落語「稽古屋」の舞台を行く
   

 

 春風亭小朝の噺、「稽古屋」(けいこや)


 

 昔は稽古屋が各町内に何軒か有ったものです。脳天気な町内の若いのが通ったようです。

 「女の子にモテ無いのはどうしてでしょうね」、「ナリが悪いし、顔も悪い。俺がお前みたいな顔だったら死んでるね。『色男、金と力は無かりけり』と言い、顔が良いと金が無い、顔が悪いと金があるもんだが、お前はことわざをはずして顔が悪くて金が無い。で、芸事をやったら良い」、「モテますかねェ」、「新しく出来た稽古屋を紹介するよ。二十三で町内一の美人で、独り者だ」、「私も一人で年回りも良い。直ぐ行ってくる」、「待ちなよ。手ぶらでは行けないよ。膝付きどうするんだ」、「なにそれ」、「よろしくと言って出すもんだ。金は無いだろうから5円出してやる」、「そんな大金返せない」、「大丈夫だ『結構ですから・・・』と言って返してくれる」、「それでは行ってきます」。

 「どうして、兄貴だけがモテるのかと思ったら、唄を習っているんだ」。

 「こんにちは、留兄ぃに聞いてきたんですが・・・」、「棟梁(とうりゅう)からですか。お上がりになって下さい」、「先ずはこれを・・・」、と言って膝付きを出したが、「『江戸っ子は一度出した物は引っ込められない』と言われて、それ以来遠慮無しに・・・」、と受け取られてしまった。
 「お稽古の下地はありますか。『ない』で、どの様なことをやりますか」、「それを聞いたら3日震えが止まらないというやつを・・・」、「お職人さん、皆さん同じ事を言われますが、あるかしら。これはどうでしょう。『ビンのほつれ』です。♪(下座の三味線が入って) もしも~私が~ウグイスならば 主のお庭~の~梅の木にたった一声さ ほ~れましたと え~ぇ焦がれ鳴く声聞かせた~い。」、「聞いたことがあります」、「では私がやったようにお願いします」。師匠についてやったが、節も何も無く、全然唄になっていない。踊りの稽古中だったので、そちらを先に取りかかった。

 お花ちゃんの袂の芋を出して、娘道成寺の稽古が始まった。三味線が入って賑やかに稽古が始まったが、お花ちゃん途中で泣き出した。「どうしたの?言ってごらんなさい。上手だと褒めているのに・・・」、「あのオジサンが私のお芋を食べている」。
 「ダメですよ。子供のものを取っては」、「スイマセン。小腹が空いていたので、芋が出てきたので、つい・・・」、師匠がお芋を買うことで、踊りの稽古が続いた。三味線と振り付けの師匠の声が混ざって粋に進んでいたが、お花ちゃんが笑い出した。「どうしたの?『あのオジサンが鉄瓶の蓋を取って草履を乾かしている』、ん?いけませんよ、そんな事したら」、「スイマセン。先程、立ち小便をしたら濡らしてしまったもんで・・・」、「あなた。何しに私のところに来たんですか?」、「だから、色事に唄のひとつでも覚えて・・・」、「それはここでは出来ませんよ。色は指南の他でございます」。

 



ことば

稽古屋

 「長唄師匠」江戸見世屋図聚 三谷一馬画

 稽古屋、趣味教養の音曲や踊りを習うところで、稽古屋または指南所と呼ばれた。子供達が習い事で通うのは寺子屋で、武芸などを教えるところはこの様には言わず、道場、武道館(場)などと言いました。
 この稽古屋が繁盛したのは、若い娘を持った親は当然良いところに嫁がせたいのが親心です。そこで、武家に見習い奉公に出し、躾が行き届いたら良縁を期待する。それが普通の親の考えでした。逆に武家側からすると、同じ採るなら一芸に秀でた娘の方が良く、手習いが済んでいる娘を採用した。そこで親たちは唄や踊りに通わせるようになり、稽古屋さんは町内に1軒以上の盛況になった。結果、江戸の文化教養水準が上がった。
 若い独り身の女師匠だと男弟子(狼連)が集まってきた。
 五目の師匠といって、一人で長唄から清元、三味線から琴まで、そして踊りまで教える全て浅く広く教える師匠がいた。江戸の稽古屋ではそれでプロになるのが目的ではないので、これで十分だった。美人で独身で優しければ文句はなかった。落語「汲みたて」、怪談話「真景累ケ淵・豊志賀の死」を参照。女師匠のことが分かります。

