落語「茶目八」の舞台を行く 桂小米(枝雀)の噺、「茶目八」(ちゃめはち)より 江戸落語「王子の幇間」
■初代 三遊亭 圓遊(嘉永3年5月28日(1850年7月7日) - 明治40年(1907年)11月26日)は明治時代に活躍した江戸小石川小日向出身の落語家である。本名は竹内金太郎(たけうち きんたろう)。
■二代目 桂 枝雀二代目 桂 枝雀(かつら
しじゃく、、1939年8月13日 - 1999年4月19日)は、兵庫県神戸市生まれの落語家。出囃子は『昼まま』。本名:前田 達(とおる)。
1961年(昭和36年)4月に「十代目桂小米」として正式に三代目桂米朝に弟子入りして基本を磨き、その後二代目桂枝雀を襲名して頭角を現す。古典落語を踏襲しながらも、客を大爆笑させる独特のスタイルを開拓し、師匠の米朝と並び、上方落語界を代表する人気噺家となった。高い人気を保っていた中でうつ病を発症し、1999年に自殺を図って意識不明となったまま死去した。
■野太鼓(のだいこ);野幇間。 内職で太鼓持ちをする者。素人の太鼓持ち。転じて、芸がなくて、ただ客の座をとりもつだけの太鼓持ちを卑しめて呼ぶ語。町太鼓、野幇間(のほうかん)。
幇間(ほうかん、たいこ)は、宴席やお座敷などの酒席において主や客の機嫌をとり、自ら芸を見せ、さらに芸者・舞妓を助けて場を盛り上げる職業。歴史的には男性の職業。
台東区浅草にある浅草寺の本坊伝法院鎮護堂には1963年に建立された幇間塚(上写真)がある。幇間の第一人者としては悠玄亭玉介(ゆうげんてい たますけ)が挙げられる。男性の職業として「らしくない仕事」の代名詞とされた時代もあった。悠玄亭玉介本名、直井厳、1907年5月11日 - 1994年5月4日。右絵;山藤章二画)。
落語の世界にも幇間は多々登場します。
■噂をすれば影(うわさをすればかげ);(ことわざ)他人の噂をすると、その人が現れて影がかかる、即ち、噂をすると、すぐその人の耳に入りやすいので、他人の噂はしないか、注意してする方がよい。
■アベノ橋(阿倍野橋);現在は「阿倍野」表記が多数を占めるが、本来「阿部野」が正しいとされる。大阪市天王寺区悲田院町と阿倍野区阿倍野筋を結ぶ大阪府道30号大阪和泉泉南線(谷町筋)の橋。JR西日本関西本線・大阪環状線および南海天王寺支線跡を跨ぐ跨線橋。
北詰は天王寺駅前交差点、南詰は近鉄前交差点で、近鉄前交差点以南はあべの筋と道路愛称が変わる。橋の東側はJR天王寺駅の駅前広場および駅舎(天王寺ミオプラザ館)に接している。橋名は四天王寺から住吉大社へ至る阿倍野街道に由来し、天王寺駅の南向かいにある近鉄大阪阿部野橋駅の駅名は当橋に由来する。
■あの電車;阪堺電軌線(路面電車。チンチン電車)。下図住吉神社の絵図の中に、正面入り口を走る路面電車が描かれています。
■住吉神社(すみよしじんじゃ);住吉大社。大阪市住吉区住吉2丁目9-89。全国約2300社余の住吉神社の総本社でもあります。住吉大社の祭神は、伊弉諾尊が禊祓を行われた際に海中より出現された底筒男命 (そこつつのおのみこと) 、中筒男命 (なかつつのおのみこと) 、表筒男命 (うわつつのおのみこと)の三神、そして当社鎮斎の神功皇后を祭神とします。仁徳天皇の住吉津の開港以来、遣隋使・遣唐使に代表される航海の守護神として崇敬をあつめ、また、王朝時代には和歌・文学の神として、あるいは現実に姿を現される神としての信仰もあり、禊祓・産業・貿易・外交の祖神と仰がれています。下図。
