落語「やぶ医者」の舞台を行く
   

 

 五代目柳家小さんの噺、「やぶ医者」(やぶいしゃ)より


 

 医者でもやってみよというのが、やぶ医者です。按摩医者というのがいて、普段は按摩なのですが、チョットした病気ぐらいだったら薬を盛れた。そこで按摩を辞めて医者の空き家を買って、医者になった。そこに昔ながらの友達がからかい半分にやって来た。

 「おい、居るかいやぶ医者、いたなやぶ医者、情けない顔をしているなやぶ医者、元気を出せやぶ医者」、「源さん、それは無いだろう。表から入るときぐらい先生と言って入って来なよ」、「長屋の時から知ってるから、先生とは言えないやぶ医者。それで間違って、治してしまうこともあるのかィ。で、間違ってくる患者もあるのかい」、「閑なんだ」、「そうだろうよ。元気な奴だって、この薬飲んだら死んじゃうよ。それでは、友達3人ばかり連れてこようか」、「何処が悪い」、「何処も悪くないが、お前の薬を飲んで弱くなって、喧嘩もしなくなれば良い」、「それはダメだ」、「では俺が診てもらおうか」、「脈を診ようか」、「脈は取れないのに、良いよ取らなくてやぶ医者」、「二人だけならいいが、やぶ医者だけはよしておくれ。外でもそれだから」。

 「私だって、薬無しで治したこともある。古着屋の十八の娘さんなんだが、寝小便のクセがあって嫁にも行けない。その娘を呼んで、屏風を立て回して目を良く見てから、手拍子を打った」、「占いか」、「理詰めだ。古着屋の娘だから良く見て手を打ったんだから”小便は出来ない”」、「落とし話じゃないか」、「これは冗談だが・・・」。
 「お前は字も読めないから、傷寒論も読んだことがないだろう」、「それが読める。私が書いたから」、「見せろ」、「それは見せられない」、「見せなかったら、やぶ医者って言って歩くから」、「それでは見せる。表紙は関係ないから無地だ」。
 「絵がイッパイ描いてあるな。これは犬だな」、「犬でもチンコロだ」、「こっちにたき火があるが、何て薬だい」、「チンピだ」。「狐と蚊が十匹で何だ」、「カッコントウだ」。「今度は分かるぞ。象に蚊だな」、「蚊ではなく、雪だ。雪は寒に降るだろう。だから、カンゾウだ」。「今度のはハンコウに毛が生えているじゃないか」、「ハンゲだ」。「今度のは坊さんが逆さまに描いてある」、「10人いて、ズボウというオランダの薬だ」。「妊婦が歩いている側に、鼻を摘まんでいる亭主か。不実な亭主だな」、「亭主がお産が嫌いで、サンキライと言う薬だ」。「今度も坊さんで手紙を読んでいるんだな」、「それは手紙でなく借金の証文だ、ボーサンカリというオランダの薬だ」。「清さんが借りがあったら、青酸カリだな。この本貸さないか。皆に見せて歩く。ひったくったな」、「それは見せられない」、「じゃ~また来るからな、やぶ医者」。

 それを見ていた下働きの久蔵さん、笑い転げていた。「やぶ医者と言うが、ここら辺りで甘衣遥堪(あまいようかん)と言っても誰も分からないが、あのやぶ医者だと言えば皆分かる。この所にいたら患者は来ないから、引っ越しして、そこでもやぶ医者と言われたら、又引っ越しして日本中歩けば何とかなる。いまだ薬籠を担いでお供したことは無い。おらァワラジ作ってお前さんを養っているから良いようなもので、おらがいなかったらやぶ医者の干物が出来てしまう」、「お前には感謝しているよ。そこで相談なんだが、昔長崎で修行した医者が、江戸に出てきたが患者がいない。そこで、子供達に飴、菓子を与えてこの前で遊ばせた。すると、薬取りがいれば安心と、本当の病人が来るようになった。そこで、玄関でお前が『どこどこから来ました。ご名医の先生にお越しいただきたい』と大きな声で言えば、聞いた人が名医だからと本物が来るようになる」。「でも、お前様が薬を調合するだろう。それを飲んだ患者が死ぬだろ。人殺しの手伝いは出来ない」、「そんな事は無いからやってくれ」。
 玄関も汚れているし、瓦がめくれているとこに雀が巣を作っている。「やぶに雀が来た」。久蔵さんなかなか対応が上手くいかない。「日本橋はどちらから」、「橋の下から」、「それを言うのだっら、日本橋瀬戸物町から来たと言いなさい」、何回やっても上手くいかない。近所と言えば、隣から・・・。では、家に来る米屋ではとなって、「お~~頼みますでのォ~。神田三河町、越中屋源兵衛という米屋から参りました」、「うまいな。米屋さんですか、どんなご用件ですか」、「お米の勘定をもらいに来ました」。

 


