落語「目薬」の舞台を行く 三遊亭 鳳楽の噺、「目薬」(めぐすり)より
■万葉仮名(まんようがな);楷書ないし行書で表現された漢字の一字一字を、その字義にかかわらずに日本語の一音節の表記のために用いるというのが万葉仮名の最大の特徴です。万葉集を一種の頂点とするのでこう呼ばれる。『古事記』や『日本書紀』の歌謡や訓注などの表記も『万葉集』と同様である。『古事記』には呉音が、『日本書紀』には漢音が反映されている。江戸時代の和学者・春登上人は『万葉用字格』(1818年)の中で、万葉仮名を五十音順に整理し〈正音・略音・正訓・義訓・略訓・約訓・借訓・戯書〉に分類した。万葉仮名の字体をその字源によって分類すると記紀・万葉を通じてその数は973に達する。
右書体:象形文字が簡略化されていき、今の”女”の文字に近づきます。それを草書体に書き表し、現在の”め”に落ち着きます。 仲間でも字訓を借りたもの(借訓仮名)で、 一字が一音を表すもの
■江戸の眼医者;天保時代以降、目の治療で、メグスリノキ(目薬の木)が知られていました。
この樹皮をはがして煎じた液で、目を洗浄しました。
有効成分が含まれていることが、現在判っています。洗浄だけなら「塩水」(海水、または、食塩水)が使用されていました。服用してもその効果はありました。
また、鍼で白内障を治療した医師もいたとのこと。
メグスリノキは
■識字率(しきじりつ);江戸の成人男性の識字率は幕末には70%を超え、同時期のロンドン(20%)、パリ(10%未満)を遥かに凌ぎ、世界的に見れば極めて高い教育水準であると言うことができる。実際ロシア人革命家メーチニコフや、ドイツ人の考古学者シュリーマンらが、驚きを以って識字状況について書いている。また武士だけではなく農民も和歌を嗜んだと言われており、その背景には寺子屋の普及があったと考えられ、高札等で所謂『御触書』を公表したり、『瓦版』や『貸本屋』等が大いに繁盛した事実からも、大半の町人は文字を読む事が出来たと考えられている。ただし識字率ほぼ100%の武士階級の人口が多いため、識字率がかさ上げされているのも間違いなく、当時、全国平均での識字率は40~50%程度と推定されている。
■「仲良きことは美しきかな」;武者小路実篤の言葉ですが、この噺の夫婦は非常に仲が良いです。昼間から戸を閉めて、亭主のために献身的に寄り添う奥様はなかなか居ないでしょう。
2016年5月記 前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ |