落語「滝口入道」の舞台を行く 春風亭柳昇の噺、「滝口入道」(たきぐちにゅうどう)より
■滝口入道;1893年、高山樗牛23歳のときに東京帝国大学文科大学哲学科に入学。その年の11月、「読売新聞」が1等賞100円、2等賞に金時計1個を賞品とした歴史小説を募集した。このときの審査員は尾崎紅葉、依田学海、高田半峯、坪内逍遥らだった。また、入選作品は読売新聞本誌で連載することが決められていた。
あらすじ
■高山樗牛(たかやま ちょぎゅう);(1871年2月28日(明治4年1月10日) - 1902年(明治35年)12月24日)は明治時代の日本の文芸評論家、思想家。東京大学講師。文学博士。明治30年代の言論を先導した。本名は林次郎。享年32歳(満31)
■斎藤 時頼(さいとう ときより、生没年不詳);『平家物語』によれば、内大臣・平重盛に仕えたが、恋人・横笛への思いを断ち切るために出家し、「滝口入道」と呼ばれる。宮中警護に当たる滝口武者であったため、出家後の名前の由来となる。また、六波羅武士(平清盛の護衛武士)でもあった。
■大円院(大圓院、だいえんいん)は、高野山真言宗の寺院で、高野山内にある別格本山のひとつ。
■滝口寺(たきぐちでら)は、京都市右京区にある浄土宗の寺院。山号は小倉山。本尊は阿弥陀如来。
「滝口寺」
http://achikochitazusaete.web.fc2.com/heikemonogatari/takiguchinyudo/yokobue.html より
■横笛(よこぶえ);時の権力者平清盛が西八条殿で催した花見の宴で、建礼門院(重盛の妹)に仕えていた町人から上がった雑士女。横笛の舞を見て時頼は一目惚れ、その夜から横笛のことが忘れられず恋しさが募るだけ魅力的な乙女。一緒になれない悲しさから尼になった(入水したとも)が19歳の冬、庵の片隅で亡くなった。
■平清盛(たいらのきよもり);伊勢平氏の棟梁・平忠盛の長男として生まれ、平氏棟梁となる。保元の乱で後白河天皇の信頼を得て、平治の乱で最終的な勝利者となり、武士としては初めて太政大臣に任せられる。娘の徳子を高倉天皇に入内させ「平氏にあらずんば人にあらず」(『平家物語』)と言われる時代を築いた(平氏政権)。
平氏の権勢に反発した後白河法皇と対立し、治承三年の政変で法皇を幽閉して徳子の産んだ安徳天皇を擁し政治の実権を握るが、平氏の独裁は貴族・寺社・武士などから大きな反発を受け、源氏による平氏打倒の兵が挙がる中、熱病で没した。
■高野聖(こうやひじり);中世に高野山を本拠とした遊行者。日本の中世において、高野山から諸地方に出向き、勧進と呼ばれる募金活動のために勧化、唱導、納骨などを行った僧侶。ただしその教義は真言宗よりは浄土教に近く、念仏を中心とした独特のものだった。
■入道(にゅうどう);仏道に入って修行すること。また、その人。 在家のままで剃髪・染衣して出家の相をなす者。
入道から派生した言葉もいろいろあって、
■コイコイ(こいこい);2人で遊ぶ花札の競技の一つ。手札の花と場札の花を合わせてそれを自分の札とし、獲得した札で出来役を成立させて得られる得点を競う、「めくり」系のゲームであるが、札の点数を計算しないこと、「こい」による競技継続の選択があることなどに特徴がある。
他の花札ゲームにくらべて歴史はそれほど古くない(一般に知られるようになったのは、昭和にはいってから)が、現在は花札のもっとも代表的な遊び方になっている。
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