膝付き(ひざつき);遊芸を初めて習う時に、弟子入りのしるしに持参する包み金。束脩(そくしゅう)。入所料。
私は女師匠と膝すり合わせて口移しで教えてもらうためのお金かと思ったんですがねェ~。

棟梁(とうりょう);一つの集団のささえとなる重要な人。特に、大工のかしら。江戸の訛りで「とうりゅう」と言う。

色は思案のほか(いろはしあんのほか);恋愛は常識では律せないないものだ。色事というものは分別を狂わせがちなものだ。だから教えて出来るものでは無い。

音曲噺(おんぎょくばなし);今は絶滅したといっていい、音曲噺の名残りをとどめた、貴重な噺です。
 音曲噺とは、高座で実際に落語家が、義太夫、常磐津、端唄などを、下座の三味線付きで賑やかに演じながら進めていく形式の噺です。したがって、そちらの素養がなければ絶対にできないわけで、今残るのは、この「稽古屋」の一部と、六代目三遊亭円生が得意にした「豊竹屋」くらいのものでしょう。私も文章に起こすのに苦労をしました(汗;)。

下地(したじ);稽古事の素養。

娘道成寺(むすめどうじょうじ);道成寺を舞台とした、安珍・清姫伝説の後日譚。 桜満開の紀州道成寺。清姫の化身だった大蛇に鐘を焼かれた道成寺は長らく女人禁制となっていた。以来鐘がなかったが、ようやく鐘が奉納されることとなり、その供養が行われることになった。 そこに、花子という美しい女がやってきた。聞けば白拍子(踊り子)だという。鐘の供養があると聞いたので拝ませてほしいという。所化(修行中の若い僧)は白拍子の美しさに、舞を舞うことを条件として烏帽子を渡し入山を許してしまう。 花子は舞いながら次第に鐘に近づく。所化たちは花子が実は清姫の化身だったことに気づくが時遅く、とうとう清姫は鐘の中に飛び込む。と、鐘の上に大蛇が現れる。まずは演者の踊りそのものを鑑賞するのが、この作品の要点である。
右図;『京鹿子娘道成寺』 嘉永5年3月(1852年4月)江戸市村座上演の 『京鹿子娘道成寺』を描いた役者絵大判二舞続物、三代目歌川豊国画。左から、初代坂東しうかの白拍子花子、三代目嵐吉三郎のこんから坊、三代目關三十郎のせいたか坊。

モテるための条件
 落語界でもてる男性の10ヶ条というのがあって、
「一見栄(服装・身なり)、二男(イケメン・男前)、三金(金回りのよさ・経済力)、四芸(趣味・特技)、五精(頑張り)、六おぼこ(純情さ)、七台詞(弁舌)、八力(力持ち)、九胆(度胸のよさ)、十評判(人望)となっています。

・女の美しさは
「一髪、二化粧、三衣装」、

・遊廓で女を得るのに必要なものは
「一金、二男」(いちきん、になん)
これだけ。
特に金がないと絶対モテません。当たり前です、仕事ですから。三、四が無くて、五金
落語「あくび指南」より

