落語「青菜」の舞台を歩く
   

 

  五代目柳家小さんの噺、「青菜」(あおな)によると。

 

 付け焼き刃は禿げやすい、と言います。

 「植木屋さん、ご精が出ますな」、ご主人から声が掛かったが、一息入れている時だったと言うより、仕事したくなくてタバコばかりやっていたので、植木屋さん弁解に走った。
 「植木屋さん。貴方が撒いてくれるくれる水は誠に夕立があったように、青い葉陰から流れてくる風は気持ちが良い。私は一人で酒をやっていたが、植木屋さんは酒がやれる方ですか」、「持っている金だけ飲んでしまう、銭だけ飲みです」、「それでは、縁側にお座りなさい。大坂の友人からもらった『柳影』ですが、良かったらおやりなさい」、「綺麗なコップですな。ではいただきます。柳影とは幽霊が出そうな酒ですな。(旨そうに飲む)旦那この酒は『直し』と言いませんか」、「そうです。大坂で柳影、こちらで直しと言いますな」、「夏場は飲みやすいですな。それに冷たいですね」、「貴方は暑い所で仕事をしていたので、冷たく感じるのです。ここに、鯉の洗いがありますから、あがんなさい」、「冷たくて美味しいですね」、「淡泊な身で、下に氷が敷いてあるので冷たく感じるのです」、「この氷をいただきます」、口に入れた途端、シューシュー言いながら、頭を叩いて、氷をほおばっている。
 「ところで、『菜のおしたし』はお好きですか」、「でーすき(大好き)です」。奥様に菜の注文をしたが、「旦那様、鞍馬山から牛若丸が出まして、その名(菜)を九郎判官(くろうほうがん)」と妙な返事、「そうか、それなら義経にしておきなさい。植木屋さん、男は勝手のことが解らんもんで、菜は無いという。気の毒なことをした」。「それは良いんですが、お客様が来たんじゃありませんか」、「菜の無い断りを言っていただけだよ」、「そんな事何も言ってませんでしたよ。牛若丸さんとか、義経さんとか・・・」、「植木屋さんだから言うが、あれは家の隠し言葉なんだ。『無い』とか『食べてしまった』と言うと、お客さんも私も赤面するから、菜は食べてしまってないから『菜は食らう=名は九郎判官』で、私は『それならよしとけ=義経にしておきな』というわけです」。
 植木屋さん、いたく感心して残りの柳影を飲み干して、お屋敷を後にした。

 「旦那様、鞍馬山から牛若丸が出まして、その名を九郎判官。義経にしておきな」、なんて格好いいな。一度言ってみたいな。

 帰って来ると夕飯のおかずはイワシの尾頭付き。カカアに旦那の話をして、お前にそんな事言えないだろう。「言えるよ。鯉の洗いを買ってみな」。「隠し言葉を言うと、アイツは偉いやつだと皆から敬われる」と思っていたら、そこに大工の半公がやって来た。嫌がる女房を無理矢理隣の部屋は無いから、押し入れに押し込んだ。
 「大変ご精が出ますな」、「いや~。今日は怠けちゃったんだ。湯から出たから気持ちがいいや」、「青い所から渡ってくる風は涼しいな。ハハハ」、「どこに青い物があるんだよ。あれはゴミ箱だろ」、「ところで、植木屋さん」、「ますます、おかしくなったな。植木屋はお前じゃないか」、「植木屋におなり。ご酒はお好きかな。好きなら、ではご馳走しよう。そこの縁側にお座り」、「冗談じゃね~。ここは板の間じゃないか。それにしても汚れているな。俺の着物が汚れてしまう」。「大阪の友人から届いた柳陰だ、まあおあがり」、「直しというやつだな」、「そこのコップでお上がり」、「猪口じゃないか」、「コップだと思ってお呑み」、「柳影じゃないよ。普通の酒じゃないか」、「お前さんは暑い所で仕事をしていたから口の中に熱がある」、「仕事もしていないし、湯上がりだから熱なんか無い」、「冷たくない物を飲んでも冷たく感じるのだな」、「冷たくないよ。燗してある」。「鯉の洗いは食べるかな」、「手間取りがそんな贅沢して・・・。これはイワシの塩焼きだ」、「でも、洗いだと思ってお食べ。それは淡泊だから・・・」、「ウソを付け」。「冷たいのは下に氷が敷いてある」、「どこに・・・」。「貴方は菜のおしたしがお好きか」、「嫌いだよ」。

