落語「戸棚の男」の舞台を行く
   

 

 星新一作
 古今亭志ん朝の語り、「戸棚の男」(とだなのおとこ)より


 

 太郎という青年がいた。父親は財産家であり、小遣いに困ることもない。したがって、毎日きちんと勤めに出かける必要もなかった。彼は独身の気楽さもあって、なんということもなく遊びまわっている。

 金に不自由しないので、やることは豪勢だ。買いもとめたヨットを操縦し、ひとり海へ乗り出したりする。女と違って思うがままに動いてくれる。小さな島に一人の絶世な美女が立っていた。難破して、漂流したのだろうと思って、助けてあげることにした。 「そうねえ。べつに助けてもらわなくてもいいんだけど、あなたがお望みなら、助けてもらってあげようかな」、訳のわからない返事だった。「ぜひ助けさせて下さい。お願いです」。ヨットに乗せて、近くで見るとなお美しさが際立った。太郎は我慢が出来ず、結婚を申し込んだ。その熱意が通じたのか、女はうなずいてくれた。
 早速父親に結婚に許しを求めOKをもらったが、「身を固めたからには、いままでのように、ぼやぼやと遊んでいてはいかん。なにか仕事をみつけ、毎日きちんと出勤して働くのだ」。

 めでたく結婚することができた。二人はマンションの大きな一室を新居とした。帰宅すれば、絶世の美女が夫人として存在しているのだ。こんなすてきな女を妻としている男は、他にいないだろう。その喜びが支えとなっているので、昼間の仕事など、なんということもない。

  太郎はいつものごとく帰宅した。戸棚から変な音が聞こえたので夫人を別室に移し、ゴルフクラブをもって対峙した。ネズミが居るようだ、と言うと中から「チュウ、チュウ」、猫かなと言うと「ニャ~ォ」、犬かも知れないというと、犬の吠える声がした。太郎は戸をさっとあける。ライオンのほえる声がしてびっくり、中には三十歳ぐらいのシャツとパンツだけという見知らぬ男がいた。 「いったい、おまえは何者だ」、「もうおわかりと思いますが、声帯模写、物まねを得意とする者です。物まねをやって、奥さまを楽しませてさしあげていました」。抜けたところのある太郎も、うすうす気が付いてきた。「うむ。外国漫画に時どき、こういう図があるぞ。亭主の帰宅で、あわてて戸棚にかくれる人物というやつだ。その名は間男。この推理にまちがいはないだろう」、相手はふるえている、「どうか、お手やわらかに」。ゴチャゴチャ言っているスキに男は逃げていった。
 怒りを夫人に向けた「留守中に男を引っ張り込んで・・・」、「?どうしていけないの」、「それは・・・、昔から決まっていることだ」、「そうなの」、「今回だけは勘弁してやる」、話はうやむやになってしまった。

 カギを外から掛けて、出られなくしたが、何日かして帰ってみると戸棚の中から変な音がする。前回の男と違って洋風の男が立っていた。「お前は誰だ」、「私はアルセーヌ・ルパンの孫で、怪盗まで祖父そっくりです」、「間男じゃないか」、「いえ、私は泥棒に入ったら、ご主人が帰ってきたので、戸棚に隠れました」、「泥棒か?でも何を取ろうとしたんだ」、「貴方のご婦人の愛を・・・」、「やっぱり間男だ」、ルパンは早々に逃げ出した。

 これだけでは済まなかった。今度は男の子がいて、自分から出て行った。キューピッドだった。次はフランケンシュタインであった。戸棚が何かトンネルにでも繋がっているかと調べたが、普通の戸棚であった。
 次に戸棚の中に見つけたのは学者風の男。弱そうだったので、太郎も高飛車に出たが、学者が言うには、「夫人は元々ビーナスであった。ある時は海の泡となり、あるときはビーナスのかたちで居る。美しすぎると思いませんか?その魅力と美しさに引き寄せられて、ご主人が帰ってきて初めて我に返り戸棚に隠れるのです。間男と言われても、ビーナスは万人の物、貴方一人が独占できない。反省しなさい」、学者先生は言いたいことを言って帰って行った。
 夫人にお願いした。「ビーナスだったんだって。その神通力で男が来ないように出来ないか」、「美の女神だから皆寄ってくる。離婚しましょうか?そうして貴方が通って来れば良い」、それには承服できなかった。
 それからも、美の放射線に打たれた男達は毎晩のようにやって来た。ドラキュラや幽霊、サンタクロース、雪だるま、ピノキオ、狼男までやって来た。時にはインデアンの酋長や緑色の宇宙人まで居た。
 太郎の心にも変化が出て来た。以前は向かっ腹が立って殴りかかろうとしたが、今は大人のびっくり箱のように扉を開けるのが楽しみになって来た。その変化を夫人は感じ取った。

 太郎は帰って来ると夫人より嬉々として戸棚の扉を開けるのが嬉しそうであった。「私、浮気するの止めようかしら。私より戸棚に興味が移ってしまったから・・・」、そして愛の放射線を止めるのに努力していた。
 太郎が帰ってくると、真っ先に扉を開けに行って喜んだ。「今日は凄いぞ。透明人間だ」。

 



ことば

原作者;星新一のショートショートが原作。星 新一(ほし しんいち、本名:星 親一、1926年(大正15年)9月6日 - 1997年(平成9年)12月30日)は、小説家で、SF作家。 父は星薬科大学の創立者で星製薬の創業者・星一。森鴎外は母方の大伯父にあたる。本名の親一は父・一のモットー「親切第一」の略で、弟の名前の協一は「協力第一」の略。イラストレーターのほししんいちとは特に関係がない。父の死後、短期間星製薬の社長を務めたことがあり、日本の有名作家としては辻井喬こと堤清二(西友社長)と並んで稀有な東証一部上場企業(当時)の社長経験者である(ただし、堤の場合は西友の経営参加や上場よりも創作活動が遙かに先行しており、星の場合は完全に経営を離れたのちに創作活動が始まっている)。 多作さと作品の質の高さを兼ね備えていたところから「ショートショート(掌編小説)の神様」と呼ばれているが、『明治・父・アメリカ』、父親や父の恩人花井卓蔵らを書いた伝記小説『人民は弱し 官吏は強し』などのノンフィクション作品もある。

  

この噺は、落語では無く朗読です。星新一のショートショートを落語家が読み下しているのです。スタジオ録音で出囃子も拍手も笑いも無しです。語りにしても、志ん朝を使うなんて大袈裟すぎて勿体ない。

間男(まおとこ);夫のある女性が他の男性と関係をもつこと。またはその男性のこと。
 間男とは結婚し、夫のある女性が他の男性と肉体関係など男女の関係をもつこと。また、そういった男性をいう。さらに先のような形以外でも、男女が密かに持つ関係を間男という。こういった関係や男性を間男と呼ぶ理由は諸説あるが、「夫婦の間に入ってくる男性」からきたとする説が浸透している。また、読みは「まおとこ」以外に「まお」とも読む。寝取られた男をフランスでは”コキュ”という。

 フランス小話にも格好の題材とされる。また、川柳にも良い題材を与えています。
 『戸棚にしまう女房の隠しぐい』 末摘花
 『どっかどう戸棚へしゃがみこむ一大事』
亭主が急に帰って来たので、ドタバタと戸棚に逃げ込む。まさに一大事です。
 『間男と亭主抜き身と抜き身なり』
 『抜いて逃げ抜いて亭主が追いかける』
同じ抜き身でも亭主は間男の逸品には敵わない。
 『間男の不首尾こぼしこぼし逃げ』
間男がこぼすのは愚痴ではありません。この様なことが繰り返すと淋病になるという迷信があった。
 『間男の淋病心覚えあり』
現場に踏み込み見つけると、武士なら二人を重ねて四つにしたが、町人なら内済金を五両取って済ませた。この五両は田沼時代以降七両二分にあがった。
 『四つにすべきを黄なるもの五ツにし』
 『一分だめしの奴なれど五両取り』
 『入れるか入れないで七両二分とられ』

