落語「鉄拐」の舞台を行く 三代目桂三木助の噺、「鉄拐」(てっかい)
■李鉄拐(り てっかい);中国の代表的な仙人である。八仙の一人。鉄拐李とも呼ばれる。
名は玄、岳、洪水など諸説ある。 鉄拐とは、彼の幼名であるとする説や、足が不自由で鉄の杖をついていたためという説がある。ボロボロの服を着て足の不自由な物乞いの姿をしていることが多い。二十歳の頃から仙道を志すようになり、ある日、太上老君に崋山で逢うことになり、魂を遊離させ、逢いに行くことにした。そこで、彼が帰ってくるまでの七日間の間、魂の抜けた身体を見守るよう弟子に言いつけ、もし七日経っても帰ってこなければ身体を焼くように言った。しかし、六日目に弟子の母が危篤との知らせを受けて、弟子は鉄拐の身体を焼き、母の元に行ってしまった。鉄拐が戻ってきてみると、自分の身体は既に焼かれていた。彼は近くに足の不自由な物乞いの死体を見つけ、その身体を借りて蘇った。
兵法三十六計の一つ、借屍還魂は、この逸話をもとにした計略である。
■張 果(ちょう か);(生没年不詳);中国の代表的な仙人である八仙の一人。敬称を込めて、「張果老」と呼ばれる。唐代玄宗朝に宮廷に招かれ、様々な方術を見せた。天宝年間に尸解(しかい=道家の術で、魂だけが神仙となって化し去ること。後に残った肉体は生時と変らないという)したといわれる。正史にも名を連ね、多くの伝承を残している。
・八仙;道教の仙人のなかでも代表的な存在であり、中華社会のいかなる階層の人にも受け入れられ、信仰は厚い。日本における七福神のようなもので、掛け軸や陶磁器に描かれるめでたい絵の題材になるなど様々な芸術のモチーフとなっている。
左図;八仙絵図、船尾から右回りで何仙姑(かせんこ、唯一の女性)、韓湘子(かんしょうし)、藍采和(らんさいか)、李鉄拐(りてっかい、または鉄拐李)、呂洞賓(りょどうひん)、鐘離権(しょうりけん、または漢鍾離(かんしょうり))、曹国舅(そうこっきゅう)、船外に、張果老(ちょうかろう)の八仙人がいる。
■李 白(り はく);(701年(長安元年) - 762年10月22日(宝応元年9月30日))中国の盛唐の時代の詩人。字は太白(たいはく)。号は青蓮居士。唐代のみならず中国詩歌史上において、同時代の杜甫とともに最高の存在とされる。奔放で変幻自在な詩風から、後世「詩仙」と称される。酒をこよなく愛したと伝わる。
■陶 淵明(とう えんめい);(365年(興寧3年)- 427年(元嘉3年)11月)は、中国の魏晋南北朝時代(六朝期)、東晋末から南朝宋の文学者。字は元亮。または名は潜、字は淵明。死後友人からの諡にちなみ「靖節先生」、または自伝的作品「五柳先生伝」から「五柳先生」とも呼ばれる。潯陽柴桑(現江西省九江市)の人。郷里の田園に隠遁後、自ら農作業に従事しつつ、日常生活に即した詩文を多く残し、後世「隠逸詩人」「田園詩人」と呼ばれる。
■席亭(せきてい);落語等を演じる会場主。寄席の運営者や経営者の事。(浅草演芸ホールでは「社長」。)もともと席亭とは寄席自体を指し、主人を席亭主(または席主)と呼んだ。
■唐土(もろこし);現中国が有った地。
■汚くナメクジが出るので志ん生さんも驚いた;貧乏していた当時、志ん生が業平に住んでいた長屋。落語「業平文治」に詳しい。ナメクジ長屋についてはここに。
■スケなら出るがトリはイヤ;スケ=助演。トリ=主任。責任者。楽屋において、給金を分配する人。舞台では出番の最後を飾る。客動員数はトリの力によるので責任重大。
■あばらの三枚目;左上から三本目のあばら骨、その真下が心臓の位置で、急所になります。
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