■線香(せんこう);時間の経過を知るのに線香の燃え尽きるまでを1本と言いました。お客とすれば、長く三味線を弾いてもらいたいので、懐と相談して5本だ10本だと芸者を拘束します。線香一本がそんなに高い値段だと知った、田舎から出てきたばかりの女中が、線香を3把持って逃げた、と言う話しが有ります。(マクラより) ・花代(はなだい);芸娼妓などの揚代。揚代=芸娼妓を揚屋に呼んで遊ぶ代金。玉代。揚銭。
右写真:線香時計。線香が燃え尽きることで時間を計ったもの。セイコーミュージアムにて
■お久(おひさ);柳橋の娘芸者、若旦那が入れあげてしまった相手です。演者によっては『小糸』(小絲)であったり『美代吉』であったりします。置屋も柳橋では無く、深川(辰巳)や新橋、築地であったりします。この噺は元々初代松富久亭松竹の作といわれる上方噺を、東京へは六代目桂文治あるいは三代目柳家小さんが移したといわれます。
・おかあさん;置屋の女将さんを呼ぶ時は「おかあさん」と呼びます。芸者や花魁、花街の人達からも、同じように呼ばれます。遊廓の見世の男衆妓夫(ぎゅう)はどんなに歳をとっても「若い衆(わかいし)」と言いますし、見世の女連中をまとめる遣り手は「おばさん」と言います。また、花魁や芸者の先輩は「おねえさん」と言います。
・芸者(げいしゃ);まずは芸者と花魁(おいらん)の違いを。花魁は艶を売る商売ですから、服装も髪型も化粧も派手やかで男を引きつけます。芸者は原則、艶のお相手はしません。芸を売るのが商売ですから、花魁から比べると一段引き下がって外見は地味造りです。その芸も唄、楽器、踊り、酔客に楽しく遊ばせるのも芸の内です。色気を売るのも女である芸者の武器ですが、幇間と言われる男芸者は色気で勝負は出来ませんので、芸を磨くだけしか有りませんので、”ヨイショ”だけでは勤まりません。
■柳橋(やなぎばし);上写真、神田川最下流に架かる柳橋。船徳の徳さんがここから手前の隅田川に漕ぎ出した船宿が密集している地。奥に浅草橋が見えて右側の街が柳橋、現・台東区柳橋(町)。花柳界として名を馳せた地で、落語「船徳」や「不幸者」、「汲みたて」、「権助魚」、「花見小僧」等々で出てくる落語界の名所です。
・柳橋芸者;柳橋と呼ばれた地は江戸時代、柳橋を中心にその北側と南側を指していました。南は両国広小路南側までです。船宿は合計33軒あり、そのほとんどは芸者と客の仲を取り持つ芸者宿で有った。その揚代や酒肴の料金から1割5分前後の手数料を取っていた。芸者の玉代は昼夜2分。見習い(半玉。お酌)は芸者の半額。この玉代に祝儀(花)1分が付く。彼女たちの多くは柳橋の南、同朋町に住んでいた。彼女たちは辰巳芸者と同じように羽織芸者と呼ばれ、売れっ子芸者は年間100両は稼いだ。しかし、出銭も多く30両以上の稼ぎがないとやっていけなかった。
■浅草の観音様(あさくさの かんのんさま);上写真、観音様の入口雷門で、年中人混みで溢れています。台東区浅草・金竜山浅草寺のこと。江戸では一・二を争う人気で、観音様を祀る浅草寺です。願掛けに多くの参拝者が訪れます。願を掛ければ、成就したあかつきには願ほどき(お礼参り)に行かなければいけません。
■白木の位牌(しらきのいはい);葬儀に用いる白木の位牌は、四十九日までの仮の位牌です。四十九日(七七日)法要までに漆塗りの本位牌に作り替えます。白木の位牌は、四十九日法要の時に菩提寺に納め、新しく作った本位牌に住職から魂入れをしていただきます。
■比翼の紋(ひよくもん);江戸の中期に 庶民の間で流行した家紋で、相思相愛の男女がお互いの家紋を組み合わせてつけた紋のこと。二つ紋。
■三七日(みなのか);人が死んで21日目の称。三X七=二十一をいい、亡くなって三週間後です。
■地唄黒髪(くろかみ);三味線のしっとりした謡です。「♪黒髪の 結ぼれたる 思いには 解けて寝た夜の 枕とて 独り寝る夜の仇枕 袖は片敷く妻じゃと云うて愚痴な女子の心も知らず しんと更けたる鐘の声 昨夜の夢の今朝覚めて 床し懐かしやるせなや積もると知らで 積もる白雪」。
「もしもこのままこがれて死ねば こわくないよに化けて出る」 都々逸より
2015年9月記 前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ |