落語「本膳」の舞台を行く
   

 

 柳家小さんの噺、「本膳」(ほんぜん)より


 

 『聞くは一時の恥』と言って、知らないと損をする事があります。
 裏長屋を屑屋さんが流していると、おかみさんに呼び止められて、クズの中から琴の爪が出てきた。お世辞のつもりで「お琴をなさるのは、昔は良い生活をなさっていたんでしょうね」、よせばいいものを得意な顔をして「元は良い生活をしていたんです。このお琴の爪だって、以前は5本揃っていたんですから・・・」。5本の指に爪を付けて、バリバリ引っ掻くのではありませんから・・・。
 昔は交通の便が悪かったので、知らない事が地方には沢山有りました。ある村に饅頭を知らないところがありました。畑の中にどうした事か饅頭が落ちていました。お百姓さん何だろうと思ってクワで突くとはずみで動いた。「動いたぞ!生きているぞ。虫の親玉だろう、ぶち殺してやる」、クワで叩くと半分に割れて、中からあんこが出てきた。「やっぱり虫だ。去年小豆の採れが悪いと思ったら、この虫が、かっ食らってた」。知らないとはおかしい事です。

 村の連中がそろって、村はずれに住む手習いの先生の所にやって来た。「大勢さんで。村に珍事がありましたか」、「鎮守様には何も無いのですが・・・。村長さんの所に下新田から可愛い嫁っこが来まして、村人一同が祝物を差し上げた。その返礼として今晩ご馳走を差し上げると回状が回ってきた。簡単な料理だと思っていたら、これが本膳の総振る舞い。村中で誰も本膳の作法・礼式を知らなかった。夜逃げをするという者も出てきた。皆で考えたら先生に本膳の食べ方を教えて欲しいと村中で来ました」。
 「今晩の事ですから、教えきれないでしょう。先様で私が上座に座りますから、好きなところにお座りになって、皆さん同じように私の真似をして下さい」。紋服を着て皆揃って先生の所に集合。皆で村長の家にやって来た。

 先生は慣れていますから、ドカッと床の間を背に座ります。村の連中も席について、先生の真似をして、頭を下げます。そこに膳が出てきます。「吸い物椀の蓋を取っだぞ。吸い物椀を取り上げるだぞ。箸を持ったら、一口吸うだぞ。なに?全部吸ってしまったか、食いしん坊メ」。先生、里芋を摘まんだが不覚にも滑って取り落としてしまった。塗り箸なので摘まむより刺した方が早いと、頓知で刺したら、膳が塗り物ヌルッと滑って刺さらない。それを見ていた村の衆、「ハハァ~、膳の上で転がすのだ。誰が一番先に出来るか競争だ」。ガチャガチャと騒々しい事。
 これは駄目だと先生、飯に取りかかったが、山盛りによそってあった上に鼻が高かったので、鼻の頭に飯粒3つを着けてしまった。「本膳って面白いものだ」。村中の者が鼻の頭に飯粒を着け始めた。お前のは2粒多いとか少ないとか・・・。先生それを見て、真似もいい加減にせよと、隣の男に肘で突いた。
 これがはずみで次々と肘突きが回っていった。「痛てえ、あにするだ」、「本膳の礼式だ。受け取ったら次へまわせ」、「さあ、この野郎。そら!」、「そっとやれ」、「そっとはやれねえ。覚悟スろ。ひのふのみ」、「痛ててッ」。突かれた奴がそれを礼式と勘違いし、「真似しろ」と言う伝達つきでその隣をドン。それがまた隣をドン。ドン・ドン・・・。最後の男が、思いきり突いてやろうと隣を見たら壁で誰もいない。
 「先生、この礼式はどこへ持っていくだ?」。 

  



