落語「茶漬け幽霊」の舞台を行く
   

 

 桂雀々の噺、「茶漬け幽霊」(ちゃづけゆうれい)より


 

 「ほな何ですかいな、甚兵衛はん。わたしに嫁はん世話しょ~ちゅうことですか」、「そぉやがな、早いもんやなぁ、お咲さんが亡くなってからもぉ三月(みつき)。いつまでも独りではおられんやろし、ちょ~どえぇ話があったもんやさかいな」、「新しぃ嫁はんもらうやなんて、そんなことしたら化けて出まんがな」、「何がいな?」、「お咲が化けて出て来ますがな」、「そんな可愛らしぃこと言ぅてんねやあらへん」、「ホンマですて、あの嫁はんは絶対約束守る女ですねん」。

 「去年の秋のことですわ、熱出して寝てたことがおましたやろ」、「ウンウンいぅて臥せってたなぁ」、「その時ですわ、看病してくれてたお咲、枕元でピィピィ泣いてまんねん。 『あんたにもしものことがあったら、わたしはもぉ生きてられしまへんで』てなこと言ぅてまんねん。お咲がまぁ本気で怒りましてね、『よぉそんな薄情なこと言ぃなはんな、あんたにもしものことがあったら、わたし二度と亭主てなもんもらうことないわいな』」、「なにノロケてんねん」、「ありがたいことに、わたいの病気は治りましたわいな。ところがや、看病疲れが出たんか、うちの嫁はんが入れ替わるよぉにゴロッと寝込んでしまいましたんや。今度はわたしが看病せなあきませんやろ、『お咲、元気出せ、元気出さんかい』言ぅたら、『あかん、自分の体は自分でよぉ分かる、せやけどあんた、わたしが死んだら新しぃ嫁さんもらいなはんねやろなぁ』てなこと言ぅてまんねがな」。
 「そら言ぅわいな。で何かいな、おまさん、『二度ともらわへん』言ぅてやったんかいな」、「いぃえぇ、『もらうよ』ちゅうて」、「ちょ、ちょっと待ちぃな。そんなこと言ぅてどないすんねん。ウソでも、『もらわへん』言ぅてやらんかいな」、「ほたら、えらい怒りましてねぇ、あんな恐い顔見たん初めてですわ、『よぉそんな薄情なこと言ぃなはんなぁ、もし、あんたが新しぃ嫁さんもらうよぉなことがあったら、わたい夜中に化けて出て、新しぃ嫁さんの鼻かぶりついたるねん』言ぅてますねん」、「そらそやろ、よくせき惚れてたんやがな。可愛ぃとこあるやないかい」、「そぉでんねん、『心配すな』言ぅてやったら、うちの嫁はんが、『世話焼きがいてる。ことにあの甚兵衛はん・・・』」、「甚兵衛はんがどないしたんや」、「でね、言ぅてやったんや、『何を言ぅてんねんお咲、心配すな。もし、浮世の義理で嫁はんもらうことになったら、夜中に化けて出て来んかい、待ってるさかい。二人して新しぃ嫁はん追い出そやないかい、待ってるさかいな、出て来いよ』っちゅうたら、うちの嫁はん、『あんた、おっきありがとぉ』て、気ぃ緩んだんでっしゃろなぁ、コテンッ、かわいそぉなことしましたわ」。

 「なるほどなぁ、夫婦といぅものはそぉありたいもんやで。実はなぁ、知り合いの娘さんやねんけど、会(お)ぉてみる気はないか」、「成る成らんは別にして、いっぺんだけ会ぉてみましょか」、「そぉか、ほな、この話進めさしてもらうで」、「一つお願いが有ります。初めての夜ですわいな、一緒に寝まっしゃろ、済んませんけど別々の部屋で寝かしてもらわれしまへんやろか」、「分かったわかった、そぉいぅことなら、先方にも言ぅて得心しといてもらお」、「ひとつよろしゅ、お頼の申します」。

 もぉ長屋の縁談といぅものはまとまんのは早いものでございまして、トントントンと話が進みます。お咲さんの百か日も済ませまして、黄道吉日を選びまして、形だけでございますが祝言を挙げます。さて、二人揃ぉてお床入りといぅところでございますが、お咲さんに気兼ねして別々に床を取り、やがて寝てしまいます。
 次第しだいに夜が更けてまいりまして、大阪中がシシラシ~ンとしてまいります。草木も眠る丑満時、どこで打ち出だしますか遠寺の鐘が陰にこもってものすごぉく・・・、(グォ~~ン) どっから出るか、いつ出て来るかと目を皿のよぉに起きておりますといぅと、時計の針が二時、三時、四時、五時、六時・・・。何じゃい、朝やないかい。何しとぉねんお咲あいつ、ホンマにもぉどんならんで、あぁそぉか、十万億土とかいぅて遠いとっから出て来よんねん、初日には間に合わんねやな、そぉかそぉか、あしたの晩やな。
 さて、明くる日でございます。時刻は次第しだいに更けてまいります。大阪中がシシラシ~ンとしてまいります。草木も眠る丑満時、どこで打ち出だしますか遠寺の鐘が陰にこもってものすごぉく・・・(グォ~~ン)  「どっから出て来よんねやろなぁ?」目を皿のよぉにして起きておりますといぅと、時計の針が二時、三時、四時、五時、六時・・・。何じゃいまた朝か、お咲何しとんねん。もぉえぇかげんにしぃや。遠いとこにおんねんなぁ、今日も間に合わんのかい? ははぁ~ん、あしたの晩やな。
 これが三日、四日、五日、十日。ひと月経っても出てまいりません。

 三年経ったある夏の昼下がりでございます。

 「ちょっと、あんた。御寮人(ごりょん)さんが言ぅのにはな、『道頓堀の中(座)のお芝居いやねんけどな、人が一人行かれへんよぉになったんで、あんた悪いけども行かへんか』と声かけてくれたんや」、「何やて、芝居かい。えぇやないか、行てこい行てこい」、「わたし一人でお芝居やなんて」、「何を言ぅてんねん、行てこい行てこい。働くのんは毎日のことやないか、たまには息抜きや、気にせんと行ってきたらえぇがな」、「せやけど、あんたのお昼ご飯が・・・」、「昼飯のこと心配すな」、「そやったらな、冷やご飯がぎょ~さん余ってんねやわ。悪いねんけどな、昼はお茶漬けでもしといてくれへんやろか」、「『茶漬け』嬉しぃなぁ。よかった、わいな『茶漬け食べたいなぁ』と、三日前から思てたんや」、「すんまへんなぁ」、「かめへんて、行てこい行てこい。そぉと決まったら、早いこと着替えせんかい。小千谷縮(おぢやちぢみ)の着物や。銘仙の羽織着て決めっていったらんかい。別染めの長襦袢も三枚ほど着ていけ」、「え? 我慢大会やおまへん」、「化粧も念入りにして、お前、土台がえぇねんさかい。財布持ったか?忘れもんないよぉにな、気ぃ付けて行けよ」。

 「ちゃんとお膳ごしらえしてくれてるがな、ありがたいこっちゃねぇ。昼間、茶漬けやなんて、何年振りかなぁ、キュウリと白菜の漬けもんか、なかなかいけるやないか。考えたら、お咲は損しよったなぁ・・・、苦労するために生まれて来たよぉなもんやがな。苦労して、さぁこれからっちゅう時に向こぉへ行てしまいよったんや、ホンマにもぉ、ぶっせぇくなやっちゃで。お咲はどんならんで、まぁまぁ、その分お花にはえぇ目ぇさしてやらんと」。

 (ドロドロドロドロ・・・、ドロドロドロドロ・・・) 「うら、めしぃ~」、「そぉかそぉか、晩は温飯や言ぅてたなぁ、美味しぃもん買ぉてくる言ぅてたなぁ・・・、ほな、これ全部食べてしまお。ホンマ、暑い時の茶漬けてうまいがな」、(ドロドロドロドロ・・・、ドロドロドロド・・・) 「うらめしぃ、うらめしぃ、うらめしぃ~」、「え? 何? 冷や飯? ほっとけアホ。今は冷や飯で茶漬け食ぅとるんじゃッ、近所の小倅(こせがれ)やろ、なぶりに来やがってん・・・、オッサン一人で食べてんねん、冷や飯ほっとけ」、「出てます」、「えぇ? 出てるて何や、怒るで、なぶってたら」、「あのぉ~、後ろに、出てます」、「え? 後ろ? わぉ、ビックリするやないか、何や? 誰や」、「(ニコッ)久し振りッ」、「お前、お咲か? お咲かい、何しに出て来てん?」、「『何しに』て、あんた、新しぃ嫁さんもろたやん」、「それがどぉしてん?」、「約束が違う」、「ちょっと待て、約束? 新しぃ嫁さんもろたから、恨めしぃて出て来た? ちょっと待ってくれ、ちょっと待て、それやったらこっちも言ぃたいことあるぞ。こっちかて約束違う、恨めしぃで」。
 「こでは話でけへん、前へ回れ、前へ。回って来てそこへ座れ、座れッ。え、足無いさかい座りにくい? 甘えるなアホッ、座れッ。おいお咲、よぉ出て来たなぁ、お前なぁ、『約束が違う、新しぃ嫁さんもろた、恨めしぃ』て?何が恨めしぃ? あのとき言ぅたやないかい、『もし浮世の義理で新しぃ嫁さんもらうよぉなことがあったら、その晩に出て来て鼻にかぶりついて追い出す』っちゅう約束になってたやないかい」。
 「わし、待ってたんや。久し振りに会いたかった、せやのに初日、出て来ぇへん。そら十万億土とか遠いとっから来るねんから、間に合わんのやろ思て待ってたわい。三日待った、四日、五日、十日・・・、来ぇへんがな。ひと月、ふた月・・・、何年経った? 三年やで。三年経って、何が恨めしぃ。こっちのほぉがよっぽど恨めしぃわい、ドアホ・ボケ・スカタン!」、「ポンポン言ぃなはんな。そんな言ぃ方ないと思うわ・・・、スゴイ冷たい、薄情な言ぃ方。こっちかて都合おますねん」、「都合? どんな都合やねん」、「あんた、お棺に納める時、頭丸坊主にしなはったやろ」、「成仏するよぉに、お寺さんが丸めはってん。それがどぉしたん」、「それみなはれ。こんなぶざまな頭で、あんた新しぃ嫁さんもらいなはって、あんな綺麗な嫁さんの前に出られますか? 恥ずかしぃ・・・、せやから髪の毛伸びるの待ってたんや。三年もかかってん」、「『三年もかかってん』やあるかいホンマにもぉ、ホッカムリでもなんでもして出て来んかい、待ってるのに・・・、ホンマにぶっさいくなやっちゃで。だいたい幽霊(ゆ~れん)てなもんはな、草木も眠る丑満時に出て恐いんと違うんか? 今、昼間やで、茶漬け食てたんや。何で昼間出て来んねん? 幽霊なら晩に出て来い、晩に」、「晩に出て来たかってんけどな~、夜は恐いねん」。

 



ことば

桂雀々(かつら じゃくじゃく);(1960年8月9日 - )は大阪市住吉区我孫子出身の上方落語家。所属事務所はラルテ。既婚で、一女一男あり。通称「けい じゃんじゃん」。本名:松本 貢一。
 1977年6月1日に桂枝雀に入門。同年10月の名古屋雲竜ホール(現在のDIAMOND HALL)「枝雀独演会」にて「浮世根問」で初舞台。2007年は芸能生活30周年を迎える。迎えるにあたってやしきたかじんプロデュースおよび出演の『雀々十八番』がシアターBRAVA!で開催し、6日間の独演会行われた。2011年10月より、「大阪でやれることは全てやった、51歳をきっかけにリセットして東京で勝負したい」という思いから、住居と活動拠点を東京に移し、長らく所属であった米朝事務所も離れた。東京では2DKのマンションで娘と二人暮らし(妻と息子は大阪在住)。娘の麻生唯はタレントとして活動している。 2017年、芸歴40周年を迎える。記念公演「地獄八景亡者戯2017」を東京国際フォーラムにて開催。特別ゲストに、入門当時から親交があり、落語家の先輩でもある明石家さんまが出演。さらに、落語中にシークレットゲストとして、サザンオールスターズの桑田佳祐が出演。連続テレビ小説の「ひよっこ」で使われていた主題歌の「若い広場」を初披露した。

