落語「地蔵の散髪」の舞台を行く
   

 

 桂文紅の噺、「地蔵の散髪」(じぞうのさんぱつ)より


 

 「おい、うつむいて何をしてんねん」、「いや、いつもうちの嫁はんに怒られんねん、『もっとあんた、丁寧に拭きなはれ。なんでそない汚すねん』言ぅて」、「汚すて、いったい何を汚すねん」、「フンドシや」、「フンドシ?」、「わいな、その丁寧にいつも拭いてんねんけどな、わいの尻にぎょ~さん毛が生えたぁんねん。うちの嬶(かか)がな、『あんたの毛ぇ、抜いてしまいなはれ、よぉ抜かなんだら暇くれ、別れる』言ぅて」、「え~、『毛ぇ抜かな別れる』て、こんな話聞ぃたことないで。そんでお前、抜いてんのか」、「うん、お尻の毛ぇちゅうのは痛いなぁ、抜くと。一本抜いては休み、一本抜いては休みしてんねんけどな、朝から三十本ほど抜いたけど、もぉ痛いのんと首がだるいのんでたまらんで」、「そら痛いわいな、何百本生えてるか分からんが、そらお前、何百回痛い思いせんならんで。一本抜くのも、十本抜くのもおんなしことや、でや、いっぺんに抜くこと教えたろか」、「いや、もぉえぇ。お尻綺麗(きれ)なっても命がないのでわ」。
 「大層に言ぅなおい、そんなことしてたらあかん、お前も男や、思い切っていっぺんに抜いてしまえ」、「どないすんねん?」、「あのな、横町(よこまち)の八百屋行てトリモチを買ぉといで」、「何ぼほど」、「まぁ、二十銭もあったらえぇやろ」、「すまんけど、ちょっと出してんか」、「お前が抜くんやないか、お前が買ぉてきたらどやねん」、「あるぐらいなら、こんなこと言ぅかいな」、「難儀なやっちゃなぁホンマに、さぁ、ここに二十銭あるわ、これで買ぉてこい」。

 「よっしゃ、買ぉてきた」、「それ持って、表出ぇ」、「どこ行くねん?」、「まぁえぇさかい、付いといでっちゅうねん。な、ここに地蔵さんが祀ったぁるやろ」、「この地蔵さん気の毒やなぁ、社がないさかい」、「そんなこと気の毒がらいでもえぇねん。地蔵さんの頭へ、いま買ぉてきたトリモチな、それベッタリ付け」、「そんなことしたら、地蔵さん気色悪がりはるで」、「そんなこと心配せんでもえぇがな、塗りっちゅうねん、十分塗ったか、塗ったらな、フンドシはずしてその地蔵さんの頭へ馬乗りになれ」、「そんなことしたら罰(ばち)が当たるで」、「かまへんちゅうねん、あとで綺麗ぇに洗たらえぇがな、乗ったか?」、「何や、冷(ちめ)とぉておかしな具合やわ」、「思い切り押さえとけよ、えぇか、ヨッシャそんなもんでよかろぉ。さぁ、前へパッと飛べ」、「そんな無茶言ぃないな。う、動いただけでも引っ張られて痛い」、「そのぐらいのことは辛抱せぇ。さぁ、前へ飛べ」、「トホホホッ、お前そぉあっさり言ぅけど、こらお尻が千切れるわ」、「情けないやっちゃなぁ、こいつわ。お前も男やないか、ひぃふのみっつで、パッと飛べ」、「こらとても痛ぉて飛べん」、「飛ばなんだら後ろから殴るで」、「ちょっと待ってて、この上殴られてたまるかいな、よし俺も男や思い切って飛ぶわ、ひぃふのみっつ」、「偉い、よぉ飛んだ。ちょっと見てみぃ、地蔵さんの頭にカツラが付いたがな」。

 