ことば

本膳(ほんぜん);本膳料理の事で、日本料理のひとつ。 「食事をとる」という行為自体に儀式的な意味合いを持たせているのが特徴。 室町時代に確立された武家の礼法から始まり江戸時代に発展した形式。しかし明治時代以降ほとんど廃れてしまい、現在では婚礼の際の三々九度など、冠婚葬祭などの儀礼的な料理にその面影が残されている程度である。更に、肝心の料理店自体が用語の使い方を誤っている例がしばしば見られる(単なる婚礼や法事の会席料理や仕出し弁当に「本膳料理」という名前を付けている例がある)。
 なお、茶会における宴会の本膳は「懐石」と呼び区別される。
 膳組としては一汁三菜、一汁五菜、二汁五菜、二汁七菜、三汁五菜、三汁七菜、三汁十一菜などがあったとされる。もっとも基本的な形は、本膳には七菜(七種の料理)、二の膳には五菜(五種の料理)、三の膳には三菜(三種の料理)を配膳するものである。
 本膳料理に特徴的なのはこうした膳の多くが「見る」料理であり、神饌(しんせん)や仏供と同様に飯・餅などを「高盛」と呼ばれる飾り盛で供された。実際に食べる事ができる料理は決して多くは無かった。本膳料理が形骸化すると実際に食べる部分が少なくなったことから、食べるための膳として引替膳が編み出された。引替膳は室町時代には遡らず、天正9年(1581)の織田信長が徳川家康を饗応した「御献立集」において見られる。 江戸時代には慶長12年(1607)から文化8年(1811)まで朝鮮通信使の来日が行われ、幕府や沿道諸藩による饗応では七五三・五五三の本膳料理が供された。この際にも引替膳が出された。
 現在、婚礼料理や正月のおせち料理にその姿を留めている。
<ウイキペディアより加筆訂正>


 「宗和流本膳崩」メニュー例。  宗和流本膳より。 本膳料理は、日本料理の正式なお膳立てで、現在の日本料理の形式や作法上の基本となります。本膳料理は、武家の礼法が確立いたしました今から五百数十年前の室町時代に始まり、江戸時代に大きく発達した料理であります。かつて婚礼をはじめ、冠婚葬祭の料理といえば、飛騨に限らず全国的に本膳料理であったわけです。ですから明治・大正・昭和初期頃までは、本膳料理による婚礼披露が盛んに行われていました。しかし第二次世界大戦を境にめったに見られなくなり、わずかに飛騨地方で行われる程度になりました。 宗和流本膳は、飛騨高山第二代藩主金森可重(かなもり ありしげ)の長男で茶道宗和流の始祖である金森宗和が、好みと形を江戸時代初期に生み出し今に伝わる本膳料理であります。器は、宗和好みと呼ぶ黒塗りの四つ椀形式、膳も黒塗りのいわゆる宗和膳を用います。かつては、高山の中流以上の家庭には、必ず宗和流の膳・椀が備えられ、慶弔ともなると、一週間も続く宴席を行いました。

礼式(れいしき);マナー。様式は多くの場合、堅苦しく感じられるが、その形は社会の中で人間が気持ち良く生活していくための知恵です。マナーは国や民族、文化、時代、宗教のさまざまな習慣によって形式が異なる。ある国では美徳とされていることが、他の国では不快に思われることもある。「他者を気遣う」という気持ちを所作として形式化し、わかりやすくしたものが形式としてのマナーです。

洋食でのテーブルマナー、いやはや、どこでもマナーはうるさい。
欧州のヨーロピアン・スタイルと北米のアメリカン・スタイルに大別することができるが、共通する部分も多い。
 ・ 席に着いたら、まずナプキンを「ひざ」に掛ける。席を離れる際はナプキンを椅子に置く。帰る際にナプキンをテーブルに置いて去る。
 ・ 食物を切る時は右手でナイフを、左手でフォークを持つ(左利きの人も同じ)。ただし食べる時は、フォークを右手に持ち替えてもよい(米)。フォークとナイフは外側に置かれているものから使用する。
社団法人日本ホテルレストランサービス技能協会の石澤國重専務理事によると、現代の風潮からすると、ナイフとフォークを左右逆に持ってもマナー違反にはならないという。
 ・ 皿の上にナイフとフォークをクロスさせて(または「ハ」の字を描くように)置くと "まだ食事中" のサイン、並べて置くと "食べ終えた" のサイン。ナイフの刃は常に自分の側に向ける。一度使ったナイフやフォークをテーブルの上には置いてはいけない。
 ・ 音を立てて飲まない(スープやコーヒーなど)、音を立てて食べない(食器の音、食べる音)。 皿に口をつけない、器を持ち上げない(ただし、軽く手を添えてもよい)、口に物が入ったまま喋らない。
 ・ 飲み物は右手側、パンなどは左手側に置くようにする。

