落語「稲荷俥」の舞台を行く
   

 

 三代目桂米朝の噺、「稲荷俥」(いなりぐるま)より


 

 人力俥が活躍していた明治の頃のお話です。今でも暗い高津(こ~づ)神社の表門のところに、俥夫がよ~客待ちをしてたもんでございます。ちょ~ど時刻は夜九時回ったかなぁといぅぐらい、今にも雨が降りそ~などんよりとした空模様で、月も星もございません。うどん屋の灯りだけがポッと見えてるといぅよ~な。 俥夫が一人、蹴込みに腰掛けて客待ちをしてます。

 通りがかりましたのが年の頃五十を少し過ぎたかといぅぐらいの、金縁の 眼鏡をかけて茶色の中折れ帽子、黒の二重回し、まぁ立派な紳士でございますなぁ。
 ヒマだから乗ってくれと言うので「産湯までや」、「恐いから行けません。産湯の稲荷さんの近所だっしゃろ。あの辺、狐が出よりまんがな」、「狐がどうした」、「道や思てダ~ッと走ってたら池の中へ行ってしもたりな、『あぁえぇところがあるわ、腰かけて一服しょ~』と思て、石やと思て腰かけたらズボ~ッとドツボへはまり込んでしもたり・・・、仲間が化かされているので行けません」、「産湯楼の角まで30銭出す」、30銭で話が付いて行くことになった。この元気な若い者に聞くと、「家はこの近所で高津の四番町でんねん。高津(たかつ)橋の北詰で、大きな米屋がおますわいな。その前の路地(ろ~じ)入ったところで、あの辺で「俥夫の梅吉」って聞ぃてもろたらな、も~誰でも知ってます。昼間なら何処にでも行きます」、「正直だね」、「頑張ってますけどなぁ、そんなもん俥引きでは卯建(うだつ)上がりまへん」、「そんなことない、正直は宝じゃっちゅうねん」。
 「おい、俥止まってしまうぞ。あと一踏ん張りだ」、「産湯の森が見えますから、ここから歩いて下さい」、「こんな夜更け、雨も降りそうなところ歩けるかいな。わしは本当は産湯の稲荷のお遣いの者、きょう土佐の石宮までご用に発っての帰り道、お前の俥に乗ってやったんじゃ。わしが付いてりゃ、誰が出て来るかいな、誰も悪させぇへん」、恐い恐いと言いながら産湯楼の角まで来た、「俥屋、お前産湯稲荷のお遣いから三十銭取るか?」、「三十銭は結構でございます」、「お前は正直もんじゃ、近々必ず福を授けてやる、楽しみにして待っていよ」、と言って降りて行ってしまった。

 「今戻った」、「お帰り」、「今日は産湯の稲荷のお遣いの狐を乗せて・・・、で、俥賃貰ってない」、「騙されたんだよ。狐が俥に乗るかいな」、「『狐、馬に乗せる』ちゅう話あるがな、明治の狐は俥に乗るかも分からん」、「乗り逃げやがな。んも~ッ、上がんなはれ、俥はわてが片付けとく」。
 「えらいこっちゃし。俥に忘れもんがあるで」、「手ぇ触わんなや、稲荷の眷族さんの忘れもんやさかい、触ったらいかん」、「お金やがな・・・、えらいこっちゃし、十円札で十五枚、百五十円あるで」、「正一位稲荷大明神様ありがと~ございます」、「こら警察へ届けないかんがな」、「届けぇでもえぇ『近々福を授けてやる楽しみに待ってよ』言ぅてたら、たちどころにこれや」。酒屋に回り酒5升と、魚屋で肴を注文、長屋の者に来てもらい、三味線の稽古中の娘さんと家主にも声を掛けた。皆が集まって伏見さんも良いが産湯さんも贔屓にしてや、とドンチャンになった。

 一方お客は「あぁ~面白かったなぁ」、と言っている内は良かったが、150円無いのに気が付いた。しまったと思ったが遅かった。50銭でも持って帰して貰おうと尋ねて来た。表の米屋で聞くと、「奥でドンチャン騒いでいる家がそうです」。
 「使っているな。大分減っただろうな。でもかえして貰おう。アレがないと資金繰りが・・・。こんばんは・・・」、「わ~ッ、正一位 稲荷大明神様、ありがと~ございます。も~お陰を受けましてなぁ、も~みんな喜んどります。ど~ぞ、ど~ぞ上がっとくれやす、ど~ぞど~ぞ。おい、さっき話をした産湯稲荷さんの眷族さんが、わざわざ自らお越しくださった。お賽銭のご用意お賽銭のご用意。取りあえず、お赤飯とおイナリさんは明日と言うことで、まぁ、ちょっとお上がりになって・・・」、「いやも~・・・、そない言われますと、穴があったら入りと~ございます」、「穴があったら入りたい? めっそ~な、お社作って、お祀りいたしますがな」。

 



ことば

三代目桂米朝(かつらべいちょう);落語「まめだ」をご覧下さい。

 米朝さんの上方落語を取り上げているので、その資料作りが大変で、大阪の地理感、距離感、方向感、歴史感が東京育ちの私には見当が付きません。大阪駅と難波駅の違いがやっと分かるだけの私ですから、まずは近畿・京大阪の地図を買いました。でも難しいですね。それでも手探りの状態です。それさえ別にすればいい噺がイッパイです。この「稲荷俥」、「まめだ」、「愛宕山」、「一文笛」、「蛸芝居」、「壺算」、いろいろ有りますが、それぞれ絶品。

オチは「穴があったら入りたい」という言葉から、狐が「穴に入る」ということを連想したもの。東京では上方の噺を桂小文治が移植し、林家彦六(正蔵)らが演じた。「狐車」「偽稲荷」とも。上方では桂米朝が演じているが、天王寺区にある産湯稲荷で演じるので「産湯狐」という題も見える。 小佐田定雄と桂米朝が復活させたネタです。

高津神社(こうづじんじゃ);高津宮。大阪市中央区高津1丁目1番29号。仁徳天皇を王神と仰ぐ神社。平安期の初期清和天皇の 866(貞観8)年勅命によって難波津の都の遺跡を探索して社地を定め、社殿を築いて祀ったのを創始とする。
 仁徳天皇が高殿に昇られて人家の炊煙の乏しいのを見られて人民の窮乏を察し直ちに諸税を止めて庶民を救済した故事が有る。
右写真:高津神社の表門鳥居。ここで車夫が客待ちをしていた。

俥屋(くるまや);くるまは「車」と書くのが正解ですが、明治から人力車が大いに栄えたので、人力車を「俥」と言う字で表現するようになりました。人力車は明治3年(1870)に東京で初めて政府の許可のもとに営業を始めた。大阪では明治20年(1887)ごろには約1万台、明治30年(1897)ごろには2万台を超えたといわれるが、明治36年(1903)に大阪市電が創業、以後の急速な都市交通の発達、そして大正14年(1925)に登場した円タクによりその役割を終えた。
 落語「反対俥」もご覧下さい。それによると、東京では明治4年には4万台。明治13年になると、一人乗りが10万5千台、二人乗りが5万1千台、合わせて15万6千台が活躍していた。
右写真:人力車。浅草にて

蹴込み(けこみ);人力車の乗客が足をのせる部分。

■二重回し;ケープ付の男子用袖無し外套。幕末から明治初年にかけて輸入され、和装用コートとして流行。二重廻し。鳶合羽(とんびガッパ)。とんび。

産湯稲荷(うぶゆいなり);天王寺区小橋町3丁目。神功皇后の近臣・雷大臣の子大小橋命(おぼおばせのみこと)を祀る。高津神社から直線で東に約1.2kmで、タクシーで言えばワンメーターです。
 約700m東にある比賣許曽(ひめこそ)神社の末社にあたる。本社は約2千年前の垂仁天皇の時代、愛久目(あくめ)山に下照比賣命(したてるひめのみこと)を祭ったのが起源。また稲荷の本殿に向かって右側には「産湯」の起源となった井戸「産湯玉之井」が今も残る。これも大国主命(おおくにぬしのみこと)の御子降臨の折にわき出したとされ、その後、地元の開拓神である大小橋命(おぼおばせのみこと)が誕生した際、この湧き水を産湯に使ったことから名付けられた。
写真:産湯稲荷の外観。Googleマップより。
 
