落語「言い訳座頭」の舞台を行く 五代目柳家小さんの噺、「言い訳座頭」(いいわけざとう)
■座頭(ざとう);盲人。当道座に属する剃髪の盲人の称。中世には琵琶法師の通称ともなった。近世には琵琶・箏・三味線などを弾じて、平曲などの語物を語り、歌を歌い、一方で按摩・鍼治・金融(座頭が幕府の許可を得て高利で貸し付けた)などを業とし、官位は実際上売買された。
■借金の支払い;掛けの支払いが、どうしても待てないのが、盆・暮れの年二回です。特に歳末は、商家にとっては掛売りの貸金が回収できるか、また、貧乏人にとっては、時間切れで逃げ切って踏み倒せるかが、ともに死活問題です。むろん、普段掛売りするのは、同じ町内の酒屋・米屋・炭屋・魚屋などなじみの生活必需品に限られます。落語では結局、うまく逃げ切ってしまうことが多いのですが、現実はやはりキビしかったようです。
箱提灯:上下に丸い蓋(ふた)のある、大形の円筒形の提灯。畳むと、全部が蓋の中に収まる。主に武士が持つ提灯と言いますが、吉原の見世や茶屋が使いますし、小田原提灯もこの仲間です。
■鮭(しゃけ)でも;正月料理に欠かせないのが、上方ではブリですが江戸では塩鮭。おせち料理が揃えられなければ、せめてお餅に鮭だけは用意したいもの。最近は生鮭が主流ですが、冷蔵技術が進んでいないときは塩鮭が主流でした。それも、真っ白く塩の吹いた塩辛い鮭です。ジョークに、海の水が辛いのは? 塩鮭が泳いでいるから。
新巻(あらまき)または新巻鮭(あらまきざけ)は、内臓を除いた鮭を甘塩で漬けたもの。主に北海道産のものを指す。荒巻とも。
元々「あらまき」は塩漬けの魚を藁や竹の皮などで包み貯蔵・保存ができるようになったものを指し、室町時代以前は使用する魚も鮭に限定されていなかった。10世紀頃(平安時代中期)の辞書『和名類聚抄』では、「苞苴(ほうしょ)」の訓読みとして「アラマキ」が充てられている。12世紀頃(平安時代末期)の辞書『色葉字類抄』では「苞苴」とともに「荒巻」が現れ、これは「苞苴」の俗用とされた。「荒巻」の語源は、荒縄で巻いたから、荒く巻いたから、藁で巻いたことから「藁巻」となりそれが転訛した、塩を粗くまいた「粗蒔き」に由来する、など諸説ある。
近現代の日本では、新巻鮭(荒巻鮭)は主に歳暮や正月の贈答品とされるが、そのような風習は江戸時代後期から一般化した。「新巻」の字が充てられるようになったのは、本来の意味が忘れられ「新しく収穫された鮭」「新物の鮭」と解釈されるようになった明治以降と考えられている。
■糊屋の婆さん(のりやのばあさん);爪に火を灯して細々と暮らしているのが、長屋に住むお婆さん。生業は洗濯糊を自分で煮て、その糊を売っています。
■棒引き(ぼうびき);相殺。
■除夜の鐘(じょやのかね);12月31日の除夜(大晦日の夜)の深夜0時を挟む時間帯に、寺院の梵鐘を撞(つ)くことである。除夜の鐘は多くの寺で108回撞かれる。
中国から宋代に渡来した習慣とも言われる。一年の始まりでもあり、終わりでもあるこの鐘は、年の区切りのシンボルです。
右写真:浅草浅草寺の鐘。芭蕉の句 ”花の雲 鐘は上野か 浅草か” で有名な時の鐘。金が鋳込まれているのは浅草の鐘。「五代将軍綱吉公の寵臣牧野備後守成貞が黄金200枚を喜捨し、地金中に鋳込ませ・・・」と、区の説明書きが建っています。
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