落語「鰻の幇間」の舞台を行く
   

 

 八代目桂文楽の噺、「鰻の幇間」(うなぎのたいこ)


 

 夏の暑い時期、野幇間の一八(いっぱち)は街中で金のありそうな客を狙っている。身なりも良い、金が有りそうな旦那だったが・・・、車に乗って行ってしまった。真夏は避暑だ湯治だと、東京を後にしてしまっているから何処も良い客はいない・・・、と思ったら、何処かで見覚えのある、浴衣掛けで手ぬぐいを引っかけた旦那がやって来た。どこの人だったか思い出せないうちに、「へい、ごきげんよう。ご無沙汰です」、「師匠じゃないか」、「大将、ここでお目に掛かるなんて・・・、その節はパ~っと飲んで騒ぎましたね」、「飲まないよ。麻布の寺の弔いで会っただけだ。我が家を知っているのか」、「先(せん)の所でしょ。こう曲がって行ったところ。旦那何処か行きましょうよ」、「ダメだよ。湯に行くんだ」、「そんな事言わず。行きましょうよ。お腹も空いてきたし」、「分かった。鰻なんてどうだ」、「土用に鰻なんて結構」、「断っておくが店は汚いんだ、その替わり旨い物を食わす。いいかい」。
 「家には芸人が沢山遊びに来るんだ。師匠も来るかい。もらい物がいっぱい有るので、持って行きなよ」、「どちらで・・・」、「だから、先の所だよ」。旦那の名前も住所も素性も分からずに、近所の鰻屋にやって来た。

 旦那が、 家は汚いよと、釘をさした通り、とても繁盛しているとは見えない。 まあ、この際は贅沢は禁物。とにかくありがたい獲物がかかったと一八、 腕によりをかけてヨイショし始めた。
 「師匠は先に上がってください。私は鰻を見ていくから」、2階に上がったが、子供が勉強机を持って降りていった。「酒が来たから、お注ぎしましょう」、一八もご相伴にナリながら「いいご酒ですな。こりゃ結構な香の物で、そのうちお宅にお伺いを・・・、お宅はどちらで?」、「先のとこだよ」、「あ、ああそう先のとこ。ずーっと行って入口が」、「入口のねえ家があるもんか」 そのうちに、蒲焼が焼き上がってきた。温かいうちにと箸を付けて、「口の中でとろけるようです」とお世辞タラタラ。
 旦那は”しも”に行くと席を立ったが、「一緒に来なくても良いよ。友達同士だ。ユックリ飲んでいなさい」と階下に。「偉いね。若いのに。江戸っ子だよ。言うことが枯れているな。あすこまで枯れるには家・蔵無くしているな。こう言う旦那は心付けもくれるよ。あの客大事にしておこう」。旦那は便所へ行くと言って席を立ったきり戻って来ない。気になった一八が一ヶ所しかない便所をのぞくと誰もいない。

 「連れのお客様どうした」、「お帰りになりました」、「・・・?!、スゴイ。黙って帰って、おひねりがあるよ」、「お姉さん。帳場に行って、紙があるはずだから持ってきて。料理残しちゃいけない。ご飯もいただいて・・・」、仲居が紙を持ってきたがそれは勘定書き。「紙にこうなったやつ(おひねり)、無いの。分かったよ。勘定は済んでいるんだろ。エッ!まだァ。月にまとめて払うんだろう」、「初めてのお客さんです」、「7年も仲居でいたんじゃ~。なんであの人からもらわなかったの」、「『俺は浴衣でお供だから、羽織を着ている人が主人だから、主人からもらって』と言われました」、「さぁ~、大変なことになっちゃったぞ。逃げられちゃったんじゃないか。これは手銭でやってたんじゃないか。笑い事じゃないよ。どうも目付きがおかしいと思った。家、聞くと先の所だ、先の所って言いやがって・・・。払うよ」。
 それにしても・・・、店の苦情が出た。お燗がヌルいから燗仕直して、それに水っぽい。徳利の口が欠けているよ。徳利は無地がイイのに、有っても山水なのに、恵比寿さんと大黒さんが相撲を取っている。二人なのに猪口が違っているよ、九谷と伊万里なら分かるが、こちらは金文字で”三河屋”としてある、こちらは”てんぷら”と入っている。鰻屋で出すもんじゃない。新香を見なさい、粋に食べさすもんなのに、ワタだくさんのキウリ、キリギリスだってこんなの食べない。奈良漬け、良くこんなに薄く切ったね。一人で立ってないよ、隣の沢庵に寄りかかっている。紅ショウガ、梅酢で漬けるんだ、梅と鰻は食い合わせだ。客を殺すのか。鰻を見ろよ、口に入れたらとろけると言ったが、干物みたいにパリパリだ。汚い家だね、家の佃煮だね。床の間の掛け軸、偽物の”応挙の寅”、丑寅は鰻を食べないという、鰻屋に掛けるな。

 勘定を聞くと9円75銭だという、さすがの一八も怒って「高いよ。こんなセコいウナギが」、「お連れさんが3人前お土産でお持ち帰りになりました」、「持って帰ったぁ。敵ながら天晴れだね。土産だとは気が付かなかった」、羽織の襟に縫い付けてあった10円札を取り出した。何かあったときにと弟から、家を出るときにもらった物で、お守りのようにしていた10円札。「お釣り25銭は要らないよ。あんたにあげる」、「またいらっしゃい」、「二度と来るもんか」。
 一八が帰ろうとすると、今朝、5円で買った上等の自分の下駄がない。「芸人がこんな汚い下駄が履けるか」、「あれでしたら、お共さんが履いて行かれました」。 

 

上図;「野太鼓」 江戸吉原図聚より 三谷一馬絵



ことば

幇間(たいこ);または「たいこ持ち」、酒席や遊興の場で顧客に同席し、話芸や即席芸でお座敷を盛り上げ、客を楽しませ、ご祝儀やギャラをもらって生活する職業。幇間は置き屋に所属する者と、自分の人脈で顧客を掴まなくてはならない全くの私営業者があり、後者を俗に「野だいこ」と称した。
 噺は野だいこの失敗談を通じ、聴衆の笑いを誘いながら、顧客に媚びへつらわなくてはならない幇間の悲哀を描いている。 明治中期ごろに東京の初代柳家小せんが得意にし、昭和期には八代目桂文楽、五代目古今亭志ん生、八代目三笑亭可楽、五代目(自称三代目)春風亭柳好、六代目三遊亭圓生などの持ちネタとして知られた。とりわけ八代目文楽の口演は十八番と評された。また「文楽は悲喜劇として演じ、志ん生は喜劇として演じている」と評された。幇間をしていた柳好は「自然体でもっとも幇間に近い」と絶賛された。(興津要(『古典落語』)。
 右写真;浅草寺・狸塚にある「幇間塚」。幇間有志によって昭和38年に建立された。久保田万太郎の「またの名の たぬきづか 春ふかきかな」の説明板が建つ。幇間のことを狸とも言ったので、ここ狸塚に碑が建った。

師匠(ししょう);芸人に対する敬称。この噺では幇間を持ち上げるのに使っている敬称です。

麻布の寺(あざぶのてら);麻布は旧の東京府15区の一部で麻布区。現在の港区西部に位置し、元麻布、南麻布、西麻布、麻布十番、東側に東麻布、麻布永坂町、麻布狸穴町(まみあなちょう)、麻布台があります。江戸時代は田畑が連なり風光明媚な所で狸や狐が闊歩していた所です。落語で言えば「黄金餅」の終着地、麻布絶口釜無村の木蓮寺が有った所。また、「小言幸兵衛」の幸兵衛さんの長屋があり、麻布台の西側に接する飯倉片町には「おかめ団子」の団子屋さんが有りました。
 明治の東京府15区で、昭和22年(1947)3月15日、当時の芝区、麻布区、赤坂区が合併して港区となります。
15区の外郭部にあたりますが、江戸から明治に掛けては都心から一番西側にあったので、ここで葬儀が行われても、参列者は少なかったのです。それに比べて、隅田川沿いの北側で葬儀があると男連中は喜んで出席していました。そこには吉原遊廓や千住(岡場所)が近く、当然そちらが目的で出掛けたのでしょう。

土用(どよう);土用の丑の日(どようのうしのひ)は、土用の間のうち十二支が丑の日である。 夏の土用の丑の日のことを言うことが多い。夏の土用には丑の日が年に1日か2日(平均1.57日)あり、2日ある場合はそれぞれ一の丑・二の丑という。
 土用の丑にウナギを食べる習慣は、江戸時代の蘭学者「平賀源内」が、知人の鰻屋のために「本日、土用の丑の日」と書いて店頭に張り紙をしたところ、大繁盛したことが一般的に有名な起源説である。 同じような説に、大田蜀山人が「神田川」という鰻屋に頼まれ、「土用の丑の日に、うなぎを食べたら病気にならない」という内容の狂歌を作って宣伝したという説もある。 その他の説では、文政年間、神田泉橋通りにある鰻屋「春木屋善兵衛」のところに藤堂という大名から大量の蒲焼が注文され、「子の日」「丑の日」「寅の日」の三日かけて蒲焼を作ったが、「丑の日」の鰻だけが変質しなかったといった説もあります。
 土用の丑の日や夏バテ予防に食べられるが、ウナギの旬は冬眠に備えて身に養分を貯える晩秋から初冬にかけての時期で、秋から春に比べても夏のものは味が落ちる。これは天然物の話で、養殖物は味が均一。