この産湯稲荷は俗に桃山といわれ、明治38・39年の頃までは大阪屈指の大桃林があった。

産湯楼(うぶゆろう);産湯稲荷の所に有った。明治22年(1889)12月19日板垣退助、旧友懇親会を大阪桃山産湯楼で開いたとある大見世。桃山というのはこの辺りの丘陵には明治の頃まで広大な桃林があったことに由来するという。大正8年(1919)に埋め立てられた味原池(産湯稲荷の北隣、味原本町として名を残す)とともに景勝地として知られていた。

ドツボ;肥溜め。肥料にするために糞尿を醗酵させためておく所。こやしだめ。

高津橋(たかつばし);高津入掘川(こうづいりぼりがわ)にかかっていた橋、高津入堀川は享保19年(1734)道頓堀、下大和橋の西から南へ開削され昭和43年代に埋め立てられた。堀川は南進ののち東進し現在の高速下で再び南進していた。高津橋は文楽劇場東側の南北の通りと交わるように架かる(中央区高津3-6あたり)。
 現在はクランクより上流側の区間を除いて阪神高速1号環状線の敷地に利用されている。

■卯建(うだつ); 江戸時代の民家で、建物の両側に「卯」字形に張り出した小屋根付きの袖壁。長屋建ての戸ごとの境に設けたものもあり、装飾と防火を兼ねる。
 ここから出た言葉で、「うだつが上がらない」とは、うだつを上げるほどの甲斐性が無いこと。
右写真:二階部分にある隣家との境
の壁。川越にて

土佐の石宮(とさのいしみや);土佐稲荷神社、大阪市西区北堀江4丁目9。土佐高知藩蔵屋敷の鎮守社として明和7年(1770)、山城国伏見稲荷神社の分霊を勧請したと伝える。また天正年間(1573~92)の創建で、享保2年(1717)、土佐高知藩主山内豊隆が家臣に命じて社殿を造営し一般の参拝を許したとも。
 人力車に乗った高津
神社から、産湯稲荷とは逆方向に約倍強の3km程の距離にある。俥に乗るのであれば全距離を乗れば良いので、車夫の奥様が咄嗟に乗り逃げだと言ったのは当たっていた。

■狐を馬に乗せたよう;ぐらぐらとして落着きのないさま。言うことの信じがたいさま。

眷属・眷族(けんぞく);血のつながる一族、従者。家来、仏や菩薩に従うもので、薬師仏の十二神将、不動明王の八大童子の類。

正一位(しょういちい);律令制で、諸王および諸臣の位階の最上級。また、神社の神階の最高位。稲荷神社の異称。

伏見さん;今は伏見稲荷大社と称。全国稲荷神社の総本社。京都市伏見区稲荷山の西麓にある元官幣大社。倉稲魂神・佐田彦神・大宮女命(オオミヤノメノミコト)を祀る。和銅4年(711)秦公伊呂具(ハタノキミイロク)が鎮守神として創始。近世以来、各種産業の守護神として一般の信仰を集めた。単に「稲荷神社」と言えば伏見さんのこと。初詣では近畿地方の社寺で最多の参拝者を集める。
 写真:有名な鳥居のトンネル
 江戸には「伊勢屋、稲荷に犬の糞」という言葉があるが、「伊勢屋」は質屋のこと。犬は「生類哀れみの令」により増えたもの。そして、稲荷は本当にどこにでもあって、神社の半分はお稲荷さんだったが、関東大震災と第二次大戦の空襲で消失してしまったのが多い。



                                                            2015年12月記

 前の落語の舞台へ    落語のホームページへ戻る    次の落語の舞台へ

 

 

inserted by FC2 system