落語「看板のピン」の舞台を行く 三遊亭円生の噺、「看板のピン」(かんばんのぴん)
1. サルが、高い木の上に座って、漁師たちが川に網を投じるのをじいっと観察していた。しばらくすると、漁師たちは、食事のために、土手に漁網を残して帰って行った。
2. 川のそばで木を切り倒していた木こりが、ひょんなことから、斧を川の深い淀みに落としてしまった。木こりは生活の糧とする斧を失ってしまい、土手に座り込んで、この不運を嘆き悲しんだ。すると、マーキュリー神が現れて、なぜ泣いているのかと尋ねた。木こりがマーキュリー神に自分の不運を語ると、マーキュリー神は、流れの中へ消えて行き、金の斧を持ってきて、彼がなくしたのはこの斧かと尋ねた。木こりが自分のではないと答えると、マーキュリー神は、再び水の中へ消え、そして手に銀の斧を持って戻ってきた。そして、これが木こりの斧かと尋ねた。木こりはそれも違うと答えると、マーキュリー神は、三度川の淀みに沈んで、木こりがなくした斧を持ってきた。木こりは、これこそ自分の斧だと言って、斧が返ってきた喜びを神に伝えた。すると、マーキュリー神は、木こりが正直なことを喜んで、彼自身の斧に加えて、金の斧も銀の斧も木こりに与えた。
ことば
・ちょぼいち(樗蒲一);ちょぼとはサイコロの別称でサイコロ1個を使って勝負するところからこの名がついたと言われます。第38話落語「しじみ売り」に細述、この噺以外にもこの噺の「看板のピン」、「狸賽」があります。 ・丁半博打;2個の賽子を振って出た目の合計が”丁”(偶数)か”半”(奇数)かを当てるもの。第39話落語「猫定」に細述。
”思うツボ”はサイコロ賭博で丁か半かの壺の中のサイコロの目を思い通りに的中させること。
・チンチロリン;参加者のうち1人が親に、残りが子になる。子は場に「コマ(駒)」(お金)を「張る」。親からサイコロを振っていき、親とそれぞれの子との勝敗が決まると勝ち負けに応じた配当が親と子の間でやりとりされる。
道具立てもさして必要としないうえ、胴元が固定しているのではなく親の権利が順番に回って来る「回り筒」のため、日本の伝統的サイコロ賭博である丁半のように賭場の開帳に暴力団が関与することもなく仲間内で遊ばれることが通常だと考えられる。 ・”ピンからキリ”も博打から来ていて、最上等のものから最下等のものまで。最初から最後までの意。 ■サイコロ(賽);双六・博奕などに用いる具。角・象牙・木・焼き物などの小形の立方体で、その6面に、1・2・3・4・5・6の点を記したもの。さいころ。「骰」「賽」とも書く。
これだけ沢山あれば、好きな目を選べる? ピン(1)の裏は6、2の裏は5、3の裏は4と決まっていて、上下を足すと7になる。6が出ると裏ピンとも言う。 以上落語「狸賽」より、一部加筆。 ■グ;博打の賽の目の数で、五。
■筒(どう);親。博奕などで、賽を入れて振る役。賭博などのために席を貸してその出来高の歩合を取る人。筒元。筒取。広辞苑
2014年12月記 前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ |