落語「三年目」の舞台を行く 古今亭志ん生の噺、「三年目」(さんねんめ)
■気が残る(きがのこる);志ん生はマクラで、虱(しらみ)を捕まえ、それをビンに入れて口を硬く締めた。1年後どうなったかと思い蓋を取ると、シラミが飛び出してその男の目に飛び込んだ。男の片目が失明した。虱にも気が残っていたのであろう。人間でも同じ。
■医者(いしゃ);江戸時代の医者は一般的には徒弟制度で、世襲制であったが、誰でもなれた。
しかし、医師免許も教習もなければ資格もなかった。なる資格は”自分が医者だ”という、自覚だけであった。医者になると、姓を名乗り、小刀を腰に差す事が許された。
料金に公定相場はないので、自分で勝手に付けられましたが、名医ならば患者が門前市をなしますが、ヤブであれば、玄関に蜘蛛の巣が張ってしまうでしょう。で、自然と相場のような値段が付いてきます。またヤブは自然淘汰されていきます。ですから、無能な者が医者だと言っても長続きはしませんでした。
■百か日(ひゃっかにち);四十九日法要のあとは、死後100日目の「百か日法要」を行います。
遺族の悲しみをリセットするための法事になります。 百か日とは、亡くなられた方がご先祖様として祭られる初めての法要。
■十万億土(じゅうまんおくど);この世から、阿弥陀仏がいるという極楽浄土に至るまでの間に、無数にあるという仏土。転じて、極楽浄土のこと。非常に離れている意味にも用いられる。
■死ぬ者貧乏(しぬものびんぼう);生きていればいつかはいいこともあろうが、死んでしまった者は最も損であるということ。
■八つの鐘(やつのかね);幽霊が出てくる深夜2時頃に鳴らされる時の鐘。
■幽霊(ゆうれい);恨めしいと言って、足は無く、髪はおどろに乱し、額に三角布を付け、両手をだらりと下げて丑三つ時に現れるのが定番。落語の世界では色々の幽霊が居て、昼間に出てきた幽霊、「何でこんな時間に出てくるのだ」、「だって、夜は恐いんだもの」。また、「私は死んだら幽霊になって出るから・・・」、「お前は幽霊にはなれない。化け物だ」。美人は幽霊になれるが、不美人は化け物になってしまう。この噺のお菊さんは、亭主に愛想づかしをされないために髪が伸びるまで待っていた。可愛いではないか。
■丁子が溜まる(ちょうじがたまる); ちょうじ‐がしら【丁子頭】灯心のもえさしの頭にできた塊。形が丁子の果実に似ているからいう。広辞苑
2014年12月記 前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ |