸かってましたんや。ほな、しばらくしたら嬶が、『お父ぉさん背中流しまひょか?』ちゅうさかいね、『そらいかん、あいだからお前にはずいぶんと迷惑も苦労もかけてるのに、そんなもん背中なんか流してもろたら罰当たるさかい、わしがお前の背中流したるわ』ちゅうたら、『そんなことしてもろたら、かえってわたしに罰が当たります。わたしが背中流します』、『わいが背中流す』『わたしが背中流します』『わしが流す』ちゅうのをね、二時間言ぃ合いしてましてん(クゥ~クゥ~クゥ~・・・)ほんで、『そんなこといつまで言ぅててもしょがないこっちゃ、ほなら、二人同時に背中流そか』『どぉしますねん?』『お前の背中にまず石鹸を塗って、わいの背中にも石鹸塗って、石鹸塗った背中と背中をピチャ~ッと合わして、ほんでわたいが座ると嬶がシュ~ッと立つ。で、嬶が座るとわたいがシュ~ッと立って。シュ~ッ、シュ~ッ、シュ~ッ・・・』さて湯ぅ流そかいぅたらタライ底抜けて、湯ぅあれへん・・・」。
 「(クゥ~クゥ~クゥ~・・・)番頭はん、ちょっと笑ろたらどや? わたいあんた、退屈やろ思てこんなん言ぅたってんのに、愛想ない男やでホンマに(クゥ~クゥ~クゥ~・・・)」、「徳さん、そらえぇけど、炬燵はまだかいな?」、「ヤイヤイ言ぃなはんなあんた、そないせわしのぉいこした炬燵、夜中に消えまっせ、キナキナしゃんすなっちゅうやっちゃ。あのぉ~、番頭はん、ちょっと尋んねますけどな、あんた炬燵は熱いほぉが好きでっか、それとも温いほぉが好きでっか? 熱いほぉが好きやったらもぉ五合ほど・・・」、「もぉえぇもぉえぇ、早いこと炬燵になっとぉくれ」、「分かりました、ほなボチボチ・・・」、「ほな、ここへわたいが寝まっさかいな、上からズ~ッとこぉ布団掛けとくなはれ・・・。しょ~もない、弾みで、『炬燵する』言ぅてしもたんや、『コォコふた切れでえぇ』言ぅたら、ホンマにふた切れしか出しよらん。普通一杯呑んだら『茶漬けでもどぉや?』ちゅなもんや、『コォコふた切れ』ちゅうたらホンマにふた切れや、わいかて腹減っとんねや・・・ 。まだ入ったらあかんで、まだ今、布団温めてるとこやさかいな、温めてからズッと入っといでや。『♪酒とぉ~、女はぁ~、胃ぃのぉ薬さ、とかく、浮世は、色と酒・・・』なまいだぶつ(グゥ~、グゥ~・・・)」。
 「なんじゃ、呑んでるあいだはせぇだい嫁はんのノロケ言ぅてて、寝間に入ったらぼやいとったけどな。さぁ、今日は特別や、炬燵入ってるよって、お前さんら早いこと寝なはれ」、「あのぉ、番頭はんは?」、「いや、わしゃいつもの伝でな、もぉ三十分ほど遅れるさかい。かめへんさかい先寝なはれ」、「さよか、ほな、お先、お休みやす」、「お先、お休みやす・・・」。
 「い、痛いッ、痛た、痛たッ! 誰や、炬燵の横腹けりやがったやつ? 入って来るならソォ~ッと入って来い、ソォ~ッと、ホンマもぉ殺生(せっしょ)やで、若いもんは無茶しよんねん。今度、誰やケツのとこ足もってくるやつ、つ、冷たぁ。ちょっとカカトこすりや、足ザラザラやで。今度、前から来よった・・・、押しなっちゅうのに、おとなしぃ寝んかいな・・・、ん、何や? いまの音? あ~ッ、やりよったな。誰ぞ空気穴開けてぇな、頼むわ」。
 「定吉、ちょっと起きなはれ」、「へ、分かっとりま、行きまっさかい、ちょっと待っとくなはれ・・・」、「ほぉ、子どもでも商売の夢見てるみたいやな。これ、ちょっと起きなはらんか、ちょっと定吉、風邪をひぃたらどんならん起きなはれ」、「へ、分かっとりま、じきに行きまっさかい、ちょっと待っとくなはれ。わたい今、オシッコしてまんねん」、「お、おいおい、ションベンしたらいかんがな。ちょっと起きなはれ、起きんかいな」、「分かっとりま、じきに行きまっさかい、待っとくなはれ、わたい今オシッコしてまんねん(ジュ~、ジュ~、ジュ~・・・)」、「何やケッタイな音がしたで? 」、「わぁ~ッ! 誰や頭からションベンかけやがった。もぉ番頭はん、わたい、いなしてもらいますで」、「『いなしてもらいます』て、わしがまだ当たってへんがな」、「何もかもおまへん、もぉ炬燵冷めました」、「炬燵が冷めた?」、「あぁ、今のションベンで火ぃ消しやがったんや」。

 



ことば

笑福亭鶴志(しょうふくてい かくし);(1955年8月24日 - 2020年5月8日)、落語家。本名は冨松 和彦。出囃子『鞍馬』。大阪市出身。
 師匠・松鶴の内弟子時代が長く、また師匠の専用運転手を務めていた。その当時の話を枕に使うことがあった。1975年に大須演芸場(愛知県名古屋市)にて初舞台を踏むが、上方落語家としては異例の関西以外での初舞台であった。ちなみにその時の演目は「つる」。 2018年に肝臓癌に罹患し、肝臓の半分を切除摘出する大手術を受けるも驚異的回復を見せて高座復帰を果たしていた。 2020年5月7日に体調不良を訴えて急遽大阪府内の病院に搬送されたが、翌8日未明に心不全・腎不全のため死去した。64歳没。
 右写真、笑福亭鶴志。

■この上方話「徳兵衛炬燵」は、江戸落語の「按摩の炬燵」に筋書きがそっくりです。比べてみてください。
 元来この「徳兵衛炬燵」が原話で、三代目柳家小さんが「按摩の炬燵」として東京へ移したもので、似ているのは当たり前。鶴志は酒飲みが酔うに従って、酒癖が悪くなっていくのを重きを置いて演じています。師匠・松鶴の酒癖の悪さをマクラに置いて(ここではカットしています)、噺に入って行きます。

番頭(ばんとう);商家の使用人の最高職位の名称で、丁稚 (でっち。関東では小僧) 、手代の上位にあって店の万事を預るもの。 主人に代って手代以下の者を統率し、営業活動や家政についても権限を与えられていた。近世から近代にかけての商家では、奉公人(商業使用人)の長を指している。
 商家における番頭(ばんとう)とは、主に江戸時代、商家使用人の内で最高の地位にあるものを指す。大規模な商家(大店)では筆頭(一番)番頭から〇番番頭と複数人を置くこともあった。 10歳前後で商店に丁稚(上方)・小僧(江戸)として住み込んで使い走りや雑役に従事し、手代を経て番頭となる。商業経営のみならず、その家の家政にもあたっており、勤務時の着物も手代までと違い羽織を着用することが許された。また、丁稚はもちろんのこと手代までは住み込みを原則とする商家が多く、番頭になってようやく住み込みから解放され、通い(自宅通勤)が許されるといったケースが多かった。さらに、結婚も番頭になるまでは許さないことが多かった。番頭は、暖簾分けされて独立することもあったが、番頭を任されるまでには厳しい生存競争を勝ち抜く必要があった。店や地域・時代により多少違いはあるが、この競争を勝ち抜いた者が概ね30歳前後(当時としては中年の域である)で番頭職につくのが多かった。

目角(めかど); ①目の端。目じり。めくじら。
 ②鋭く物を見る目つき。転じて、眼力。眼識。

湯たんぽ(湯湯婆);体を温めるために湯を入れて使用される容器。容器は金属や陶器、樹脂などで作られる。簡便な暖房器具の一種。一般的な湯たんぽは、熱源となる湯を注入、排出するための開口部とそれを閉じるための蓋を備えた中空の容器。右写真
 やかんなどで加熱した湯を注いで栓をし、就寝時に布団などへ入れて暖房とする。体や足を暖めるほか、椅子の背もたれや膝・足先に置いて、足や腰をあたためられる。湯を注いで使用するタイプの製品などでは、就寝のため寝具を暖める場合、あらかじめ布団等を暖めておき就寝時には布団から出すよう指示があるものもある。洗面所に給湯設備がなかった昭和時代では、一晩使った湯たんぽのぬるま湯を洗面器に入れて朝の洗面に用いた。
 中国では「湯婆」(tangpo)と称されていた。「婆」とは「妻」の意味であり、妻の代わりに抱いて暖を取ることを意味している。「湯婆」のみで湯たんぽを表すが、そのままでは意味が通じないために日本に入ってから「湯」が付け加えられ「湯湯婆」となったとされている。

表に細かいもんがチラチラ;冬の噺なので、外では雪が降ってきたのでしょう。炬燵が要るような寒さになっています。

炬燵(こたつ);日本の暖房器具(一部の外国にも類似の器具が存在する)。床や畳床等に置いた枠組み(炬燵櫓、炬燵机)の中に熱源を入れ、外側を布団等で覆って局所的空間を暖かくする形式である。熱源は枠組みと一体になっているものと、そうでないものがあり、古くは点火した木炭や豆炭、練炭を容器に入れて用いていた。現在は電気装置(電気こたつ)が多い。 脚を曲げて腰を掛けることができるよう床を切り下げている掘り炬燵(切り炬燵ともいう)と、床が周囲と同じ高さの平面の置き炬燵とに分けられる(ただし、台を設ける床置きの掘り炬燵もある)。暖気が逃げないようこたつ布団を広げてかぶせ、炬燵櫓の上には、こたつ板(天板)を置いて、机やちゃぶ台のように使うことが多い。 なお、地方や世代によっては、あんかのことを炬燵と呼ぶこともある。

