落語「長短」の舞台を行く
   

 

 十代目柳家小三治の噺、「長短」(ちょうたん)より


 

 友達同士とは気性が違っていた方が長続きすると言います。

 「おい、その戸袋の陰からこっちを覗いているのは誰だ。オイ誰だよ。出たり引っ込んだりするなよ。・・・何だ長さんか。こっちにお入りよ。・・・身元は割れたんだ、入れよ。・・・へぇれよ!」、「居たぁ~」、「さっきからここに居るんだ。お入りよ。お座り」、「こんちワ」、「今頃挨拶しているよ」、「なんか用か」、「別に用事と言う事は無いんだが~、・・・ゆんべ~夜中に起きてね~~、驚いちゃった」、「火事か」、「・・・火事じゃ無いんだよ。・・・ション便がしたくなってネ。便所に行ってション便したら、窓から外を見ると・・・、お前の前ぇだが~~ビックリしちゃったよ」、「泥棒か?」、「泥棒じゃ無いんだ・・・、つまり、その~、何だね・・・、ま、早い話が・・・」、「チットモ早く無いじゃないか。それでどうした」、「それが~おめぇ~空を見ると真っ赤なんだよ・・・星一つ出てねぇ~だろう~、それなのに空がボ~ッと明るくなって、この調子でいくと~、キッと明日は雨かな~~と思っていたら、今朝は雨が降ったろう~」、「オイ、お前ぇ、今朝の雨を、昨日のション便から言わなければ言えないのかよ。気の長い話して、お前ぇの話聞いているとムカムカしてくるんだ。お前の気性知ってるからいいけど。丁度良いとこ来たな、餅菓子があるんだ。食べるか?・・・食うのかよ、食わないのかよ。どっちなんだ」、「いただくよ。そう~ ガミガミ・・・、ガミガミ、鳥が足元から飛び立つようにせかされたって・・・しょうがないの・・・食べ物ぐらい、ゆっくり食べさせなよ」。

 丸餅を手にとって、それを眺めながら「そばでもって・・・ゴチャゴチャ、ゴチャゴチャ・・・言われていたんじゃ・・・何処に食べたか~分からない」、「早くぅ、早く食べなよ。どうだ。美味いだろ」、「まだ・・・食べていないんだ~。せわしないねぇ~」。餅を半分に割って、右と左を見比べている。おもむろに右半分を口に持って行き食べ始めた。(場内からため息と笑いが起こっている。一口食べた歯形を眺めている)。口の中の餅はなかなか喉には行かず、モグモグ、ムシャムシャといつまでも噛んでいる。(その仕草が良いと、お客の笑いが絶えない)。歯に挟まった餅を、指を入れて剥がしまた噛んでいる。やっと片方を食べ終わった。

 

 「旨い」、「この野郎、半分を何時まで掛かって食っているんだ。(片方をふんだくって口に入れて、目を白黒させながら飲み込んだ)。これで良いんじゃ無いか」、「分かったよ。短七さんは気が短いから、まどろっこしくて見ていられない~だろう。私はどちらかというと気が長い。おかしなものだ」。と言いながら煙管に火を点けようとしているが、上手く点かない。「気が長いのと短いのと、いっぺんも喧嘩した事が無い。気が合うのだろうね」、即座に「気なんか合わない!」、(まだタバコに火が点かないので)「いつまで、そんな事やってんだ。こっちからお迎え火と言って・・・(たばこ盆に煙管を差し出し)火を点けると、一口吸って、ポンとはたいた。こうだよ。(また火を点けてポンと元気良くはたいた)分かったか」、(なおも火を点けて一口飲んでははたいている)、「それぐれ~のことは私だって・・・火が点いた」(一口吸って、三口も四口もゆったりと吸っている)、「この野郎、最後にはひっぱだくよ。火玉が踊るほど吸わないで、江戸っ子は一口吸ったら、はたくんだ。(2~3回繰り返し実演してイライラ)。俺なんか急いでいるときは火を点けずに、はたいてしまうんだ」。

