落語「万金丹」の舞台を行く
   

 

 五代目柳家小さんの噺、「万金丹」(まんきんたん)別名「とりや坊主」


 

 二人連れの江戸っ子が旅に出ていた。腹ぺこで村はずれに来たが泊まる宿も無い。出てきた建物はお寺さんであったので、宿泊を頼むと許してくれた。囲炉裏に掛かっていた鍋を食べると変な匂いがするので聞くと赤土に麦わらを刻んだのが入っていた。「先代の祥月命日だから作っていた」。人間には食べられないので、麦飯をむさぼるように食べた。

 3日ほど雨に閉じ込められて、旅を続ける元気も無くここに置いてもらう事にし、出家する事になった。明日は日がイイので得度式とし、初五郎は初坊、梅吉は梅坊として勤める事になった。
 住職は京都の本山に1ヶ月ほど行く事になったので、「万一葬儀が出たら手に負えないから山の向こうに願行寺(がんぎょうじ)があるから、そこに頼みなさい」、と言い残して出掛けた。
 これはチャンスと酒を買い肴は裏の池から魚を捕らえやっていると、檀家がやって来て、村の万屋金兵衛が亡くなりお通夜に来てくれとの依頼。願行寺に頼むとお布施がみんな向こうに持って行かれるので、自分たちでやる事になった。お経も分からないが「い~ぃ~ろ~ぉ~~は~ぁ~ぁ~」と、梅坊は増上寺の大和尚だと誤魔化し、行く事になった。

 お経の方は何とか終わって、お布施の催促と通夜は芸者を上げて派手にやる事といったが、戒名を書き写して帰りたいので教えて欲しいとの催促。数珠を忘れるて来るくらいだから、戒名の用意も無い。字も書けない二人だが、出掛けに和尚の部屋から薬袋を持ってきたので、それを戒名だと渡した。
 「戒名は長い紙に書いてあるが、これは真っ四角だ」、「それは新型だ」、「『官許伊勢朝熊(あさま)霊方万金丹』これは薬の袋だよ」、「それでイイのだ。その人にそっている。官許は棺の前で経を読んだから、伊勢朝熊は生きているときは威勢が良いが、死んでしまえば浅ましい格好になる」、「父っさぁまは浅ましくなってしまったか。霊方は?」、「大僧正と二人出来たから、お布施のれい(礼・霊)は法によって出すから弾まなくてはいけない」、「そうすると、戒名の中にお布施の催促が入っているのか。おかしいな。この万金は?」、「万屋金兵衛だから、万金だ」、「では丹は?」、「年寄りはタンが絡んで死ぬから」、「ダメだよ。父っさぁまは年寄りの冷や水で、屋根に上がって草むしりをしていて転げ落ちただよ」、「悪い死に方したなぁ。落っこんたんで丹だ」、「面白い戒名だな。ただし白湯にて用いるべし、と書いてある。戒名に但し書きがあるが?」、「この仏に、改めてお茶湯を上げるには及ばない」。

 



ことば

祥月命日(しょうつきめいにち);一周忌以後における故人の死去の当月当日。正忌。正命日。毎年一回回ってきます。

出家(しゅっけ);家を出て仏門に入ること。俗世間をすて、仏道修行に入ること。また、その人。僧。

得度式(とくどしき);頭を剃髪し、仏門に入る式。宗派によって剃髪しない所がある。

檀家(だんか);一定の寺院に属し、これに布施をする俗家。だんけ。檀方。その寺のスポンサー。

増上寺(ぞうじょうじ);東京都港区芝公園にある浄土宗の大本山。関東十八檀林の筆頭。山号は三縁山。もと光明寺と称する真言宗寺院で、今の千代田区紀尾井町付近にあったが、明徳4年(1393)聖聡が浄土宗に改め、増上寺と称し、慶長3年(1598)家康が徳川家菩提所と定めて現在地に移した。以後、寛永寺と並ぶ江戸の大寺となり、全浄土宗の諸寺を管した。増上寺ホームページ    写真下:増上寺本堂

戒名(かいみょう);受戒の際に、出家者あるいは在家信者に与えられる名。本来生前に与えられるものであるが、中世末期から死者に対して与えられるようになった。法名。

官許伊勢朝熊霊方万金丹(かんきょ・いせあさま・れいほう・まんきんたん);伊勢参りの土産物として萬金丹を選び、送り出した人々からありがたいと喜ばれました。 また、武士が腰に下げていた印籠の中にも萬金丹が入っており、懐中薬の代表でもありました。その人気から、伊勢の萬金丹には多くの偽物が出現し、ひと頃30種類もの萬金丹が出回っているほどでした。 そのなかでも古い歴史をもつ、「野間萬金丹」は、かつて〝霊方萬金丹〟として知られ、野間家の言い伝えによると、祖・野間宗祐が室町時代の応永年間(1394~1427)に故郷・尾張国野間から仏地禅師に随行して朝熊岳の金剛證寺(こんごうしょうじ)に移住し、その信仰の中で秘方を授けられ、創薬したのが萬金丹であったといわれています。
 金剛證寺は伊勢神宮の鬼門を護る寺とされ、「お伊勢に参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭にも歌われたことでも知られており、金剛證寺で祈祷を終えた後、参詣の人々が多く買い求めたといわれています。 萬金丹は、江戸時代、旅の道中に常備する万能薬とされていましたが、主に胃腸の不調を改善するもので、その効能は、食欲不振、消化不良、胃弱、飲みすぎ、食べすぎ、胸やけ、胃もたれ、はきけ(胃のむかつき、二日酔い、悪酔、悪心)などとなっており、又、配合されている生薬には、下痢、腹痛にも効果があり、その用途は幅広いものでした。
 和漢植物6種〔阿仙薬、桂皮、丁子、木香、千振、甘草〕を配合した、小粒の丸剤です。
伊勢くすり本舗 株式会社のホームページより

 

朝熊山(あさまやま);伊勢市南東部にある山。標高555m。山頂に金剛証寺がある。近世は伊勢参宮の巡拝地の一つとしてにぎわった。朝熊ヶ岳。あさくまやま。

白湯(さゆ);薬を飲むときなどの、何もまぜない湯。

茶湯(ちゃとう);茶を煎じ出した湯。仏前に供える。おちゃとう。



                                                            2015年6月記

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