 
ウナギ;江戸前というとウナギを指します。それほど東京湾で捕れた鰻は大漁で絶品だったのです。徳川家康時代の江戸では、江戸湾の干拓事業に伴い多くのウナギが獲れたため、ウナギのことを「江戸前」と呼び、ウナギの蒲焼が大いに流行した。
 関西と東京では鰻の料理の仕方が違って、関西は腹開きにして焼き、天然物が多いので、皮も身も堅めです。東京の料理は武士の腹切りを忌み嫌って背開きで、蒸してから焼くので、口の中でホロホロと解けるようにほぐれます。養殖が主ですから皮も柔らかく、身も柔らか。
 江戸で濃口醤油が開発されると、ウナギをタレで味付けして食べるようになった。現在のように開いてタレにつけて焼くようになったのは、上方、江戸とも江戸中期の享保の頃(1716-1736年)と思われます。
 漁獲量が減って、高価でなかなか食べられなくなりました。それは江戸から明治の時代も高級食材で蕎麦などから比べたら数倍しました。まさに高級料理です。落語「子別れ」で亀ちゃんと出会って久しぶりだからと鰻屋の二階に誘います。ウナギをご馳走すると言うだけで、金が掛かり、そこまで熊五郎は真っ当になった証拠です。

鰻を見て(うなぎをみて);鰻屋では、鰻を見て好みのウナギを指定してから料理させた。
 「鰻屋でせかすのは野暮」(注文があってから一つひとつ裂いて焼くために時間が掛かる)。
 「蒲焼が出てくるまでは新香で酒を飲む」(白焼きなどを取って間を繋ぐのは邪道。したがって鰻屋は新香に気を遣うものとされた)など、江戸っ子にとっては一家言ある食べ物です。
 出前も行われており、冷めにくいようにと飯の上に蒲焼きを乗せ、丼に蓋をするようになり、またその後に鰻屋「重箱」から重箱を使用する事も始まった。

香の物(こうのもの);上記の説明の通り、焼けて出てくるまで時間が掛かり、その間はお新香で時間をつないだ。その為、鰻屋で早く出せとは言わないのが粋と言われた。鰻屋の新香には、店側も大いに気を使った。
 野だいこが店に対して愚痴を言っているのは、名店での鰻屋の裏返しの言葉で、こんなことをしていたら鰻屋だけでは無く、どんな商売でもいっぺんに潰れてしまいます。子供が机を持って降りて行くようになってしまいます。

しも;便所、トイレ。文楽は品良く”しも”と言っています。

心付け(こころづけ);祝儀として金銭などを与えること。チップ。出すときの形としては「ポチ袋」に入れるか、半紙の中央に金銭を入れて回りをひねって飛び出さないようにした「おひねり」で出すのが普通です。

手銭(てせん);自分の金銭。みぜに。ご馳走してもらってたと思ったら、逆に自分の金で飲み食いしていた。

食い合わせ(くいあわせ);合食禁(がっしょくきん)。梅と鰻など。これは食禁の代表的な例として挙げられることが多い。鰻の脂っこさと梅干しの強い酸味が刺激し合い、消化不良を起こすとされた。ただし実際には、酸味が脂の消化を助けるため、味覚の面も含めて相性の良い食材である。『養生訓』には「銀杏(ぎんなん)に鰻」と記されており、これが転じたとするほか、高級食材である鰻の食べすぎ防止など諸説がある。江戸時代中期以降に広まった日本固有の俗信と考えられる。鰻も梅干も決して安いものではなく、両方を同時に食べるような贅沢を戒めるため、このような迷信が広まったという説もある。医科学的な根拠は(少なくとも現時点では)見出せない。

 他にも、
 天ぷらと氷水 :水と油で消化に悪いとされた。実際、胃の負担が増加し、消化に支障をきたすことが確認されている。
 天ぷらと西瓜 :同上の理由。
 蟹と氷水 :同上。
 宗教上の禁止事項。
 食べ物同士の食い合わせは、俗説が多く、現在では首をかしげる物が多い。
しかし、フランス料理の最後にアイスクリームがデザートとして出ますが、その後に口直しとして熱いコーヒーが出ます。温かい料理に冷たいアイスクリーム、その後に熱いコーヒーは上にあるような食い合わせになるのではないでしょうか。

 現在では、食べ物と薬の「飲み合わせ」の方が被害が出るので大変です。特定の薬剤と食品中の成分が体内で相互作用を起こし、薬効または副作用が極端に強まったり、減衰したりする。
 グレープフルーツとカルシウム拮抗剤 、薬効が強まる。急激な血圧降下が見られることもある。グレープフルーツ中のフラボノイド類と体内の酵素のCYP3A4が相互作用を起こしているという報告がある。
 アルコール飲料、インスリンや経口血糖降下薬といった糖尿病の治療薬はアルコールと合食することで激しい副作用が生じたり、重篤な低血糖を招くため禁忌とされる。またバルビツール酸系の鎮静剤や三環系抗うつ薬、抗ヒスタミン薬との合食は中枢神経の活動を過度に抑制し、意識障害や呼吸困難に陥ることがある。



                                                            2015年8月記

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