■反橋(そりばし);住吉神社境内の橋(通称太鼓橋)。正面神池に架けられた神橋は「反橋」と称し、住吉の象徴として名高く「太鼓橋」とも呼ばれております。長さ約20m、高さ約3.6m、幅約5.5mで、最大傾斜は約48度になります。この橋を渡るだけで「おはらい」になるとの信仰もあり、多くの参詣者がこの橋を渡り本殿にお参りします。現在の石造橋脚は、慶長年間に淀君(太閤秀吉の妻)が豊臣秀頼公の成長祈願の為に奉納したと伝えられております。
かつての「反橋」は足掛け穴があいているだけで、とても危なかったそうです。下図。
■卓袱台(しっぽくだい);ちゃぶだい【卓袱台】、和室などで床に座って用いる、短い脚のついた木製の食卓。正方形・長方形・円形があり、折り畳み式のものが多い。明治時代から普及した。それ以前は1人用の箱膳が一般的であった。「ちゃぶ」は、「卓袱(しっぽく)」の中国語の音からとされる。
卓袱料理、卓袱は卓を覆う布のことで、いまのテーブルクロスの意。転じてその卓をいい、さらにその卓上に並ぶ料理の意に転じた。「しっぽく」と読むのは唐音である。寛永(かんえい)年間(1624~44)に鎖国によって諸外国と国交を絶ったが、長崎だけは中国とスペイン、ポルトガル、オランダの諸国に開放していた。その長崎で、主として中国料理を中心に、日本料理の一部を加えてつくりあげたのが卓袱料理であり、地名をとって長崎料理ともいった。献立の特徴は、前菜風の小菜(しょうさい)、温菜(椀物(わんもの))、大皿、大鉢、梅椀(うめわん)(甘味)に分かれ、いずれも偶数の料理をそろえて、椀以外は大皿に盛る。食卓は円形で4人、8人など偶数で決められる。長崎にこの料理が生まれると、享保(きょうほう)年間(1716~36)に京都祇園(ぎおん)下河原に佐野屋嘉兵衛(かへえ)という者が長崎から上ってきて卓袱料理を始め、好評であったという。江戸にも同様のものができたが、あまり繁盛しなかった。卓袱料理のなかから豚の角煮は関西料理に取り入れられている。鹿児島の豚料理しゅんかんと豚骨(とんこつ)も、長崎の卓袱料理からの思い付き料理とみる人もいる。日本そばの種物にも、しっぽくの名のものがある。長崎ちゃんぽん、皿うどんも卓袱料理から出たもの。
■天丼(てんどん);丼鉢に盛った飯の上に天ぷらを載せた日本の丼物。天ぷら丼(てんぷらどんぶり)の略称であるが、今日ではもっぱら「天丼」と呼ばれている。
食器を重箱としたものは天重(てんじゅう)と呼ぶ。
左、エビ天丼。 右、親子丼。
■親子丼(おやこどん);割下などで煮た鶏肉を溶き卵でとじ、飯の上に乗せた丼物の一種。「親子」という名称は鶏の肉と卵を使うことに由来する。
ネギやタマネギなどと共に煮て、彩りとしてミツバやグリーンピース、刻み海苔などを飾ることが多い。
■盃洗(はいせん);酒席で盃(さかずき)を洗うための水を入れる器を盃洗といいます(右写真)。一つの盃で酒を酌み交わすことにより心を通わすと考えた日本では、昔から献盃(けんぱい)や、お流れ頂戴(ちょうだい)と称し、盃がやりとりされました。盃洗はその際に用いられるもので、料亭などでは高尚な絵付けをされたものが多くみられました。
■プラチナの指輪;プラチナ=原子番号78の元素。元素記号は Pt。白金族元素の一つ。プラチナと呼ばれることもある。
単体では、白い光沢(銀色)を持つ金属として存在する。化学的に非常に安定であるため、装飾品に多く利用される一方、触媒としても自動車の排気ガスの浄化をはじめ多方面で使用されている。酸に対して強い耐食性を示し、金と同じく王水以外には溶けないことで知られている。なお、同じく装飾品として使われるホワイトゴールド(白色金)は金をベースとした合金であり、単体である白金(プラチナ)とは異なる。
