落語「京の茶漬」の舞台を行く 五代目桂文枝の噺、「京の茶漬」(きょうのちゃづけ)より
■五代目桂 文枝(かつら ぶんし、1930年4月12日 - 2005年3月12日)は上方噺家(上方の落語家)。本名は長谷川 多持(はせがわ たもつ)。
■京の茶漬けエピソード;この話は落語向けに作った噺ではありません。実は私の先輩が同じような失敗をしているのです。大阪出張を命じられて、バリバリの東京育ちですから、上方の生活習慣は全く判りません。京都に単身で行ったとき、このはなし同様「お茶漬けを・・・」と言われたのです。京都は東京から来た客には親切だな~と思いながら、それではと、茶漬けをご馳走になって帰って来ました。翌日上司に呼ばれ「お茶漬け食べてきたんだって」、「ハイ。親切でしたよ」と言うと、こっぴどく叱られました。相手の家から会社に電話が入っていたんですね。約50年前の話です。今でも帰り際に「お茶漬けを・・・」と言うのでしょうか。
■明石の真鯛(あかしのまだい);漁場である兵庫県明石海峡は潮の流れが激しく、その中でよく運動して身が引き締まっているうえ、このエリアに豊富に棲息するエビやカニ、魚をエサにしていて、身がおいしくなるからなのだとか。明石の鯛のお値段、天然真鯛の3倍はすると言います。
■京極(きょうごく);新京極通(しんきょうごくどおり)は、京都市中京区の南北の通りで、三条通から四条通までの比較的短い通り。
■お櫃(おひつ);炊きあがった飯を保存する容器。かまどの釜で炊かれた飯はそのまま食卓には持ち込めません。釜まで飯を注ぎに行っても良いのですが、それでは釜に残った飯は焦げてしまいます。そこでお櫃に移してから食卓に持ち込みます。お櫃は木製ですから、炊きたての飯の時は余分な水分を吸い、冷めてきたらそれを放出して、一定の湿り気を飯に与えます。木にはサワラ材を使われることが多いので、殺菌効果もあり、長時間の保存にも耐えられます。
■宇治の茶(うじのちゃ);宇治茶(うじちゃ)は、宇治市を中心とする京都府南部地域で生産される日本茶の高級ブランド。
静岡茶、狭山茶と並んで『日本三大茶』と言われ、生産量の少ない狭山茶を省いて静岡茶と共に『日本二大茶』とも言われている。
鎌倉時代から生産されていたと考えられ、室町時代には将軍家をはじめ室町幕府の有力武将により茶園が設けられた。戦国時代には覆下茶園により日本を代表する高級茶の地位を固め、江戸時代には幕府に献上されるお茶壷道中が宇治から江戸までの道中を練り歩いた。
■清水焼の茶碗(きよみずやきのちゃわん);京焼の一つで、手仕事を中心とした伝統的な技法と、雅やかな意匠を特色とし、製品は主に高級茶器、食器、花器などがある。
清水焼は天正~寛永(1573~1644)に音羽、清閑寺などの地で、正意、万右衛門、音羽屋惣左衛門らが作陶にあたり、慶長(1596~1615)末に五条坂へ移転したとされる。
その後、正保(1644~48)頃、丹波の陶工野々村仁清が京に出、御室焼をはじめ、各窯で作陶し、色絵陶器の技法を進展させ、その様式を確立した。仁清の弟子には尾形乾山がある。
この後停滞期を迎えるが、文化・文政(1804~30)頃、有田磁器の影響と、煎茶の流行、そして文人趣味を背景として奥田頴川が中国風の赤絵磁器を製し、門下に青木木米、欽古堂亀祐、仁阿弥道八などを生んだ。
■糸底(いとぞこ);ろくろから陶土を離す際、糸で切った痕が器底に渦形に残ったもの。これにより和物と中国物との区別をし、また、陶器鑑賞の一視点とする。いときり。
■荒物屋(あらものや);ザル・ホウキ・塵取りなどの家庭雑貨類や料理道具・生活必需品を売る店。
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