落語「肝潰し」の舞台を行く
   

 

 三遊亭円生の噺、「肝潰し」(きもつぶし)より


 

 女性の恋煩いは色っぽいのですが、男の恋煩いは色気の無いものです。

 病気で寝ている義理の弟・民を訪ねたが、医者が診立てても分からなく、良くなる兆候は見られなかった。「良くなるはずは無いのは自分が一番良く分かっている。でも、笑うから言わない」、笑わないと約束したが、『恋煩い』と聞いて吹き出した。「ヘソがくすぐったかったので・・・」。
 話を聞き出すと、「呉服屋の前を通っていたら、十七~八の良~~イ女が暖簾から顔を出した。つられて店に入ったら買うものが無い。しょうが無いから『褌一本下さい』と言ってしまった。サラシを番頭が持ってきて切ろうとするから、娘が『切らずにそのままお渡しヨ』と言ったら、番頭が『損が出ます』、『私のお小遣いから引けば良いから、そのままお渡し』で貰って帰ってきた。その後、町で偶然その娘と会った。住まいを聞かれ、カミさんが居るかと聞かれ、独り者だと分かると『それはご不自由でしょう』と家に来たんだが、そこに番頭が来て無理矢理お嬢さんを連れ出してしまった。その時『クヤシ~イ』と思った途端、目が覚めた」。一部始終が夢であった。夢の女に恋煩いをしていた。

 そこにお医者さんがやって来て、この話を聞くと、「それは悪い病気に取り付かれた。これは医書であったか小説で読んだか、同じように恋煩いで寝込んだ男に、易者が亥の年月が同じ日に生まれた者の生き肝を飲ませれば治ると言われたが、そんな人間は居るものでは無い。しかし、明日首を切られる罪人が居て裏から手を回して年月の揃った生き肝を飲ませたら、治った。でも、これは唐土の話だから正誤は分からない」。
 民はそれを飲んで治りたいという。

 家に帰ってきたら、明かりが点いている。奉公に出ている妹が訪ねてきていて、掃除を済ませ、酒に刺身の手土産持参であった。ご主人からお芝居見物のお暇をもらったから、今晩兄貴の家に泊まり、ここから芝居見物に出掛けるという。
 差し入れの酒で一杯やって、妹を見れば女っぷりが上がって、イイ女になっていた。「おだてちゃダメだよ」、「本当だ。ところで、幾つになった」、「ヤダよ兄さん、妹の歳を忘れちゃ。おっかさんが良く言ってたよ。『芝居で言えば、いつも殺される役ばかり』だってね。亥の年月が揃った珍しい生まれなんだってね」、「・・・そうだ。・・・因縁だな」、「何が」、「何でも無い。両親は早く亡くなって、どうしようと思っていたら、民の親父が引き取って、お前には女一通りのことを仕込み、俺は職人として一人前に育ててくれた。恩を返そうと思ったが死んでしまって、もう出来ないが、もしも・・・、そんな事は無いが、人に殺されるようなことがあっても、恨んではいけないよ」、「やだよ、兄さん。涙なんか流して」。

 妹を先に寝かせて、残った酒を飲んだが、酔うものでは有りません。戸締まりをして、出刃包丁を念入りに研いで、妹の枕元に。「おい、お花。義理の弟を助けるために、実の妹を殺すなんて、と思うだろうが、民の親父には世話になって、民の病気を治して、後からキッと追いかけて死ぬから、どうか恨まず死んでくれ」。出刃包丁を首筋に近づけたが、そこは兄妹。妹の顔を見ていたら、熱い涙をポロポロと落とした。お花はその涙で目を覚まし、見るとギラギラした出刃包丁を持った兄が眼前にいる。「アッ!兄さん、何するのッ」、「大きな声出すな」、「私は兄さんに殺されるような悪い事をしたの。悪い所があったら直すから殺すのだけは勘弁して」、「静かにしろ。殺すんじゃないよ。芝居を観たら、女を殺す場面があったのでどうするんだろうと、真似しただけなんだ」、お花は一息入れて「兄さんが出刃包丁を持っているんで本当に、肝をつぶしたヨ」、「肝を潰した? ああ、それでは、薬にならねぇ」。

 



ことば

恋煩い(こいわずらい);恋煩いは他の落語の中にも出てきます。「崇徳院」、浮世絵を見ただけでその美女に恋煩いした「紺屋高尾」、「搗屋無間」などがあります。

(きも);肝(かん、きも)は、
臓器として
 ・「かん」。現代医学における臓器のひとつ。肝臓。
 肝臓は、腹部の右上に位置して、ほぼ肋骨の下に収まっており、頭側(上方)には横隔膜が存在する。ある種の動物では体内で最大の臓器である。非常に機能が多いことで知られ、代謝、排出、胎児の造血、解毒、体液の恒常性の維持などにおいて重要な役割を担っている。特にアルコール分解能があることで一般には知られている。また、十二指腸に胆汁を分泌して消化にも一定の役割を持っている。 働きは判明しているだけで500種類以上あるとされ、肝機能を人工装置によって全面的に補うことは非常に難しい。他方、臓器の中での部位による機能の分化が少なく再生能力が強いため、一部に損傷があっても症状に現れにくい。自覚症状が出る頃には非常に悪化していることもあり、「沈黙の臓器」などと呼ばれることがある。
 日本では梅毒、ハンセン氏病、結核などの万能薬と誤解され、主に男性の刑死体の肝臓の塩干しが「脳味噌の黒焼き」や「人油」よりも高値で売られていた。山田浅右衛門の専売で「人丹」、「人胆丸」などと称されていた。丸薬で浅蜊貝より少し多い程度の貝殻一杯ほどが明治の初年に5円もした。1870年4月15日、販売禁止となった。
 ・「かん」。東洋医学における五臓のひとつ。肝 (五臓)
 ・「きも」。人間または動物の肝臓。しかし、「心臓」を指すと思われる使い方や、内臓全体を指すこともある。和語(やまとことば)で内臓を指す言葉には、「きも」と「はらわた(わた)」しかない。
肝心として使われるときは、
 ・肝心(かんじん)や肝心要(かんじんかなめ)の意。
 ・上記から肝心と言わず、単に肝といい、物事における重要なことや、主題や主体を引きたてるための要因を喩える言葉としても使われる。

