落語「茶漬け幽霊」の舞台を行く 桂雀々の噺、「茶漬け幽霊」(ちゃづけゆうれい)より
■桂雀々(かつら じゃくじゃく);(1960年8月9日 - )は大阪市住吉区我孫子出身の上方落語家。所属事務所はラルテ。既婚で、一女一男あり。通称「けい じゃんじゃん」。本名:松本 貢一。
■この噺「茶漬け幽霊」は、江戸落語「三年目」にあたります。名人四代目橘家円喬(慶応元年11月9日(1865年12月26日) - 大正元年(1912年)11月22日)の十八番。
江戸落語の「三年目」は、前半は同じように進み、後半は以下のようにオチまで進みます。ここでは志ん生で、
元々、物分かりの良い旦那だから今までのことは忘れ、新しい嫁さんを大事にした。間もなく男の子が出来た。2年が経って、3年目の墓参り。
■百か日(ひゃかにち);百箇日法要は「卒哭忌(そっこくき)」とも呼ばれ、遺族が泣き悲しむ(哭)ことから卒業するという意味があります。
百箇日法要は、親族や近親者のみが参列し、自宅の仏前で行うことが一般的です。内容は僧侶を招いて読経していただき、焼香をし、説法を拝聴して終了となります。法要の後に会食をする場合もありますが、これは法要の流れのひとつというより、身内が集まって食事をするという意味合いが強いものです。
■黄道吉日(こうどう きちにち);陰陽道(おんみょうどう)で、何をしてもうまくいき、あらゆる凶悪もこれを避けるとされる日。転じて、たいへんによい日柄(ひがら)。吉日(きつじつ)。
■丑満時(うしみつどき);現代の時刻にすると、午前2時から午前2時30分までの間(もしくは、午前2時)で、正に真夜中になります。 また、当時は、昼は陽、夜は陰の気が巡って来て、特に真夜中には陰の妖気がもっとも強くなる、と考えられていました。幽霊の出る時刻。
■十万億土(じゅうまんおくど);この世から、阿弥陀仏(あみだぶつ)がいるという極楽浄土に至るまでの間に、無数にあるという仏土。転じて、極楽浄土のこと。非常に離れている意味にも用いられる。仏教語。「億」は非常に大きな単位の意で、「十万億土」は非常に多いという意味。これらは距離や語意の相違ではなく、西方極楽浄土に至る距離が果てしなく遠いということを示すもの。
■御寮人(ごりょん)さん;上方(かみがた)で、中流家庭の若い妻の敬称。ごりょんさん。
■道頓堀の中(座);時代によって異なるが、幕末から明治の初めごろは、東から角の芝居(角座)、中の芝居(中座)、筑後の芝居(浪花座)を道頓堀三座と呼んだ。明治期の道頓堀五座は東から弁天座・朝日座・角座・中座・浪花(竹本)座。戦後、朝日・角・中・浪花・松竹の時代が長く続いたが、現在残っているのは松竹座のみ。
■茶漬け(ちゃづけ);お酒を飲んだ後に、仕上げとしてラーメンを食べることがありますが、めったにお茶漬けを食べることはありません。上方では、何かというとお茶漬けを食べます。落語の世界だけの話なのでしょうか?
広辞苑によれば、茶漬けとは「飯に熱い茶をかけたもの。茶漬飯」とある。ここでいう「茶」とは通例日本茶をさすが、古くから日本に存在する茶を使わない茶漬けには、米飯に出汁をかけたものが挙げられる。この出汁をかけるタイプの茶漬けは、特に北越地方で好まれてきたため、出汁をかけた茶漬けには越後茶漬けという別称も存在する。
■小千谷縮(おぢやちぢみ);江戸時代初期、播州明石から来たといわれている堀次郎将俊が、それまでの越後麻布に改良を加えて完成したのが小千谷縮です。しぼのある独特の風合いで高い評価を得、昭和30年(西暦1955年)、国の重要無形文化財に指定されています。その技法を生かして織り始めたという小千谷紬も、昭和50年(西暦1975年)に伝統的工芸品に指定されています。
小千谷縮の材料は苧麻(ちょま)という上質の麻です。これを細かく砕いてつなぎ合わせ、一本の長い糸を作ります。
準備された経糸(たていと)に、模様付けされた緯糸(よこいと)一本一本柄を合わせながら丹念に織ります。一尺織るのに900回も手を動かすといいます。
織り上げられた反物は、地を白くするために雪の上でさらされ、完成します。この雪ざらしは、小千谷に春を呼ぶ風物詩です。下図3枚の写真。
■銘仙(めいせん);銘仙のはじまりは西暦1800年前後の江戸後期とされています。
養蚕農家の織子がくず糸を使用して自らが着用するものを織っていたことが銘仙のはじまりで、その着心地の良さと軽さ、安さが受けたことで、明治・大正・昭和と徐々に庶民の間に浸透していきました。
とりわけ発展し浸透したのは、1800年代後半から1900年代前半にかけての明治・大正のことです。
この頃、当時の学習院などを中心とするお嬢様学校の女学生は友禅などを着用して学校に通っていましたが、その姿が派手・華美だとする人から、制服を銘仙程度の服装にすることが定められました。
友禅などの着物と比べると質素で絵柄も少ない銘仙は、女学生にとって着用したいものではありませんでした。
そこで、明治中期の群馬・伊勢崎にて「ほぐし絣」という手法が生み出されました。
ほぐし絣を用いた銘仙は、柄入りや鮮明な色味のものが多く、女学生から人気を集めました。これをきっかけとして、銘仙の需要が高まり、拡大していったと考えられています。
この後伊勢崎に加え、埼玉・秩父や栃木・足利といった地域も「ほぐし絣」の手法を用いた銘仙の仕立てで競争力を伸ばし、大正から昭和にかけて全国的に主流な普段着として認知され、1950年代には最盛期を迎えました。
■キュウリと白菜の漬けもん;漬物には二種類有ります。その一つはぬか漬け。ぬか床は古くから日本の食文化として代々受け継がれ、地域によってはどぶ漬け、どぼ漬け、床漬け、ぬかみそ漬け、とも呼ばれ親しまれてきました。また、ぬか床の利用によってお漬物が安く作ることができるという経済的な利点から、昔から家計節約術を兼ねた嫁入り道具として母から娘に伝えられるという風習もあります。近年では植物性乳酸菌を生きたまま直接摂取できる健康食品としても非常に注目されています。このようにぬか床は日本を代表する立派な食文化でもあるのです。
上左写真、白菜ときうりのぬか漬け。 上右、塩もみしたきうりと白菜の即席漬け物。
二つ目は、塩もみして即効性のある塩漬け。野菜をスライスして塩でもむかビニール袋に入れてよく振って、冷蔵庫に寝かせると簡単に作ることが出来、短時間で仕上がります。
お花さんのご主人は、どちらの漬物で、茶漬けを食べていたのでしょうね~?
大坂府で採れる地元野菜の分布図。地元で採れる野菜は新鮮で味わい馴れています。
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