落語「麻のれん」の舞台を行く
   

 

 古今亭志ん生の噺、「麻のれん」(あさのれん)


 

 蚊帳を吊らなくては生活できないという時代の噺です。
 按摩の杢市(もくいち)は、強情で自負心が強く、目の見える人なんかに負けないと、いつも肩肘を張っている。療治も終わって夜も遅いので、旦那が泊まっていけというので甘えることにした。女中に離れ座敷に柔らかな床を取らせ、夏のことなので、蚊帳も丈夫で涼しい麻のを用意してくれて、その上、枕元には番茶を土瓶に入れて置いてくれた。
 「目明きは色々な物が見えるから、欲しい物まで見えてくるが、目が見えなければそんな事も起こらない」と強がりを言った。「車に突き当たるのは決まって間抜けな目の見える人で、夜道で突き当たられるのは目が見える人で、だから提灯を持って歩いているのだと言ったら、『火が点いていません』と言われてしまった」。

 支度が出来たので、女中が部屋まで連れて行くというのを、勝手知っているから大丈夫だと断り、一人でたどり着いたはいいが、入り口に麻のれんが掛かっているのを蚊帳と間違え、くぐったところで座ってしまった。まだ外なので、布団はない。「布団は敷いていないし、枕元のお茶もない。手を広げると届くいやに狭い蚊帳だと、ぶつくさ言っているうちに、蚊の大群が大挙して来襲。杢市、一晩中寝られずに応戦しているうち、力尽きて夜明けにはコブだらけ。まるで、金平糖のように刺されてしまった。

 翌朝、 旦那がどうしたのと聞くので、「小さな蚊帳で天井もなく、布団も敷いてなかった」と事情を説明すると、旦那は、蚊帳を吊るのを忘れたのだと思って、女中をしかるが、杢市が蚊帳とのれんの間にいたことを女中から聞いて苦笑い。杢市も納得して帰った。

  しばらくたって、また同じように遅くなり、泊めてもらう段になった。また懲りずに杢市の意地っ張りが顔を出し、止めるのも聞かず、またも一人で離れの寝所へ。
 今度は女中が気を利かせて麻のれんを外しておいたのを知らず、杢市は蚊帳を手で探り出すと 「これは麻のれん。してみると、次が蚊帳だな」。二度まくったから、また外へ出た。

 



ことば

蚊帳(かや);蚊を防ぐために吊り下げて寝床をおおうもの。麻布・絽・木綿などで作る。
 日本には中国から伝来した。当初は貴族などが用いていたが、江戸時代には庶民にも普及した。
 「蚊帳ぁ~、萌黄の蚊帳ぁ~」という独特の掛け声で売り歩く行商人は江戸に初夏を知らせる風物詩となっていた。
 現在でも蚊帳は全世界で普遍的に使用され、野外や熱帯地方で活動する場合には重要な備品であり、大半の野外用のテントにはモスキート・ネットが付属している。また軍需品として米軍はじめ各国軍に採用されており、旧日本軍も軍用蚊帳を装備していた。 現在、蚊帳は蚊が媒介するマラリア、デング熱、黄熱病、および各種の脳炎に対する安価で効果的な防護策として、また副作用が無いので注目されている。
 生活環境の変化、すなわち殺虫剤や下水の普及による蚊の減少および気密性の高いアルミサッシの普及に伴う網戸の採用、さらに空調設備の普及により、昭和の後期にはほとんど使われなくなった。

按摩(あんま);なでる、押す、揉む、叩くなどの手技を用い、生体の持つ恒常性維持機能を反応させて健康を増進させる手技療法である。按摩の按とは「押さえる」という意味であり、摩とは「なでる」という意味である。 また、江戸時代から、按摩の施術を職業とする人のことを「按摩」または「あんまさん」と呼ぶが、視覚障害者の間では、これを盲人に対する蔑称と受け取る向きもあり、あまり使わない方がよい言葉になっている(マスコミ等ではマッサージ師と言い換える事もある)。一方、外国語である「マッサージ」に対比する日本語の意味である按摩という言葉を否定するのは、日本古来の施術法の否定であり、いわゆる言葉狩りでしかないとして、日本古来の施術方を伝承・継承する意事から、あえて按摩師と称して営業する施術師もいる。
 日本では、あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律(昭和22年12月20日公布)において、あん摩マッサージ指圧師免許もしくは医師免許(共に国家資格)がなければ按摩を業として行う事が出来ない。
 道交法でも盲人を保護して白い杖を持たせています。
 右上図;熈代照覧(きだいしょうらん)より、路地に入る按摩。

 先史時代に人々の生活において、自然環境の中で生きていく上で様々な理由によって負傷して瘀痛(疼痛)や腫痛に苦しむ事も少なくなかったと考えられる。そんなときに、人々は自分あるいは仲間の患部を手で撫でたり擦ったりすることによって、外傷による瘀痛を散らして腫れをひかせて痛みを和らげる効果があることを発見した。当時においてはこれも有効な外科治療の一環であり、これが按摩術のルーツであると考えられる。 『手当』が正にこれにあたります。

 『守貞謾稿』によれば、流しの按摩が小笛を吹きながら町中を歩きまわって町中を歩いた。京都・大坂では夜だけ、江戸では昼間でも流す。小児の按摩は上下揉んで24文、普通は上下で48文、店を持って客を待つ足力(そくりき)と呼ばれる者は、固定客を持つ評判の者が多いために上下で100文が相場であったと言う。
 GHQは「按摩・鍼灸は非科学的であり、不潔だ」として按摩・鍼灸を禁止しようとした。これに対し、業界や視覚障害者などは約60日に渡る猛抗議を行った。その和解案としてあん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律が作られた。
ウイキペディアより

座頭(ざとう);江戸時代に下ると、按摩の代名詞ともなる。 落語「柳の馬場」、「三味線栗毛」を参照。

麻のれん;夏用の麻で作られたのれん。杢市はのれんも蚊帳も同じ素材ですから、区別が出来なかったのでしょう。

金平糖(こんぺいとう);コンペイトー【confeitoポルトガル】
(「金米糖」「金平糖」と当てる) 菓子の名。氷砂糖を水に溶かして煮詰め小麦粉を加えたものに、炒った芥子や胡麻、または飴の小核を種に入れ、かきまわしながら加熱して製する。周囲に細かいいぼ状の突起がある。



                                                            2015年7月記

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