落語「夢八」の舞台を行く
   

 

 二代目桂小南の噺、「夢八」(ゆめはち)


 

 甚兵衛さんに呼ばれて八兵衛こと夢八がやって来た。近頃夢ばっかり見ていて、夢と現実の区別が付かないので弱っている。寝ていて夢を見ているのに、その中で又夢を見て、その夢の中で夢を見ているので、何回か起こしてもらわないと目が覚めない。その上、喉に物が通らない。心配して聞いてみると、お金がないから食べる物が喉を通らない。
 「では、一晩留守番を頼みたい。簡単な仕事で吊りの番で、食べ物も付いて普通の倍の給金を出す。やってくれるなら、時間が早いから一寝入りして夕方来てくれ」。釣りは大好きだからと夢八は夕方やって来た。

 夕方を待たずにやって来たのは、お腹が空いて寝ていられないという。出掛けに薪の中から細い割り木を1本持って目的の長屋にやって来た。この長屋で夜釣りが出来るのか頭をひねっている。カドのお直さんにお前を紹介しないと翌朝ビックリするからと声を掛けた。「逃げていたわけではない。番人を連れてきたから」、「(泣き声で)前のお雪さんは気持ち悪いからと引っ越して、お須磨さんはおっ母さんがお産すると行ってしまった。おっ母さんは八十六なんですョ。お年さんは子供を連れて里に帰ってしまった。残ったのは私一人なんです。警察が翌朝来から手を付けてはいけないと言って、奥の家は吊りっぱなしです」。カギと重箱が入った風呂敷を受け取った。「初めて会う人には、『こんばんは』の挨拶ぐらいしなければいけないよ」と注意しながら番をする家に入った。
 「こんばんは」、「デカい声を出すな。ビックリする」、「誰もいないのですか」、「いないから、お前に留守番して貰うんじゃ」。家の中に入りろうそくを点けると、畳が上げてあった。ムシロを敷いて風呂敷の中には重箱に握り飯と煮しめの夜食が入っていた。喜んで食べていると、寝てしまったらいけないので、先程の割り木を叩かせた。トトトントントンとリズムを付けて叩き出した。
 甚兵衛さんが帰るというと「私一人では留守番は出来ない。皆がいて賑やかな所ならします。それに、どこにも釣り人はいませんよ」、「ムシロの向にいるよ。ムシロの向こうは見ない方がイイよ」、甚兵衛さんカギを掛けて帰ってしまった。

 夢八は握り飯を手に床を叩きながら「良い商売だ、夜食も食べて床を叩いていれば良いんだから」。割り木を叩きながら不思議そうに隣を見たら人が居た。「背が高い人だな『こんばんは。アンタも留守番頼まれたの』、足が見えるけれど、宙に浮いているよ。疲れるだろうな・・・??」、ヒョイとムシロに触ったら首吊りの死体が現れた。梁にヒモを通し、無念の形相ものすごく・・・・。
 (小南の一人台詞)やりたくないんですよ。と言いながら手ぬぐいをヒモのようにして、首に巻いて、無念の形相・・・、ここは笑うとこではありません。
 夢八は「わ~~~、ひえ~~、釣りは釣りでも首吊りじゃないか。甚兵衛さ~ん」。キャァキャァ言いながら食べることと叩くことは忘れない。

 宵のうちは大したことはありませんが、夜も更けてくると風の音ものすごく・・・、そこに長屋に住む老猫が「こらおもろい。一つ怖がらせてやれ」と死体に息を吹きかけると、死体がしゃべり始めた。「おい。そこの番人。伊勢音頭歌え~、歌わなんだら、そこ行って頬べた舐めるぞ~」、「わ、わ~~~、歌います。♪お伊勢詣りは~。わわでわわ~。」と歌詞もロクに出ないが「あ~よいよい」と首吊りが拍子をとった。「わぁ~~」驚いた夢八続きを歌うが歌詞にもなっていない。割り木で叩いていたが、首つりの縄が取れて夢八に覆い被さってきた。「わぁ~~~」と言ったきり気絶してしまった。

 翌朝、お直さんに甚兵衛さんが聞きに行った。「何です、あの番人。トントントンと、うるさくて寝られませんでした。明け方になって静かになったのですが・・・」、「しょうが無い奴だ。寝る病気を持っているんだ。お直さん一緒に行ってみよう」。
 「キャァー。この人、首吊りを下ろして、一緒に寝ている」、「度胸が良い奴だな。おい、こら、起きろ。八兵衛」、「歌います。歌います。♪お伊勢詣りに~。この子ができた。ヨ~イヨイ」、
「何をやってるんだ。あっ、こいつ伊勢詣りの夢見ている」。

 



ことば

伊勢音頭(いせおんど);伊勢神宮参拝の帰りに古市 (伊勢市)の遊郭へ上がった客らによって全国に広まった民謡。伊勢参りは、信心目的ばかりでなく江戸期には古市の遊郭や観光そのものが旅の目的ともなっていた。「荷物にならない伊勢土産」とも言われ、伝えられた各地で作り替えられ普及した唄や踊りがある。主に祝い歌として歌われている事が多く、祭りなどの伝統行事、通過儀礼の席で歌われる事が多い。古市近くの川崎から生まれたことから川崎音頭とも呼ばれた。
 「♪ 伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」という台詞で知られている。津は安濃津を含む伊勢の国の港、伊勢とは伊勢国を指すとされる。 また合の手に「やとこせ よいやな あらら これはいせ よいとこいせ」と入るが、これは伊勢木遣の囃子と同じです。 また、替え歌が数十と沢山有ります。
 「♪ めでためでたの 若松様よ 枝もな~栄えて 葉も茂る」
 「♪ 伊勢参りに 朝熊(あさま)をかけよ 朝熊な~かけねば 片参宮」
 「♪ お伊勢戻りに この子が出来て お名をな~つけましょ 伊勢松と」
小南はこの替え歌から拾っています。

重箱(じゅうばこ);食物を盛る箱形の容器で、2重・3重・5重に積み重ねられるようにしたもの。多くは漆塗りで、精巧なものは蒔絵・螺鈿(ラデン)などをほどこす。

むしろ;畳表のい草・蒲(ガマ)の穂・麦藁(ワラ)・稲藁・竹などで編んだ粗末な敷物の総称。「わらむしろ」の略。

(ゆめ);睡眠中あたかも現実の経験であるかのように感じる、一連の観念や心像のこと。睡眠中にもつ幻覚のこと。視覚像として現れることが多いものの、聴覚・触覚・味覚・運動感覚などを伴うこともある。通常、睡眠中はそれが夢だとは意識しておらず、目覚めた後に自分が感じていたことが夢だったと意識されるようになる。

 現代の神経生理学的研究では、「夢というのは、主としてレム睡眠の時に出現するとされ、睡眠中は感覚遮断に近い状態でありながら、大脳皮質や(記憶に関係のある)辺縁系の活動水準が覚醒時にほぼ近い水準にあるために、外的あるいは内的な刺激と関連する興奮によって脳の記憶貯蔵庫から過去の記憶映像が再生されつつ、記憶映像に合致する夢のストーリーをつくってゆく」と考えられている。 
 メカニズムについては不明確な部分が多く、研究対象となっている。 例えば、夢は浅い眠りに陥るレム睡眠中に見るとされ、一般的にはノンレム睡眠時は発現されないと考えられていた。しかし、ノンレム睡眠時にも夢を見ると考える研究者も多く、そうした研究も続けられている。 夢を見る理由については現在のところ分かっていない。

 未開人や古代人の間には、睡眠中に肉体から抜け出した魂が実際に経験したことがらが夢としてあらわれるのだ、と考えられていた。だから急に起こすと、魂が帰れなくて死んでしまうと言う。
 神や悪魔といった超自然的存在からのお告げであると言われるようになり、その解釈法や夢占いが盛んに行われるようになります。
 また、心理学の世界では、ジークムント・フロイトの研究、あるいはカール・ユングの研究が広く知られている。エーリッヒ・フロムは、夢というのはその象徴という言語で語られる無意識の経験であるとした。象徴の解釈によりその真の意味を理解することが可能という。

 夢八のように起きていて夢を見るのを、白昼夢(白日夢)とも呼ばれる。目覚めていながら夢を見ているかのように現実から離れて何かを考えている状態をいう。空想や妄想と同様、夢を見ている自分を自覚できること、夢の内容を自分でコントロールすることができるという点で、通常の睡眠時の夢とは異なる。

長屋(ながや);噺の八兵衛さんはこの長屋の住人。甚兵衛さんはこの長屋の大家さんです。
 江戸時代の借家は、家具一式はもちろん、畳や建具を付けずに貸すのが一般的だった。畳、家具、障子・襖などの建具は自分で揃えなければならなかった。それでも引越しが大変になることはなかった。道具屋や損料屋があって、引越す前に近所の道具屋に道具を売り、引越した先の道具屋から必要な道具を買えば、荷物は少なくて済む。また、損料屋に必要なものを必要な期間だけ借りるというスタイルが定着していたので、自分の持ち物は少なく、収納場所もあまり必要ではなかった。自分の物でも、季節によって使わない物は質屋に預ければ収納スペースも最低限で済みます。

 夢八は部屋に入るなり「畳が上げてある」と指摘しています。留守番をするような家は当然人が住んでいるのにおかしいなと思ったのです。大家とすれば死人に畳を汚されたら困るので部屋の隅に積んでいたのでしょう。
 この長屋は、俗に言う九尺二間(くしゃくにけん。入り口の半間の土間を除いた四畳半一間の最少の部屋)の小さな部屋ではありません。
(はり);障子や襖が入る上部のレール部分の横木。上部の重みを支えるため、あるいは柱を固定するために柱上に架する水平材。桁と梁とを区別して、棟と直角にかけたもののみを指すこともある。

 上図;長屋模式図 江戸東京博物館蔵

大家(おおや);そのよび名から長屋の持ち主のように思われがちですが、じつは土地・家屋の所有者である地主から、長屋の管理を任されている使用人で、家守(やもり)、家主(いえぬし)ともよばれていました。現代で言う管理人です。豊かな地主は多くの長屋を持ち、それぞれに大家を置いた。
 その仕事は、貸借の手続き・家賃の徴収・家の修理といった長屋の管理だけでなく、店子と奉行所のあいだに立って、出産・死亡・婚姻の届け出・隠居・勘当・離婚など民事関係の処理、奉行所への訴状、関所手形(旅行証明書)の交付申請といった、行政の末端の種々雑多な業務を担当していました。
 それだけに店子に対しては大いににらみをきかせ、不適切な住人に対しては、一存で店立て(強制退去)を命じることもできました。
 大家の住まいは、たいてい自分が管理する長屋の木戸の脇にあり、日常、店子の生活と接していましたから、互いに情がうつり、店子からはうるさがられながらも頼りにされる人情大家が多かったようです。

(「大江戸万華鏡」 農山漁村文化協会発行より)  



                                                            2015年7月記

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