 この「やぶ医者」は小さん自身もやらなくなった珍品音源です。昭和36年頃のTBS録音です。私もそれ以後、聞いたことがありません。


ことば

医者
 江戸時代の医者は一般的には徒弟制度で、世襲制であったが、誰でもなれた。 しかも、医師免許も教習もなければ資格もなかった。なる資格は”自分が医者だ”という、自覚だけであった。医者になると、姓を名乗り、小刀を腰に差す事が許された。
 日本に医師免許規則が出来たのは、明治16年(1883)になってからで、治療法も東洋医学から西洋医学へと変わっていきました。
 江戸時代の医者は市中で開業している町医者のほか、各藩のお抱え医者、幕府の御典医まで居て、種類、身分、業態は様々であった。医者は大きく分けて、徒歩(かち)医者と駕籠(かご、乗物)医者とがあった。つまり、歩いてくる医者と駕籠に乗ってくる医者であった。例えば文化文政(1804~1829)の頃、徒歩医者が薬1服(1日分)30文とすると、駕籠医者は車賃を含めて薬1服80~100文と高価であった。この頃、職人の手間が400文であった。高くても往診に来てくれと言う、名医であったら、別に食事代も付けたりした。
 医者はこの噺の中にもあったが、当然ご用聞きが出来ず、患者が来るまで待たなくてはいけない。幇間のように金持ちの旦那にべったり付いていた医者もあります。落語の中にはこのクラスの医者がゴマンといます。店(おたな)で病人が出ると、「あの医者はいけません、本当の医者に診せないと殺されてしまう」、と言う物騒な医者も居ます。また、”ヤブ医者”ならまだしも、ヤブにもならない”タケノコ医者”ではもっと困ったものです。落語「夏の医者」にも出てくる医者は、忙しくないので、患者が居ない時は畑仕事をしています。薬は葛根湯しか出さない”葛根湯医者”や、何でも手遅れにしてしまう”手遅れ医者”は落語界では大手を振って歩いています。

 料金に公定相場はないので、自分で勝手に付けられましたが、名医ならば患者が門前市をなしますが、ヤブであれば、玄関に蜘蛛の巣が張ってしまうでしょう。で、自然と相場のような値段が付いてきます。またヤブは自然淘汰されていきます。ですから、無能な者が医者だと言っても長続きはしませんでした。
 江戸の医者で最高の医療費を取ったのは、慶安3年(1650)堀田加賀守を治療した幕府の医官狩野玄竹(げんちく)であった。その金、幕府から千両、堀田家から千両、合わせて二千両であった、と言われている。
第108話・落語「死神」より

落語の中の医者;「死神」、「疝気の虫」、「強情灸」、「犬の目」、「転失気」、夏の医者、「金玉医者」、「義眼」などの名作が有ります。

 やぶ医者のマクラに使われる小咄から。
 久しぶりに客が、我が家に往診してくれと依頼があった。聞くと「裏庭の竹藪に花が咲いた。花が咲くと枯れるというので、診てもらいたい」、「それは私のところでは無く、植木屋さんに相談しなさい」、「あれ? ここはやぶ医者だと聞いてきたんだが・・・」。

小便は出来ない;道具屋さんや古着屋さんでは買いそうなそぶりを見せて、最終的には買わないで帰る客を小便されたと言います。冷やかしだけで帰さないのが、小便は出来ないという業界用語。
落語「道具屋」にも出てきます。

傷寒論(しょうかんろん);後漢末期から三国時代に張仲景が編纂した伝統中国医学の古典。内容は伝染性の病気に対する治療法が中心となっている。原本は失われたが後に残り、江戸時代の前半、最も流布した傷寒論は『注解傷寒論』系の傷寒論であった。日本の1660年ごろに作られた活字刊印の単経本傷寒論も『注解傷寒論』が底本であった。約半世紀後、同じ手法で『小刻本『傷寒論』』を香川修庵が1715年に抜粋・刊行し、大流行した。この小刻本『傷寒論』も、『注解傷寒論』系の書である。 江戸時代に制作されたと考えられている『康平本傷寒論』・『康治本傷寒論』も『注解傷寒論』の特徴を持ち、『注解傷寒論』系の偽書とされる。
 傷寒論については、落語「転失気」にも出てきます。

ちんころ;日本原産の愛玩犬「狆(ちん)」の別称で、ここから複数の意味で使われるようになった。
1. 狆が小型犬であることから、ちんころは子犬。
2.上記の子犬という意味から、ちんころは地位も力もない、取るに足らない者=小者。
3.上記の子犬という意味から、ちんころは密告および密告者という意味で使われる。これは戦国時代、間者(スパイ)として働いた前田犬千代(後の前田利家で通称:イヌ)から密告者を犬と読んだたためである。ヤクザ映画では密告者と書いてちんころとルビがふられていることもある。

ちん(狆);小型犬ながらも活発な狆は、体高と体長がほぼ一緒で、正方形に近い体型をしています。頭がよく、知的な表情をしており、どこか東洋的で高貴な雰囲気を漂わせています。目の端に白い被毛があり、少し驚いたような表情をしているのも特徴的です。優雅に軽やかな足取りで歩き、東洋的な気品を持ち合わせています。
写真・文;Dog Guide(犬種大百科)より

チンピ(陳皮); 蜜柑の皮を乾かした生薬。去痰・鎮咳・発汗・健胃剤として薬用、また薬味料とする。香辛料としては七味唐辛子に入れる。古いほうが良品とされる。
右図:陳皮

カッコントウ(葛根湯);葛根を主材とし、麻黄・生姜(ショウキョウ)・大棗(タイソウ)・桂皮・芍薬・甘草を煎じつめた漢方薬。悪寒・口渇・身熱・悪風・肩凝り・下痢・嘔吐などに用いる。現在の売薬の多くの風邪薬は入っています。

カンゾウ(甘草);マメ科の多年草。中国北部に自生。高さ約1mで全体粘質。羽状複葉。夏、淡紫色の蝶形花を穂状につける。根は赤褐色で甘根・甘草と呼び、特殊の甘味をもつ。生薬として鎮痛・鎮咳剤によく使われ、また、醤油などの甘味剤とされた。あまき。あまくさ。

ハンゲ(半夏);カラスビシャクの漢名。サトイモ科の多年草。しばしば畑の雑草とみなされる。春、3小葉の複葉を伸ばす。夏、帯紫緑色の仏焔苞に包まれた花穂に、白色の雄花(上部)と雌花(下部)とをつける。塊茎は小球形で、悪阻(ツワリ)の妙薬という。
 植物の形はサトイモに似ているが、はるかに小さく草丈は7~8cm程度、引き抜くと大豆より少し大きいくらいの形の根茎がついている。その皮を取り除き、白く乾しあげたものが半夏で、そのまま食べると舌がしびれるような強いえぐ味がある。成分としては、デンプン、蛋白質、ホモゲンチジン酸および多糖体などが知られている。水で煮出した液に制ガン効果がある。 右写真:ハンゲ

ズボウ;オランダの薬と言っています。が、意味不明。

サンキライ(山帰来・山奇量);ユリ科の蔓性低木。中国・インドなどに自生。サルトリイバラに似るが、とげがない。葉は長楕円形、三縦脈がある。白色の小花をつける。根は生薬で土茯苓(ドブクリヨウ)・山帰来といい梅毒の薬とする。

ボーサンカリ(ホウ酸);ホウ酸のこと。ホウ酸にカリウムが結合したもので、性質的には似たものです。昆虫のような下等動物や微生物は、過剰なホウ酸塩を摂取すると致命的です。ホウ酸塩は目の洗浄や、化粧品の防腐剤に使われますが、これは微生物を殺しながら人体には悪影響のないホウ酸塩の性質を利用したものです。
 噺を膨らませるためにオランダの薬だと言っていますが、何処にでも有る薬です。

青酸カリ(せいさんかり);シアン化カリウム(シアンかカリウム)、青酸カリウム(せいさんカリウム)とも呼ばれ、毒物の代名詞的存在だが、工業的に重要な無機化合物である。毒物及び劇物指定令で「シアン化合物」として毒物に指定されている。
 人体の胃酸により生じたシアン化水素が呼吸によって肺から血液中に入り、重要臓器を細胞内低酸素により壊死させることで個体死に至るとされる。このため中毒した人の呼気を吸うのは危険である。摂取した場合の症状としては、めまい、嘔吐、激しい動悸と頭痛などの急速な全身症状に続いて、アシドーシス(血液のpHが急低下する)による痙攣が起きる。致死量を超えている場合、適切な治療をしなければ15分以内に死亡する。死因は静脈血が明赤色(一酸化炭素中毒と同じ)などから判断できる。 また、皮膚から吸収することによっても中毒を起こす。

薬取り(くすりとり);医者に病人の薬を受け取りに来る事。

 「医者」三谷一馬画 先生のところに薬をもらいに来た人が並んでいます。部屋の奥には薬棚が並んでいます。

日本橋瀬戸物町(にほんばし せとものちょう);日本橋本町二丁目と日本橋本町一丁目にまたがる道路(江戸橋通り)の両側の町。落語「百川」の舞台近く、福徳神社の南側の町。

神田三河町(かんだ みかわちょう);神田三河町という町名はなく、単に三河町と呼ばれ、一丁目から四丁目までありました。現在の外堀通り西側の千代田区内神田一丁目から北に神田司町二丁目(一丁目の無い不思議な街)と南北に細長い街です。 JR神田駅西側の町。

やぶに雀(やぶにスズメ);松に鶴とか、波に千鳥、等のように対になる組み合わせ。



                                                            2015年12月記

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