 フランス小話で・・・。
 あまり咄嗟のことで逃げ隠れが出来ない二人に、亭主が頭にきてヒステリックな大声で怒鳴った。・・・が、亭主気が付いて言った「おい、せめて俺が文句を言っている間は腰を動かすのは遠慮したらどうだ!」。
 そのⅡ
 友人の病院で不思議な病気を見てきた。「それってどんな病気なの?」、「男のお道具がピンとなったきり、小さくならないんだ」、「まあ!」と細君下を向いたが、ややあって「その病気、伝染するの?」。
 そのⅢ、これ以上例題を引きません。
 珍しく昼過ぎに我が家に戻った亭主は、下着姿の女房を見て、「だれか、ここには男が居る」、女房は心配そうな声で「誰も居ないわよ」、「いや、確かに居る」、まづ戸棚を調べて「ここには居ない」、次に浴室のドアーを開けて「ここにも居ない」、押し入れを探したが居ない、リビングを探したが「ここにも居ない」。最後に物置小屋の戸を開けると、目の前にプロレスラーのような、腕っ節の強そうな男が居た。男の顔を見るなり、直ぐ戸を閉めて大声で叫んだ「ここにも居ない」。

透明人間(とうめいにんげん);フランス小話から。
 オペラ座の前で、一人の男が長い紐を引きずって歩いていた。警官が近づいて尋ねた。
「そんな紐を引きずって、何をしているんですか?」、「透明人間を探しているんです」、「透明人間ですって?そんなものを探してどうするのですか?」、「この引っぱている犬を返してやろうと思いましてね」。

ヴィーナスの誕生(ヴィーナスのたんじょう、伊: La Nascita di Venere) ;ルネッサンス期のイタリアの画家サンドロ・ボッティチェッリの作品で、キャンバス地に描かれたテンペラ画である。縦172.5cm、幅278.5cmの大作で、現在、フィレンツェのウフィッツィ美術館が所蔵し、展示している。 この絵は、ギリシア神話で語られている通り、女神ヴィーナスが、成熟した大人の女性として、海より誕生し出現した様を描いている。

 古典的な女神ヴィーナスは、水より出現して貝殻のうえに立ち、霊的情熱の象徴であるゼピュロス(西風)に乗って、岸へと吹き寄せられている。季節の女神であるホーラたちの一人が、花で覆われた外套を女神へと差し出している。ヴィーナスのポーズは、当時発見された『恥じらいのヴィーナス』タイプの古代彫刻から得たもの。

ミロのヴィーナス;ギリシア神話におけるアプロディーテーの像と考えられている。高さは203cm。材質は大理石。発見時は碑文が刻まれた台座があったが、ルーヴル美術館に持ち込まれた際に紛失している。
 ミロのヴィーナスは、1820年4月8日に小作農であったヨルゴス・ケントロタス(Yorgos Kentrotas)によってオスマン帝国統治下のミロス島で発見された。彼は最初、官吏に見つからぬようにヴィーナス像を隠していたが、トルコ人の官吏に発見され没収された。 後に、フランス海軍提督ジュール・デュモン・デュルヴィルは、この像を見て価値を認め、フランス大使に頼みこんでトルコ政府から買い上げた。これは修復された後に、ルイ18世に献上された。ルイ18世は、これをルーヴル美術館に寄付し、現在でもそこで管理されている。 以後、ルーヴルを出て海外へ渡ったことはただ1度だけ、1964年4月~6月、東京都・上野公園(国立西洋美術館、美術館最高の一日当たりの入場者数を記録)および京都府(京都市美術館)で行われた特別展示のみです。この際、日本への輸送時に一部破損が生じ、展示までに急遽修復されている。 1900年頃にルーヴルで一度だけ型取りされており、現在もその型を元にレプリカや縮小モデルが作られている。
   

キューピッド;(英語: Cupid)は、ローマ神話の神クピードー(ラテン語: Cupido)の英語読み。しばしばキューピットとも表記される。
 ローマ神話の愛の神。日本では、英語読みのキューピッド(Cupid)やキューピットで知られる。ギリシア神話のエロースと同一視される。 エロースと若干異なり、背中に翼をつけて恋の矢を撃つ気紛れな幼児として描かれることが多い。そのため、恋人達の恋愛成就の助けになることを「恋のキューピッド」ということが多い。
右写真:銀座四丁目の天賞堂ビル角から路地の2人を狙うキューピッド。