 「それは無いだろう。嫌いだろうが『好き』と言ってくれ。こちらも都合があるんだ」、「じゃ~、好きだよ」、「では、こちらに取り寄せるよ」、「いいよ。取り寄せなくても」、「台所に廻らんでも良い」、「誰も行かないよ」、手を叩いてかみさんを呼んだ。「これよ、・・・」、「旦那様」、「おい、冗談じゃないよ。おかみさんがいないと思ったら、この暑いのに押し入れに入って、汗だくになっているよ」、「黙っていな。植木屋さんが菜のおしたしが食べたいと言うから持って来な」、「旦那様、鞍馬山から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官義経」、植木屋が言う台詞義経を先に言われて言葉に詰まったが、
「うーん、弁慶にしておけ」。 

 



言葉

青菜(あおな);過日、二代目桂枝雀が、終演後お客さんから「青菜ってどんな菜ですか?」と尋ねられて絶句。酒を飲みながら仲間と議論し、アンケートを取ろうと相談がまとまった。しかし、酔いが覚めると誰がそんな馬鹿馬鹿しいことをするか、とお流れになったという。
 だいたいこの噺は題こそ『青菜』でございますが、「青菜」そのものは登場しません。これが一シーンでも出て来て、食べる振りなどいたしますと、何らかのイメージがわくんでしょうが、「ない」というんですからな。「固うしぼって胡麻でもかけて」というのが唯一の手がかりなのであります。

・青菜の候補としてまず上がるのは、ほうれん草(ほうれんそう);高温下では生殖生長に傾きやすくなるため、冷涼な地域もしくは冷涼な季節に栽培されることが多い。冷え込むと軟らかくなり、味がよりよくなる。東アジアにはシルクロードを通って広まり、中国には7世紀頃、日本には江戸時代初期(17世紀)頃に東洋種が渡来した。伊達政宗もホウレンソウを食べたという。19世紀後半には西洋種が持ち込まれたが、普及しなかった。しかし、大正末期から昭和初期にかけて東洋種と西洋種の交配品種が作られ、日本各地に普及した。ホウレンソウの「ホウレン」とは中国の唐代に「頗稜(ホリン)国」(現在のネパール、もしくはペルシアを指す)から伝えられた事による。後に改字して「菠薐(ホリン)」となり、日本では転訛して「ホウレン」となった。

・もう一つの候補は小松菜(コマツナ);江戸時代なかばまでは「葛西菜」とよばれていた。『大和本草』には「葛西菘(かさいな)は長くして蘿蔔(だいこん)に似たり」とあり、『続江戸砂子』では、菜葉好きが全国の菜葉を取り寄せたが「葛西菜にまされるはなし」と高く評価した。葛西菜が品種改良ののち小松菜になるが、『本草図譜』に描かれた葛西菜は現在の丸い葉のコマツナとは異なる。『青葉高』によれば小松川の椀屋久兵衛(1651年 - 1676年)が葛西菜をコマツナに改良したというが、『江戸川区史』によれば椀屋久兵衛が評判の高かった葛西菜をわざわざ江戸から上方に取り寄せて人に振る舞ったという。椀屋久兵衛とは、数々の豪遊のあまり身を持ち崩し、浮世草子『椀久一世の物語』にもなった上方の豪商である。
 葛西菜が小松菜と改称された理由の一つに、江戸市中の糞尿を持ち帰って下肥とし、野菜を江戸に運んだ葛西船(かさいぶね)の存在を挙げる向きもある。葛西船の異称として単に葛西と呼ばれていた。当時のイメージとして屎尿臭を連想させる葛西の語を嫌って、めでたい常盤の松にあやかり、八代将軍吉宗の命名により小松の名を採ったとする。また、江戸川区小松川で栽培されていたからとも言います。

つまみ菜は如何でしょうか。もともとは大根、しろ菜、かぶ、小松菜、漬け菜などの若苗を生長させるため摘み取った(間引いた)もの。 東京が主産地で冬以外は一年中収穫でき市場にでまわります。 癖がないので誰でも食べられるのもいい。写真・右