■御意(ぎょい);目上の人や高貴な人の考えを意味する語のこと。また、「御意のとおり」の略語として、相手の発言に同意したり、命令に従う意志を示したりする際に用いる返事である。御意の語は現代ではほとんど用いられないが、時代劇や時代小説などではしばしば見られる。例えば、殿様が自分の考えを述べた時に、家来がその通りである、ごもっともであると思った時に「御意のとおり」「御意にございます」「御意」などと返答する。
■駆け落ち(かけおち);男女が付き合うことを親に反対され、最後の手段として一緒に逃げることを指します。その後、親の知らない場所で同棲生活を始めることまでを駆け落ちの定義とすることも。
認められない理由は様々で、主に仕事、収入、身分、学歴などが挙げられます。
昔から駆け落ちをする男女は多く、駆け落ちを題材として小説や映画なども多く作られているのが特徴です。
■柳行李(やなぎごぉり); 行李柳(こりやなぎ)の若枝の皮をはぎ、乾燥させ、麻糸で編んで作った行李。衣類などを入れるのに用いる。やなぎごり。
兵庫県には、豊岡市を中心に、伝統工芸「豊岡杞柳(きりゅう)細工」が伝わっている。豊岡杞柳細工とは、一般にいう「柳行李」のこと。丈夫で軽く、通気性もよいことから、古くから衣類をしまったり、旅の荷物を運ぶ際に重宝された。現在では、行李だけでなくバスケットやバッグも編まれ、いまでも愛好者は多い。
豊岡杞柳細工の歴史は古く、一説では、1世紀に新羅の王子、天日槍命(あめのひぼこのみこと)が伝授したものだともいわれている。実際に、奈良時代に作られた「但馬国産柳箱」が東大寺の正倉院に残されていることから、少なくとも1200年以上も前から作られていたものであることは確かだ。
豊岡杞柳細工がその名を高めたのは、江戸時代に入ってから。もともと豊岡市一帯は、杞柳細工の材料となるコリヤナギの自生地。積雪のため農作業のできない冬季の副業として、杞柳細工が盛んになった地域だ。それが藩の一大産業として奨励され、1763年に専売制が確立、それによって「豊岡の柳行李」として江戸をはじめ全国で使われるようになった。
■一反風呂敷(いったん ふろしき);もともとふろしきとしての生地はなく着物の生地をつないで大きな布にして物を包んで運搬具として使われていました。この着物の生地の巾がだいたい1尺(約38cm)当時は小柄な方が多かったのでもう少し小さいですが・・・。
反物の長さが約11~12mあります。
この約12mを2mづつに切ると約38cm巾で2mの長さの生地が6枚出来ます。
この6枚を横につなぐと生地巾が約2mで長さが約2mの布が出来ます。
丁度一反から約2m角の1枚の風呂敷ができます。で、一反風呂敷と言います。
■三味線(しゃみせん);日本の有棹弦楽器。もっぱら弾(はじ)いて演奏される撥弦楽器である。四角状の扁平な木製の胴の両面にネコやイヌの革を張り、胴を貫通して伸びる棹に張られた弦を、通常、イチョウ形の撥(ばち)で弾き演奏する。
■鉄瓶(てつびん);湯沸かしに取っ手と注ぎ口が付いた道具は薬用用途のものが13世紀には存在したが、「鉄瓶」と名付けられて茶の湯に使用されるようになったのは江戸後期とされている。
■形見(かたみ);死んだ人、または遠く別れた人を思うよすがとなるもの。死後または別後にその人のものとして残されたもの。遺品や遺児。
■三面鏡(さんめんきょう); 鏡三面を持つ鏡台。自分の姿を三方から見られるように鏡を取りつけた鏡台。
■紐で胴括りして(ひもで どうくくりして);背負う荷物の上に新しい荷物を載せるのに、乗せただけではバランスが取れず、下の荷物と上の後から乗せたものを風呂敷の上から紐で結ぶ縛り方。
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