フランケンシュタイン; (Frankenstein) は、イギリスの小説家メアリー・シェリーが1818年3月11日に匿名で出版したゴシック小説。また、同書の主人公であるスイス人科学者の姓である。今日では1831年の改訂版が出回っている。多くの映像化作品が作られ、本書を原案とする創作は現在も作り続けられている。
 スイスの名家出身の青年、フランケンシュタインは科学者を志し故郷を離れてドイツで自然科学を学んでいた。だが、ある時を境にフランケンシュタインは、生命の謎を解き明かし自在に操ろうという野心にとりつかれる。そして、狂気すらはらんだ研究の末、「理想の人間」の設計図を完成させ、それが神に背く行為であると自覚しながらも計画を実行に移す。自ら墓を暴き人間の死体を手に入れ、それをつなぎ合わせることで怪物の創造に成功した。 しかし誕生した怪物は、優れた体力と人間の心、そして知性を持ち合わせていたが、筆舌に尽くしがたいほど容貌が醜いものとなった。そのあまりのおぞましさにフランケンシュタインは絶望し、怪物を残したまま故郷のスイスへと逃亡する。しかし、怪物は強靭な肉体のために生き延び、野山を越え、途中、言語も習得して雄弁になる。遠く離れたフランケンシュタインの元へたどり着くが、自分の醜さゆえ人間達からは忌み嫌われ迫害され、孤独のなか自己の存在に悩む怪物は、フランケンシュタインに対して自分の伴侶となり得る異性の怪物を一人造るように要求する。怪物はこの願いを叶えてくれれば二度と人前に現れないと約束するが、さらなる怪物の増加を恐れたフランケンシュタインはこれを拒否する。創造主たる人間に絶望した怪物は、復讐のためフランケンシュタインの友人や妻を次々と殺害する。憎悪にかられるフランケンシュタインは怪物を追跡し、北極海まで来たが行く手を阻まれ、そこでウォルトンの船に拾われたのだった。 全てを語り終えたフランケンシュタインは、怪物を殺すようにとウォルトンに頼み、船上で息を引き取る。また、ウォルトンは船員達の安全を考慮して、北極点到達を諦め、帰路につく。そして、創造主から名も与えられなかった怪物は、創造主の遺体の前に現れ、彼の死を嘆く。そこに現れたウォルトンに自分の心情を語った後、北極点で自らを焼いて死ぬために北極海へと消える。怪物のその後は誰も知らない。

ドラキュラ;(Dracula)は、イギリス時代のアイルランド人の作家、ブラム・ストーカーの恐怖小説『吸血鬼ドラキュラ』(1897年)に登場する男性の吸血鬼。日本では「吸血鬼」の意味で誤用される事が多いが、あくまでも小説の登場人物の固有名詞であり、吸血鬼全般をドラキュラと呼ぶのは間違いで、吸血鬼を表す英語はヴァンパイア(Vampire)である。ドラキュラはルーマニア語で「竜の息子」を意味する(竜は悪魔という意味もある)。小説執筆時は「不死者(The Un-Dead)」という題名だった。
 原作小説では「背の高い痩せた男」「燃えるような赤い目」という印象で繰り返し描かれる。登場当初は「白髪の老人で、中盤から血を吸って若返り、髪も黒髪になる。鷲を思わせる精悍な顔つきで、口髭を生やし、肌とは不釣り合いな毒々しく赤い唇に尖った犬歯が覗いている、」といった容貌。服装は黒ずくめであるという他は特に記述されていない。対して性格や趣味趣向は細かく設定されている。「来客の給仕や城に囲っている女吸血鬼の世話といった家事もマメにこなす。活動期間は日没から日の出までで、夜が明けるとともに死体に戻るため(ただし、日中でも活動している場面が劇中に存在する)、本来は自分の墓の土の中に戻らなければならないが、通常は城内の納骨堂に設えられている石棺の中に墓の土を敷き詰め、日中はそこに目を開けて横たわっている。十字架をはじめとする神の息のかかっているものとニンニクを忌避する。怪力無双、変幻自在、神出鬼没で鼠、梟、蝙蝠、蛾、狐、狼などを操り、嵐や雷を呼び、壁をトカゲのように這うことができる。影が無く、鏡に映らない。他人の家にはその家の家人に招かれなければ入ることが出来ない。一度招かれると以後は自由に出入りが出来る。」

サンタクロース;(英: Santa Claus)は、クリスマスの前の夜に良い子のもとへプレゼントを持って訪れるとされている人物。しかしその実態は未だ 確認されていない。
 常に笑顔の、白のトリミングのある赤い服・赤いナイトキャップ姿で白ヒゲを生やした太りぎみの老人の男。白い大きな袋にクリスマスプレゼントを入れて肩に担いでいる。19世紀の初出では一頭立てのトナカイがソリを引く姿が描かれていたが、やがて八頭立てとなり、家々の子どもたちが寝ている間にプレゼントを配る現在のイメージに至っている。サンタクロース(シンタクラース)の服装はキリスト教の司祭服に由来する。
 イギリスではファザークリスマスと言い、緑色の(近年は赤が主流)の服を着ている。
 オランダではクリスマスが1シーズンに2回あり、プレゼントがもらえるのは12月6日の「聖ニコラスの日」の前日と、25日のクリスマスである。
 イタリアではクリスマスが1月6日まで続き、5日に魔女が来て、良い子にお菓子を、悪い子に石炭をくれるという伝説がある。
 ドイツでは、悪い子は「悪い子に罰する黒いサンタ(クネヒト・ループレヒト)」に攫われるという言い伝えがある。しかし現在では、ドイツの子供たちは「クリスマス男」と「クリストキント」(クリスマス子)とのどちらかを信じているといわれており、どちらが持ってくるかで学校では論争があるという。なおドイツでは、サンタクロースは商業主義だとしてカトリックによるサンタクロース排撃事件があり神父たちが襲われる事件もあった。
 ロシアではマロースおじさんが孫娘のスニェグーラチカを連れて、プレゼントを配るという風習がある。
 南半球に位置するオーストラリアでは、夏のクリスマスにサンタクロースが来る。

雪だるま;(ゆきだるま、雪達磨)とは、雪を固めて作られる「だるま」の(ような)形をした雪像。日本以外にも同様のものはあり、「雪人」または「雪男」(英・独・仏など)、「雪人形」(伊・蘭など)などと呼ばれている(日本語で「雪男」というときは、いわゆる「インドやアメリカの雪山に棲む未確認生物の巨人イエティ」を指すのが一般的である。

右絵:歌川広景画 『江戸名所道戯尽 廿二 御蔵前の雪』

 現代の日本では、(江戸期の絵画とは異なり)雪玉を二段に重ねた形が主流である。大きめの玉を下段とし、上に小さめの玉をのせて頭とし、木炭などで眉・目・鼻・口などを形作る。頭には、帽子としてバケツをのせることもある。棒を二本、腕として下段の玉の左右に刺したり、また手袋やマフラーをつけることもある。 

ピノキオ;(原題:Pinocchio)は、1940年2月7日に公開されたディズニーによるアニメーション映画。 カルロ・コッローディ作の童話『ピノッキオの冒険』を原作とする。
 物語の主人公。ゼベットが作った人形の男の子。ブルー・フェアリーによって命を与えられて様々な冒険をする。好奇心旺盛な上に人形のため世間知らずで人を疑うことを知らない。楽しい事が好きで、ファウルフェローたちに騙されてゼベットを無意識に裏切ってしまう。しかし、ジミニーやフェアリーの教えを受けながらあらゆる経験を積み成長していく。ゼベットを「お父さん」と呼び、慕っている。モンストロからゼペットをかばい死ぬが、本当の正しく優しい子になったためブルーフェアリーの力で人間となって生き返る。

狼男(おおかみおとこ);獣人(伝説の生物)の一種で、狼または半狼半人の姿に変身したり、狼に憑依されるなどした人間の男性である。同様の女性は狼女(おおかみおんな)で、男女を特定せず狼人間(おおかみにんげん)・人狼(じんろう)ともいう。



                                                            2016年6月記

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