落語「蕎麦の殿様」の舞台を行く
   

 

 三遊亭円生の噺、「蕎麦の殿様」(そばのとのさま)


 

 大名と言えば贅沢三昧のように考えますがそうでは無いようです。

 殿様は下々のことに通じていない。それはお付きの者達が伝えないようにしていたからで、『「ト」の字に一(いち)の引き様で、上になったり下になったり』。トの字の下に一を書くと『上』という字になります。上のことは分かるが、下のことが全く分からない。上に一の字を持っていくと『下』という字になり、上のことが分からない。『中』の字は口に上下に縦棒が抜けていますから、中編の人は上下に口が通じると言いますが、これはこじつけです。
 下の者が教えないと知りたくなるものです。

 月見の席で、重役の三太夫を呼んで「今宵は十五夜であるが、お月様は出ているか」、「『お月様』とは婦女子の使う言葉、御大身の身ですから『月』と呼び捨てがよろしかろうと存じます」、「月は煌々と出ておるか。して、星めらはどうしている」、そこまで悪く言う必要は無い。
 家来が天眼鏡を殿様にご覧に入れた。「易学に用いまする、手や顔など見る道具にござりまして天眼鏡と申します」、「易学とは何であるか」、易とはこうこうしかじかですと申し上げた。殿様喜んで、家来達集めて人相易学で顔を見始めた。「近う寄って顔を見せよ。汚い顔だな。お前は鼻毛を剃らんのか。目ヤニが付いておる。不潔な面である。一朝有事の時は大将の面ではなく雑兵の面である。また、おでこであるな。それは福相で有るから、来月加増を申しつける。しかし、良いことだけでは無い、月末には悪い事が起こり、門前払いか切腹が見える」。バカにされているようなものです。

 親戚で食事に呼ばれて、その席で『蕎麦打ち』の実演を見た。殿様大変感心して、細長いのは最初からだと思ったら、ああやって出来るものだと分かった。
 屋敷に帰ってきて家来に聞くと蕎麦は好きだと言った。「それでは、予が打ってつかわす」、一回見ただけの事で蕎麦を打つという。家来はいぶかしがっていると、「戦の最中に大将が蕎麦を打って家来に振る舞った。それを今でも『御前蕎麦』という。もしイヤと言えば『手打ち蕎麦』」、落とし話です。

 「素(もと)を持て。蕎麦を打つのだから・・・粉じゃ」、馬タライを持って来いというので、半切りを取り寄せ、門番の六尺棒を使うというので、のばし板に麺棒を取り寄せた。殿さま、さっそうとたすきを十字にかけ、はかまの股立ちを高々と取って、かたちは最高。「これこれ粉を入れよ。これ、水を入れよ。うん、これはちと柔らかい。粉を足せ。ありゃ、今度は固すぎる。水じゃ。あコレコレ、柔らかい。粉じゃ。固いぞ。水。柔らかい。粉。水、粉、水、粉、・・・」というわけで、蕎麦が半切りに山盛りになってしまった。その上、殿さま、汗はタラタラ。鼻水は垂らしっぱなし。おまけにヨダレまで、ことごとく「そば」の中に練りこまれる。家来一同、あれを食わされるかと思うと、生きた心地もない。それを麺棒に巻いたが麺棒が抜けない。無理矢理抜いたからクシャクシャになってしまった。切ってみたが蕎麦と蕎麦掻きが混ざり込んだよう。茹でるのも火が通る前に挙げてしまった。汁だけは御前所から来たので大丈夫。
 殿様、着替えて上座に着座、家来の者は両側にずら~り。「今日は世の馳走である。遠慮無しにタンと食べられい」、「へへ~ぃ」と言ったものの箸が進まない。麺はベトベト歯にからみつくし、蕎麦掻きのようなものは割ると粉が出てきた。「どうであるか?」、「誠に見事な出来映えでございます」、おべっかを使ったものだから、「代わりを取らせる」。殿様が正面で見ているので断ることも出来ずに、涙を吞んで口の中に押し込んだ。口元イッパイ詰め込んで、下城した。