亥の年月が揃った;生年月日時の「干支」が揃った女(時に男も)の肝や生き血が呪いや難病を癒し、秩序を取り戻す役割を果たすという俗信が有り、広く信じられていたようです。十二支の何でも良いのですが、例えば亥(いのしし)の年だとしますと、最近ですと平成19年(2007)、平成7年(1955)この年の生まれは二十歳です。昭和58年(1983)、昭和46年(1971)、・・・と12年おきにやって来ます。日にちの方は12日ごとですが、干支で言うと60日ごとに一回転します。また時刻は亥ですから、夜22時です。
 恐い迷信があったため、お花の母親ですら『芝居で言えば、いつも殺される役ばかり』だから人に言ったらダメだよ。と念を入れて注意されていた。

芝居見物(しばいけんぶつ);江戸時代の一般の人々の娯楽は、現在のように多種多様ではありませんでしたから、芝居見物(歌舞伎見物)は想像以上に大きな楽しみであったようです。
 江戸での芝居興行は、明け六ツ(午前6時ごろ)から、暮七ツ半(午後5時ごろ)までが原則でしたから、芝居見物に行く日は一日がかりでした。幕府は蝋燭を使うことを禁じていましたから、明るい日中だけの興行でした。お花さんが兄さんの所に泊まりに来ていたのはうなずけます。
 当時の芝居の演目は、ふつう年に4、5回変わり、役者は各座ごとにきまっていて年に1度10月に入れ替わりましたので、11月は芝居の世界では顔見世の特別の月でした。そのため芝居小屋のある猿若町では11月は正月に当たり、大変な人出で混雑しました。江戸時代の川柳集「柳樽(やなぎだる)」にも、
 「眼にも正月顔見世の花やかさ」
とあります。見物客には芝居茶屋を通して入る上級の客と、木戸から入る一般の客があり、上級客の見物席は棧敷で、一般客は土間が普通でした。

『東都繁栄の図 猿若町三芝居図』歌川広重画 嘉永7年(1854)3月。中央の角切銀杏の座紋の櫓(やぐら)が立つのは「中村座」。芝居小屋の隣には芝居茶屋が軒を並べ、まさに江戸三座が賑っている様子が描かれている。国立国会図書館蔵。 

 芝居小屋の枡席は一般に「土間」(どま)と呼ばれ、料金は最も安く設定されていた。これは初期の芝居小屋には屋根を掛けることが許されておらず、雨が降り始めると土間は水浸しになって芝居見物どころではなくなってしまったからである。したがってこの頃の土間にはまだ仕切りがなかった。瓦葺の屋根を備えた芝居小屋が初めて建てられたのは享保9年 (1724) のことで、雨天下の上演が可能になった結果、この頃から土間は板敷きとなる。すると座席を恒常的に仕切ることができるようになり、明和のはじめ頃(1760年代後半)から次第に枡席が現れるようになった。当時の芝居小屋の枡席は一般に「七人詰」で、料金は一桝あたり25匁だった。これを家族や友人などと買い上げて芝居を見物した。土間の両脇には一段高く中二階造りにした畳敷きの「桟敷」(さじき)があり、さらにその上に場内をコの字に囲むようにして三階造りにした畳敷きの「上桟敷」(かみさじき)があった。料金は現在とは逆に、上へいくほど高くなった。こうして場内が総板張りになったことで、客席の構成にも柔軟性がでてきた。享和2年(1802) 中村座が改築された際に、桟敷の前方に土間よりも一段高い板敷きの土間が設けられたのを嚆矢とし、以後の芝居小屋では土間にもさまざまな段差をつけるようになった。こうして格差がついた後方の土間のことを「高土間」(たかどま)といい、舞台近くの「平土間」(ひらどま)と区別した。  
上図;安政5年 (1858) の江戸市村座。三代目豊国画。クリックすると大きくなります。

(ふんどし);日本をはじめとする地域での伝統的な下着である。
六尺褌=長さ約180cm~300cm程度、幅約34cm~16cmのさらしの布を用いた褌。締め方が複雑で臀部が露出していることに特徴がある。現在では下着に用いられるよりも、主に祭事や水着などで使用されることが多い。
越中褌=長さ100cm程度、幅34cm程度の布の端に紐をつけた褌。一部では和製英語のクラシックパンツ、サムライパンツとも呼ばれている。パンドルショーツや医療用下着であるT字帯も越中褌の一種。



                                                            2015年10月記

 前の落語の舞台へ    落語のホームページへ戻る    次の落語の舞台へ

 

 

inserted by FC2 system