落語「垂乳根」の舞台を行く
   

 

 古今亭円菊の噺、「垂乳根」(たらちね)


 長屋住まいの独り者の八っつあんと呼ばれる八五郎。大家さんに呼ばれ、「店賃の催促か」と勘ぐりながら戦々恐々と伺ってみれば、何と縁談話。相手の娘の『歳は二十』で『器量良し』、おまけに『夏冬のものいっさい持参』という大盤振る舞い。
 独り者には願ってもない縁談、しかし話がうま過ぎる。不審に思った八っつあん、大家さんに問いただしてみると、やはりこのお嬢さんにはキズがあった。

 武家奉公と厳格な漢学者の父親に育てられたせいで『言葉が改まりすぎて、つまり馬鹿丁寧になってしまい、言うことが何が何だかわからなくなった』。かく言う大家も、先だって彼女に道で出会った途端『今朝は怒風(どふう)激しゅうして、小砂眼入(がんにゅう)し歩行為り難し』とあいさつされ、仰天したらしい。
とっさに意味もわからず困った大家、訳を聞くわけにもいかず、そばの道具屋の店先に箪笥と屏風があったので『いやはや、スタンプビョーでございます』と答えて煙に巻いたという。タンスとビョーブをひっくり返して並べた。無論、彼女には通じない。
大笑いした八っつあん、「そんなもの、言葉のぞんざいな俺の所にいればすぐに直る」と喜んで、嫁にもらうことにした。

 早速八つあんは、まだ見ぬ嫁さんとめしを食うことまで思い浮かべ、一人にやにや。 「飯を食うのが楽しみだよ。お膳を真ん中に置いて、カカァが向こう側にいて、俺がこっち側。カカァは朝顔なりの薄手のちっちゃな清水焼茶碗で、銀の箸だから、縁に当たってチンチロリンとくるね。きれいな白い前歯でもって、沢庵をポ~リポリとくらあ。ポ~リポリのサークサク。俺の茶碗は、ばかにでっけえ五郎八茶碗てえやつだ。そいつをふてえ木の箸で、ザックザクとかっこむよ。沢庵の香々を威勢良くバ~リバリとかじるよ。俺のほうは、ザックザクのバ~リバリ。カカァのほうは、ポ~リポリのサークサク、箸が茶碗にぶつかって、チンチロリン。チンチロリンのポ~リポリのサークサク、バ~リバリのザックザク、チンチロリンのポ~リポリ、バ~リバリのザックザク、チンチロリンのサークサク、バ~リバリのザックザク・・・」。
 「うるさいねぇ。この人は、八つぁん、なにいってるんだい」 長屋の壁は薄いから筒抜けだ。 「あっ聞えちまったかい。稽古してるんだよ、めしを食う」。隣の、おかみさんにあきれられながら、「掃除や準備は私がするから、八っつあんは床屋と湯屋に行って綺麗になっておいで」。
 早速床屋と湯屋に行って身奇麗にしてきた八っつあん。七輪を取り出し、火をおこしながら夫婦生活に思いをめぐらせた。

 そこへお嬢さんがやってきた。話に偽りなく美人のお嬢さんに、八っつあんは大喜び。

さて、早々に大家さんが帰ってしまい、二人きりになった所で八っつあんがご挨拶。すると、お嫁さんの返事は、「賤妾浅短(せんしょうせんだん)にあって是れ学ばざれば勤たらんと欲す」
「なになに、『金』が欲しいんだって」。
訳がわからない。動揺しながらも名前を聞くと、

自らことの姓名は、父は元京の産にして、姓は安藤、名は慶三、字(あざな)を五光。母は千代女(ちよじょ)と申せしが、わが母三十三歳の折、ある夜丹頂を夢見て妾(わらわ)を孕めるが故、垂乳根の胎内を出でしときは鶴女(つるじょ)。鶴女と申せしが、それは幼名、成長の後これを改め、清女(きよじょ)と申し侍(はべ)るなり」。
長い名前だと
八っつあんは理解した。
あ然としつつも紙に書いてもらい、早速読んでみた八っつあん。しかし、途中から読経の節になってしまい、最後には「チーン、どうぞご焼香を」。

 そうしてともかくも「カラスカァで夜が明けて」、

お清さん、さすがに妻としてのたしなみで、夫より早く起き出して朝食を用意し始める。ところが、米がどこにあるか解らないので、寝ている八っつあんのところへ尋ねに来た。

ア~ラ、わが君、 ア~ラ、わが君」
八っつあんもびっくり、「その『わが君』ってのは俺のことかい。そのうち『我が君のハチ公』だなんて変なあだ名がつくから止めてくんねえ」と苦情を言い、何事かと訊くと「シラゲの在り処、いずくんぞや」、「シラミは居ないよ」。
やっとそれが米のことだと分かり、米びつの場所を教えるのに汗だくになった八っつあんはまた寝てしまう。お清さんの方は料理を再開するが、今度は味噌汁の具がなくて困った。悩んでいるとそこへ荷を担いだ八百屋がやってきた。
「これこれ、門前に市をなすおのこ、一文字草を朝げのため買い求めるゆえ、門の敷居に控えておれ」、言葉につい釣られ、八百屋も思わず「は、はぁー」と平伏。「棒手振りを朝からいじめちゃいけねェ~」。

そんなこんなでご飯が出来た。八っつあんをまた起こす。
「ア~ラわが君。日も東天に出御(しゅつぎょ)ましまさば、うがい手水に身を清め、神前仏前へ燈灯(みあかし)を備え、御飯も冷飯に相なり候へば、早く召し上がって然るべく存じたてまつる、恐惶謹言」。

今度は八っつあんが、
「飯を食うのが『恐惶謹言』、酒なら『依って(=酔って)件の如し』か」。

 


 「たらちね(垂乳根)」は「母親」「親」にかかる枕詞。 言葉のていねい過ぎることから起こる滑稽噺。 江戸時代の終わり頃に、上方落語を江戸に移入したもので関西では延陽伯 (えんようはく) の題で演じられています。
なお、上方で口演される『延陽伯』では、この嫁の現在の名前が延陽伯となっている。また、京都の公家の出自という設定になっていることが多い。 名称は「縁よう掃く」(縁側を良く掃き掃除する)のもじりです。

 「ア~ラわが君」と言っていたお清さんでしたが、ある日家主のところで夫婦喧嘩が始まり、長屋中で止めに入ったが、婆さんが強いのでどうしても収まりが付かない。そこで八っつあんの嫁が仲裁に入り、 「御内儀には白髪秋風になびかせたもう御身にて、嫉妬に狂乱したまうは、自ら省みて恥ずかしゅうはおぼし召されずや。早々に御静まりあってしかるべく存じ奉る」と言うと、婆さん煙に巻かれた格好で納まった。家主が感謝して「お鶴さんアリガトウ。でもどうして婆さんピタリと納まったのじゃろうなぁ」、「そらツルの一声やもん」。
ことば

■『今朝は怒風激しゅうして、小砂眼入(がんにゅう)し歩行為り難し

 ・今朝(こんちょう);文字通り今朝の事。
 ・怒風
(どふう);暴風、強風。
 ・小砂
(しょうしゃ);砂埃。

 要は、『今朝は風が強く、目に砂が入って歩きにくい』と言っているだけ。それを大家は箪笥と屏風をひっくり返したのではお清さんも分からない。

 北斎漫画より『怒風激しゅうして・・・』

■「賤妾浅短にあって是れ学ばざれば勤たらんと欲す

 ・賤妾(センショウ);妻の夫に対する謙称。夫に対して、妻が自分を謙そんしていうことば。
 ・浅短
(センタン(センダンとも));浅はかで不十分なさま。

 つまり、『ふつつかで無学ではありますが、(せめて)勤勉にお仕え申し上げたく存じます』という事。

■「自らことの姓名は、父は元京の産にして、姓は安藤、名は慶三、字を五光。母は千代女(ちよじょ)と申せしが、わが母三十三歳の折、ある夜丹頂を夢見て妾(わらわ)を孕めるが故、垂乳根の胎内を出でしときは鶴女。鶴女と申せしが、それは幼名、成長の後これを改め、清女(きよじょ)と申し侍(はべ)るなり

 ・字(あざな);安藤氏は漢学者なので、本名以外に名を称している。平安時代から、成人男子が人との応答の際に名乗る名で、実名のほかの名。また、あだな。
 ・五光;父親の名。花札の役とは違うので注意。右図。
 ・丹頂を夢見て;と言うから花札左の「松に鶴」を観たのか。
 ・たらちね;和歌で『親(主に母)』にかかる枕詞。漢字では『垂乳根』と書く。決して、乳が垂れた母親のことを言うのではありません。

 ただ単に、名前は『清女(またはキヨ)』と言えば済む話だったのだが、馬鹿丁寧すぎた。長々しいこと、落語の「寿限無」と同じではないか。大家も分からないので、早々に退散したのではないか。

一文字草(ひともじぐさ);長ネギ。『シラゲ』(白米)とあわせ、女房言葉に由来する。右図;棒手振り八百屋

「ア~ラわが君。日も東天に出御(しゅつぎょ)ましまさば、うがい手水に身を清め、神前仏前へ燈灯(みあかし)を備え、御飯も冷飯に相なり候へば、早く召し上がって然るべう存じたてまつる、恐惶謹言」

 ・恐惶謹言(きょうこうきんげん);主に近代以前の文書や手紙の末尾につける挨拶語で、『恐れかしこみ、謹んで申し上げる』。

「早く起きて食べないと、冷や飯になってしまいますよ」と素直に言えば良いものを・・・。 

依って件の如し(よってくだんのごとし);恐惶謹言とおなじく書止。証文などの末尾に書く言葉で、『以上、本文に書いたとおりである』という意味。オチの言葉になって、「酔って」と掛けている。

夏冬のものいっさい持参;嫁入り道具として季節の衣類は持参。うちわと炬燵を持って来るのとはわけが違う。

湯屋(ゆや);お風呂屋さん、関東では湯屋と言った。
右写真;昭和の銭湯。江戸東京たてもの園、女風呂にて。

五郎八茶碗(ごろはちじゃわん);粗末なドンブリ茶碗。
落語「もう半分」の盃に使われた。

燈灯(みあかし);神前にあげる灯明。 

長屋(ながや):4.5畳に土間が着いた9尺2間(間口1.5間X奥行き2間)から、6畳に土間が着いた9尺2間半、二部屋続きから2階建てまで、いろいろな長屋があった。八っつあんは家賃も滞納するくらいだから一番小さい9尺2間の長屋だったのでしょう。隣は薄壁、声は筒抜け。下図、右側が入口で入ると土間になっていて、流し・へっつい(かまど)が有ります。奥は外に出られて、物干しがあります。押し入れは無いので枕屏風(腹掛けが掛かっている)を立てた中に布団がたたんで置いてあります。

 「9尺2間の長屋」カットモデル。江戸深川資料館

 


                                                           2014年12月記

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