ことば

四代目 桂文紅(かつら ぶんこう);(1932年4月19日 - 2005年3月9日)は、上方落語家。出囃子は『お兼晒し』。本名:奥村 壽賀男。
 立命館大学に通いながら電線会社でアルバイトしていた時に、組合の文化祭で落語を演じ、後に素人コンクールで2位なった。上方落語の世界初の大学卒業の噺家。 1955年(昭和30年)3月、4代四目桂文團治に入門。桂文光を名乗り、同年8月に大阪松島福吉館で初舞台。 「上方落語四天王」(六代目笑福亭松鶴、五代目桂文枝、三代目桂米朝、三代目桂春団治)に次ぐ世代として、戦後の上方落語復興期をともに良く支えた。

ウオシュレット;賃貸などでも後から設置してトイレに快適さを加えられる「温水便座」。 よく知られる「ウォシュレット」という呼び名は、実はTOTOの温水便座の商標です。そんな有名なTOTOのウォシュレットのほかにも、パナソニックなどの各メーカーからいろいろな機能が備わったものが出ていいます。
 TOTOが誇る「ウォシュレット」の発売は1980年。今から34年前だ。しかし、お尻を洗う機能がついた便座は、TOTOが初ではない。1964年、今から50年前に、米国のアメリカン・ビデ社の「ウォッシュエアシート」をTOTOが輸入・販売した。「これは医療用の製品。紙で拭くのが痛い痔の方や体格がよすぎて拭きにくい方のためのものでした」。 国産初の「ウォッシュエアシート」 TOTOはまたしても国産化に取り組み、1969年に洗浄・乾燥機能と暖房便座機能をつけた「ウォッシュエアシート」を発売する。だが、お湯の温度が安定しない、当たる角度がよくないなど、まだまだ作りが荒く、クレームもあった。 1970年代に入り、オイルショックが起きて景気が低迷する。
 何か新しい商品を仕掛けていかなければいけないという機運が社内で高まり、1978年11月に「ウォッシュエアシート」を一から自社開発することが決定した。 しかし、ここでも個室で使うトイレならではの困難が立ちはだかる。「まずお尻の位置がどこに来るかデータすらない。社員のモニターに自分の肛門の位置がどこに来るか、便座に取りつけた針金の上に印をつけてもらった。総勢300人のデータから大人の平均値を出しました」。 初代「ウォシュレット」 さらに、お湯の温度、当てる角度の試行錯誤を続け、温度は38度、角度は43度という「黄金律」が導き出された。こうして1980年6月、開発期間わずか1年半で「ウォシュレット」が誕生した。 1982年、「おしりだって、洗ってほしい」のCMで一躍、世間に認知される。
 だが、必要とされるまでには至らなかった。 「紙で拭けば十分なのに、なんでわざわざお湯で洗わないといけないんだという声が大半でした」。和式から洋式への切り替えに長い期間を要したように、やはり慣れ親しんだスタイルからの変化には抵抗があったのだ。 「抵抗感を払拭していくには、実際に使ってもらい、よさを実感してもらうのがいちばん。実体験できるキャラバンカーで全国を回ったり、トイレを設置する水道工事店の方に使ってもらい、お客様に実感を込めて薦めていただくなど、地道な活動を続けました」 その間にも、トイレにさまざまな機能が搭載されていく。
  TOTO
   

尻の毛まで抜かれる;利用されて全て騙し取られること。身ぐるみ剥がされてもまだ足りないくらい、ということのたとえ。凄いですね~、体には何も残らない。
 「尻の毛まで抜かれる」なんて中途半端な言い方ではなく、思いきって「ケツの毛まで抜かれる」と、より下品な言葉遣いをこころがけたい。青二才が賭博場にまぎれこむと、「幾多の修羅場をくぐりぬけてきたぜ」みたいな年寄りが近づいてきて、「お兄さん、やめときな。ここはお前さのような素人さんが来るところじゃねえ。ケツの毛まで抜かれるぜ」などと諭す場面が、任侠映画などで見られ、見ている人は「親心のある年寄りじゃねえか」などと感心したりする(別に親心でもなんでもなくて。いかにも金を持ってなさそうな若造に、はした金で面倒を起こされるのは迷惑なので、追い返したいだけなのだが・・・)。