焼き芋(やきいも);日本では昭和やそれ以前の時代において、冬の時期に道路や庭に積った落ち葉を集め、焚き火として燃やす際に、一緒にサツマイモを入れて焼く光景は、冬を物語るものとして扱われ、冬を表す季語ともなっている。こちらは石焼き釜とは違い裸火を使うことから火加減が難しいなどの問題もあるが、上手に焼ければ甘い風味を味わえる。
 石焼き芋はサツマイモを熱した小石の中に埋めて、間接加熱によって焼いたもの。間接的にゆっくり加熱することで、アミラーゼ(デンプン分解酵素)が、デンプンを麦芽糖に変える。そのため、通常の焼き方よりも甘く仕上がる。 焼き芋屋が屋台や軽トラックに専用の釜を積み売り歩く姿は、日本の冬の風物詩のひとつである。
 どちらも関東では川越産(埼玉県川越市)を一番とした。今でも、芋の料理品のお土産が沢山売られている。

年季; 北野武は、これはあらゆる芸事に共通なんだけど、年季が必要ってことはあるんだよね。たとえば昔の、若いときの(春風亭)小朝が「ちょっとご隠居?」、「なんだい八っつぁんかい」なんてやっても、ぜんぜんご隠居に見えないんだよね。落語は抜群にうまくても、やっぱりある程度年をとらないとこなせないわけ。
 年相応の役柄があると。観てるほうも、(古今亭)志ん生とか志ん朝が「う~ん、旦那まいりましたよ」なんてやると引き込まれるでしょ。映画監督も、年齢のギャップを感じさせないような映画を作んなきゃダメなんじゃねえかって。
 いま輝いているひと。 北野武「あらゆる芸事には、“年季”が必要ってことはある。」 cakes編集部編より

宇治の名物蛍踊り;上方の噺に登場するこの踊りは、全裸になり全身を真っ黒に塗り尻の穴に火のついた蝋燭を挟む。舞台を真っ暗にして「宇治の名物蛍踊りの始まり始まり」の口上のあと賑やかな下座に合わせて踊り、とど、屁でろうそくの火を消すというものである。噺では「腹下してたもんやさかい、あんた、勢いよう屁は出ましたが、身イまででてしもた。」というクスグリが入る。もっとも、桂文枝のようなはんなり上品な芸風で演じるとあまり汚さが感じられない。東京の桂小文治は、上方風のはあくが強いのか「トンボ切って、床に落ちて、そこにあったカンナくずに火イついてしもた。」というようなクスグリに変えている。上方落語協会総会の余興でこの踊りが演じられるそうである。 
 東京の落語、特に小朝の話には、こんなえげつない台詞は出て来ない。

芸事は3歳から;昔から「芸事は3歳から」と言われています。能にしても、歌舞伎にしても、ピアノにしても、ヴァイオリンにしても、芸事は全て3歳からやらしているものだ。これは今まで人々が様々な教え方をして、経験則上辿りついた結論なのであって、我が子に芸事を学ばせたいのなら、絶対に従った方がいいのだ。
 脳科学的に言うと、「芸事は3歳から」というのは、脳の成長に最も適した教育の仕方なのだ。子供は4歳児の時に記憶の消去が起こるのだが、芸事を3歳からやっていると、記憶の消去が起こっても体が覚えているので、脳に於いて芸事に関するシナプスを温存することができるようになるのだ。しかも脳の臨界期は5歳から6歳なので、3歳の内から始めておき、4歳の段階で或る程度の技術に達してしまえば、脳の臨界期に於いて芸事に関する脳のシナプスを大いに増やすことができるようになるのだ。脳の臨界期に於いてどれだけ脳のシナプスを増やせるかで、その人の芸術レベルはほぼ決まってしまうのだ。
 で、小朝は噺のマクラで、名人の歌舞伎役者や踊りの師匠の子供は名人に育っていく。名人の所作を毎日見ているからです。名人と言われる落語家になるには、3歳になったときに名人と言われる師匠と生活を共にして、普段の語り口から動作まで頭に染みこませるのがイイと言います。例えば円生に育てられると、円生節になるし、志ん生に育てられると馬生や志ん朝になります。ひとつ例外は彦六の正蔵です。子供らしさがなくなります。



                                                            2015年7月記

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