しろ菜;アブラナ科のつけ菜の仲間で、不結球ハクサイ類、巻かない白菜です。しろ菜は白菜と漬け菜を品種改良されたもので、関西の市場ではよく知られています。アクやクセが少なく、あっさりした食味が特徴で、しょうゆ、みそ等どんな調味料にも合います。昔から、煮もの、おひたし、ごま和え、浅漬け、炒め物など多彩に利用されており、食卓の一品には欠かせない野菜となっています。 つけ菜類の原産地は地中海沿岸で、日本には中国から入ってきたと言われています。古事記につけ菜の栽培が記載されており、当時すでに広く栽培されていたと推察されます。江戸時代から各地にしろ菜類はありましたが、大阪が起源のつけ菜(大阪しろ菜)としては、明治初期に天満付近が産地で、ここで多く作られていたことから、別名「天満菜」ともいわれています。
 ほぼ通年栽培され出荷されています。夏場の葉野菜としてしろ菜はその重要度を高めてきました。右写真:しろ菜。

 青菜と言ってイメージに登ってくるのが、ほうれん草と小松菜ですが、どちらも江戸・明治時代の旬は寒い時期でこの落語、夏には合いません。つまみ菜やしろ菜は通年食べられると言い、この野菜が浮上してきます。

 しかし、ですよ。落語は誤りが無い伝承芸として認知されていますが、やはり人の子、作られたときに既に間違っていたか、伝承される内に間違ってしまったのか、どちらかではないかと私は思います。青菜とはどんな野菜か?という前に原点が違っている可能性もあるように思います。この噺「青菜」のナゾが聞き手をくすぐりますが、それはそれで楽しめばいい話です。アバウトすぎる私です。

直し(なおし);「柳影(やなぎかげ。陰・蔭とも書く)」、京都では「南蛮酒」。アルコール度数約20度。焼酎に味醂を混ぜたもの。安くて悪い酒を飲みやすく「直す」ものを「直し酒」といったのに対して、味醂のものを「直し味醂」と呼んだ。上方で好まれた。
 本直し(ほんなおし)は、アルコール飲料の一種で、直しとも。調味料でもある甘味の強いみりんに焼酎を加えて甘味を抑え、飲みやすくしたもの。江戸時代の風俗をまとめた『守貞漫稿』によると、みりんと焼酎をほぼ半々(最近はみりんと焼酎を1:2くらい)に混ぜたものを上方では「柳蔭(やなぎかげ)」、江戸では「本直し」と呼び、冷用酒として飲まれていた。
 「飲みにくい酒を手直しする」というニュアンスから「直し」という呼称が発生した。江戸時代には焼酎の亜種としてよく飲まれていたが、現在では一般にはマイナーな存在です。かつては夏の暑気払いとして、井戸で冷やされて楽しまれ、高級品として扱われていたことが、上方版「青菜」に登場します。
 酒税法上では「飲用みりん」と言われる。かつては酒税法上、「本みりん」とは区別され、飲用みりんは本みりんより課税額が安かったが、のちには一本化された。 平成2年(1990)代にWTOの勧告により、ウィスキーの酒税が下がる一方で焼酎の酒税は上昇したが、料理酒と同一視された本直しは看過され、相対的に低い税率に抑えられた。そこで一部の焼酎・みりん製造業者は、現在の発泡酒同様に「節税焼酎」として本直しに着目、1990年代末期には飲用酒としての販売量が急激に増加した。 しかし大蔵省(現・財務省)はこれを見逃さず、平成12年(2000)の酒税改正において、焼酎を多く加えた飲用みりん(アルコール分23度以上、またはエキス分8度未満)については焼酎と同じ税率となり、直しへの需要は急激に廃れた。現在の本直しは、比較的限られた業者が製造・販売するに止まっています。

鯉の洗い(こいのあらい);死んだ鯉の身は臭みが出るので、生きている鯉の身を、一口大にそぎ切りにして二分間ぐらい冷水で洗い、肉を縮ませ氷塊を添えて提供する。夏の料理として喜ばれ、酢味噌か芥子(からし)酢味噌を付けて食べる。洗いは歯触りの良さを楽しんで食す。川魚は刺身で通常食べないので、身に付着している虫を洗い流す意味も込めて、刺身では無く洗いとして出す。

(イワシ);日本で「イワシ」といえば、ニシン科のマイワシ(右写真)とウルメイワシ、カタクチイワシ科のカタクチイワシ計3種を指し、世界的な話題ではこれらの近縁種を指す。ただし、他にも名前に「イワシ」とついた魚は数多い。日本を含む世界各地で漁獲され、食用や飼料・肥料などに利用される。このため、海のお米とも言われる。
 魚の中でもゲスな魚と言われるが、「イワシも七度洗えば鯛の味」、と言われるほど美味い。その為、紫式部は亭主の目を盗んで食べていたとも言われます。 植木屋さんの家みたいに塩焼きも良いですし、煮魚、刺身、西洋料理、何でもござれのイワシです。