 行火(あんか)は湯たんぽなどとともに暖房用の身近な生活用具であった。冬季など寒いときに、湯たんぽと同じように布団の足下に入れる。湯たんぽと比べたメリットは、朝方になっても冷めることがないこと、つまみで温度調節ができることなど。デメリットは睡眠中に直接肌に当てる器具のため、注意を怠ると思わぬ重傷になりかねない低温やけどの危険性があること、またコンセントから電源を得るため布団の中でコードが足にからみつくことである。

行水(ぎょうずい);夏の暑いときなどに、湯または水をたらいに汲み、汗を流す入浴法。江戸時代以後主として庶民の洗身法となった。右図。
 湯または水で、体の汗やほこりを流し去ること。古くは宗教的な意味から、穢(けがれ)をはらうため水浴をしてこれを禊(みそぎ)(みそそぎ)といい、行を行う前提としての精神的浄化行為であった。これが祭事前の潔斎となり、平安時代には行水とよび、滝に打たれることなどもその一種であった。宗教的意味のない沐浴(もくよく)もこれと並行して行われ、江戸時代以降、一般家庭でもたらいなどに湯や水を入れて沐浴をすることが普及し、水上生活者のために小舟に据風呂(ぶろ)を設けた行水船も現れた。現在もインドや中東、東南アジア、南米などでは、一般の沐浴とともに宗教的意味をもつ行水が多くみられる。

御寮人(ごりょん)さん;商家など中流家庭の若奥様の称。

お子たち;子ども衆(し)。丁稚。江戸では小僧と言った。

燗冷(かんざ); 燗酒の冷えたもの。かんざまし。燗をしたままで飲まずに冷たくなってしまった酒。

風呂へ浸けて燗(ふろにつけて かん);燗酒を飲むとき、「お風呂感」を感じることがあります。寒い日に温かいお風呂に入って「気持ちいい~」となるときの感覚です。冬だけでなく、夏に燗酒を飲むときにも感じます。 どんなときにお風呂感があるかというと、甘味やうま味がほどほどにあって、酸味が穏やかなお酒を40度から45度くらいの燗につけたときです。風呂に入っている時に、いい湯だな~、と感じるあの感覚で、温泉につかって燗酒を飲むあの時の感覚です。

オイド;尻。臀。シリまたはオシリ上品な語とされている。イドの語源はイドコロ(居所)で坐る所の意味で、それがイドとつまったもの。

香々(こぉこ);(「香(こう)の物(もの)」の「香」を重ねたもので、もと女房詞) 生の野菜を、糠味噌(ぬかみそ)や塩につけた食品。 古くは味噌漬(みそづけ)をいい、また、沢庵漬(たくあんづけ)をいう場合もある。 こうのもの。 つけもの。大根の漬物をいう女房詞。こうこう。こうのもの。お新香。おこうこ。 右写真、沢庵。

鴨川の水で産湯を;三方を山に囲まれた京都盆地。山から流れ出てくる水は、平地で受け止められて地下に染みてゆきます。この特有の地形が水がめとなって、京の大地は地下に良質な水を豊富にたたえています。その水量は、びわ湖に相当するとも言われ、この良質な水と、豊かな四季の風土が、はるか昔から京の人びとの営みを支えてきました。豆腐・お酒・京野菜など、京都の食を語る上で欠かせない名品を育み、茶の湯の文化や京の伝統が今に受け継がれてきたのも、水の恵みがあったからこそ。「鴨川の水を産湯に使うと美人になる。」という昔からの言い伝えや、文豪が残した数々の名文からも、都と水との縁の深さを感じることができます。

キナキナ;くよくよ。思いわずらう。

茶漬け(ちゃづけ);主に米飯に茶をかけた料理のことである。茶をかける御飯の食べ方を指していることもある。お茶漬けと丁寧に呼ばれることの方が多い。場合によっては白湯をかけた場合でも茶漬けと呼ぶことがあるものの、白湯をかけた場合は一般に湯漬けや水漬けと呼んで区別される。あるいは、漬けというそのまま呼んでいる場所もある。炊き干しされた一般的な飯に白湯やスープ(出汁など)を合わせる食べ方は米食の慣習がある地域で広く見られるが、茶を合わせる食べ方は世界的に珍しい。茶粥としては大和国の寺院で古くから食べられていたとされる。レシピによっては、茶ではなく出汁をかけた料理や、出汁に限らず何らかのスープをかけた料理を「茶漬け」と呼ぶ場合があり、呼称には幅がある。

 上方落語には、茶漬けをテーマとした噺が多く有ります。例えば「茶漬け閻魔」、「茶漬間男」、「京の茶漬」、「茶漬け幽霊」(江戸落語「三年目」)、等がそうです。上方ではお茶漬けを食べる文化があるのでしょう。


                                                            2022年5月記

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