落語「言い訳座頭」の舞台を行く
   

 

 五代目柳家小さんの噺、「言い訳座頭」(いいわけざとう)


 

 長屋の甚兵衛夫婦、借金がたまってにっちもさっちも行かず、このままでは年を越せない。大晦日、かみさんが、口のうまい座頭の富市に頼んで、借金取りを撃退してもらうほかはないと言うので、甚兵衛さんは1円を持って早速頼みに行く。
 富市、借金の言い訳を快く引き受けてくれた。訳を聞くと 「米屋でも酒屋でも、決まった店から買っているのなら義理のいい借金だ。それじゃあたしが行って断ってあげよう」と、道順を考えて外に出たが、寒い暮れの夕方。「商人は忙しいから、あたしがおまえさんの家で待っていて断るのは無駄足をさせて気の毒だから」と、直接店に乗り込もうという寸法。富市は「万事あたしが言うから、おまえさんは一言も口をきかないように」 とくれぐれも注意して、二人はまず米屋の大和屋に出かけて行った。

 大和屋の主人は、有名なしみったれ。富市が頼み込むと、「今日の夕方にはなんとかすると夫婦揃って約束したじゃないか。だから待てない」と、断られた。 富市は居直って 「たとえそうでも、貧乏人で、逆さにしても払えないところから取ろうというのは理不尽だ。こうなったら、ウンというまで帰らねえ」 と、店先に座り込み。 他の客の手前、大和屋も困って、結局、来春まで待つことになった。次は炭屋。 

 「ここは療治をしているお客さんだからやりにくいな」、富市が声を掛けた「今晩は。旦那、いますかい」、「おお、富さんじゃないか。何だい、炭かい?」、「炭じゃないんだがね、旦那、あんまり不人情な事しねぇ方が良いな。この間の炭、あんな跳ねる炭ってのはねぇな。こんな貧乏按摩だけどね、畳ぐらいは表替えしてさ、火を起こしたら、これが跳ねるんだよ。顔とか手やなんかに跳ねたヤツは熱いから、払えば良いけれど、他へ跳ねたヤツは分かりゃしねぇやな。そのうちに変な臭いがして、おかしいなと思って、手探りで探って、驚いちゃったよ。畳が一尺四方ぐらい焼け焦がしちゃった。さあ、大変だと思うから、それから、あっちへウロウロ、こっちへウロウロ、目が悪いからどうにもならねぇ、そのうちに土瓶をパンと蹴とばしたから、コロコロっと転がって、火鉢にぶつかって、カチーンと割れると、お茶がこぼれて、ジュッてんで消えて、隣の婆さんが来て大事に至らなかったけど。それから、畳屋で畳を代えてもらった。畳屋が言うには『十年前の富さんなら、焼け焦げた畳を担いで、怒鳴り込むところなんだ』と。
 それについてね、後ろにいる甚兵衛さんなんですけどね、今晩、こちらへお返し申さなきゃいけねぇ借りがあるてんですがね、大道商いで、ここのところ上手くいかねぇんで、お返し申す事が出来ねぇんで、ひとつ春まで待ってもらいてぇ。この人は無口でね、私はおしゃべりなもんですから、言い訳を頼まれてね、春まで待ってやってもらいてぇんで」、「ダメですよ。待てませんよ。お前さんが来たから、なおダメだよ。変な因縁つけて。畳はそっくり綺麗にしてやろう、土瓶は幾つ壊したんだね、新しいのを買おう。その代わり甚兵衛さんの借金は取るよ」、「じゃあ何ですか、あっしの顔、丸潰れにして。あっしはねぇ、甚兵衛さんに間違いなく、待ってもらえる様にしてあげる、なんて口幅ったい事言って、それじゃ甚兵衛さんに顔向けが出来ねぇ。その申し開きに生きちゃいられねぇ。死ななきゃならねぇ。殺してもらおう。殺せ、さぁ殺せ」、「大きな声しちゃいけない。(客に向かって)ああ、立っちゃいけませんよ。何でもないんだ」、「そんな事ない、なんでもあるんだよ。今ね、年寄の按摩が一人殺されるんだから、どんどん立て、立て。ここの親父は人殺しだからね」、「およしよ。まぁまぁ。分かった、分かった、待つ、待つ。おやめ」。

