落語「茄子娘」の舞台を行く
   

 

 入船亭扇橋の噺、「茄子娘」(なすむすめ)


 

 修行の大変なのは寺方のお坊さん達もそうです。生臭い欲望があってはいけないので、五戒を保つことが大切です。不殺生戒(ふせっしょうかい)、不偸盗戒(ふちゅうとうかい)、不邪淫戒(ふじゃいんかい)、不妄語戒(ふもうごかい)、不飲酒戒(ふおんじゅかい)と有りますが、その中でも大変なのが不邪淫戒だそうで、名僧、高僧と言われる方は一生独り身で過ごされたようです。しかし、時代が下がると妻帯が普通になってきて、奥様を大黒様と呼んでいた。

 東海道の戸塚の宿から1里ほど在へ入った鎌倉山の山あいに「曹元(そうげん)寺」と云う小さな寺がありました。今年四十六になる宋全(そうぜん)というお坊さんが独り身で、寺男と二人住まい。貧乏寺ですから本堂裏の畑で野菜を作って自給自足。茄子の花が咲いて、実を結びます。それをザルに穫って夕餉の膳に。
 寺男が村のお祭りに出掛けるので、今夜は一人になるので、奥に麻の蚊帳を吊ってあるのでそこで寝て欲しいと、言い残し出掛けた。蚊帳の中で大の字になると、鎮守の森から祭り囃子が、時々聞こえてくる。開け放たれた庭の奥の竹林から吹く風が誠に気持ちが良い。
 ウトウトとすると、蚊帳のスソに人の気配を感じ、見ると、十七八の友禅の浴衣掛けの、絵から抜け出たような美女がそこにいた。聞くと「私は茄子の精です」と答えた。「どうして此所に?」、「日頃和尚様に可愛がっていただき、早く大きくなれ、なったら『わしの妻(さい)にしてやる』と、いつもおっしゃいますから・・・、肩なども揉ましていただきたく参りました」。茄子の精は和尚の言っている『わしの妻』ではなく、『菜(さい)』の間違いで、おかずにするということ。「どちらにしても、せっかく来ていただいたのだから、肩でも揉んでもらおう」と蚊帳の内に招き入れた。若いので力もあってヒンヤリした手で気持ちが良い。
 遠雷が響き始めた。来るかなと思っている間に、凄まじい雨になった。ピカリと稲妻が落ちて、娘が和尚の胸元に転がり込んだ。(宮戸川と同じシュチュレーションです)ビンの香りが鼻をクスグリ、友禅の裾が乱れて、赤い蹴だしが出て、雪のように白い脚が太ももまで・・・、木石ならぬ宋全和尚肩に回した手に力が入った。・・・・・

 ガラリと夜が明けて(スイマセン、噺がそうなっています)、かたわらを見ると娘は居ず、宋全は夢かと思った。夢にしろ修行が足りないと、寺を後に雲水の姿になって修行の旅に出てしまった。
 5年が経って、寺に戻ると荒れ果てて無住の寺になっていた。本堂の脇の畑を通ると、「お父様」と言う声に呼び止められた。衣の裾に掴まるのは四~五歳にもなろうかという女の子。今何と言われた「お父様と・・・」、「わしは雲水の身、乞食坊主だ。暮れてきたから早く家に帰りなさい」、「でも貴方はお父様です」、「なぜそのように言う」、「私は茄子の娘(こ)ですもの」、「ではアレは夢では無かったのか。さすれば私の子に相違ない。それでは長年わしが此所を通るのを待っていたのか。こちらに来てわしのヒザの上に乗りなさい。重いな~、で幾つになる」、「五つになりました」、「ここは無住の寺、そなたは誰に育ててもらった?」、「一人で大きくなりました」、
「なに、一人で大きくなった?・・・はは~ぁ、親は茄子(無く)とも子は育つ」。

 



ことば

茄子(なす);夏野菜の定番であるナスは、千年以上前に大陸から栽培方法が伝わったとされる長い歴史をもつ作物です。本来熱帯系の植物ですが、日本人の食生活に定着し栽培北限がどんどん伸びて、今では北海道でも作られています。現在180種ほどの品種があり、その形などによって生で食べたり、漬け物、炒め物、煮物、田楽などの焼き物にと色々な料理法で親しまれてきました。英名ではegg-plants=卵の木と呼ばれます。

 初夢に見ると縁起がいいとされているのが・・・「一富士、二鷹、三茄子(いちふじ、にたか、さんなすび)」。まあ、富士山や、勇猛な鷹は判るのだが、なんで茄子を夢に見ると縁起がいいのか・・・。それに、茄子の夢ってどう云う夢なんだろう。まさか、暗闇にヘタを付けたような、でっかい茄子と云う、落語の小噺的洒落じゃないでしょうね。落語「羽団扇」に駒込の茄子の話しが有ります。

