落語「二人旅」の舞台を行く 柳家小三治の噺、「二人旅」(ににんたび)より
■もっと時間を掛けて噺をやる時は、ナゾ掛けの後に都々逸を入れた。
「たまたま会うのに東が白む 日の出に日延べがしてみたい」
腹を空かせた相棒が人に道を尋ねると、それが案山子(かかし)だったり、歩いていると茶店が見えた。
行灯(あんどん)に書いてある字を読むと、
「一つ・せ・ん・め・し・あ・り・や・な・き・や。食べ物はなさそうだよ」、
「そうじゃねえ。一ぜんめしあり、やなぎ屋じゃねえか」。にごりの無い字をバラバラに読んでいた。茶店で村さめを頼んだが、飲んでみると、えらく水っぽい。「おい、婆さん、ひでえな。水で割ってあるんだろう」、
「何を言ってるだ。そんだらもったいないことはしねえ。水に酒を落としますだ」。
■上方落語「東の旅」の一部
■旅;「日本で、もっとも往来の激しい街道は、東海道ですが、日毎に信じられぬほどの人々で埋め尽くされていた。ある季節にはヨーロッパの大都市より賑わっている。その理由は、自ら好んですると、必要に迫られてするとを問わず、異国民と異なり、日本人は数多く旅を試みるからである」。オランダ人医師、ケンペルが元禄(1688-1704)初期に記した「江戸参府紀行」に書きとめている。
歩く速度というと、普通一日10里(約40km)を歩きました。1日8時間ぐらいで、食事も休憩も入れてですから、テレテレ歩いていたら到底歩けません。前屈みでツッツツッツと歩きました。江戸-京都間を2週間弱(12~13日)で歩き通しました。
■正宗と村正(まさむね・むらまさ);どちらも名刀工です。
「短刀 相州正宗」無名 重要美術品 東京国立博物館蔵。 正宗の作風を良く現した名刀。
村正は、伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)で活躍した刀工の名。または、その作になる日本刀の名。同銘で数代あるとみられる。別称は「千子村正」(せんじむらまさ、せんごむらまさ)。
村正は、濃州赤坂左兵衛兼村の子で、赤坂千手院鍛冶の出と伝えられている。しかしながら活動拠点は伊勢であり、定かではない。美濃だけではなく、隣国の大和伝と美濃伝、相州伝を組み合わせた、実用本位の数打ちの「脇物」刀工集団と見られている。その行動範囲は伊勢から東海道に及ぶ。
「村正」 徳川美術館蔵
■茶店(ちゃみせ);通行人などに茶菓を供して休息させる店。茶屋。掛け茶屋。
■蔵元と酒(くらもととさけ);蔵元が近くにあるからと言って美酒が飲めるとは限らない。現在でも、よくこんな酒を造り続けているなと思わせるような酒もあれば、え!何で都会で売らないのと思うほどの美酒もあります。蕎麦屋さんはいっぱい有りますが、インスタントの方が美味いなんて店が有るのと同じです。
■都々逸(どどいつ);元来は、三味線と共に歌われる俗曲で、音曲師が寄席や座敷などで演じる出し物であった。 主として男女の恋愛を題材として扱ったため情歌とも呼ばれる。
七・七・七・五の音数律に従うのが基本だが、五字冠りと呼ばれる五・七・七・七・五という形式もある。
現代都々逸
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