和食でも同じようにマナーはあります、
 ・ 日本では、複数の皿が同時に食客の前に供される場合と、一皿ずつ順番に供される場合とがある。この場合、一つの皿の料理だけを食べてその皿を空けてしまうのは、片付け食いといい、無作法とされ、複数の料理を、順番にバランスよく食べる。三角食べとも言う。
 ・ 多くの場合は、それぞれの料理を順番に口に運ぶことで、味を最大限に楽しめるよう工夫されている。 食事に招かれたり飲食店などで供された料理は残さず食べる事が作法とされている。 一方で本膳料理において、与(四)の膳の鯛の姿焼きや五の膳の口取りは、その場で食べず残して持ち帰る。結婚式の宴席でも鯛と付け合わせは食べないで持ち帰る。日本では飲食店で食べきれないほどの料理を注文することもマナーに反する。 万が一、食事を残す際は、苦手な食べ物、満腹、アレルギーや特定の禁忌がある等の事情を述べて丁寧に断る。 そばやうどんの汁は、飲み干しても、残しても、随意とされる。 目上の人から箸を持つ(下の人は、先に箸を持たない)。基本的に一人ずつ膳で用意されるため、主菜副菜とも一人分が盛られ、汁と飯と菜は同時に無くなるように交互に食べる。懐石では汁を飲みきった時点では、飯を少し残しておき、酒が注がれてから菜である向付を食べる。

 ・ ご飯の食べ方:箸で食べる。丼物もかき混ぜて食べない。具とご飯は交互に食べる。織田作之助の愛した混ぜカレーや卵かけご飯のようにかき混ぜて食べるものもある。
 ・ 汁物の飲み方:音を立ててすすらない。和食の場合、器を両手で持ち口をつけて汁を飲み、具は箸を使いレンゲやスプーンは使わない。 飲み終わった後、お椀の「ふた」は食卓に(又はお膳)に上がった状態と同じようにする。理由は、お椀の柄を傷つけないためである。
 ・ 麺類の食べ方:基本的に音を立てずに食べるが、そばやうどんなど屋台が出自であり作法の範囲外とされるため、音を立ててすするのが粋とされる場合もある。
 ・ 音:食器類で音を立てない。口の中の食物で音を立てない。音を立てて咀嚼をする事は、特にマナー違反とされており、それは口に食べ物を入れたまま話をすることと同様である。
 ・ 手皿:和食は器を持って食べるのが基本であり、手を下におろしながら食べる「手皿」は不作法である。器がない場合は懐紙などを使う。
 ・ 複数人で会食する時は、同席者の食事のペースに合わせ、他の人より著しく早く食べ終わったり、あるいは他の人が食べ終わっているのに自分だけがまだ食事中であるなど、他の人とペースが著しく違ならないように気を払う。
 ・ 途中で席を立つのが無作法なのは共通している。
<ウイキペディアより加筆訂正>

箸の使い方もタブーがあります。全部ではありませんが・・・。
 握り箸:箸を握って持つこと
 寄せ箸:器を箸で引き寄せたり、移動させること
 刺し箸:お料理に箸を刺すこと
 渡し箸:箸を器に乗せて、橋みたいに置くこと。箸置きを使うこと
 探り箸:器の中の食べ物を箸でよって探ること
 迷い箸:器の上で箸を行き来させて、迷うこと
 空 箸:一度箸でつかんだお料理を、放すこと
 移り箸:箸を「やっぱりコッチ」と器から器へ移動させること
 もぎ箸:箸についた食べ物(ご飯粒など)をもぎ取ること
 涙 箸:食べ物からポタポタ汁を垂らしながら食べること
 横 箸:お箸をそろえて、料理をすくうこと
 噛み箸:箸を噛むこと
 移し箸:箸から箸へと食べ物を受け渡すこと。葬儀の骨揚げ以外しない
 ねぶり箸:箸をペロペロ舐めること
 持ち箸:箸を持ちながら、同じ手で器を持つこと
 押し込み箸:口の中へ食べ物を押し込むこと
 立て箸(仏箸):ご飯にお箸を突き刺すこと。あなたは仏壇の中の住人か
お食事マナー・テーブルマナーのやさしい解説>より。 判りやすく広く丁寧に造られたホームページ。