 「短七さんは気が短いから、人から何か教わるのは嫌いだろうね」、「嫌いだね!」、「私が教えても・・・」、「お前ぇは違うよ。何か有ったら言っとくれ。何だい」、「ホントに怒らないかい」、「怒らないね」、(顔がつっぱてきて、目が怒っている)、「何だか怒りそうな・・・」、「怒らないって言ってるだろう!どうしたって言うんだ(完全に怒っている)」、「じゃ~・・・、話をするけど~・・・、さっきお前がタバコを吸ってサ、2服目の火玉を活きよいよくはたいたら、その火玉が煙草盆に入らず、左の袂の袖口から中に飛び込んで、イイのかな~と思っていたら、煙が出てきた。今見ていたら、燃えだした。事によったら消した方が良いのかな~~」、(袖を叩いて消した)「この野郎。こういう事は消した方がイイに決まっているだろ。こんなに穴が空いてしまった。馬鹿野郎!」、
「ほれ見ねぇ~~な。そんなに怒るじゃねぇ~か。だから、教えない方が良かった・・・」。

 



ことば

小三治(こさんじ);十代目柳家 小三治(やなぎや こさんじ、昭和14年〈1939〉12月17日 - )は、東京都新宿区出身の落語家。一般社団法人落語協会顧問。出囃子は『二上りかっこ』。定紋は『変わり羽団扇』。本名、郡山 剛蔵(こおりやま たけぞう)。まれに「高田馬場の師匠」とも呼ばれる。 人間国宝です。
右写真:上野鈴本演芸場で長短を演じる小三治。上記写真も。

 小学校校長の5人の子のうち唯一の男子として厳格に育てられる。テストでは常に満点を求められた。その反発として遊芸、それも落語に熱中する。都立青山高等学校に進学。高校時代にラジオ東京の『しろうと寄席』で15回連続合格を果たす。この頃から語り口は流麗で、かなりのネタ数を誇った。卒業後、入試に失敗し、学業を断念。落語家を志し、五代目柳家小さんに入門した。 以後、五代目小さん門下で柳家のお家芸である滑稽噺を受け継ぎ活躍。噺の導入部である「マクラ」が抜群に面白いことでも知られ、「マクラの小三治」との異名も持つ。全編がマクラの高座もある。 落語協会会長六代目三遊亭圓生は大変に芸に厳しい人物で、前任の会長より引き継いだ者を真打にした以外は、実質上3人しか真打昇進を認めなかった。つまり、六代目圓生から真打にふさわしいと見做されたのは、六代目三遊亭圓窓・小三治・九代目入船亭扇橋の3人のみであった。小三治は17人抜き真打昇進という記録を作った。昭和44年(1969)に真打ちに昇進。
 上野鈴本演芸場初席における主任(トリ)の座を師の五代目小さんから平成3年(1991)に禅譲され、平成25年(2013)まで維持した。 平成16年(2004)に芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。 リウマチを持病に抱えながらも、現在も高座に上がり続ける。落語協会会長五代目鈴々舎馬風が病気を理由に2期で勇退した後を受け、平成22年(2010)6月17日開催の理事会において後任会長に就任。平成26年(2014)6月、四代目柳亭市馬に会長職を譲って協会顧問に就任した。
 趣味は多彩で、ヤマハのナナハン(XJ750E)を乗り回していた。当時寄席への出勤もバイクで、本人は上下のつなぎで寄席や落語会に現れていた。落語家仲間で「転倒蟲」(てんとうむし)というツーリングチームも作っていたが、40代の頃に手首の腱鞘炎を起こしてからは乗らなくなった。オーディオ、野球、俳句に精通している。

煙草(たばこ);たばこは、アメリカ大陸の古代文明のなかで、儀式用の植物として人類に利用されたことを文化的な起源とし、16世紀以降、嗜好品(しこうひん)として世界中に広まり、各地に特色ある文化が形成されました。日本へは、16世紀末に伝来し、江戸時代を通して庶民文化にとけこみ、独自のたばこ文化が生まれました。

 江戸の煙草屋。たばこと塩の博物館。干したタバコの葉を刻んで販売していた。

煙管(きせる);江戸時代に形成されたたばこ文化の特徴のひとつに、「細刻み(ほそきざみ)をきせるで吸う」ことがあげられます。なぜ、葉たばこを細く刻むようになったかは、諸説ありますが、毛髪のように細く刻むという例は、外国には見られません。細刻みの技術の発達につれて、きせるは火皿が小さくなり、持ち運びに便利なように短くなりました。それに加え、金属部分に彫刻をし、羅宇(らう)に蒔絵(まきえ)を施すなど、装飾性が見られるようになりました。雁首(がんくび)と吸い口が金属で、羅宇(らう)には竹を用いた一般的な形の他に全体が金属の「延べ(のべ)きせる」も見られます。また木・陶器・ガラス・石なども素材とされました。

 「きせる」 東京国立博物館蔵。

煙草盆(たばこぼん);細刻みたばこをきせるで吸う、という日本特有の喫煙形態にあわせて用いられてきました。きせるでの喫煙には、火入れ、灰落(おと)し、刻みたばこを納める器といった道具が必要で、これらをまとめておくために使われたのがたばこ盆です。浮世絵にも、部屋を飾る道具の一つとして、あるいは客へのもてなしとして、町や街道沿いの茶屋などに置かれていたようすが描かれています。
 右写真;竹製の灰落しと陶製の火入れを備えただけの簡素で庶民的なたばこ盆。しばしば、茶屋の店先に置かれたようすが浮世絵にも描かれている。灰落しにはこげ跡が付いていたり、火入れは欠けたりヒビが入っていたりと、使い込まれたものがほとんどである。こうした日用品ならではの痕跡からは、たばこ盆が当時の人々の生活に欠かせない存在だったことがよく伝わってくる。
たばこと塩の博物館蔵

 「張見世」 喜多川歌麿画 吉原の大見世扇屋の張見世を描いています。ずらりと居並ぶ遊女たちの前には、銘々のたばこ盆が据えられている。 たばこと塩の博物館蔵。

戸袋(とぶくろ);開けた雨戸を納めておくために縁側の敷居の端に設けた造作物。

夜中の空が赤い;光は大気中の細かな塵や水分子によって散乱される。一般には青や紫など波長の短い光のほうがより散乱されやすいが、大気中に漂う塵などの微粒子が多いと赤や橙などに相当する波長の比較的長い光までもが散乱されるため、空が赤く染まって見える。 また微粒子の量が少なくとも、大気中の光路長が長いと結果的に多くの微粒子に接触するため、赤や橙の光が散乱されやすくなり上記と同様の現象が生じる。 したがって、空が赤くなる事例として以下のようなものが挙げられます。
 1.太陽が地平線から現れて昇りはじめた直後、もしくは地平線に沈もうとする直前であり、大気中の光路長が長くなっている場合。要するに朝日や夕日が照らしている場合。
 2.砂漠や工業地帯などの、砂埃・塵埃が立ち込めやすい環境下である場合。
 3.大規模な火災が起きている場合。煤や煙などの微粒子が大量に発生するため。
 4.戦乱のあと。上記と同様に煤・煙や塵埃が立ち込めているため。 また微粒子以外の要因でも皆既日食の場合などに空が赤く染まることがある。

 どちらにしろ、空が青かったり、赤かったりするには、光源・太陽が無くては見る事は出来ません。朝焼けや夕焼けがこの事象です。例外的に北海道の北側ではオーロラ現象で、空全体がボーッと明るく輝くときがあります。
 江戸の空が深夜に赤く輝く事はありません。深夜と思っていたのは、早寝や夜更かしがあって、身体は深夜と認識していても、実際は夕方(早朝)だったりしたのかも知れません。現在では街の光などが雲に反射して赤く見える事はあるようです。また、夕焼けが綺麗なときは翌日雨になると言われます。空気中に水蒸気量が増えるためでしょう。

 この件は、落語「青菜」に出てくる、夏の青菜以上に摩訶不思議な事です。
 寝るときに便所に行って・・・、と言ってくれれば、納得するのですがね~。



                                                            2015年10月記

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