 江戸っ子は「初物を食べると七十五日生き延びる(その年に初めて食べる、まだだれも手をつけてない食べ物を食べると、七十五日間長生きをする。)」と言って、初物を好みました。特に顕著なのは、春先に出回る「初鰹」で、鰹一匹に三両(現代価格約30万円)なんて、べらぼうな値段がついたりしました。その他、初鮭、初筍(はつたけ)、白魚、きゅうり、松茸、秋刀魚などなどの多くの食材の出回りが、初物として、珍重されました。そして、初秋の茄子も初茄子として、庶民の食卓を賑わせました。
  江戸では、三九日茄子(みくにちなすび)と言い、毎年九月九日、十九日、二十九日に茄子を食べる風習がありました。三九日(みくにち)、御九日(おくにち)、おくんち、ともと呼ばれる、三九日最初の九月九日は、年に五回ある五節句の最後の節句「菊の節句・重陽の節句」で、栗飯を炊いて、菊酒を祝い、そして、茄子の菜をいただきます。  「菊月にくふのが本の三茄子」。江戸川柳です。菊月とは、旧暦九月の異称。「秋茄子は嫁に食わすな」とも言われるほど、美味な秋茄子は、「三九茄子(さんくなす)」「九日茄子(くんちなす)」とも呼ばれ、九月九日、十九日、二十九日に茄子を食べると、万事仕合わせ良しと言われました。「色を売る茄子も三九で年ンが明け」。再び江戸川柳です。吉原の花魁さんたちも、一応、年期奉公で、二十七歳(=三×九)で年明け(雇用期間満了)となり、その容姿も衰える事と、茄子も三九日茄子最後の二十九日を過ぎると、その盛りが過ぎ、茄子紺の艶も衰える事を暗示した川柳です。茄子は夏から秋にかけてが旬ですが、季語としては夏のものです。

 その「秋茄子は嫁に食わすな」この言葉は「秋茄子わささの糟に漬けまぜて 嫁には呉れじ棚に置くとも」という歌が元になっており、嫁を憎む姑の心境を示しているという説がある。また、養生訓では「茄子は性寒利、多食すれば必ず腹痛下痢す。女人はよく子宮を傷ふ」などから、嫁の体を案じた言葉だという説もある。ナスは熱帯の植物であり8月上旬までに開花・結実した実でなければ発芽力のある種子を得ることが難しい。そこから秋ナスは子孫が絶えると連想したという説もある。「親の小言と茄子の花は千に一つの無駄もない」ナスの花が結実する割合が高いことに、親の小言を喩えた諺。 写真:茄子の花。

入船亭 扇橋(いりふねてい せんきょう);本名は橋本光永(はしもとみつなが)。昭和6(1931)年5月29日生。出身地東京都青梅市。出囃子は、にわか獅子。紋はつたの葉芸。
右写真「扇橋」 「噺家渡世」扇橋百景 うなぎ書房発行 表紙より。
芸歴は噺家としては遅く26歳の時、昭和32(1957)年12月 三代目桂三木助に入門。
昭和33(1958)年5月 初高座 横浜相鉄演芸場 演目 寿限無。 前座名「木久八」、
昭和36(1961)年1月 三木助没後、五代目柳家小さん門下へ
昭和36(1961)年5月 二ツ目昇進 「柳家さん八」と改名
昭和45(1970)年3月 39歳の時に真打昇進 九代目「入船亭扇橋」を襲名。その後、理事に就任。
平成22(2010)年 理事職を退き相談役に就任。
受賞歴昭和57(1982)年 文化庁芸術祭最優秀賞。 昭和58(1983)年 芸術選奨文部大臣新人賞。
趣味としては、俳句(句会の宗匠) 写真(カメラ) 競馬など。現在八十四歳。
 「あじさいや どこかに水の 音がして」 光石 (扇橋の俳号)
 「しあはせは玉葱の芽のうすみどり」 光石

五戒(ごかい);仏教において在家(ざいけ)の信者が守るべきとされる基本的な五つの戒(いましめ)の事で、一般的には「在家の五戒」などと呼ばれる。
 不殺生戒(ふせっしょうかい)・・・生き物を殺してはいけない。
 不偸盗戒(ふちゅうとうかい)・・・他人のものを盗んではいけない。
 不邪淫戒(ふじゃいんかい)・・・自分の妻(または夫)以外と交わってはいけない。
 不妄語戒(ふもうごかい)・・・嘘をついてはいけない。
 不飲酒戒(ふおんじゅかい)・・・酒を飲んではいけない。

右図:臨済宗の僧「一休禅師」橋本清水筆。東京国立博物館蔵。
五戒を護るなんてなんて当たり前。でも私は守れないものがあります(笑)。

大黒さま;寺方の隠語で奥様、または、お抱えの女性。妾。
 「大黒を和尚布袋にして困り」。大黒様が布袋様のようにお腹が大きくなって、和尚様が困ったという。

鎌倉山(かまくらやま);神奈川県鎌倉市深沢地域、鎌倉山一丁目から鎌倉山四丁目。鎌倉市西部に位置する。北は笛田、西は手広・腰越・津、南は七里ヶ浜・稲村ヶ崎、東は極楽寺と接する。山という地名がつけられているが、標高100m程度の丘陵。ほぼ全域が山林となっているが、道路沿いを中心に住宅が点在している。鎌倉山内の主要な道路には多数の桜(ソメイヨシノ)が植えられている。桜の開花シーズンともなると、桜を見に来るハイキング客でにぎわうようになる。
 また鎌倉山神社がある山頂付近からは、七里ヶ浜の海、江ノ島、逗子マリーナや三浦アルプスなどを見渡すこともできる。このあたりからは、極楽寺方面と稲村ガ崎へ抜ける山道も存在し、以前は鎌倉から手広方面へ抜ける近道としても重用されていたが、昭和30年代頃に周辺の交通路が整備された事によって使われなくなり、現在は廃れているが通行は可能です。噺の鎌倉山とは方角がチト違います。

雷が鳴って・・・;落語「宮戸川」にも同じシーンがあって、
 「半ちゃん、雨が降ってきましたよ」「私が降らせているのではありませんよ」その内、雷になり「半ちゃん怖い、何とかして」「こっち向いてはいけませんよ」雷は近づきカリカリカリ、近所に落雷して、お花は半七にかじりついてしまった。ビン付け油と化粧の匂い、冷たい髪の毛。半七も思わずお花を抱き寄せ、裾は乱れて、燃え立つような緋縮緬の長襦袢から覗いた雪のような真っ白な足がス~と。木石ならぬ半七は、この先・・・、本が破れて分からなくなった。
 好きです。この様なシーン。回りも雷も何もかも忘れて、二人だけの世界・・・。

蚊帳(かや);蚊帳には雷を避ける、と言われる俗信があって、どんなに激しい雷でも蚊帳の中には落ちません。で、二人は安心。
 蚊を防ぐために吊り下げて寝床をおおうもの。麻布・絽・木綿などで作る。
 日本には中国から伝来した。当初は貴族などが用いていたが、江戸時代には庶民にも普及した。「蚊帳ぁ~、萌黄の蚊帳ぁ~」という独特の掛け声で売り歩く行商人は江戸に初夏を知らせる風物詩となっていた。
 現在でも蚊帳は全世界で普遍的に使用され、野外や熱帯地方で活動する場合には重要な備品であり、大半の野外用のテントにはモスキート・ネットが付属している。また軍需品として米軍はじめ各国軍に採用されており、旧日本軍も軍用蚊帳を装備していた。 現在、蚊帳は蚊が媒介するマラリア、デング熱、黄熱病、および各種の脳炎に対する安価で効果的な防護策として、また副作用が無いので注目されている。
 生活環境の変化、すなわち殺虫剤や下水の普及による蚊の減少および気密性の高いアルミサッシの普及に伴う網戸の採用、さらに空調設備の普及により、昭和の後期にはほとんど使われなくなった。
 落語「麻のれん」より

雲水(うんすい);中国、朝鮮、日本における修行僧の呼称。師をたずね道を求めて各地をめぐり、あたかも行雲流水のように一ヵ所にとどまらずに修行する僧。特に禅宗では参禅し師に仕えて修行する僧もさす。衲 (ころも) を雲にたとえて雲衲ともいう。 右図:「雲水」

無住の寺(むじゅうのてら);住職がいなくなった寺。

友禅(ゆうぜん);江戸時代の京の扇絵師・宮崎友禅斎に由来する。元禄の頃、友禅の描く扇絵は人気があり、その扇絵の画風を小袖の文様に応用して染色したのが友禅染です。多彩な色彩と、「友禅模様」と呼ばれる曲線的で簡略化された動植物、器物、風景などの文様が特徴である。考案者が絵師であったこともあって、当時は日本画の顔料として使われる青黛や艶紅などが彩色に使用された。



                                                            2015年月記

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