珍事が鎮守様(ちんじ ちんじゅさま);語呂が似ているので間違って理解した。

回状(かいじょう);今で言えば回覧板。宛名を連記し、次から次へまわして用を達する書状。回書。江戸時代、領主が村から村へ用件を通達した書状。この噺では招待状。

上座(かみざ);座敷など座布団の上に座る場所での食事などでは、座る位置がその場の上下関係を暗に示している。多くの場合では、入り口から最も遠く、床の間という掛軸や生け花が飾ってある場所が「上座」とよばれ、一番目上の人か大切なゲストが座る位置である。仕事(ビジネス)上でトラブルを避けるためには、案内する者に名刺などを渡して、案内され示された場所に座る。宴会場では自分の名札の有る席に着く。
 なお、これはあくまでも日本において通用する文化であり、他の国では事情は異なる。日本国内においても上座・下座の意識には地域差があり、沖縄県においては主賓以外の序列はそれほど意識されないことが多い。
 部屋によっては別の席が上座となる場合がある。例えば、景観が良い部屋の場合には、景色が最もよく見える席が上座となる。一時期、テレビが見えるところが上席となった事がある。

吸い物椀(すいものわん);日本料理で、だしを塩や醤油、味噌などで味付けたつゆを、魚介類や野菜などの実(み)とともに、吸うようにしたもの。羹(あつもの)とも呼び、酒の肴となる広義のスープ料理。
 本膳料理では汁物とは別に吸物が、吸物膳で提供される。懐石や会席料理での煮物には吸物が多く用いられ、椀盛りや煮物椀ともよばれる。また箸洗を小吸物ともよぶ。また卓袱(しっぽく)料理では、尾鰭(おひれ)と呼ばれる吸物から食べ始める。 これらのように一汁三菜での汁ではなく、菜あるいは肴に分類される。酒の肴として供するものは「吸物」、飯と供するものは「汁物」と呼び分けている。
 漆器の椀が多く使われる。吸物の椀をとくに吸物椀とよぶ。吸物椀(すいものわん)は、小吸物椀、一口椀、箸洗いともいい、小さな蓋付きの塗椀で、八寸の前に煮物椀と引き替えで席中に出されるものです。 吸物椀は、一口吸物、湯吸物、箸洗いといわれるように、ごく少量の味の薄い清まし汁で箸の先をすすぎ、またご馳走を頂いた後の口中を整えるためのもので、俗に一口椀と呼ばれるような小吸物椀が見立てで用いられます。

 漆塗りの吸い物椀が料理では似合います。漆器を作るうえで欠かすことのできない「漆」。 樹液である漆ですが、いったん漆が乾く(固まる)と、様々な特徴を備えます。それは、耐水性・断熱性(保温性)・ 耐久性・防腐性・抗菌性といった特徴です。この漆の特徴は、天然塗料の中でも最も優れていると言われています。熱々の味噌汁を注いだ汁椀に触れる時、漆の持つ断熱性によって、お椀が熱くて持てないということがありません。また、保温性にも優れているので、漆器のお椀に入れた中身が冷めにくく、お料理を美味しい状態で長く召し上がることができます。

村長(そんちょう);地方公共団体である村の最高責任者。
 江戸時代は村長と言う役職はなく、いくつかの村を取り仕切っていたのは 大庄屋、村を取り仕切っていたのは庄屋と言われる役職者でした。大庄屋は役職柄、幕府や藩から扶持(給与)が支給され苗字の公称、帯刀を許可されていた者が多くいたようです。庄屋も苗字の公称や帯刀を許可されていた者がいましたが、少数だったようです。畿内西国方面では庄屋、東国方面では名主と呼ぶことが多い。北陸・東北では肝煎(キモイリ)といった。
 江戸時代中期ごろから世襲制よりも、農民たちの選挙、話し合い、支配者側から民政や行財政の実務に精通した有能な人材を大庄屋や庄屋に任命することが一般的になりました。ほとんど形式的で事実上の世襲です。大庄屋、庄屋は数村または村の行政を委任された長なのです。無能だと地域や村の行政を取り仕切る事は出来ないし、支配者側にとっても不利益になる場合が多いし何かと不都合です。行財政の実務に精通し農民たちの支持があり支配者側からも信頼のあつい有能な人材でないと大庄屋や庄屋は務まりません。事実、一揆などが勃発した遠因は大庄屋、庄屋などの行政の無能さがあります。支配者側も、この点に気づき、農民たちに人望があり実務能力のある有力農民を大庄屋、庄屋に任命するようになりました。



                                                            2016年3月記

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