落語「旅の里扶持」の舞台を行く
長谷川伸原作
林家彦六の噺、「旅の里扶持」(たびのさとぶち)
■里扶持(さとぶち);里子に出した子供の養育料のこと。
■新内(しんない);新内節。鶴賀新内が始めた浄瑠璃の一流派。浄瑠璃の豊後節から派生したが、舞台から離れ、花街などの流しとして発展していったのが特徴。哀調のある節にのせて哀しい女性の人生を歌いあげる新内節は、遊里の女性たちに大いに受け、隆盛を極めた。
■蘭蝶(らんちょう);新内のひとつ。本名題「若木仇名草(ワカギノアダナグサ)」。初世鶴賀若狭掾作詞・作曲。声色身振師の蘭蝶が遊女此糸と契り、身売りした女房お宮が此糸に縁切りを頼むに及んで心中を覚悟する筋。新内を代表する大曲。多くお宮の口説(クドキ)「縁でこそあれ末かけて」を中心に演奏される。
■単衣(ひとえ);夏場などに着る着物で一枚仕立てのもの。冬の着物は裏が付いたものや綿入れがあり、単衣を2枚重ねて着るなどは金の無い奴の証拠。
■江戸・横山町(よこやまちょう);江戸時代には日本橋に次いで商業地として栄えた地。隣には馬喰町や南に行けば、大伝馬町、小伝馬町で日本橋の繁華街に出ます。また、北に行けば浅草橋を渡り、浅草まで行けます。
現在の横山町。衣料品関係の店が集中しています。
■前橋(まえばし);正喬がお駒さん夫婦と最初に出会ったところ。関東平野の北西端、赤城山南麓に位置する。市内には利根川が流れる。伏流水による水質の良さで知られ、中心部で供給される水道水は、その地下水である。又、全国の都道府県庁所在地では海から最も遠い。鉄道交通では中心駅の前橋駅が幹線から外れているため、隣の高崎市にある高崎駅が前橋市への中継点の役割を果たしている。
■高崎(たかさき);正蔵になってお座敷が掛かって出掛けた地。中山道の宿駅で、江戸から出ると板橋を第1宿として、8宿目が熊谷、深谷、10宿目が本庄、3つ先が高崎です。この先碓氷峠を越えると軽井沢、諏訪を超えて草津で東海道と合流して京に入ります。中山道69次中4番目に規模が大きい宿場町として、また物資の集散地・商業のまちとして大いににぎわった。
■本庄(ほんじょう);赤子を預けて、後年再会した地。埼玉県の北西部に位置する市。中山道の宿場・本庄宿が置かれた。本庄宿は中山道の中で最大の宿場町として栄えた。本庄宿(ほんじょうしゅく)は、中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうち江戸から数えて10番目の宿場。
武蔵国児玉郡の北部国境付近に位置し、武蔵国最後の宿場。現在の埼玉県本庄市に当たる。江戸より22里(約88km)の距離に位置し、中山道の宿場の中で一番人口と建物が多い宿場であった。それは、利根川の水運の集積地としての経済効果もあった。江戸室町にも店を出していた戸谷半兵衛(中屋半兵衛)家は全国的に富豪として知られていた。
■熊谷(くまがや);十八年前、本庄で赤子と別れたことを思いだしたて本庄に。埼玉県北部にある人口約20万人の市。江戸時代には中山道の宿場・熊谷宿が置かれ、宿場町として栄えた。現在でも市内には国道17号をはじめとする4本の国道(および各線の計6つのバイパス)、9本の主要地方道、上越新幹線をはじめとする3本(JR上越新幹線・JR高崎線・秩父鉄道秩父本線)の鉄道路線が通過しており、交通の要衝としての役割を果たしている。
■1両2分(1りょう2ぶ);金の貨幣単位。金は4進法で、1両=4分、1分=4朱。1両2分は1両+0.5両、現在の貨幣価値にして十数万円です。10円、20円の金に困っている亭主ですから、つい、手が出てしまったのでしょう。目先の金に目がくらんで、大事な女房と交換してしまったのです。
■落語「野ざらし」;隅田川で娘さんの骨を釣ろうと出掛けてみたが釣れたのは・・・。「野ざらし」を参照。
■落語「こんにゃく問答」;禅宗のお坊さんに問答を挑まれたが、その結果・・・、「こんにゃく問答」参照。
2015年6月記 前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ |