落語「ろくろっ首」の舞台を行く 十代目柳家小三治の噺、「ろくろっ首」(ろくろっくび)より
■ろくろ首(ろくろくび、轆轤(ろくろ)首、飛頭蛮=中国の妖怪(ひとうばん)頭が胴体から離れて浮遊する妖怪);ろくろっ首。妖怪の一種。
首が抜けるろくろ首(抜け首);こちらの首が抜けるものの方が、ろくろ首の原型とされている。このタイプのろくろ首は、夜間に人間などを襲い、血を吸うなどの悪さをするとされる。首が抜ける系統のろくろ首は、首に凡字が一文字書かれていて、寝ている(首だけが飛び回っている)ときに、本体を移動すると元に戻らなくなることが弱点との説もある。古典における典型的なろくろ首の話は、夜中に首が抜け出た場面を他の誰かに目撃されるものである。『曾呂利物語』では「女の妄念迷ひ歩く事」と題し、ある男が、鶏や女の首に姿を変えている抜け首に出遭い、刀を抜いて追いかけたところ、その抜け首は家へ逃げ込み、家の中からは「恐い夢を見た。刀を持った男に追われて、家まで逃げ切って目が覚めた」と声がしたという。
上図:左、『画図百鬼夜行』より「飛頭蛮」。右、『百怪図巻』より「ぬけくび」。鳥山石燕画
首が伸びるろくろ首;「寝ている間に人間の首が伸びる」と言う話は、江戸時代以降『武野俗談』『閑田耕筆』『夜窓鬼談』などの文献にたびたび登場する。
これはもともと、ろくろ首(抜け首)の胴と頭は霊的な糸のようなもので繋がっているという伝承があり、鳥山石燕(江戸時代後期の画家、浮世絵師。妖怪画を多く描いた)などがその糸を描いたのが、細長く伸びた首に見間違えられたからだとも言われる。下図;ろくろ首、北斎漫画より
『耳嚢』によると、
落語の世界にも出てきます。「三十石」の最後で、くらわんか船と喧嘩し、ろくろ首の同船者が腹を空かせて、首を伸ばし対岸のうどん屋まで食べに行っていた。「うらやましいな~。昔からどんな旨いものを食っても、舌三寸喉三寸と言って、六寸しか楽しめないものを、お前は幸せ者だ」、「ははは、二つええことはおまへんわ。薬飲んだときは長~いこと苦ごうおまんねん」。
動物の世界では、多くの首長族がいます。例えば、キリン。ま、首は長いが、年がら年中首を長くしたままで生活しています。亀は首を引っ込めて敵から逃れますが、甲羅の中でS字に曲げていて伸ばすと甲羅から出て獲物を捕獲します。カタツムリですら殻から首を出して動き回ります。化石から出る首長竜は首の脊椎が多いので当然長さがあります。下写真:国立科学博物館蔵。
■養子(ようし);養子縁組(ようしえんぐみ)は、具体的な血縁関係とは無関係に人為的に親子関係を発生させることをいう。 この関係によって設定された親子関係をそれぞれ養親(ようしん)または養子(ようし)、女子の場合には養女(ようじょ)、また養子から見て養親の家(または家族)を養家(ようか)と呼称する。
江戸幕府は当初は様々な養子規制を設けたものの、慶安の変(三代将軍徳川家光の治世下、慶安4年(1651)4月から7月にかけて起こった事件。由比正雪の乱)をきっかけに末期養子の禁を緩め、享保18年(1738)には当主か妻の縁戚であれば浪人・陪臣でも養子が可能とされた。養子の規制は時代が下るにつれて緩くなり、江戸時代後期には商人などの資産家の次男以下が持参金を持って武家に養子に行って武士身分を得るという持参金養子が盛んになり、士農工商の建前を崩壊に導いていった。一方、商人・農民などの庶民間における養子縁組は、証文のやり取りだけで縁組も離縁も比較的簡単に可能であり、「家名の存続」よりも「家業の経営」を重視した養子縁組が行われるケースが多かった。
明治以後になると「家」を社会秩序の中心に置く家制度が全ての階層に広げられた結果、養子縁組も家制度の維持という観点で行われることが多くなった。それが大きく変わるのは戦後の日本国憲法制定に伴う民法改正以後のこと。
持参金養子は農民や商人が金(かね)で武家の地位を得た。当然、養子に入るためには金銭が介在したので、金銭を払って養子に入るのを「御家人株を買う」と言った。その後、譜代の御家人や下級の旗本株まで取引されるようになった。
■草葉の陰(くさばのかげ);墓の下。あの世。草の陰。
■桜湯(さくらゆ);見合いや婚礼などの一生を決める祝いの席では、その場だけ取り繕ってごまかす意味の「茶を濁す」ことを忌み嫌うことから、祝いの席ではお茶を用いず、代わりの飲み物として桜湯を用いることが多い。
サクラの花の抽出物には、肌のシワやたるみの原因になるコラーゲンの糖化を抑制する抗糖化作用や、線維芽細胞のコラーゲン格子形成増加作用が備わっている。老化を抑制する抗糖化食品として注目されている。
■鐘が二つ鳴った;言葉のあやで、実際はこの様な時の鐘は鳴らない。
江戸時代の鐘の打ち方は、まず捨鐘(すてがね)を三つ(大坂では一つ)打って、それから刻の数だけ打った。 例えば、八つだと、捨鐘三回と刻の数八回、合わせて11回撞かれる。
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