 蕎麦を食べた連中は雪隠に駆け込み寝ることも出来ず往復した。翌朝、青い顔をして登城。皆、18たび通ったとか26回とか若いから6回で済んだとか言い合っていた。中には1回だけだというので、聞いてみると、入ったきり出られなかった。
 殿様、御出場、「皆の者は蕎麦が好きだというので、今朝は早く起きて蕎麦を打っておいた」、「それは有りがたいことで・・・。昨日より腕が上がったと思いますが・・・」、「昨日より出来は悪かった。食せん事は無いだろう。我慢して食せ」。さ~大変です。宮使いは大変で、断ることも出来ず食べたから、お屋敷中、病人だらけ。ご意見番にその話をすると、早速殿様に御注進。「左様か。それでは蕎麦は止めよう」。一安心と思っていたら、今度は精進料理でやり損なう。という大名遊びでございます。

 



 この噺、落語「茶の湯」に似ていませんか。ご隠居さんが殿様になって、小僧さんと長屋の連中が家来です。片や蕎麦でしくじり、ご隠居はお点前で失敗します。被害者は雪隠に駆け込んで、出られなくなるのも同じです。知ったかぶりの町方の隠居には同情もわきますが、殿様となると別の感情が芽生えるのが不思議です。


ことば

蕎麦(そば);蕎麦切り(略して蕎麦という)の作り方は寛永20年(1643)に版本で「料理物語」が出され(写本としては1636年のものがある)蕎麦切りもその中で紹介されている。「飯の取り湯、ぬるま湯、豆腐のすり水などでこねて玉を作る。のして切る。大量の湯で煮る。煮えたら竹篭で掬い取る。ぬる湯に入れてさらりと洗い、せいろに入れ、煮え湯をかけ、蓋をして冷めぬように、水気無きようにしてだす。」というものであった。「蒸し蕎麦」である。
  蒸すとなれば菓子舗の得意技で、お手の物の蒸篭(せいろ)で本格的に蒸した。今でも蕎麦を小型の蒸篭で出すのはその名残である。
  寛文(1661)から元禄の大体中頃(1695ころ)間でのほぼ30年間は蒸蕎麦が大いに脚光を浴びた。元禄の初め、あるいはその数年前になると、江戸の盛り場では通行客相手に蒸蕎麦のにぎやかな呼び込みが繰り広げられるような、庶民食としての性格を強めていく。

  元禄2年(1689)の『合類日用料理抄』をみても、蕎麦切りはまだ蕎麦粉だけで打つ「きそば」であって、つなぎに小麦粉を混ぜる手法は元禄末頃からであろう。江戸では寛永末から売られていたが、寛文4年(1664)吉原の仁左衛門がけんどん蕎麦を売り出してから、追随するものが増えた。また夜蕎麦売りは、「夜鷹蕎麦」と呼ぱれ、宝暦頃には新たに種物を加えた風鈴蕎麦が現われて人気をさらった。東海道筋の茶屋でうどんに対して蕎麦切りが圧倒的に優位を占めたのは元禄以後で(元禄3年(1690)『東海道分間絵図」)、見付、芋川、土山のものが著名。寛延(1749-1751)頃、しっぽくなどの種物が工夫され、白い御膳粉による三色・五色の変わり蕎麦が、やっと上流階層にも受けた。
  庶民のソバは晴れの食物であって、婚礼、誕生のほか、雛の節句には五色ソバで祝った。晦日、引越、正月の帖綴じ、大入り、廓での布団の敷初め、舞台の失敗は楽屋でのとちりソバと、祝儀、不祝儀に広く利用された。
  「二八ソバ」は元来売値から出たもので、配合率を表すようになったのは慶応以後のことです。
  (「江戸時代 食生活事典」 日本風俗史学会編 及び「蕎麦 江戸の食文化」 笠井俊彌、 広辞苑より)
落語「そば清より孫引き。

 落語では、食べ物を様々に取り上げていますが、蕎麦もその一つです。
そばが出てくる落語には、有名な「時そば」や「そば清」、「疝気の虫」、「蕎麦の隠居」、この噺「蕎麦の殿様」などがあります。
 落語を演じるときの二大要素は、しゃべりと仕種。
食べる仕種は難しい、というのも、高座では大道具小道具が使えず、使えるのは扇子と手拭いだけ。しかも、落語に出てくる食べ物は日本食で、お客が普段食べているものばかりなので、ごまかしがきかない。中でも、蕎麦を食べるときの、仕種は、一番の見せ所、見所です。蕎麦をツルツルっと食べるところで、お客様から拍手があれば、「今日の高座は大成功」という考えが噺家にはあります。
 同じような食べ物で、「うどん」と「そば」はあきらかに食べ分けなければいけません。
お蕎麦はべろを細めにすぼめて上顎へ軽くつけ、細かくそれを振動させてツルツルッと音を出して、口中に入れたらわりと小刻みに噛むのがコツです。饂飩の方は、べろを厚目にひろげるようにして軽く上顎へ付け、ズルズルと太い音ですすり上げて、ゆっくりと咀嚼をする。そうすると、そのちがいがあらわれてくるはずなのです。
 熱い蕎麦も饂飩も、左手に丼(の縁と底)を持ち、食べる前に箸(扇子)で麺をまぜながらふうふう吹くことをしなくてはいけません。 「落語にみる江戸の食文化」(河出書房新社)

    

 上図:北斎漫画より素麺二題。 家来一堂もこの様な蕎麦が出て来ると思っていたら・・・。殿様も同じように思っていたのですが、思うのと出来るのは大違い。

 六代目春風亭柳橋の「時蕎麦」は名人芸であったが、五代目柳家小さんの「時蕎麦」はまた違った良さがあった。それは食べる仕草と音である。蕎麦の細いのと太いものの差を感じさせたし、うどんとそばの違いもはっきりと演じ分けていた。最初の熱いときと最後の丁度イイ温度になって来たときの違いも分からせた。
 ある時、五代目小さんが「時蕎麦」公演後たまたま蕎麦屋に入ると、先ほど聞いていた客が蕎麦を食べていた。小さんはその客が見ているので、高座の時のように旨く食べることを意識して食べた。そのせいで店を出た後、旨くも何ともなかったとこぼしていた。そういう事もあったと述懐していた。 落語「時そば」より

蕎麦がき(そばがき、蕎麦掻き);蕎麦粉を使った初期の料理であり、蕎麦が広がっている現在でも、蕎麦屋で酒のつまみとするなど広く食されている。 蕎麦切り・蕎麦のように細長い麺とはせず、塊状で食する点が特徴である。5世紀の文献にあらわれるが、縄文土器から蕎麦料理を食べていた形跡が発見されている程、日本では古くから蕎麦が食べられていた。江戸時代半ばまではこの蕎麦がきとして蕎麦料理を食べられていたが、江戸中期には麺状にした「蕎麦切り」が庶民の生活に広がり、日本全国に広がっていた。
ウイキペディアより

殿様の知ったかぶり落語小咄;通常本題が短い噺には、お殿様の噺ですからこの様な小咄を入れます。
・米相場を聞いた=登城の折、下々で米相場が安くなったと話していた。「ありがてぇ~。こちとら米相場が安くなったぜ。両に5斗5升だ」。これを聞いてお城でこの話が出た。「町人が両に5斗5升で喜んでいる」、「貴公は米相場にも詳しいのう」、「いささかにも」、「ところで、両に5斗5升とは何両の事であるか」、「・・・、それは千両であろう」。そんなに高ったら大変です。
・米の炊き方=ある殿様は飯の炊き方を知っていると自慢しています。「米を研いで釜に移し、片手を入れて『手のくるぶしまで』水を入れて火で炊くのじゃ」と。周りの人から訊ねられます。「米が二升になったら?」、「両手を入れる」、「米が三升になったら?」、「さらに片足を入れる」。最近は業務用以外は1升や2升焚く家庭はいないでしょう。だから両手を入れることもありませんし、釜の内側に水量の線が入っていますので安心です。
 知らないとは恐ろしいもので、新婚の奥様が初めてお米を炊きました。煙が出てきて慌てて蓋を取ると焼け米が出来ていました。奥様曰く「自動炊飯釜と表示があったので米を入れると自動でご飯になると・・・」。冷蔵庫だって、ハムから野菜、ビールまでいろいろと入っていますが、自宅に届くと空っぽ、なのはなぜ。
・星めら=本文マクラの月見の席で、重役の三太夫との会話。
・これにかけて参れ=殿様が聞いた「三太夫、即答を許す。本日、膳部に乗っておる菜であるが、先日食した菜の方が美味であったように思われる。この儀はどうじゃ」、「恐れながら殿に申し上げます。先日は、三河島菜。肥料に、下肥などを用いますれば、葉も柔らかく、味も一段よろしいかと存じますが、今日(こんにち)は、当藩下屋敷にて採取したしましたもの。肥料に乾鰯(ほしか)などを用いますれば、味が一段劣るかと存じます」、「左様か。然らば、菜というものは下肥をかけると美味になるのじゃな」、「御意にございます」、「苦しゅうない。これへ少々かけてまいれ」。
・雁首が飛んだ=姫:「さつき、あれを見や。雁(ガン)が飛んでいくぞ」、さつき:「姫に申し上げます。ガンと申せられてはなりませぬ」、「なぜじゃ?」、「わが国では古来 和歌敷島のおりにも、あれはカリと呼んでおります。姫もカリと仰せられませ」、「さようか。南の空へカリが飛んで行くぞ」、「御意にございます」。
 お姫様も言葉を直され恥ずかしかったのか、うつむいて一服つけて、煙草盆に灰をポーンと落とした。なんの加減か煙管(キセル)の雁首(ガンクビ)がそれへスポーンと飛んだ。お姫さま「さつき、あれを見や。かり首が飛んだぞ」。(ここだけの話。かり首とは姫が口に出して言う言葉ではありません)
 付録:「先生、私はガンでしょうか」、「違います」、「本当のことを言って下さい」、「違います。あなたはカルガモです」。
・桜鯛=普段、殿様は食事に付きものの鯛には箸を付けないので、代わりを用意していない。こんな時に限って、鯛の真ん中に一箸付けて「代わりを持て」と。代わりが当然無いので、「殿、庭の桜がもうすぐ満開でございます」と誘い、殿様が目をはなした隙に、素早く魚を引っ繰り返した。「代わりが来たか」とまた一箸付けて「代わりを持て」と。 もう代わりが無い・・・、「また築山の桜を見ようか?」・・・。 殿様先刻ご存じであった。
・下屋敷の豆=下屋敷は大変広くそこに目を付けた殿様。三太夫を呼んで、内密な話しが有るというので、忍びの者に聞かれるとまずいと思い、三太夫さんと二人きりで船を出した。「ここなら聞かれることもない。下屋敷は広いから空いた所に豆を植えようと思うがどうであるか」、三太夫さん驚いて「その様なことはお屋敷でも・・・」、「鳩に聞かれるとまずい」。

天眼鏡(てんがんきょう);《人相見が使って、運命など普通には見えないものまでも見通すところから》柄のついた大形の凸レンズ。
 右図:歌川国定 「浮世絵人精天眼鏡」

門前払い(もんぜんばらい);江戸時代の追放刑の中で最も軽いもので、奉行所の門前から追い出すこと。

切腹(せっぷく);自分の腹部を短刀で切り裂いて死ぬ自死の一方法。腹切り(はらきり)・割腹(かっぷく)・屠腹(とふく)ともいう。主に武士などが行った日本独特の習俗の刑罰。武士にのみ許された処刑法で死罪です。

御前蕎麦(ごぜんそば);麻布永坂の信州更科蕎麦処 布屋太兵衛によると「蕎麦の実の芯だけで打ったそば」で、江戸城に収めていたことからの由来ある名前だという。見事な白さで細く透明感も感じる出来であった。細く長く、食感は柔らかいけれどしっかりした味わい。十割蕎麦で、北海道蕎麦の芯のみを使用という御前そば。

手打ち蕎麦(てうちそば);機械打ちに対して、手で打った蕎麦。

馬タライ;馬の身体を洗う大きなタライ。こんなので蕎麦打ちされたら、食べられない。

六尺棒(ろくしゃくぼう);門番等が使う長さ六尺の警棒。ドブなどをかき回したりするから、そんな物で蕎麦を作られたら大変。落語「たがや」に出てくる殿様、槍先をたがやに切り落とされヤリの柄は使いようがないから蕎麦を伸ばす麺棒になった(?)。正式には丸棒の④麺棒。

のばし板;②麺台

半切り;①こね鉢
こま板③=伸ばした蕎麦をたたんで切るときに押さえる板。
麺切包丁⑤=独特の形をした蕎麦切り専用包丁。
 この他そば切りの道具に、蕎麦粉用の振るい。粉を寄せるハケ。調理箸。こま板(切った蕎麦を入れる板)。計量カップ。茹で蕎麦を挙げるザル。ざるそば用盛りつけザル。蕎麦猪口。等があればもっと便利です。
写真;「蕎麦打ち道具市場」より



                                                            2015年8月記

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