この噺のマクラで使われる言葉で、蜀山人(しょくさんじん)が涼しさを言うのに、
「庭に水、新し畳み、伊予すだれ、透綾(すきや) 縮みに湯上がりの髱(たぼ)」と言ったといいます。
反対に暑いのは「西日差す、九尺二間に、太っちょの、背なで子が泣く、飯(まま)が焦げ付く」。
さもありなんと思う情景です。

蜀山人=大田南畝(おおた なんぽ)天明期(1781-1789)を代表する文人・狂歌師であり、御家人。 勘定所勤務として支配勘定にまで上り詰めた幕府官僚であった一方で、文筆方面でも高い名声を持った。膨大な量の随筆を残す傍ら、狂歌、洒落本、漢詩文、狂詩、などをよくした。特に狂歌で知られ、唐衣橘洲・朱楽菅江と共に狂歌三大家と言われる。
伊予すだれ=伊予竹で作った伊予すだれは古来最高級品とされているが、伊予竹は伊予山中で採れる篠竹で、幹が細く軽いうえ光沢が美しいのですだれ材として最適です。すだれは一般には縁(へり)がつかないが、縁つきの高級品を御簾(みす)という。
透綾縮み(すきやちじみ)=(「すきあや」の転) 透けるほど非常に薄い絹縮み。明治以降、種々の織り方がある。さらりと肌ざわりがよく、夏の婦人着尺とする。また、配色の必要から半練糸や練糸をも混用。文政(1818~1830)年間、京都西陣の宮本某が越後国十日町で創製。越後透綾。絹上布。
・たぼ(髱)=もともと、首筋の上(襟足)、日本髪の後ろに張り出した部分を言い、転じて若い女性を指す。若い女性は涼やかなのでしょう。右図:広辞苑より
・水を打つ庭=木々の緑の間だから涼しい風が縁側に吹いてくる庭は身近には無くなりました。植木屋さんが撒いた水は誠に気持ちが良い。
西日差す(にしびさす)=夏の西日が差し込む部屋は、暑さに耐えられないほどです。陽が没しても、いつまでも熱気は抜けません。
九尺二間(くしゃくにけん)=長屋の中で一番小さい間取りの部屋。1Kで、間口が9尺(1間半)で入ると土間になっていて、出入り口が3尺角、その横に畳一畳分の台所。そこに流し、水瓶、へっつい(かまど)等が有ります。奥が四畳半の座敷で・・・、それだけです。壁の向こうは隣家で薄い壁ですから声は筒抜け、プライバシーは有りません。トイレ、井戸、ゴミ捨て場は長屋で共用。

権助が言う気候の挨拶とは、教えられたとおり寒い時は「今頃、山は雪だんべ」、そのうち暑くなってきて、返答に困って「今頃、山は・・・、火事だんべ」。人から教わって自分の物になっていないと、この噺のように何処かでメッキが剥げます。

手間取り(てまとり);手間賃をもらって雇われること。また、その人。

九郎判官(くろう ほうがん);源義経のこと。左衛門尉だったことから。判官は輩行名で九郎は源義朝の九男だったことによる。古来この義経に限って「ほうがん」と読んでいたが、近年では「はんがん」も通用している。義経。幼名を牛若丸(うしわかまる)。身体はひ弱で女性のようだったと言います。

鞍馬山(くらまやま);京都盆地の北に位置し、豊かな自然環境を残す。その鞍馬山の南斜面に牛若丸が育った鞍馬寺が位置します。鞍馬は牛若丸(源義経)が修行をした地として著名であり、能の『鞍馬天狗』でも知られる。新西国十九番札所。なお、鞍馬寺への輸送機関としてケーブルカー(鞍馬山鋼索鉄道)を運営しており、宗教法人としては唯一の鉄道事業者ともなっている。

武蔵坊弁慶(むさしぼう べんけい、生年不詳 - 文治5年閏4月30日(1189年6月15日));平安時代末期の僧衆(僧兵)。源義経の郎党。五条の大橋で義経と出会って以来、彼に最後まで仕えたとされる。なお、和歌山県田辺市は、弁慶の生誕地であると観光資料などに記している。元は比叡山の僧で、武術を好み、義経に仕えたと言われるが、その生涯についてはほとんど判らない。一時期は実在すら疑われたこともある。しかし、『義経記』を初めとした創作の世界では大活躍をしており、義経と並んで主役格の人気がある。
右図:五条大橋で義経と弁慶の戦いを描いた浮世絵(歌川国芳画)



                                                            2015年9月記

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