落語「滑稽清水」の舞台を行く 初代 森乃福郎の噺、「滑稽清水」(こっけいきよみず)より
■初代 森乃福郎(もりの ふくろう);(1935年9月3日 - 1998年12月27日) 本名:仲川(なかがわ) 吉治(よしはる)。
■按摩(あんま);身体をもんで筋肉を調整し、血液の循環をよくする療法。もみりょうじ。マッサージ。また、それを業とする人。(あんまが盲人の業だったことから)
俗に、盲人。
座頭(ざとう)は、江戸期における盲人の階級の一つ。またこれより転じて按摩、鍼灸、琵琶法師などへの呼びかけとしても用いられた。今日のような社会保障制度が整備されていなかった江戸時代、幕府は障害者保護政策として職能組合「座」(一種のギルド)を基に身体障害者に対し排他的かつ独占的職種を容認することで、障害者の経済的自立を図ろうとした。
■間男(まおとこ);夫がいる女が、夫以外の男と密通すること。(→不倫)。
また、上記の密通の相手となっている男のこと。情夫(→恋人)。江戸時代には現行犯であれば殺されても仕方がないとされていた。江戸時代の間男の示談料とされ、見つかると金五両(銀三百匁)になったが、しかし、値上がりして首が飛ぶ十両より安く七両二分となった。
旅から帰った亭主に驚き、裏から逃げ出す間男。右:同じく逃げ出す間男。文藝春秋デラックス11月号より
間男の小ばなし;長屋の男が、 隣のかみさんとの間男を見つかり、 亭主に脅され示談金の相場は七両二分(7.5両)だから、持って来いと脅された。当然そんな大金持ち合わせが無いので、こわごわ家に帰って女房に相談すると、「隣の亭主はそんな事を言ったのかい。それでは、お釣りの七両二分もらって来な」。あらら、どちらさんもすご腕ですね。
間男の落語いっぱい有ります。「紙入れ」、「戸棚の男」、「骨違い」、「つづら間男」、「茶漬け間男」、「艶笑噺・円生」、「香典返し」。
『江戸艶笑小咄と川柳』(西尾涼翁著・太平書屋)から引用すると。
■半信半疑(はんしん はんぎ);半分信じて半分疑っている状態。真偽が定かでなく、判断に迷っているさま。信じたい気持ちと疑わしく思う気持ちが心中で微妙に揺れ動いている状態。
■疑心暗鬼(ぎしん あんき);疑いの心があると、なんでもないことでも怖いと思ったり、疑わしく感じることのたとえ。疑いの深さからあらぬ妄想にとらわれるたとえ。疑いの心をもっていると、いもしない暗闇くらやみの亡霊が目に浮かんでくる意から。▽「疑心」は疑う心。「暗鬼」は暗闇の中の亡霊の意。「疑心暗鬼を生ず」の略。「暗」は「闇」とも書く。
■清水寺(きよみずでら);京都市東山区清水一丁目294、音羽山清水寺。開創は778年。現代から遡ること約1250年前です。大きな慈悲を象徴する観音さまの霊場として、古くから庶民に開かれ幅広い層から親しまれてきました。古い史書や文学のなかには、多くの人々が清水寺参詣を楽しむ様子が描かれています。
京都の東、音羽山の中腹に広がる13万平方メートルの境内には、国宝と重要文化財を含む30以上の堂塔伽藍が建ち並びます。創建以来、10度を超える大火災にあいそのたびに堂塔を焼失しましたが、何度も再建されました。現在の伽藍はそのほとんどが1633年に再建されたものです。1994年にはユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」のひとつとして登録されました。
千日詣りは、一日の参詣が千日分に相当するとされる観音さまの功徳日。この風習は観音信仰の広まりとともに誕生し、当山では大切な行事として古くから多くの善男善女をお迎えしてまいりました。
観音さまは、人々のあらゆる願いや悩みに耳を傾け、その苦厄を取り除こうとされる大慈大悲の仏さまです。
■千手観音(せんじゅかんのん);清水寺の御本尊は、「十一面千手観世音菩薩」。この観音さまは、十一の表情と四十二の手で大きな慈悲をあらわし、人々を苦難から救うといわれています。無病息災や立身出世、良縁といった現世利益を願う人々に篤く信仰されたこともあって、古くから親しみを込めて「清水の観音さん」と呼ばれてきました。
■満願(まんがん);結願(けちがん)。日数を定めて神仏に祈願、または修行し、その日数が満ちることをいう。また「満願の日」というように、最終日を表す。
神仏に祈った願いが叶うと満願成就(まんがんじょうじゅ)という。祈願や修行の期間は、開白(かいびゃく)・中願(ちゅうがん、中日とも)・結願(けちがん)の三つに分けられ、結願の最終日を満願という。
四国八十八箇所などの霊場で、すべての札所を廻ることを満願もしくは結願といい、すべてを廻りきると満願成就、結願成就という。
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