 「次はどこだい。魚金。あすこへ行ってね、さぁ、殺せなんて言ったら、よし、殺してやるって言うよ、あっしと2人は喧嘩っ早いんだからね。ああ、ここ、繁盛してんね。邪魔にならねぇ様に、店の隅っこへ連れてってくんねぇか。今晩は、親方」、「なんでぇ、富さんじゃねぇか。鮭でも持って行くかい」、「実は後ろにいる甚兵衛さんなんですがね、今晩、こちらにお返し申さなきゃならねぇ借りがあると、こう言うんですけど、それについて、一昨日の朝でしたか、糊屋の婆さんが、甚兵衛さんが長い事寝込んでるってんで、見舞いに行ってみると、ホラ、おかみさんが流産して、それからずっと寝ていてね、働き手の甚兵衛さんも寝込んじゃった。夫婦、枕を並べて寝ているんですよ。もう五日ばかり、米を口に入れてねぇてんで。あっしが家から米を持って来まして、おかゆをこしらえて、二人に食べさせて。すると、私はこの病で死ぬかもしれねぇが、死んでも死にきれねぇ事があるてんだ。『それは何だ』と聞くと、魚金の親方の所に借金があるてんだ、そいつを払わなければ死にきれねぇてんだ。そんな事考えてちゃ、治るもんも治らねぇ。俺は魚金の親方とは心やすいんだから、俺が行って話しをしてやろうてんで、この人は起きられないのを無理に起して連れて来たんですけれど、魚金の親方にその話しをすれば、気の毒だてんで、借りは棒引きにしようじゃないか、それからこれは薬代だよって、いくらか包んでくれる様な、義侠に富んだ親方なんだからってねぇ」、「待ってくれよ、おだてちゃいけねぇ。待ちます、待ちます、春までね」、「ありがとうございます」、「でも甚兵衛さんの顔色は良いね」、「いえ~、微熱があってフラフラして、ダメなんです」。

 「さぁ、行こう。こんどはどこだい、酒屋かい。あれ、何だい、もう除夜の鐘かい。そいつは大変だ、じゃ甚兵衛さん、すぐに帰ろう」、「いえ、まだ二軒ばかり」、
「いや、そうしてられねぇんだよ。これから家へ帰って、自分の言い訳しなくちゃならねぇ」。

 



ことば

座頭(ざとう);座頭(ざとう);盲人。当道座に属する剃髪の盲人の称。中世には琵琶法師の通称ともなった。近世には琵琶・箏・三味線などを弾じて、平曲などの語物を語り、歌を歌い、一方で按摩・鍼治・金融(座頭が幕府の許可を得て高利で貸し付けた)などを業とし、官位は実際上売買された。
 当道座の四官(検校・別当・勾当・座頭)の一つで、検校は最上位の位。15万石の大名に匹敵した権威と格式を持っていた。 富市さんは座頭の一人であったが、普通であったら、金貸しをしていて、集金の回収に廻って大忙しなはずですが、それも無く、借金取りに追われる身です。
落語「三味線栗毛」により詳しく説明しています。

借金の支払い;掛けの支払いが、どうしても待てないのが、盆・暮れの年二回です。特に歳末は、商家にとっては掛売りの貸金が回収できるか、また、貧乏人にとっては、時間切れで逃げ切って踏み倒せるかが、ともに死活問題です。むろん、普段掛売りするのは、同じ町内の酒屋・米屋・炭屋・魚屋などなじみの生活必需品に限られます。落語では結局、うまく逃げ切ってしまうことが多いのですが、現実はやはりキビしかったようです。  
 この時期、大晦日の川柳を振るのがお決まりで、小さんもマクラで説明しています。「大晦日首でも取ってくる気なり」、「大晦日首でよければやる気なり」、「大晦日もうこれまでと首くくり」、「大晦日とうとう猫は蹴飛ばされ」 などが、大晦日のドタバタを描いています。また、「大晦日益々怖い顔になり」、「大晦日今はヘソクリあてにする」、「押し入れで息を殺して大晦日」、「大晦日箱提灯は恐くない」これは武士が持つのが箱提灯で、普段は避けて通るのですが、大晦日は掛け取りが持って歩く弓張り提灯の方が恐かった。
 

箱提灯:上下に丸い蓋(ふた)のある,大形の円筒形の提灯。畳むと、全部が蓋の中に収まる。主に武士が持つ提灯と言いますが、吉原の見世や茶屋が使いますし、小田原提灯もこの仲間です。
弓張り提灯:提灯の持つところを弓状の弓張りにして提灯を支えたもの。通常、商家が持つが、捕り物で使う御用提灯、祭りで使う提灯もこれです。

(しゃけ)でも;正月料理に欠かせないのが、上方ではブリですが江戸では塩鮭。おせち料理が揃えられなければ、せめてお餅に鮭だけは用意したいもの。最近は生鮭が主流ですが、冷蔵技術が進んでいないときは塩鮭が主流でした。それも、真っ白く塩の吹いた塩辛い鮭です。ジョークに、海の水が辛いのは? 塩鮭が泳いでいるから。

新巻(あらまき)または新巻鮭(あらまきざけ)は、内臓を除いた鮭を甘塩で漬けたもの。主に北海道産のものを指す。荒巻とも。 元々「あらまき」は塩漬けの魚を藁や竹の皮などで包み貯蔵・保存ができるようになったものを指し、室町時代以前は使用する魚も鮭に限定されていなかった。10世紀頃(平安時代中期)の辞書『和名類聚抄』では、「苞苴(ほうしょ)」の訓読みとして「アラマキ」が充てられている。12世紀頃(平安時代末期)の辞書『色葉字類抄』では「苞苴」とともに「荒巻」が現れ、これは「苞苴」の俗用とされた。「荒巻」の語源は、荒縄で巻いたから、荒く巻いたから、藁で巻いたことから「藁巻」となりそれが転訛した、塩を粗くまいた「粗蒔き」に由来する、など諸説ある。 近現代の日本では、新巻鮭(荒巻鮭)は主に歳暮や正月の贈答品とされるが、そのような風習は江戸時代後期から一般化した。「新巻」の字が充てられるようになったのは、本来の意味が忘れられ「新しく収穫された鮭」「新物の鮭」と解釈されるようになった明治以降と考えられている。  

糊屋の婆さん(のりやのばあさん);爪に火を灯して細々と暮らしているのが、長屋に住むお婆さん。生業は洗濯糊を自分で煮て、その糊を売っています。

棒引き(ぼうびき);相殺。

除夜の鐘(じょやのかね);12月31日の除夜(大晦日の夜)の深夜0時を挟む時間帯に、寺院の梵鐘を撞(つ)くことである。除夜の鐘は多くの寺で108回撞かれる。 中国から宋代に渡来した習慣とも言われる。一年の始まりでもあり、終わりでもあるこの鐘は、年の区切りのシンボルです。

 右写真:浅草浅草寺の鐘。芭蕉の句 ”花の雲 鐘は上野か 浅草か” で有名な時の鐘。金が鋳込まれているのは浅草の鐘。「五代将軍綱吉公の寵臣牧野備後守成貞が黄金200枚を喜捨し、地金中に鋳込ませ・・・」と、区の説明書きが建っています。



                                                            2015年12月記

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