■この噺「茶漬け幽霊」は、江戸落語「三年目」にあたります。名人四代目橘家円喬(慶応元年11月9日(1865年12月26日) - 大正元年(1912年)11月22日)の十八番。

 江戸落語の「三年目」は、前半は同じように進み、後半は以下のようにオチまで進みます。ここでは志ん生で、

 元々、物分かりの良い旦那だから今までのことは忘れ、新しい嫁さんを大事にした。間もなく男の子が出来た。2年が経って、3年目の墓参り。
  その晩に限って寝付けなかった、女房は死んだように隣で眠りこけていた。お菊だって元気なら、子供をもうけて居るだろうな。死ぬ者貧乏とはこんな事か。何処かで八つの鐘が鳴り、行灯の灯が丁子が溜まったのか暗くなって、障子に髪の毛がサラサラと触れる音がした。見るとお菊の幽霊が立っていた。
 「お菊じゃないか」、「恨めしい」、「恨めしいだと。お前みたいな嘘つきは知らないよ。婚礼の晩に出てくると約束したじゃないか。分からない女になったね。今更言ったってダメだよ。あれだけ約束したんだから、1月も2月も夜寝ないで待っていたんだ。冗談じゃ無いよ」、「あたしだって、婚礼の晩や、赤ちゃんが出来たことも知っています。出てきたかったのは山々ですが、出てこれなかったんです」、「どうしてなんだ」、「私を棺に収めるとき皆で丸坊主にしたでしょ。ごらんなさいな。婚礼の晩に尼さんの格好では出られませんよ。髪が伸びるまで待ってと思って、丁度三年目でこれだけ伸びたの。尼さんの格好で出たらお前さんに愛想を尽かされるのではないかと、髪の毛が伸びるまで待っていました」。

百か日(ひゃかにち);百箇日法要は「卒哭忌(そっこくき)」とも呼ばれ、遺族が泣き悲しむ(哭)ことから卒業するという意味があります。 百箇日法要は、親族や近親者のみが参列し、自宅の仏前で行うことが一般的です。内容は僧侶を招いて読経していただき、焼香をし、説法を拝聴して終了となります。法要の後に会食をする場合もありますが、これは法要の流れのひとつというより、身内が集まって食事をするという意味合いが強いものです。
 百箇日法要は命日から100日を数えた日とされていますが、実際には平日に行うことが難しいこともあります。そうした場合には、前倒しで行うようにしましょう。 百箇日法要は悲しむ日々から日常に切り替えるという意味がありますから、故人の遺品の整理や形見分け、葬儀で頂戴した香典のお礼や香典返しもこの日までに行います。

黄道吉日(こうどう きちにち);陰陽道(おんみょうどう)で、何をしてもうまくいき、あらゆる凶悪もこれを避けるとされる日。転じて、たいへんによい日柄(ひがら)。吉日(きつじつ)。

丑満時(うしみつどき);現代の時刻にすると、午前2時から午前2時30分までの間(もしくは、午前2時)で、正に真夜中になります。 また、当時は、昼は陽、夜は陰の気が巡って来て、特に真夜中には陰の妖気がもっとも強くなる、と考えられていました。幽霊の出る時刻。
 「延喜法」では、24
時間を「十二支」で示すもので、一つの干支を2時間の枠と考えます。つまり、12の干支で、2時間ずつ進行して24時間を刻みます。 時刻の読み方に関しては、一つの干支をさらに4つに分けて、「一つ時(一刻)」「二つ時(二刻)」「三つ時(三刻)」「四つ時(四刻)」とします。
 「延喜法」では、最初の干支である「子(ね)」は、午前0時を挟んだ、午後11時から午前1時までです。「子」を基準に、順番に「丑(午前1時~3時)、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥」と2時間ごとに進んでいきます。最後に「亥の刻」である午後9時から午後11時が終わると、24時間が終わる計算になります。