 主人公の相撲の高安みたいな毛だらけの男は、「ウォシュレット」で尻を洗えば夫婦喧嘩せずに、また、お地蔵さんにカツラを被せることなく済んだのに・・・。

トリモチ(鳥黐);鳥がとまる木の枝などに塗っておいて脚がくっついて飛べなくなったところを捕まえたり、黐竿(もちざお)と呼ばれる長い竿の先に塗りつけて獲物を直接くっつけたりする。古くから洋の東西を問わず植物の樹皮や果実などを原料に作られてきた。近年では化学合成によって作られたものがねずみ捕り用や、ごきぶりホイホイ(右図)などとして販売されている。 日本においても鳥黐は古くから使われており、もともと日本語で「もち」という言葉は鳥黐のことを指していたが、派生した用法である食品の餅の方が主流になってからは鳥取黐または鳥黐と呼ばれるようになったといわれている。
  日本においてはモチノキあるいはヤマグルマから作られることが多く、モチノキから作られたものは白いために「シロモチ」または「ホンモチ」、ヤマグルマのものは赤いために「アカモチ」と呼ばれる。鹿児島県(太白岩黐)、和歌山県(本岩黐)、八丈島などで生産されていた。子供の遊びとして虫捕りにもよく使用される。この場合、黐竿をつかってトンボなどを捕獲する。ただし粘着力が強すぎ、脚や翅に欠損を生じることがあるため、標本用途には向かない。鳥黐を使用して鳥類を捕獲する行為は、禁止猟具を用いての捕獲およびわなを用いての鳥類の捕獲に該当し、鳥獣保護法違反で検挙対象となる。
 落語「トンボさし」より孫引き

地蔵(じぞう);仏教の菩薩(ぼさつ)の一つ。地蔵菩薩の略。釈迦入滅後、弥勒(みろく)が出現するまでの間、現世にとどまって衆生を救い、また冥府の救済者とされる。中国では唐代から、日本では平安時代から、その信仰が盛んとなり、僧形の像が多く作られた。右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠を持つのが普通。六道(ろくどう)を守護する地蔵(六地蔵)の信仰から、道祖神、庚申信仰などと結合し、民間に観音と並んで広く信仰された。また、子どもの災厄を守護するとも信じられ、賽(さい)の河原の説話などを生んだ。鎌倉~江戸時代には種々の民間説話と習合して、延命地蔵、子安地蔵、勝軍地蔵などさまざまの名を冠した地蔵が生まれた。毎月24日に地蔵講をする地方は多い。
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夢違地蔵尊  墨田区菊川3丁目13。 1923年(大正12年)関東大震災に於ける下町の惨禍は遭難死者5万8千名に及びその遺骨を収納し、東京都慰霊堂が建立され、その加護と平安を願い毎年9月1日を記念日と定め官民あげて法要が営まれているが、この地も焦土と化し その物故者も多いため、毎年その慰霊法要を行うに至った。1941年(昭和16年)太平洋戦争勃発し、戦局利にあらず、殊に1945年(昭和20年)3月9日より10日にかけての米戦略爆撃機B29による東京空襲は最も熾烈を極め僅か 数時間で下町を中心に27万8千余戸を焼失し無慮7万8千余の殉難者を出した。 広島、長崎の原爆の戦史に比類する永遠に忘れ得ぬ悲惨な史実である。

地蔵尊 墨田区立川4丁目12−24榎稲荷神社内。 ここも空襲の被害を後世に残すための建立された。

交通安全地蔵 墨田区亀沢2丁目11。交通安全を祈願して建立された。

塩舐め地蔵 江東区大島8丁目38。小名木川の開削の時掘り出され、宝塔寺に納められた。塩を地蔵に着けるとイボが取れると言われる。別名「いぼ取り地蔵」。

銀座出世地蔵尊 中央区銀座4丁目6−16 銀座三越9F テラスガーデン。三越銀座店屋上の銀座テラスの一角にある、ご利益のありそうな大きなお地蔵さま。明治から昭和に掛けて縁日では大変賑わい銀座を代表する風俗であり、書物にも書き残されている。

 近隣にも、子守地蔵・お化け地蔵・北向地蔵尊・おこり地蔵・延命地蔵尊、等の多くの地蔵が祀られています。

 芝増上寺の水子地蔵の列。



                                                            2022年6月記

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