十万億土(じゅうまんおくど);この世から、阿弥陀仏(あみだぶつ)がいるという極楽浄土に至るまでの間に、無数にあるという仏土。転じて、極楽浄土のこと。非常に離れている意味にも用いられる。仏教語。「億」は非常に大きな単位の意で、「十万億土」は非常に多いという意味。これらは距離や語意の相違ではなく、西方極楽浄土に至る距離が果てしなく遠いということを示すもの。

御寮人(ごりょん)さん上方(かみがた)で、中流家庭の若い妻の敬称。ごりょんさん。
 大阪を中心に西日本の店(たな、商家)において、商家では主に「若奥さん」を意味する、立場別に用いられる独特の呼称の一つである。「御寮様」から「ごりょうさん」「ごりょんさん」「ごりょうはん」とも言う。 奉公人や外部者が、大旦那(隠居した前主人)の娘および旦那(当主)の妻に対して称する。通常、年配の者には用いないが、稀に慣習的にこう呼び続ける場合もある。 伝統的な商家においては、女性が主人になることは通常ない。旦那が隠居する、もしくは死期が近づいている時、男子があればそれを後継者に指名するが、女子しかなければ外部か奉公人の中から婿を取って後継者にする(養子旦那)。その場合、先代の娘は「前主人の娘」という意味で「御寮人」と呼ばれる。若旦那がそのまま後継者になる時は、その嫁(若御寮)を「御寮人」と切り替えて呼ぶ場合もある。この呼称が用いられる範囲は「女将」と一部重複しているが、同じ意味というわけではなく、店の種類や環境による慣習的な面が強い為、厳密に区別することは困難である。明確に「主人」とされているのであれば「女将」と呼ぶのが一般的である。また蕗谷虹児作詞による「花嫁人形」では「花嫁御寮」という言葉が使われている。

道頓堀の中(座);時代によって異なるが、幕末から明治の初めごろは、東から角の芝居(角座)、中の芝居(中座)、筑後の芝居(浪花座)を道頓堀三座と呼んだ。明治期の道頓堀五座は東から弁天座・朝日座・角座・中座・浪花(竹本)座。戦後、朝日・角・中・浪花・松竹の時代が長く続いたが、現在残っているのは松竹座のみ。

茶漬け(ちゃづけ);お酒を飲んだ後に、仕上げとしてラーメンを食べることがありますが、めったにお茶漬けを食べることはありません。上方では、何かというとお茶漬けを食べます。落語の世界だけの話なのでしょうか?
上方落語には、『茶漬け間男』、『茶漬け閻魔』、『京の茶漬』等があります。

 広辞苑によれば、茶漬けとは「飯に熱い茶をかけたもの。茶漬飯」とある。ここでいう「茶」とは通例日本茶をさすが、古くから日本に存在する茶を使わない茶漬けには、米飯に出汁をかけたものが挙げられる。この出汁をかけるタイプの茶漬けは、特に北越地方で好まれてきたため、出汁をかけた茶漬けには越後茶漬けという別称も存在する。
 また、江戸時代の中期頃からは、茶漬けに具を乗せるのが広まった。なお、どのような具が選択されるかは完全に食べる人の好みに任せられており、例えば、梅干や漬物、鮭や海苔・佃煮・塩辛・山葵・たらこ(辛子明太子)・塩昆布・イクラ、さらには、マグロ等の刺身など、様々な食べ物を具として乗せるケースが見られる。 また、ウナギも茶漬けの具となるケースも見られるが、名古屋の名物として知られるひつまぶしのように、茶漬けを食べ方のバリエーションのひとつに取り入れた料理も見られる。

小千谷縮(おぢやちぢみ);江戸時代初期、播州明石から来たといわれている堀次郎将俊が、それまでの越後麻布に改良を加えて完成したのが小千谷縮です。しぼのある独特の風合いで高い評価を得、昭和30年(西暦1955年)、国の重要無形文化財に指定されています。その技法を生かして織り始めたという小千谷紬も、昭和50年(西暦1975年)に伝統的工芸品に指定されています。 小千谷縮の材料は苧麻(ちょま)という上質の麻です。これを細かく砕いてつなぎ合わせ、一本の長い糸を作ります。 準備された経糸(たていと)に、模様付けされた緯糸(よこいと)一本一本柄を合わせながら丹念に織ります。一尺織るのに900回も手を動かすといいます。 織り上げられた反物は、地を白くするために雪の上でさらされ、完成します。この雪ざらしは、小千谷に春を呼ぶ風物詩です。下図3枚の写真。
 小千谷市役所 小千谷市観光交流課

銘仙(めいせん);銘仙のはじまりは西暦1800年前後の江戸後期とされています。 養蚕農家の織子がくず糸を使用して自らが着用するものを織っていたことが銘仙のはじまりで、その着心地の良さと軽さ、安さが受けたことで、明治・大正・昭和と徐々に庶民の間に浸透していきました。 とりわけ発展し浸透したのは、1800年代後半から1900年代前半にかけての明治・大正のことです。 この頃、当時の学習院などを中心とするお嬢様学校の女学生は友禅などを着用して学校に通っていましたが、その姿が派手・華美だとする人から、制服を銘仙程度の服装にすることが定められました。 友禅などの着物と比べると質素で絵柄も少ない銘仙は、女学生にとって着用したいものではありませんでした。 そこで、明治中期の群馬・伊勢崎にて「ほぐし絣」という手法が生み出されました。 ほぐし絣を用いた銘仙は、柄入りや鮮明な色味のものが多く、女学生から人気を集めました。これをきっかけとして、銘仙の需要が高まり、拡大していったと考えられています。 この後伊勢崎に加え、埼玉・秩父や栃木・足利といった地域も「ほぐし絣」の手法を用いた銘仙の仕立てで競争力を伸ばし、大正から昭和にかけて全国的に主流な普段着として認知され、1950年代には最盛期を迎えました。
 柄は従来の和風のものにとどまらず、アールデコやキュビズムなど西洋芸術の影響を受けたものも多い。銘仙の生産や流通は洋装化により衰退してはいるものの、図柄の文化的・美術的価値は高く評価されており、足利市立美術館やイタリアの首都ローマで展示会が開かれたこともある。

キュウリと白菜の漬けもん;漬物には二種類有ります。その一つはぬか漬け。ぬか床は古くから日本の食文化として代々受け継がれ、地域によってはどぶ漬け、どぼ漬け、床漬け、ぬかみそ漬け、とも呼ばれ親しまれてきました。また、ぬか床の利用によってお漬物が安く作ることができるという経済的な利点から、昔から家計節約術を兼ねた嫁入り道具として母から娘に伝えられるという風習もあります。近年では植物性乳酸菌を生きたまま直接摂取できる健康食品としても非常に注目されています。このようにぬか床は日本を代表する立派な食文化でもあるのです。

    

 上左写真、白菜ときうりのぬか漬け。 上右、塩もみしたきうりと白菜の即席漬け物。

 二つ目は、塩もみして即効性のある塩漬け。野菜をスライスして塩でもむかビニール袋に入れてよく振って、冷蔵庫に寝かせると簡単に作ることが出来、短時間で仕上がります。
 本格的には樽の中に野菜を入れ、塩をまぶして漬物石を上に置いて、漬かるのを待ちます。

 お花さんのご主人は、どちらの漬物で、茶漬けを食べていたのでしょうね~?

 

 大坂府で採れる地元野菜の分布図。地元で採れる野菜は新鮮で味わい馴れています。
”元祖漬けもんや”より、美味しい漬物は、地元の新鮮な野菜を使うことにつきると言います。

 


                                                            2022年7月記

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